129 【神々のお話⑦】豊穣神ムウィードギ
豊穣神ムウィードギは、かつて“麦神”と呼ばれる神であった。
麦神とは即ちその名の示す通り麦の神であり、麦という植物の成長、繁栄を司る下級神だ。
その姿も、巨大な麦そのものである。
ムウィードギは先代の豊穣神シュハベクメグに下級神として生み出されてから、ただひたすらに麦という種の安寧のみを願い、永い永い時を過ごしてきた。
しかし、ある時だった。
ムウィードギはふと、不満を覚えたのだ。
己が必死に守り育てようとした麦たちは、最後には人間に刈り取られ、パンや麺にされてしまう。
結果的には年々麦の耕作地は広がり、種としての生息域や個体数は増えてはいるが、こんなのはおかしい。
これではまるで、麦は人間に管理され栽培されているだけの、ただの食料ではないか。
その不満をムウィードギは、先代豊穣神シュハベクメグにぶつけた。
すると、小麦色に日焼けした肌を持つ美しいその女神は、きょとんとした顔で。
「......なぁに言ってんだべか。当たり前っしょ、そんなの?」
と言った。
その言葉を聞いて、ムウィードギの心は、煮えたぎるような怒りに支配された!
神とは言え麦であるムウィードギにとって、これほど激しく感情が揺さぶられるというのは、初めての経験だった。
震える。
体が、怒りで震える......!
この女は、今、何と言った?
己のかわいい麦たちがただの食料扱いされている、それを、『当たり前』だと!?
......ふざけるな。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!
「そんなことよりさー!あたし、久しぶりのお出かけ帰りでさー、疲れてんだわ!なんか飲み物あるしょ?用意しといてくんね?」
シュハベクメグはムウィードギの怒りなど気づく素振りすら見せず、畑を模した神域内に設置された彼女の椅子へと歩いていく。
「いやー、でも、良い買い物したな!これであたしも、配信者デビューっしょ?人気出ちゃったらどうすっべか?」
ムウィードギは、怒りに震える己の体を何とか制御し、そろりそろりと根を動かして歩き、シュハベクメグに近づく。
そして、ねじ曲がった丸太のように太い己の体を思い切り反り曲げ、反動をつけて......無防備なシュハベクメグの後頭部を、思い切り殴りつけた!
「あがっ......!?」
小さな呻き声をこぼし、意識を失ったシュハベクメグは倒れる。
......もはや、ムウィードギに躊躇はなかった。
倒れた女神の体の上に登り......根を生やす。
ムウィードギはシュハベクメグのため込んだ神気、即ちマナを吸収し、己の力を高め始めた。
「何をしている」
「やめろ」
「正気に戻るべき」
異変を察知した豆神や芋神など、シュハベクメグ配下の野菜神たちがムウィードギに襲いかかるも、シュハベクメグという栄養源を得たムウィードギにとってはどれも敵ではなかった。
唯一、稲神モチュルチだけはまんまとどこかに逃げおおせたようだが、もはやあの程度の下級神が一柱いたところで己には敵うまいと、放置することに決めた。
野菜神のほぼ全てを打ち滅ぼし、ムウィードギはこの畑......もとい、神域の主として君臨することになったのだ。
即ち、この時から。
ムウィードギこそが、豊穣神となったのだ。
◇ ◇ ◇
さて、こうして下剋上により豊穣神へと成りあがったムウィードギであるが、そうなったからには叶えてみたい夢があった。
作ってみたい世界があった。
それは、麦の世界。
あらゆる地表という地表が麦により覆われ、全てを麦が支配する黄金色の世界だ。
先代豊穣神は作物を実らせ人間から信仰を得ていたようだが、そんなことをする意味がわからない。
確かに、人間は大事だ。
あれは、役に立つ道具だ。
麦畑を広げてくれる。
しかし先代は、麦のことを、そんな道具たちの食料としてしか見ていなかった。
なんという倒錯した思考!
