179 大罪人は呪い子と出会う
悪徳伯爵ジョバンノ・アック・トー!
弱冠7歳の麒麟児メレウケ・ルンパートが指揮したあの大捕り物から早一年......その名前を知らない者は、おそらく今やポッケロケ国には存在しないだろう。
母親は子どもに「悪いことをすると、ジョバンノがさらいにやってくる」と言って脅し、「ジョバンノじみた」という表現はポッケロケ国内において使われる、邪悪な様を形容する慣用句だ。
全国民から蛇蝎の如く嫌われる大悪党。
それこそが、ジョバンノという男なのだ。
何故彼がそこまで嫌われているのかと言えば、まず彼がしでかした犯罪行為が決して許されるものではなかったからだ。
彼は困窮した己の領民を無理やり捕縛し、違法奴隷として売り飛ばし、金を稼いでいた。
時には奴隷狩りを行い村一つを丸ごと潰したこともあり、その被害者は百人を下らないのではないかとも言われている。
そのうえ、彼は敵対派閥の貴族によるプロパガンダによって、はたまた味方であったはずの連中に罪を擦り付けられることによって、もしくは想像力逞しく口さがない民衆が作りだした“風の噂”によって、やってもいない罪すら犯していることになったし、国内で巻き起こる全ての犯罪の黒幕として祀りたてられることになったからだ。
彼は自分も知らないうちに、ポッケロケ国の滅亡を願う秘密結社の総帥になっていたのだ。
牢獄内での取り調べでその話を聞いた時には、お得意の皮肉すら口をついて出ず、彼は思わず絶句してしまった。
ともかく、ポッケロケ国内における彼への認識は、そんな『稀代の大悪党』。
そりゃあ、死罪よりも惨い刑罰とも言われる、ザマーゴの森への追放刑などに処されようというものである。
しかし、彼はいわれのない罪で自分がどれだけ罵られようと、甘んじてそれを受け入れていた。
だって、彼が捕まるきっかけとなった違法奴隷の売買自体には、間違いなく手を染めていたのだから。
彼のせいで人生を狂わされた人間が、数えきれないほど存在しているのだ。
伯爵であった当時は資金繰りに必死で、そんなことは無理やり頭の中から締め出していたが、それのなんと罪深いことか!
故にそのことを思うと、どれだけ責められようとも、言い訳する気にはならなかった。
いつの間にかすっかり麻痺してしまっていたが、彼の心の中にも確かに、間違いなく善性というものが存在していたのだ。
彼を擁護するわけでは無いが、ジョバンノとて好きで違法奴隷の売買を行っていたわけではない。
領地運営がうまくいかず、追い詰められ、最後にすがってしまったのが最悪の犯罪行為だったのだ。
そもそもの話、彼はもともとトー伯爵家の遠縁である子爵家の次男坊に過ぎず、ポッケロケ国においては本来であれば万が一にも伯爵位などを拝命する立場にはなかった男なのだ。
それが、なにやら王宮のどこか暗いところで、ジョバンノ本人すらもあずかり知らぬ何らかの力関係が働き、当時まだ年若かったジョバンノはわけのわからぬままトー伯爵領を継ぐことになった。
その話を既に『決定事項』として上から伝えられた時、ジョバンノはもちろん困惑した。
しかしまだ若かった彼は、内に秘めたる野心を燃やしたものだ。
せっかく手にしたチャンスだ。
ここから上に、のし上がってやるぞ、と。
ところが領地に赴任してみれば、トー伯爵領の経済は火の車であった。
既に領民は疲弊し、農地はやせ衰え、商人は逃げだし始めていた。
どうやら先代までのトー伯爵たち(今やどこへ消えたのか、その行方はようとして知れない)の無思慮な散財によって、かつて豊かであったトー伯爵領という土地は、すっかり食いつぶされてしまっていたらしい。
つまるところジョバンノは、死に体であるトー伯爵家を少しでも延命するための、生贄であったのだ。
何故、ジョバンノを無理やり伯爵位に据えてまで、トー伯爵家を存続させたのか?
そんなことをして、誰が得をしたのか?
結局ジョバンノにはわからずじまいだった。
わからないまま必死に働き、追い詰められ、犯罪にまで手を染め、多くの人間を不幸にして、ジョバンノは破滅した。
ちなみにジョバンノが捕縛された後、トー伯爵家はついに取り潰された、とのことだ。
初めから......そうしろ......!!
その知らせを牢獄の中で聞いたジョバンノは、血涙を流した。
◇ ◇ ◇
(結局、私の人生は、一体何のためにあったものなんだろうか......)
