182 大罪人は再起する
「............む......」
ジョバンノは天井から落ちた一粒の冷たい雫に額をぴちゃりと打たれ、目を覚ました。
「むぐ............」
苦労して、鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら体を起こす。
洞窟の岩の上で、布も何も巻かずに寝たので体中が痛い。
鎖が重く腕は上がらないが、何とか伸びをして肩や首をぐるぐる回し、あくびをする。
(............生きている)
そしてぼんやりと、そんなことを思った。
大罪を犯し追放刑に処され、己のことを死んで当然の人間として認めつつも死にたくはなく......。
死ぬ決心がつかず森をさまよっていた彼は謎の少女と出会い、肉を恵まれその命をつないだ。
不思議な少女だった。
不幸の象徴たる黒髪黒目をその身に宿した呪い子でありながら、彼女はどこまでも強い、覇気を放っていたように思う。
生命力の塊というか、とにかく生きる力に満ちあふれた、そんな少女であったように思う。
一方で自分は、なんと惨めなことか。
死にきれず、生ききれない。
未だに惑い続けている......。
「......とりあえず、起きるか」
さて、再び暗く湿気た思考の渦に飲み込まれそうになっている己を見出し、ジョバンノは頬を軽く打つことで気持ちを切り替えた。
胸中に渦巻く葛藤に蓋をして、とにかく何か行動を開始することにしたのだ。
「む......むむ?しかし、あのお嬢さん......エミーは一体どこに......?」
そしてすぐに気付いた。
昨日彼に火と肉を分け与え、今日という未来を授けてくれたあの不思議な少女が、見当たらない。
あたりをきょろきょろと見回す。
洞窟の中にあるのは、焚火跡。
それと、やたらと血まみれになっている床は、マウンテントポポロックの死骸が置いてあった場所か。
今や肉の一片......骨の一かけらすら残されてはいない。
後ろの方を振り向くと、そこにあるのは洞窟の入り口だ。
すっかり雨は上がり雲が去ったのか、入り口からは洞窟内部に暖かな光が入り込んできている。
さて、このようにぐるりとあたりを見回してみても、やはりエミーという少女はどこにもいないのだ。
「まさか......夢だった、のか......」
混乱し、そんなことをつぶやきながら天井を仰ぐジョバンノ。
するとそこに......エミーはいたのだ。
エミーは、どうやっているのかジョバンノにはわからないが、天井にはりついて寝ていたのだ!
「おわぁっ!!?」
驚いたジョバンノが叫び声をあげると、エミーはその瞳を薄っすらと開け、くるくると回転しながら床へと落ちてきた。
「......起きたの......?」
そして機嫌悪そうに目をこすりながら、大あくびをしながら体を伸ばした。
「な、なんで、天井に!?」
「出会ったばかりの、おっさんと......一緒に寝るの、嫌だから」
そう言いながらエミーは、手を握って、開いて、肩をまわし、腰をまわし、数回の屈伸をしてぴょんぴょんとはねた。
(いや、『なんで天井にはりつけるのか』聞いたんだが!?)
「で......おっさん、昨晩の答え、決めた?」
「......!」
軽く体を動かしてすっかり目を覚ましたらしいエミーは、その黒く輝く大きな瞳をぱっちりと開いて、ジョバンノを見つめた。
『昨晩の答え』とはつまり、『エミーに【見えざる手】を教えるかどうか』という問いかけに対する答えである。
ジョバンノは肉を恵まれ、恩を返すために異能を教えろと目の前の少女に乞われ......しかしその回答を保留にしていた。
「難しいことはない。私が見たい時、【見えざる手】を使う。それだけで良い。それを見て、私は勝手に学ぶ」
見るだけで、異能が学べるものなのか?
