151 カラシアと接触
「............」
ほうきを手に持ちお屋敷の廊下を歩くその女性は、このルークリース家に最近雇い入れられたばかりのメイドである。
現在彼女は、言いつけられていた食堂の掃除を終え、頭の後ろで一つに縛った長髪を揺らしながら、次なる指示を受けるために上役の元へと向かっているところであった。
「............?」
そんな彼女は、ふと何かの気配を感じ取り、後ろを振り返った。
そこには、誰もいない。
黄色の木材で作られたフローリングの床。
そして同じような黄色で塗りたくられた壁。
何の変哲もない、いつも通りの廊下である。
しかしながら、彼女は何か、言いようのない違和感のようなものを感じたのだ。
彼女は猟師の父を持ち、幼少のころは野山を駆けまわり育ってきた。
そのせいか、妙に勘が鋭いのだ。
「気のせい、かな......?」
だがしかし、よくよく目を凝らしてみても、そこにあるのはただの廊下だ。
何もおかしいことはない。
(疲れているのかな)
そんなことを、彼女は思った。
だって、このお屋敷の雰囲気は、最悪だ。
我がままな妹。
それにきいきい怒る姉。
妹の肩ばかり持つ奥様。
気弱で自分の意見というものを持たない旦那様。
我が物顔で好き勝手振舞う執事のドッジ。
このお屋敷では、空気を吸っているだけで疲れる。
彼女は給金に惹かれてここで働き始めてみたが、数日でもはやそのことを後悔し始めていた。
「うん、気のせい、気のせい」
結局彼女は、後ろを振り返り確認しただけで、自分の感じた何かの気配を気のせいだと断じ、再び歩き出した。
しかし、彼女が感じた違和感。
これは断じて気のせいではなかった。
もしもこの時、彼女が後ろを振り返るだけではなく、天井を見上げていたら。
......彼女が感じた気配を発した存在......血まみれの毛皮を身にまとった謎の存在がそこに貼りついていることを、視認できたはずなのだから!!
この毛玉状の生物は、一体何者か!?
超巨大な虫か!?
新種の魔物か!?
いや、違う!
この毛玉は!
この毛玉こそが!!
我らが主人公、エミーである!!!
◇ ◇ ◇
<......エミーって、【気配遮断】、下手になりましたよね?>
ぎくり。
突然何を言い出すのかね!?オマケ様!
<いや、だって今、ただのメイドにすら、気づかれそうになってましたよね?普段の狩りでも、身体能力でゴリ押ししていますが、最近は割と獲物にはあなたの存在がバレバレだったりしますよね>
う、うう~~~!
しょうがないじゃん!
【気配遮断】って、凄い難しいんだもの!
特に最近では滅茶苦茶魔力量とか増えてきてるから、それを漏らさず隠すようにするだけでも結構大変なんだよ!?
それに、生き物を見ると、ついついお腹が減ってきちゃって......その......殺気が漏れちゃうんだもん!
<はぁ......ランラーシロトカゲを食べ終わって、比較的お腹が満たされた状態でループに巻き込まれたのは僥倖でしたね>
はい、ということで。
現在私は、この奇妙なお屋敷に潜入し、【紙魚】を使って天井をカサコソと移動中なのです。
それもこれも、全てはこのお屋敷が囚われている、時間のループ現象を解消するのが目的だ。
もっと言えば、そのループ現象の原因、トリガーを見つけて、それを何とか回避しようと、しているわけだね。
とは言え。
ループ現象の、トリガーを見つける。
言葉にすると簡単でも、じゃあ実際にどうすれば良いか考えようとすると、雲をつかむような話だ。
どうすれというのか。
悩む私に、オマケ様が助け船を出してくれた。
<エミー、悩む必要はありませんよ......実はループものにおける時間ループのトリガーには、決まりきった鉄板の設定があります>
鉄板の設定?
<はい。それは即ち、“主人公の死”です!>
つまり......神が定めた主人公が死なないようにすれば、時間はループしないってこと?
<今回の場合、“虐げられる姉”という主人公属性を持っているカラシアが怪しいですね。彼女が死なないようにすれば、ループは発生しないかも......試してみる価値は、あるかと思います>
それが、オマケ様の推測だ。
なるほど、ポイントはカラシアか。
だから現在、私はカラシアを探して、お屋敷の廊下の天井をカサコソ移動している、というわけ。
ちなみに何故“カサコソ”なのかと言えば、それは私が天井を匍匐前進風に貼りついて進むと、毛皮がこすれてそういう音がなるからだ。
師匠からは【紙魚】を使うときは二本足で移動するように指導されていた(気がする。師匠は無口だから何かを言われたわけじゃないけど、そういう態度だった気がする)けど、匍匐前進の方が貼りつきやすいし、速いと思う。
おそらく、師匠は両手が使えない状況を嫌ったのだろう。
でも、このお屋敷には天井にいる私を攻撃してくるような敵はいないと思うしね。
攻撃や防御のために、両手をあけておく必要もない。
匍匐前進で大丈夫でしょう。
さてさて、現在カラシアは、ケランコたちに指輪を奪われ、すすり泣いているところだ。
無駄に長い廊下の天井を、たまに通り過ぎる使用人に気づかれないようやり過ごしながら、泣き声の方へと進む。
皆、天井に誰かはりついているなんて思いもしないからさ。
柱や梁の出っ張りに隠れると、全くばれませんね。
<あ、いましたよエミー!カラシアです!>
おっとと。
目的の人物に無事遭遇。
カラシアはちょうどすすり泣きをやめたところみたいで、目元を真っ赤に腫らしながら、力なくふらりと立ち上がり、廊下をゆっくりと進み始めた。
彼女の父親のいるところへと向かっているのだろう。
<さて、どうしますか?エミー>
うーん。
まぁ、推定主人公であるカラシアを、死なせなきゃ良いわけでしょ?