森の中で足を止め、いつの間にか思考に没入していたジョバンノの頬に、雨粒が一粒滴り落ちた。
はっとして己の手元を見ると、彼が持っていたのはぶよぶよとした紫色の果実である。
ザマーゴの森をあてどなく彷徨っていた彼はこの紫色の果実を見つけ、それを眺めながらこれまでの彼の人生について、そしてこの先の身の振り方について考え込んでしまっていたのだ。
「............」
ジョバンノは改めて手元の紫色の果実を眺める。
茄子に似たこの果実の名は、ドネイ。
ポッケロケ国周辺の森に生えるつる植物であり、甘い。
「は!我ながら、なんとまぁ意地汚いことだ!」
ジョバンノはそう自嘲し、果実を放り投げて再び歩き始めた。
ドネイは甘く、美味な果実であると言われる。
そして人が一口食べれば、数分後には確実に死に至る、猛毒の果実でもある。
◇ ◇ ◇
雨脚が、強くなってきた。
先程まではぽつぽつと頭上の木の葉を打ち付けるのみであった雨粒は次第にその勢いを増し、今では滝のようにジョバンノに降りかかる。
当然、びしょぬれだ。
寒い。
運が良いのか悪いのか、何故か魔物に襲われることなく森をさまよい続けるジョバンノの体力を、冷たい雨は容赦なく奪い去っていく。
「これだけ......水があれば、ひとまず渇きで死ぬことはあり得まい。重畳、重畳......」
口では強がりを言っていても、ジョバンノはそろそろ己の限界が近いことを感じ取っていた。
ジョバンノはろくに運動をしたこともないうえに、おおよそ一年の長きにわたり牢獄に囚われ続けていた四十過ぎの男である。
数時間も森の中をさまよい歩けただけでも、奇跡と言って良い。
(......【見えざる手】)
ジョバンノは降りかかる雨を少しでも遮るため、試しに彼の異能を発動した。
“異能”。
ごくまれに使用者が現れる、原理不明の超常の能力。
かの高名な“大魔導”は著書の中で、この力を『詠唱無しで発動できる、原始的な魔法である』と定義しているが、さてそれはともかく。
そんな能力を、ジョバンノは幼少の頃より使用することができた。
彼の異能【見えざる手】は、見えない“手”を作り出し、物を持ったり運んだりすることができるという能力だ。
有効範囲は、己を中心とした数メートルほどの空間。
この能力のおかげで、彼は両手に書類を抱えながら、カップを宙に浮かせ、茶を啜ることができた!
先程若い兵士が何もないところで転んだのも、【見えざる手】で足をひっかけてやったからだ。
実を言うと一年前、メレウケに対して彼が使おうとしていた切り札が、この【見えざる手】であった。
狙いを外したナイフを【見えざる手】で掴み、背後からメレウケを奇襲するつもりだったのだ。
ビオラとかいうメイド服を着たおそらくルンタート家の暗部の女に、その目論見は潰されてしまったわけだが。
さて、そんな切り札を、ジョバンノは再び切った。
【見えざる手】でひさしを作り、雨を凌ごうというのだ。
「............」
だが、しかし、ああ、無情。
彼の作り出す【見えざる手】は......とても小さな物だった。
それこそ、己の手のひらと、同じくらいのサイズの手しか作り出せない。
彼の全身を打ち付ける雨を防ぐことなど、到底できやしない。
「さすが......大自然の脅威......文字通り、打つ“手”なしか......」
彼の切り札は、大自然の脅威(雨)に敗れた。
やる前から、わかりきった結末ではあっただろう。
しかし、意識が朦朧とし始めたジョバンノを、そう言って責めてやるのは酷というものである。
「う、く......」
そしてジョバンノは、ついにばたりと地面に倒れ込んでしまった。
ぬかるむ土によってぼろぼろの囚人服がさらにみすぼらしく汚れる。
泥まみれだ。
「......ぷはっ......はぁ、はぁ......」
何とか顔だけは持ち上げて、水たまりで溺死するような最後を回避する。
「はぁ......本当に、意地汚い、ことだ......はぁ......」
己は死んで当然のことをしたのだ。
そう心の中で独り言ちでみたところで、やはり死ぬのは怖いのだ。
本能は意地汚くも、生きる価値の見いだせない彼自身の命を延ばしにかかる。
自分はもう、生きるべきではない。
しかし死にたくない。
怖い。
悔しい。
どうして。
おのれ、ルンタートめ。
ああ、ああ、ああ......。
心の中は、自分でも何を考えているのかわからないほどぐちゃぐちゃにかき乱されている。
しかし彼の心臓は、決して動くことを諦めない。
そしてそんな彼の本能のあがきが、生への執着が、一つの奇跡を掴み取った!
(......あ、あれは......?)
ジョバンノは、何とか顔をもちあげて向けた視線のその先に、高くそびえたつ岩壁と、そこにぽっかりと口を開けた一つの洞窟を発見したのだ!
