136 卵を孵化せよデオガンダイ!
夜である。
夏が終わり若干の肌寒さを感じる風が、ランラーナンガの山肌を走る。
カークリーの木々はざわざわと葉をこすり合わせ、不安げに震える。
曇り空は多くの星々の輝きを隠し、地上にかろうじて届くのは、雲の気まぐれでその存在を許された、頼りない月明りのみ。
そんな夜の中、魔境たる山中にも関わらず、たった一人でほのかな月明りによって照らされる人影がある。
ひょろりと背の高い、顔の左半分を長髪で隠したその男の名前は......魔王軍中級指揮官、魔操のデオガンダイである!
「ククク......ククククク......」
さて、そんなデオガンダイが一人たたずむのは、ランラーナンガの山中にぽつりと存在する泉のほとりだ。
ここから湧き出した水は沢をくだり大きな川となる。
その名をサムノムノ川。
やがてジャコーベ川と合流する、農業大国テゾンカーを支えるその川は、多くの人々によって生活用水、農業用水として利用されている。
もちろん城塞都市リヒエドもその例に漏れず、この川の水を水路で町中に引き込むことで、その豊かな水の恵みを享受しているのだ。
「さぁ~!お目覚めの時間でちゅよ~!マッドタッドポールちゃ~ん!」
気持ち悪く声色を高くしてそう話しかけながら、デオガンダイは泉にむかって手のひらを広げ、魔力を注ぎ込んでいく。
泉の中に、気味が悪いほど大量に詰め込まれているのは、一つ一つが握り拳大のゼリー状の球体であり、その中には黒い生物がぴくりぴくりと蠢いている。
これは、マッドタッドポールの卵。
デオガンダイが持ち込んだ、危険な魔物の卵。
マッドタッドポールとは、オタマジャクシの一種だ。
幼形成熟のためその一生をオタマジャクシの姿のまま過ごすこの生物は、愛嬌のある顔つきとは裏腹に非常に獰猛な魔物だ。
特に人肉を好み、人間に積極的に襲いかかる。
そのため魔王軍でも、この魔物を有効活用できないか、長年に渡り研究が続けられてきたが......成果はあがっていなかった。
というのもこの魔物、孵化条件がよくわからなかったのだ。
本来の生息地である“無行大陸”イッカネーのとある小川では、毎年春に大量に孵化しては近隣住民を元気に襲っているというのに、魔王軍が用意した水槽の中では、その卵は決して孵化することがなかった。
温度や水質をいかに調整しようとも、オタマジャクシが生まれてくることはなかったのだ。
魔族の研究者たちは皆首をひねり、困り果てていた。
そんな暗礁に乗り上げた研究に一筋の光をもたらした人物こそが、何を隠そうデオガンダイである!
彼は休日を使って、マッドタッドポールの生息地周辺に出かけ、入念なフィールドワークを続けていた。
その結果彼は、偶然ではあるが、その地域の定期的な地脈の乱れによって、春先になるとマッドタッドポールの生息地である小川に、少量の魔力が溶け込むことを発見したのだ!
急ぎ魔王城に帰還した彼は、温度でも水質でもなく......魔力濃度を条件として、マッドタッドポールの孵化実験を開始した。
その結果、それから3日後には......魔王城の水槽の中に、マッドタッドポールが溢れかえっていたのだ!
研究者たちは皆、歓喜した!
功労者であるデオガンダイを、皆で胴上げした!
その際中、研究者たちの上役である研究室長が、「うるさいぞ!」と怒鳴り込んできた!
研究者たちは胴上げをやめて姿勢を正し、「「「「はいッ!!申し訳ございませんッ!!」」」」と返事をした!
デオガンダイは受け止められず、床にそのまま落ちた!
頭を打った!
痛かった!
でも大丈夫!魔族は強靭だから!
それに、研究が進んで、デオガンダイも嬉しかったから!!
とにかく、そんなこんなでマッドタッドポールは人工的な養殖が可能になり、魔王軍の戦力として活用が開始されたのだ。
実は、本格的で大規模な運用はこの作戦が初めてである。
そういう背景もあって、デオガンダイには気合が入っていた。
「さて、こんなもんで良いかな......」
デオガンダイは小型の魔力計を取り出し、周囲の魔力濃度を確認する。
問題ない。
マッドタッドポールの孵化条件を満たしている。
マッドタッドポールは繊細だ。
魔力濃度が高すぎても低すぎても孵化しない。
「ククク......今から人間共の慌てふためく姿が、目に浮かぶわ......!」
彼が魔力を与えたマッドタッドポールたちは、おそらく明け方には卵からかえり、人間共の臭いを追って、水路をたどり城塞都市リヒエドの内部に侵入するだろう。
そして数日の潜伏期間の後、人肉を求め、一斉に水路から飛び出した彼らは人間共に襲いかかるのだ!
そのタイミングは、ちょうど、パラサイトマッシュルームに侵された人間が茸の魔物へと化し、暴れ始めるのと、ほぼ同時。
城塞都市リヒエドは、阿鼻叫喚の地獄へと化すであろう。
なんという、緻密かつ狡猾な計画だろう!
これは、魔物の生態を熟知した己だからこそとることができる、ローコスト、ローリスク、ハイリターンの作戦なのだ!
デオガンダイは内心でそうやって自画自賛し、にやりと笑った......!
もはや、今回の作戦の成功は疑うべくもない!
城塞都市リヒエドは陥落し、魔境ランラーナンガ山脈からあふれ出した魔物達は、テゾンカー国内を蹂躙するだろう。
この地域の守りの要、守護聖獣である銀竜ヘレンシアも、魔王軍の工作により病に侵され、その力を大きく減じている。
テゾンカーが滅びる日も近い。
豊かな穀倉地帯が多い、ハメジカ大陸。
麦の穂の色から“黄金大陸”とも称されるこの大陸においても、テゾンカーは有数の農業大国だ。
そんな国が、滅びる。
食料の供給が大幅に減じ、人間共は大混乱に陥るはずだ。
「ククク......!」
デオガンダイは己が与えられた任務の重要性を改めて認識し、武者震いした。
この作戦、絶対に失敗するわけにはいかない......!
「あとは、仕上げだな......」
そうつぶやいたデオガンダイは、続けて転移魔法を使用するための呪文を詠唱する。
彼の体を、紫色の光が包み込んでいく。
「ククク、人間共め......どうせあと数日の命だ。せいぜい楽しむことだなッ!!」
未だ明かりの灯る眠らない町リヒエドをちらりと一瞥してから、デオガンダイは転移魔法の光の中に消えていった。
デオガンダイは研究職に就いた方が、間違いなく大成する気がするなぁ。
それはさておき、このままでは殺人オタマジャクシが入り込み、城塞都市リヒエドの人々が危ない!
助けて!勇者トーチくん!