ジョバンノにはわからないが、この不思議な少女にとっては、きっとそうなのだろう。
少女は淡々と、ジョバンノに迫る。
「おっさん弱そうだから、異能を学んでいる間、私がおっさんを守ってあげる。覚えた後も、どこか人里まで、連れてってやっても良い」
あんな巨大なマウンテントポポロックを狩れるのだ。
このエミーという少女の言葉に嘘はないのだろう。
この少女に【見えざる手】を見せるだけで、もはや風前の灯であったジョバンノの生は守られるのだ。
「............」
「ねえ、メリットしか、ないでしょ?なんで頷かない?」
エミーから発せられる圧が、徐々に強くなってくる。
イライラし始めている。
その表情は一切変わらないが、彼女の感情は彼女がその身にまとう雰囲気によってよくわかる。
特に、ジョバンノのような弱者にとっては。
もうこれ以上は回答を先延ばしにできない。
ジョバンノはため息をついて、己の心情を吐露し始めた。
「お嬢さん......私はな、大罪人なんだよ......」
「見ればわかる。鎖、がちゃがちゃ」
うつむいたまま苦笑し、ジョバンノは語り続ける。
「許されない、大罪を犯し、この地へと追放されたのだ。私はね、死ぬべき人間なんだ」
「............」
「お嬢さんの申し出は、とてもありがたい。お嬢さんの力があれば、私はきっと生きていけるのだろう。生き残れて、しまうのだろう。だが......」
ここでジョバンノは顔をあげて、エミーを見つめた。
疲れ切った顔をしていた。
「それで、良いのか......いざその未来を選べるとなると、どうしても、迷ってしまってね......」
最後は本当にか細い声で、ジョバンノはそう言い切った。
腹が減れば、満たされたいと願う。
体が冷えれば、暖まりたいと願う。
追い詰められれば、体は生きろと命ずる。
しかしそれが満たされれば、すぐに迷いが湧き上がる。
自分は、生きていて良いのか。
今だって、そうだ。
未だに迷っているのだ。
『生きていたい』と望んでいるくせに、生きていくための算段が見つかった途端、『それで良いのか』と悩むのだ。
だからこそ、ジョバンノは素直にエミーの提案を、受け入れることができなかった。
ジョバンノは力なく肩を落とし、うつむく。
そこにあるのは、平気な顔で悪事を働き、多くの人間を不幸に陥れてきた悪徳伯爵の姿ではなかった。
肝心な時にどこかに行っていたくせに今さら戻って来た、良心とかいう役立たずに苛まれ、己に何ら価値を見出すことのできない、ただただみすぼらしく小汚い男の姿であった。
そんな男の、絞り出すような言葉を聞いて。
エミーは......。
「知るかーーーーーーッ!!!」
と、怒鳴った!!
あまりの声量に、洞窟の中がびりびりと震える!
「え、ええ!?『知るか』って......」
「私は!異能を教えろと、言ってる!!おっさんの人生とか、罪とか!!どうでも良いからッ!!!」
「えええーーーーーーっ!!?」
もはや、エミーのイライラはマックスだ!!
だってなんかごにょごにょ言うから一晩待ってやったのに、まだなんかごにょごにょ言うんだもん!!
その小さな体からは想像できないほどの恐ろしい【威圧】が発せられ、ジョバンノを襲う!
あまりの恐ろしさに、ジョバンノは思わず尻を地面につけたまま、後ずさる。
「そんなに死にたいなら、私が【見えざる手】を覚えてから、死ね。自殺が怖ければ殺してやる。そうだ、私版の【見えざる手】で、ぐちゃぐちゃに握りつぶしてあげる。良い考え」
ジョバンノに近づき、前髪を掴んで顔を持ち上げて目と目を無理やり合わせてから、エミーはそんな恐ろしいことをつらつらと言った。
脅しではない。
こいつは、やると決めたら、平気でそういうことをやる。
ジョバンノはエミーの【威圧】によって、すっかり理解させられてしまった。
「それとも、どうする?今死ぬ?別にいいよ?もったいないけど、それはそれで仕方ない。一瞬で終わるよ?」
そう言ってエミーは、ジョバンノの首元に手刀をあてた。
ゆっくりと、静かにあてた。
それなのに、何故か鋭い刃物をあてられたかのように、ジョバンノの首元から一筋の血が流れた。
「ひ......」
「どうする?」
「あ......あ......」
「どうする?」
ジョバンノは、震えながら口をパクパクさせた。
何か言わなくてはと思うが、恐怖のあまり意味のある言葉が出てこない。
「はい、じゃあ制限時間、あと十秒ね。十、九、八、七......」
ところが、眼前の怪物はそんなジョバンノの様子を一切慮ることなく、ついにはカウントダウンまでし始めた!
「私は......私はッ!!」
ジョバンノはなんとか、言葉をひねり出し、喋ろうとした。
しかし結果として、その努力は実を結ぶことがなかった。
何故なら。
ズ......ミシ、ズズ、ズ......。
そんな音が、洞窟内に響き始め、そして......。
ズガシャガガガガガガガッ!!!
形容しがたいほどの轟音と振動がジョバンノを襲い、彼は気を失ってしまったからだ。
◇ ◇ ◇
「............む......」
ジョバンノは天井から落ちた一粒の冷たい雫に額をぴちゃりと打たれ、目を覚ました。
「むぐ............」
苦労して、鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら体を起こす。
そしてあたりを見回し、一体自分の身に何が起きたのか確認しようと、あたりを見回した。
しかし、そこにあるのは完全なる闇である。
何も見えない。
「【着火】」
しかしその時だ。
ジョバンノの隣で、小さな火が灯った。
見れば、エミーが小さな火の玉を手のひらの上で作り出し、辺りを照らしている。
(異能......!)