つまり、あの魔剣に触らせなければ良い。
カラシアはあれに魔力を吸いつくされて、死んだわけだしね。
とりあえず、接触してみますか。
よっと。
私は【紙魚】を解除して天井から離れ、くるくると回転しながら落下し、音もなく床に着地した。
◇ ◇ ◇
カラシアは追い詰められていた。
もともと酷かったケランコの横暴は、ここ最近激しさを増している。
それをたしなめるべきであるはずの母や執事のドッジは、あろうことかそんな妹の肩を持つ。
意味がわからない。
ここサリュナス国においては、性別に限らず長子相続が基本であるため、今や、カラシアはこのルークリース家の嫡子であるはずだ。
父も、以前そう言っていた。
それなのに、どうして私が、こんな思いをしなければならないのか。
これまではなんとか寛大な気持ちで妹の我がままを許していたが、この事態は異常だ。
もはや我慢の限界である。
そのうえ、先ほど当主の証である“ランラーシロトカゲの指輪”を、ケランコに奪われてしまった。
あの指輪が、己の部屋の前に落ちていることに気づいた時、実をいうとカラシアは喜んだのだ。
これをうまく使えば、私は次期当主として正式に認められる。
ケランコたちの横暴を跳ね返すことができる、と。
しかし、結局その場に通りかかったケランコたちに、その指輪すらも奪われてしまった。
彼女らは愚か者だ。
きっと、その指輪の真の意味すら理解していないだろう。
そんな連中に、大切な指輪を奪われてしまった。
悔しくてしょうがない。
いや、先代当主の時代からこの家に仕えているドッジだけは、あの指輪の価値を正しく理解していることだろう。
最悪だ。
それは、つまり、彼が肩を持つケランコが、次期当主としての後ろ盾を手に入れてしまったことと、等しい意味を持つ。
もはや、己のみで対処できる範囲を超えている。
なんとか、弱腰の無能ではあるが、現当主である父の力を借りるしかない。
そうしなければ、私に明るい未来はない。
ケランコに搾取され続け、ゴミのように捨てられる未来しか、残っていない。
崩壊寸前の精神を、なけなしの理性でもってなんとか奮い立たせ、カラシアは父の部屋へ向かおうと足を動かした。
......その時だった。
「まて」
聞き覚えのない、美しい少女の声が彼女の後ろから響き、カラシアを呼び止めた。
思わず、振り返る。
そこに立っていたのは。
毛玉だった。
「話ある、お前に」
その毛玉は美しい声で、カラシアに語りかける。
「ひっ!?」
カラシアは思わず、後ずさった。
......何故と、思われただろうか?
考えてもみてほしい。
誰もいなかったはずの自分の背後に、突然血まみれの毛玉状生物が現れ、あなたに語りかけてきたとしたら......!?
多分、めっちゃ怖い!
少なくとも、カラシアは怖くなった!
目の前の、この毛玉状生物は、一体何者か!?
血まみれという悍ましい姿!
しかしそれでいて美しい、透き通った声!
だが、その全身から漏れ出る、恐ろしく不吉な気配......!
間違いなく、尋常の存在ではない!
十中八九、魔物に類するべき存在である!!
「ち、血まみれ毛玉マン......!?」
カラシアは目の前のこの意味の分からない存在に対し、その容姿をもとに、安直な名づけを行った!
しかし、思わず小声で彼女の唇から漏れ出たその一言が、目の前の生物はお気に召さなかったらしい。
「だれが、血まみれ毛玉マンじゃい!!!」
次の瞬間!
血まみれ毛玉マンから、そんな抗議の言葉と共に、猛烈な、まるで爆風とも表現できるような尋常ならざる怒りの気配が!殺気が!カラシアに対して襲いかかった!!
「ひっ......あ......」
体の弱いカラシアは、そんな殺気に耐えることができなかった。
殺気の直撃を受けた彼女は白目をむき、泡を吹いて、その場に昏倒した。
「............」
その原因となった血まみれ毛玉マンは、気絶して倒れてしまったカラシアを、無表情に見下ろしていた。
その脆弱さに、思わず呆然としてしまったのだ。
ぐうう......。
そして、恐ろしいことに、腹を鳴らした。
ごくりと唾を飲み込み、じっと倒れた人間の女を見つめる血まみれ毛玉マン......!
しかしながら。
この場において、カラシアの手足を無造作にもぎ取り、その口に運ぶ......。
血まみれ毛玉マンは、人間に対してそんな暴虐を行わないだけの理性を持ち合わせていた。
何故なら、血まみれ毛玉マンは、こんな見た目ではあるが、人間なのだから。
その能力は既に人間の範疇を超えているような気もするが、少なくとも己は人間であると認識しているし、人間としての振る舞いを行おうと、心がけてはいるのだ。
血まみれ毛玉マンは......エミーは、小さく首を振り、己の頬をパンパンと叩いてから、気絶したカラシアをひょいとかつぎあげ、人目につかない場所を探して歩きだした。
血まみれで悍ましく、不吉な気配が漏れ出る毛玉状生物(主人公)。




