206 特務事務官は交渉を始める
さあああああ......。
涼やかに吹く秋の風が拠点内の作物の葉を揺らすのを、タイチェは仮称ザマーゴの森冒険者ギルド出張所会議室の窓から眺めていた。
その作物のことを、少なくともタイチェはこれまで見たことがない。
畑に刺された木の棒を伝って、大人の背丈ほどのツタが伸びている。
紫色の花に交じって小さなサヤのようなものが視認できるので、おそらくは豆の一種だろう。
そしてさらにその奥を見やれば、その豆とはまた違ったツタであったり、地を這うようにして伸びる肉厚で真ん丸な葉っぱをつけた植物であったりが繁茂する畑が、防壁に向かって広がっている。
「いやあ、ここは長閑で、普通に良い所ですね!」
一応、護衛ということでタイチェの後ろに帯剣したまま立っているユージュが、のほほんと普通のことを言った。
「まぁ、そうかもしれませんね......」
そうは言いつつも、タイチェは背中を丸めて肘をかいた。
......若干のストレスを感じているのだ。
タイチェ的にはこの拠点空間は、どうにも居心地が悪かった。
先述した通り、彼女は異常に記憶力が良い。
今や、大抵の動植物の名前はそらんじることができるし、その素材としての価値、効能も暗記している。
しかし、この拠点内では、その記憶があまり役に立たないのだ。
ここは得体の知れない作物で、満ち満ちている。
そういう状況に慣れていないので、タイチェとしてはどうしても気持ちが悪い。
ちなみに、タイチェの記憶にないということは、外で栽培されている作物たちは、おそらくこの魔境の森で発見された新種の植物なのだろう。
何しろザマーゴの森はほとんど人が入ってこなかった魔境......固有の生態系が形成されていてもおかしくない。
でも、だからと言って、その新種の植物の中から食べられるものを選定して、そこそこの規模で栽培し始める。
しかも、数か月の内に。
それは、どう考えてもおかしいと思う。
森の草を片っ端から試食しておいしいものを選定できる毒の効かない人間と、栽培方法をあっという間にひらめく農業の天才がいれば、確かにそれは可能ではある。
そんなやつら、いてたまるか!
......思わずそうつっこみたくなるが、そんな異常な人材がこの拠点には、いるのだ。
それはアースセルからの報告で、タイチェは把握済みである。
「............」
というか、この会議室に通された時に出された、カップの中に入っている水は一体何なんだろう......。
なんか、よく見たらツタの切れ端みたいなものが浮いていて、酸っぱい。
メモン水に似た味だが、あれよりも香りが少なく酸味が強い。
しかし、嫌な酸味ではない。
得体が知れず、気になり始めると気持ちは悪いが、おいしい。
思わずごくごくと、夢中で飲んでしまう。
く、悔しい!