無詠唱で、魔法らしき力を使う。
つまりエミーは、異能使いである。
ジョバンノの異能を学ぼうというのだから、おそらくこれ以外にも使える力はあるのだろう。
先程天井にはりついていたのも、もしかしたら異能の力なのかもしれない。
しかし、それはともかく。
「一体、何が起きた......?」
こちらの疑問を解消するほうが、優先順位が高かった。
「多分、土砂崩れ。昨日の雨で、地盤?ゆるんでた。崖が崩れて、洞窟、塞がれた」
思わず漏れ出たジョバンノの言葉に、エミーは淡々と返答をする。
その表情は、相変わらずの無表情。
恐怖も困惑も、何一つとして読み取れない......。
「はい、じゃあ、おっさんも起きたし、さっきの続きね。六、五、四、三......」
「って、おーーーーーいッ!!まだそのカウントダウン、続いているんかーーーーーーーーいッ!!!」
思わず絶叫するジョバンノ!
ジョバンノの首筋に手刀をあてつつ、小首を傾げるエミー。
「そりゃそうでしょ」
「何が『そりゃそうでしょ』なんだ!?土砂崩れだぞ!?生き埋めになったんだぞ!?何故そうも、落ち着いていられる!?」
「この程度、私にとっては些事」
エミーは傲慢にも、そう言い放った。
ジョバンノは思わず唖然とし、言葉をなくす。
「そんなことより、おっさんは何を慌ててる?」
「何......!?」
「死にたいなら、慌てる必要、ないでしょ」
「!!」
「死にたいなら、火、あたらなくて良い。肉、食べなくて良い。崩落、慌てなくて良い」
図星を突かれて固まるジョバンノ。
エミーは手刀をひっこめ、ジョバンノの瞳を見つめながら言葉を続けた。
「『自分は死ぬべきだ』なんだとぐずぐず言う。でも、そう言っている時点で、おっさんは生きていたいんだ」
「............」
返す言葉もなかった。
『死ぬべきだ』と、心底納得しているのなら、死ねば良いのだ。
暴論だが、確かにそうだ。
ジョバンノは、生きていたいのだ。
それは、自分でも理解していることだった。
しかしそれを、まさかこんなにも幼い少女に指摘されるとは、思っていなかった。
「しかし、私には、大罪が......」
「だから、そんなことッ!!私にッ!!何の関係があるッ!!」
エミーは再び怒気を込めて、叫んだ。
「お前は、生きろ!生きて、私に異能を教えろッ!!罪だのなんだの、そんなものは、知らない!お前が後でなんやかんやしろ!!生きたいのなら、生きろッ!!私に異能を、教えろッ!!!」
エミーの怒声が、出口を塞がれた洞窟内で散々反響し、ぐわんぐわんとジョバンノの体を揺さぶる!
そしてそんなエミーの主張は!
すがすがしい程に!
自分のことしか考えていなかった!
小綺麗な言葉で飾り立てたお説教ではなく!
ただの、エゴの押し付けでしかなかった!
しかし、そうであるが故に、その言葉はどこまでもまっすぐであり、ぐるぐると惑い続けていた悪党ジョバンノの心を、力強く打ちぬいたのだ!