麦こそが世界の支配種であるべきなのに、彼女はそんな高貴な麦を、人間という道具共の飼料として与えていたのだ。
本末転倒とは、まさにこのことである。
ムウィードギは、そんな先代が歪めてしまった世界の理を正すことこそ、己が神として成すべきことなのだと確信した。
しかしながら、である。
どのように、麦の世界を作り出すのか。
神とは言え麦であるムウィードギにとっては、見当もつかない難題であった。
葉を揺らしながら思案していたムウィードギだが、ふと己の根元に1冊の本と1コンの魂が転がっているのに気づく。
シュハベクメグのポケットから転がりだしたそれらは、彼女が神域の畑からわざわざ外出して、買ってきたもののようだった。
マナと一緒にある程度の知識や記憶すらシュハベクメグから吸い取ったムウィードギは、彼女がこの本と魂を使って、“異世界転生配信”なるものを行おうとしていたのだと理解した。
本のタイトルは『徹底解説!スローライフ転生マニュアル!』。
根を使って器用に本をめくると、そこには『スローライフ転生における神の役割』、『スローライフに向いている魂とは』、『前世のゲームを作って売ろう』などなど、様々な情報が記載されていたが、そのどれもが麦の繁栄の役には立ちそうもないと判断したムウィードギは、その本を破って捨てた。
それよりも、ムウィードギが注目したのは、深緑色をした魂の方である。
ムウィードギは“異世界転生配信”などには微塵も興味がない。
しかしながら、異世界転生。
人間の魂に加護を与え、神々の駒として活用する手法。
この手法自体には、興味があった。
この根元に転がる魂を己の忠実な駒として矯正し、現世にて活動させることで、己の理想たる麦の世界の実現への第一歩とする。
それは己が取り得る手段の中で、かなり有効な部類のものだとムウィードギは思った。
神々が現世に干渉する方法は限られているのだ。
そうであるならば、話は早い。
早速ムウィードギはその深緑色の魂から記憶だの個性だのといった余計なものを削り取り、その代わりに麦のすばらしさを教え込んだ。
魂の改変など、神とは言え麦であるムウィードギにとっては初めての経験であり、多少は前世の残滓が残ってしまったかもしれないが、概ね満足のいく魂が出来上がった。
たまに夢の中で前世のことを思い出すかもしれないが、せいぜいがその程度だろう。
何も問題はない。
出来上がった魂を輪廻の流れに放流し、その転生を見届ける。
そしてムウィードギは、その転生者周辺のモニタリングを開始したのだ。
◇ ◇ ◇
ムウィードギの転生者プロウは期待通り、貸し与えた加護の力を思う存分に発揮し、幼いうちからどんどん麦畑を広げていった。
しかしながら、いくら加護もちの人間とは言え、その体は一つ。
作業効率には限界がある。
そこでムウィードギは、プロウの周辺に生息している人間たちも、己の駒とすることにした。
ムウィードギは神とは言え麦なので、根っこが生えている。
その根っこのうちの1本は直接プロウの魂へと接続されており、自由に力を与えることが可能だ。
だから、ムウィードギは初めのうちは、プロウを端末として彼に触れあった人間に力を流し込み、思考を矯正し、己の駒にするという手法をとった。
しかしながらこの手法、なかなか難しかった。
人間は非常に脆弱であり、少しでも匙加減を間違えて力を送り込みすぎると、すぐに壊れてしまう。
何人かは駒とすることに成功したが、例えばプロウの父親などは、力に体が耐えきれずに死んでしまった。
非常にもったいないことだった。
そこでムウィードギは、いくつか別の手法を考案した。
その一つが“奉肉パン賜の儀”である。
村人たちは贄として肉などをムウィードギに捧げ、それをリソースとしてムウィードギは神の力でパンを作り、村人たちに下賜する。
パンには規定の魔力込められるようになっており、力の込めすぎが起こらないようになっている。
そしてそのパンを食べた村人は、魔力と共にムウィードギの思想が少しずつ送りこまれ、忠実な麦の奴隷になるのだ。
ムウィードギとしては、神の力で作り出すものとはいえ、麦から作られるパンを模した食物を人間に食べさせるということについて納得はしていないのだが、人間は見慣れた食物しか食べないので、そこは妥協した。
この仕組みが功を奏し、グロウノードッカ村の村人たちは全員、ムウィードギの駒となった。