「いやあ、普通に良いお天気だなぁ!」
妙な葛藤で悶えるタイチェのその横で、ユージュは窓の外を眺めながら、なんか普通のことを言った。
と、その時だ。
「フォッオ~~~ッ!待たせてすまんのタイチェッ!久しぶりじゃの~~~ッ!」
賑やかに騒ぎながら会議室の扉を開け、新規出張所開設官アースセルがにこにこの笑顔でやってきた。
とりあえずタイチェは気を取り直し、アースセルの頭上を目視。
そしてパンツをかぶっていないことを確認し安堵してから、立ちあがり一礼する。
「お久しぶりです、アースセル。まずは、心からの賛辞を贈らせていただきます。よくもたった数か月で、これほどの施設を作り上げたものですね。嘘偽りなく、感服いたしました」
「フワハハハッ!そうそうッ!そうやっておじいちゃんを、もっと尊敬すると良いぞいッ!」
「ははは、もともと尊敬していますよ?仕事ぶりに関してだけは」
にっこりと笑顔で、特務事務官と新規出張所開設官は机をはさんで握手をした。
「で、じゃ......詳しい仕事の話をする前に、紹介しときたいんじゃが......」
そう言うと、アースセルは後ろに目線を送る。
そこに立っているのは、アースセルに続いて入室してきたそこそこ顔の良い金髪の男と、悪人顔の男だ。
アースセルからの目線を受け、金髪の男がそこそこ愛想のよい笑みを浮かべて一歩前に進み出て、胸に手をあて一礼した。
「初めまして、特務事務官殿!私の名前は......」
「ああ、存じております。パッチーノさんですね?」
ところがタイチェは、ばっちり余所行きの笑顔を浮かべた金髪の男の自己紹介を、先んじて名前を当てることで止めてしまった。
「冒険者等級は7級。魔法剣士。パーティのリーダーであり、そのメンバーはニーセ、モドキン、ダーマシーのお三方。パーティ名は“茶竜のカカト”で、その由来は『他パーティとの被りを避けた結果』でしたね。もともとは『赤竜のキバ』、『青竜のツバサ』といった名前にしたかったが、恰好良いが割とありふれているその名前を嫌い、奇をてらった結果であるとお聞きしています。そして冒険者としての依頼達成率は9割。これだけを抜き出してみれば、相当に優秀な冒険者であると言えるでしょう。”勇者詐欺”を行っていた事実を除けば、ですが」
ぺらぺらとつまびらかにされる、パッチーノの個人情報。
思わずパッチーノは笑顔をひきつらせて固まってしまった。
その様を見て、タイチェはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「......パッチーノ、前に言ったろうッ?タイチェは“歩く冒険者図鑑”なんじゃッ!多分この子、お主の受けた依頼、達成率どころかその内容に至るまで、言う気になれば全部言えるぞいッ!」
「えっ、怖っ。凄すぎて逆に怖っ」
アースセルは固まってしまったパッチーノの肩を、ぽんぽんと叩いた。
「いやあ、タイチェさん。それ、普通に失礼じゃないですか?」
護衛のユージュは、自己紹介を遮って喋り始めたタイチェを、普通に咎めた。
「えー......コホン」
タイチェはニヤニヤ笑いをやめ、咳ばらいをして場を仕切りなおす。
実は彼女とて、それが失礼な行いであることは重々承知である。
そのうえで、次のセリフを違和感なく発するため、あえてこういう行いをしたのだ。
「そして......“ジョン”さん。アースセルからの報告で、この出張所予定地の構築において、あなたには多大なるお力添えをいただいたと伺っております。冒険者ギルドを代表いたしまして、感謝申し上げます」
タイチェはそう言って、悪人顔の男......ジョバンノに向けて頭を下げた。
「ふむ......」
ジョバンノは、タイチェを見つめる。
頭をあげたタイチェは、無言のままにこりと笑みを浮かべた。
「感謝など不要だ。私は、仲間とこの地に、拠点を作っていた。そこに、アースセル殿がいらっしゃって、拠点作りの手伝いをしていただいたのだ。出張所の構築については、私は土地を貸したにすぎん。感謝するのは、こちらの方なのだよ」
ジョバンノも、悪人顔を精いっぱいに歪めて、笑みを作った。
多分、子どもが見たら泣くような邪悪な笑顔ではあるが、そういう顔つきはもともとなので仕方がない。
さて、今の会話の一連の流れ。
アースセルとパッチーノは意味がわからず、思わず首を傾げお互いの顔を見合った。
「フォッ?何を言っとるんじゃ、タイチェッ?この方の名前は、“ジョン”ではなく、ジョ......」
「あっ!窓の外にパンツが舞ってる!」
「えッ!マジマジッ!?どこじゃッ!?」
そしてここでアースセルが余計なことを言おうとしたので、タイチェは窓の外を指さし嘘を言ってごまかした。
瞬時に窓に飛びつき、必死でパンツを探すアースセル。
その背中からは本日一番の気迫が感じられる!