「くく......はは、ははは......ははははははッ!!」
それが何故だか無性におかしくて、気持ちが良くて......ジョバンノは大笑いした。
「......おっさん、どうした?頭おかしくなった?」
「うるさいッ!笑わしたのはお前さんだろうが!」
「笑ったのは、おっさん」
「ははは!それはまあ、違いないな!」
肩で涙をぬぐい、息を整える。
罪が露見し捕縛されてから......いや、伯爵になってから、かもしれないが、とにかくジョバンノは、これほどまでに大笑いしたことはなかった。
なんだか爽快な気分だった。
ジョバンノは改めてエミーに向き直り、言った。
「私は弱いぞ。ろくに運動すらできん」
「いばって言うことか」
「そんな私を、守ってくれるんだな?」
「そういう約束」
「昨日のようなうまい肉、食いたいぞ?」
「楽勝で狩れる」
「もう年だから、野菜も食べたいな」
「食べれる草はみんな野菜。それが私の持論」
......ジョバンノは、頭を下げた。
「私は、まだ生きていたい。私を守ってくれ、エミー」
「それは、順番が逆」
エミーはジョバンノの頭を掴み、無理やり持ち上げてから......今度は自分が頭を下げた。
「異能【見えざる手】、学ばせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
二人の間に生じる、少しの間の沈黙。
「なんだ、エミー、お前さん、急に丁寧になったな」
「おっさんは、急にふてぶてしくなったね」
「今まですっかり忘れていたが、私は悪党だからな」
そんな何でもない会話が妙におかしくて、ジョバンノは再び大笑いした。
エミーは表情も変わらず笑み一つこぼさなかったが、先ほどまでの剣呑とした雰囲気とはうってかわり、満足そうな気配だ。
「しかし、まあ......」
ひとしきり笑ったあと、ジョバンノは洞窟の入り口があった方の暗闇を眺めて、ため息をついた。
「生きるも学ぶも、まずはここから抜け出してから、という話になるわけだが......」
「言ったでしょ?こんなことは些事だと。おっさんは、私が守ると」
困惑し、肩をすくめるジョバンノを後目に、エミーは岩でふさがれた入口の方まで歩いていく。
それまで辺りを照らしていた、エミーの小さな火の玉が、消えた。
途端に洞窟内は暗闇によって埋め尽くされた。
「おっさんは、そこで待ってて」
そんな言葉を最後に、エミーは沈黙した。
そして。
ミシ......ミシ......。
そんな、空間がきしむような音が、暗闇の中に響き始める。
「耳、塞いで」
(両手を縛られた人間に......無茶を言う!)
次いで聞こえてきたエミーの言葉に従い、ジョバンノは片耳を肩で塞ぎ、もう片方を【見えざる手】で塞いだ。
そして、その次の瞬間!!
ドゴオオオーーーーン!!!
凄まじい轟音が再び洞窟内を震わせた!!
「ぐっ......!?」
思わず目をつぶるジョバンノ!
轟音の残響がおさまり、恐る恐る目を開けた彼の視界に飛び込んできたのは......何をどうしたかわからないが、とにかく、再びぽっかりと空いた洞窟の入り口だった。
暖かな初夏の日差しが降り注ぐ外の世界が、洞窟の外には広がっている!
「洞窟は、これがあるから危険。拠点は、平たいところに作るべき?」
エミーは先んじて洞窟の外に出ており、そこでなにやらぶつぶつと独り言を言っている。
そして、洞窟の中で唖然としているジョバンノの方をちらりと見て、
「おっさん、はやく出てきて」
と、促した。
ジョバンノは。
ジョバンノは、ゆっくりと歩き出した。
光り輝く世界へと。
魔物蠢く、危険な魔境へと。
得体の知れない、悍ましくも美しい、少女のもとへと。
我がままで、横暴で、だけど素直で、まっすぐな、少女のもとへと。
彼は歩き出した。
新たな、人生を!!
ジョバンノへの「ざまあ」って、三つの要素があると思うんですよ。
「『オマケの転生者』読者感情的ざまあ」、「刑法的ざまあ」、「ポッケロケ国民感情的ざまあ」です。
「『オマケの転生者』読者感情的ざまあ」は、この作品の読者が彼に求めるざまあであり、既にこれは彼が死ぬ思いで苦しんでいたことで、ある程度解消されているのではないかと思っています。
読者は、彼が設定上悪い奴だと知っていますが、実際に彼のせいで苦しんでいる人のことを、知らないですからね。
だから多少は彼に同情できるはず。
「刑法的ざまあ」は、追放刑に処されている時点で解消されています。
運よく生き延びましたが、追放自体はされているので。
でも「ポッケロケ国民感情的ざまあ」は、解消されていません。
ジョバンノによって奴隷にされ、不幸な目にあった人たちは、彼のことを決してこの程度では許さないでしょう。
彼の再起に何かもやっとしたものを感じたとしたら、きっとこの辺りが原因なのでは。
ただ、エミーはそんなことを、ちっとも気にしないのです。
彼女はどこまでも自分勝手で、自分本位。
前世から持ち込んだ知識がある程度自重をさせていますが、我がままで横暴っていうのは、まさしくその通り。
人間と接する機会が少ないので、そういうダメな部分があまり見えてこないだけで、かなり非常識な存在です。
自分が良ければそれで良い。
必要があれば他者を害することを厭わない。
そういう子です。
人倫を語るような存在ではないのです。
だけどエミーは、生きることについてだけは、しこたまに前向きです。
生きるという意志。
悍ましくも美しい、何人も否定しがたいこの意志こそが、主人公としてのエミーの核となる要素なのではないかなと思っています。
......何言ってんだか。
多分また次の更新まで間が空きますので、ちょっと長めの後書きでした。
失礼しました。
また12章の続きでお会いしましょう。
(追記)
両腕を縛られたジョバンノがどうやって耳を塞いだのかがわかるように、文章を変更しました。