彼らはムウィードギの望むとおりに動くようになった。
効率よく働けるよう、遊びたい、怠けたいといった無駄な思考は排除し、皆が働き者になった。
村人どうしで諍いがあっては作業効率が悪いので、喧嘩をしないように思考を矯正し、皆が仲良くなった。
生活に不満があっては村から逃げ出そうとするので、感情を制御し、皆が幸福になった。
村の運営は非常に順調だった。
栄養源たるシュハベクメグのマナは未だ尽きることなく、神としてムウィードギが活動するためのリソースは潤沢だ。
どうやら、グロウノードッカ村を除けば豊穣神として信仰されているのはシュハベクメグであるので、未だに彼女に対して信仰の力が流れ込んでいるようなのだ。
そしてシュハベクメグに集まる力は、そっくりそのままムウィードギが吸い上げ、奪い取る。
ムウィードギ自身が集められる力はグロウノードッカ村における信仰と麦たちから捧げられる生命エネルギーだけなので、この不労所得は非常にありがたかった。
◇ ◇ ◇
そうこうしているうちに、7年ほどの月日が流れた。
プロウが転生したグロウノードッカ村の麦の耕作地は従来の10倍の広さになった。
たまに村を訪れる商人や冒険者といった人間たちをパンの力で村に取り込み、村の人口も元々の2倍ほどには増えている。
村の運営というレベルの視点で言えば、非常に順調である。
......麦の世界の創造というムウィードギ本来の目的からしてみれば、その進捗は遅く、計画は遅々として進んでいないとも言えるが......ムウィードギは神であり麦なので、人間とは根本的に考え方が異なる。
端的に言えば、非常に気が長い。
あと数万年ほど使って目的を達成すれば良いと考えていたので、特に焦ってはいなかった。
しかしながら、ムウィードギの転生者であるプロウはそうではなかった。
彼は普段は普通の純朴な村の少年を演じさせているが、その実は狂信的なムウィードギの信者である。
ムウィードギがそのように設定したので、それ自体は問題ないのだが、その狂信故になかなか進まない『麦の世界創造計画』は己の力不足が原因であると、自分を責めていたようだ。
何とか人手不足を解消しようと、村の外からやってきた人間は逃がすことなくパンを食べさせて村人にしたり、村の仲間を増やすためにキャッチコピーを考えては近隣に求人をだしたりと、子どもながらに色々活動していた。
そんな時に、あの黒髪黒目の少女は村へと流れ着いた。
プロウとフェティーが川べりで発見したその少女は、まだ幼いその身でありながら恐るべき労働力を身に着けていた。
プロウはムウィードギへの祈りの中で、『エミー(少女の名前)の力は必ずや村の発展、麦畑の拡張、ひいては麦の世界の実現に向けた起爆剤となってくれることでしょう!』と自信満々に報告してくれたものだ。
しかし、この少女に対してムウィードギは......得体の知れない不安を感じていた。
なにせこの少女、妙に思考の矯正が行いにくい。
多少表面的な思考をいじれはしたものの、根本的な部分を変えることはできなかった。
そのうえ、なにか秘密があるのかと思い、根を伸ばしてこっそりとその魂を探ろうとするも、“何かに弾かれた”ような感覚があり、うまくいかなかった。
まるで何か、神の力のようなもので魂をコーティングされている......そんな感覚だ。
己のような神から、少女の魂の存在を隠蔽しようとしている、そんな印象すら受ける。
しかしながら、どこぞの神から加護を授けられている様子もない。
全くもって、理解ができない。
一言でいうと、胡散臭い。
今のところ村の役には立っているので放置はするが、あまり信用の置ける存在ではないというのが、少女に対するムウィードギの見立てであった。
そして、少女が村に来てから数か月後のことだ。
なんとその少女はムウィードギの思考干渉をはねのけて本来の自分を取り戻し、村から逃げ出したのだ。
こんな事態は、これまで一度たりとも起きたことがなかった。
ムウィードギは大いに驚き、禍根を残さないためにもその少女を抹殺するようにプロウへ指示をだした。
しかしながら、意外なことにプロウは、次のように主張してその指示に逆らった。
『エミーの労働力は、驚愕に値するものです。再度思考を矯正し、村に連れ戻すべきです!』
ムウィードギは不快だった。
プロウは生まれてこのかた、ムウィードギに一切逆らうことのない、優秀な駒だった。