「いやあ......」
ユージュはその奇行を見て、普通に引いていた。
......ここで少し、情報を整理しよう。
タイチェは目の前の悪人顔の男の正体が、ポッケロケ国を追放された元貴族ジョバンノ・アック・トーであることは、既に確信している。
しかしアースセルはそうではない。
もともと別の国の支部で働いていた男なので、ポッケロケ国で起きた事件の関係者の情報など、把握していなかったのだ。
“茶竜のカカト”一行に関しても、彼らは流れのアウトローであったので、状況は同じだ。
ジョバンノ本人は、これまで度々己が大罪人であるとほのめかしてはいたが、確定的な事実までは、口にしていなかった。
仲間たちに、軽蔑されるのが怖かったからだ。
そして仲間たちも、それぞれが脛に傷を持つ身だ。
あえて、仲間の過去を暴き立てようという者はいなかった。
故に今この場においては、ジョバンノの過去を知っている者は外部からやってきたタイチェだけという、奇妙な状況が成立していた。
そしてジョバンノは、アースセルから報告が行われているはずのタイチェが、自分のことを“ジョン”と呼んだことから、この目の前の特務事務官が自分の正体を把握しており、そのうえでなお、大罪人ジョバンノではなく開拓者ジョンを相手取って、何かしらの交渉を行う余地があるのだということを理解した。
「さて、アースセル新規出張所開設官。早速ですが、この場所の、出張所認定についての話をしましょう」
「フォッ!?お、おおッ!そうじゃそうじゃッ!どうかのタイチェ、この場所はッ!もう既に十分、本格稼働開始の条件は、満たしておると思うがのッ?」
窓から身を乗り出してパンツを探していたアースセルだが、タイチェの一言で理性を取り戻し、慌てて椅子に腰かけた。
それを見て、ユージュ以外の人間も苦笑しながら着席する。
「細部についてはこれから改めて確認させていただきますが......結論から申し上げますと、合格です」
「フォッオ~~~ッ!!!」
「そもそも周囲が素材豊富な環境ですし、防壁、水、家など生活環境が整っており道のおかげでアクセスも容易、食料すら自給できているとなれば、既に現状でも十分冒険者ギルドから事務職員を派遣できます。さらにもう商人との交流が始まっているともなれば、私もここを正式な冒険者ギルド出張所として本格的に稼働できるよう、急いで作業を進めたいと思います」
「おおお......嬉しい、もんじゃのうッ!努力がこうして実り、成果になるということはッ!」
「ははっ!良かったじゃねぇか、変態ジジイ!」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、ハンカチを取り出して目をこすり始めたアースセルの背中を、パッチーノは優しく叩いた。
「良かったなぁ、アースセル殿」
ジョバンノも、パチパチと手を叩いた。
しかし......祝福の言葉とは裏腹に、その目は笑っていない。
「だがなぁ、“我々”は確かに口頭で、アースセル殿に土地を貸した。だがしかし、冒険者ギルド出張所の開設までは、認めた覚えはないぞ?」
そして、そんなことを言い始めた。
「「えッ?」」
発言の意図がわからず、固まるアースセルとパッチーノ。
しかし特務事務官タイチェは、慣れたものだ。
にっこりと、笑みを作る。
「おや、そうでしたか?どうやら、ジョンさんとわたくし共の間に、認識の齟齬があったようですね?」
「せっかくの機会だ。この場で色々と、詰めて話をできればと思うのだが?」
「ええ、良いでしょう。きっとお互いに納得できるお話合いができることと、確信しておりますわ」
「ふむ。それは嬉しいことだ。この場で書面による取り決めは可能かね?」
「もちろん。特務事務官には多くの権限が委譲されておりますので」
頭の上に疑問符を浮かべる変態ジジイとそこそこ金髪を放置し、ジョバンノとタイチェの交渉が始まった。
このおっさん、少しやる気だし始めるとすげぇ面倒くさいんだよな!