方向もわからず必死で歩みを進めていたジョバンノは、数時間の放浪の末、奇跡的にナンガ山の西端の崖まで到達していたのだ。
(とりあえず......雨宿りだ)
もはや指一本すら動かないと思えた彼の体には実はまだあと少しばかり余力が残っていたらしく、洞窟という目に見える目標地点を与えられた途端、必死になってその四肢を動かし始めた。
とは言え、彼の両腕は鎖によって一つに縛られている。
ジョバンノはイモムシよりも不格好に、呻きながら必死になって洞窟まで這い進んだ。
◇ ◇ ◇
「ぐ、ぬぅっ......はぁっ、はぁっ......」
死力を振り絞り、なんとか洞窟に転がり込んだジョバンノは、仰向けになり目をつぶりながら荒い息を吐いた。
「はぁ、はぁ、はぁ......」
そしてしばらくそのまま、そうしていた。
何も考えられなかった。
洞窟の外から聞こえてくるのは、ざあざあという雨の降りしきる音。
それと、時たま落ちる、ごろごろという雷の音。
一方で洞窟の中で聞こえる音と言えば、ジョバンノの荒い呼吸音。
そして、パチパチという焚火の中で小枝がはねる音......。
(............焚火!!?)
端とはいえ魔境に位置するザマーゴの森の洞窟で、焚火だと!?
驚きの目を見開いたジョバンノが、焚火の音の方に向けて首を動かすと、そこに転がっていたのは熊ほどの大きさを誇る、茶色の鱗を持った三つ目の生物であった!
「マ、マウンテントポポロック!?」
それはジョバンノが図鑑でしか見たことのない凶暴な魔物!
その強靭な足腰から繰り出される突進で、山中を行軍中であったポッケロケ国の小隊をたった一匹で壊滅させたという、危険な存在!
「こ、この洞窟は、マウンテントポポロックの......巣......!?」
咄嗟にそんな言葉が口からこぼれたが、すぐにそれは間違いであることに気が付いた。
何故ならこのマウンテントポポロック......落ち着いて観察してみれば、既に死んでいる。
真っ赤な三つ目には既に光はなく、体のあちらこちらの肉が切り取られ、骨が露出している。
「これは......一体......?」
わけのわからないままジョバンノは何とか体を起こし、洞窟の中を見渡した。
この洞窟は大人が不自由なく立って歩けるほどの高さがあるが、それほど奥行きがあるわけではない。
現在ザマーゴの森では雨が降っており、そのせいで日の光は届かず森の中は暗かったのだが、この洞窟の中は明るい。
先程からパチパチと音を響かせている、焚火が洞窟の中心で焚かれているからだ。
「......!!」
そしてようやく、ジョバンノはその存在に気づいたのだ。
ジョバンノよりも先に、この洞窟に陣取っていた人物がいたことに、気づいたのだ。
その人物は......少なくとも人型をしたその存在は、マウンテントポポロックの横で燃える焚火の上で骨付きの肉を焼き、それを......血が滴るような生焼けの状態で、もぐもぐと頬張っていた。
体格は小柄。
女児用のワンピースのようなものを来て、肌の露出のある部分にはどうやっているのか獣の毛皮を巻き付けていた。
泥まみれの囚人服を着たジョバンノと比べても、とても文明的とは言い難い恰好。
そんな服装をした......少女であった。
そして何より特筆すべきはその容姿だ。
まず目を引くのが、焚火によって照らされるその黒髪と黒目だ。
即ち、その少女は呪い子である。
もし、このような極限状態で出会ったのでなければ、おそらくジョバンノはこの少女が視界に入っただけで眉をしかめたであろう。
しかしながら今のジョバンノは、呪い子が気持ち悪いだのなんだのと、言っていられる状態でもなかった。
故に、気づいた。
この少女、とてつもなく、容姿が優れている。
少し吊り上がった大きな目、形の整った鼻、唇、小ぶりな輪郭、白い肌......。
まさに、絶世の美少女と言って差し支えないだろう。
そんな、目を背けたいほどの忌まわしさと目を逸らすことのできない美しさを同居させているこの少女は、焚火の横に座りながら、無表情のままジョバンノのことを、じっと見つめていた。
その両手には、骨付きのトポポロック肉。
少女はジョバンノから目を離すことなく、しかしながら肉を食べることをやめようともしない。
両手の肉を交互に口に運び、もの凄い速さでそれを消費していく。
(......なんなんだ、この娘は............?)
ジョバンノは、困惑した。
少女の持つ肉から脂が焚火に滴り落ちて、じゅうと音を立てて燃え上がった。
ジョバンノは、久しぶりに登場した異能使い!
ちなみに、『異能』、『魔法』、そして単語だけ出てきてはいるけど未だ詳細な説明の無い『魔導』と、本作には一見似たような?概念が三つあります。
『魔術』は......出てきていなかったはず。
しいて言うなら『魔力操作技術』を省略すれば『魔術』、かもしれない。
この辺りをきちんと解説してくれそうな人物に“大魔導”さんがいらっしゃいますが、この人、ご本人登場はまだまだ先になる予定です。
二つ名だけは頻出しているのにね。