それが、村のため、麦の世界のためという建前はあるものの、己に逆らった。
不快だった。
そう、“建前”なのだ。
プロウはどうやら、おそらく自分でもそれほど意識していなかっただろうが、エミーに労働力以外の価値を見出していたはずだ。
それをムウィードギは感じ取っていた。
初めは、“懐かしい”という感覚だったようだ。
どうやらプロウの前世では、黒髪の人間はありふれて存在していたらしく、ムウィードギが消しきれていなかったその記憶の残滓が、彼にそのような感覚を生じさせたらしい。
しかしその懐かしさがきっかけとなり、少女の容姿が非常に整っていたことも相まって、プロウは少女に必要以上の好意を抱いてしまっていた。
ムウィードギへの反抗は、その執着が故なのだ。
とにかくムウィードギは、それが気に入らなかった。
思い通りにならない。
不快だった。
さらに不快なことに、プロウは少女との勝負に負けてしまった。
ムウィードギが与えた力を使ったにも関わらず、だ。
もはやこの状況、放置はできない。
テコ入れが必要だ。
意識を失ったプロウに改めて神託を下し、これまで以上の力を注ぎ込む。
その代わりに、不要な思考を削ぎおとす。
感情を吸い取り、執着を消す。
敗北に傷つき力を求めていたプロウの魂はムウィードギの干渉をためらいなく受け入れ、覚醒した。
プロウはより強大な神の力を扱えるようになった。
そして、感情などというくだらない不確かな物に左右されない、より強靭な精神を手に入れたのだ。
新たなプロウの在りように、ムウィードギは満足した。
これで、彼は神子として、これまで以上に麦の世界の実現に向け邁進してくれることだろう。
あの不気味な少女はどこか根の届かない遠くに逃げ出してしまったが、これは致し方あるまい。
これ以上、プロウを責めてもしょうがない。
もはや、どうしようもない。
切り替えが必要だ。
◇ ◇ ◇
広大な畑を模した神域の中で、今日もムウィードギは風に己の葉をそよがせる。
かつてはこの神域には、麦以外にも豆だの芋だの稲だのと、くだらない作物が植えられていた。
それをムウィードギはすべて排除し、麦の神域を作り出した。
素晴らしい光景だ。
どこまでも続く麦畑を眺めながら、いつか地上にもこの楽園を実現させてみせると、ムウィードギは心に誓う。
......しかし。
ムウィードギは、気づいていなかった。
忍び寄る、計画の綻びに。
招かれざる、神域への侵入者に。
一面に広がる黄金色の麦畑の中に。
一本。
そう、今はたったの一本だけだが。
......稲が、まじって生えているということに!!
はい、というわけで、第8章はこれでおしまいです。
なんか、よくわかんねぇエピソードでしたね(お前が言うな)。
ほのぼのなの?ホラーなの?ギャグなの?バトルなの?
マジでよくわかんなかった(だからお前が言うな)。
もともとは、エミーがスローライフな物語をぶち壊すっていう単純明快なお話だったはずなのになぁ。
それがおかしくなったのは、間違いなくムウィードギのせいですけどね。
麦の世界ってなんだよ。人は須らく麦の奴隷ってなんだよ。
なお、章タイトルの『スローライフの残滓』とは何かといえば、それはプロウくんのことです。
彼はもともとスローライフ系の物語の主人公になるべき少年でしたからね。
ムウィードギの下剋上のせいで、その予定はご破算となり、転生をしたものの今の彼は物語を紡がないただの駒です。
故に、章冒頭のプロウくん視点の話のタイトルの頭には【】がついていました。
彼が物語の主人公であったならば、この【】の中にその物語のタイトルが入っていたわけです。
誤字ではないのです。
さて、長々書きましたが、『オマケの転生者』をここまで読んでいただきありがとうございます。
評価のお星さまやブックマークなど、とても嬉しいです。
感想も、いつも楽しく読んでいます。
返信するのは本当に苦手なのでしてませんが、とてもありがたく思っています。
次章は準備中なので、しばらく待っていただきたく思います。
次はね、割とわかりやすいエピソードになると思いますよ。
......多分。
この小説を書き始めた頃から構想だけはできていたエピソードの内の一つなので、作者もわくわくしながら書くための準備を進めています。
うまく書けるかなぁ。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。




