128 たくさんの意味が込められた、何の意味もない一礼
のぼる朝日を背中に受けて、私は走っていた。
西へ、西へとまっすぐに走っていた。
森を抜け、川を越え、気づけば名も知らぬ、どこまでも続く草原を走っていた。
全速力で走っていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
暗かった空がきれいな青色に変わり、お日様はそろそろ天頂近くまで移動済みだ。
「......はっ、はっ、はっ......」
さすがに疲れを感じ、思わず速度を緩め、立ち止まる。
夏の陽気に、流れ出す汗が止まらない。
額をぬぐいながら、村の方角を......東の方を振り返る。
追っては、来ていないな。
<......さすがに、半日近く走り続けましたし。もう、村に連れ戻される心配はないでしょう>
「はっ、はっ......はぁ......」
腰をかがめ両手を両ひざにあて、しばらく荒い息を整えてから、私は再び顔を上げる。
しんどい。
こういう時に限って、そよ風の一つも吹いてくれない。
暑い。
喉渇いた。
【集水】で手のひらに水を集めるけど、空気が乾燥気味なのか私の魔力操作が乱れているのか、うまくいかない。
ようやく集まった水を一なめしてから、私はふらふらと歩き始めた。
◇ ◇ ◇
しばらく草原をゆっくり歩いていた私の耳に、ちょろちょろという水の流れる音が聞こえてきたのは、それから30分ほど経ってからだった。
思わず駆け寄ると、そこにあったのは小さな泉と小川だ。
泉から湧き出る水は清らかで透き通っており、とても美しい。
思わず飛び込もうとする私だけど、それを呼び止める声があった。
「ガ......ゴアアアアアッ!!」
振り返ると、そこにいたのは私を一飲みにできそうなくらい巨大な亀だ。
甲羅だけでなく、首周りや足先までごつごつとした鉱石のようなもので覆われている。
実は、ちらちらと視界に入ってはいたけど、動かないから無視してたよ。
<こ、これはテゾンカータートルの......変異種!?気を付けてください、エミー!この亀の甲羅は、いかなる鉱石よりも固いと評されるほどの防御力を......>
「............」
うるさかったので、思い切り殴りつけたらその甲羅は粉々に砕け散った。
亀は吹き飛んで死んだ。
<......誇るはずなんですが、まぁ、エミーですからね......もうこの程度では相手にもなりませんか、うふふ......>
なんだか嬉しそうに笑っているオマケ様。
でもそんなことより、とにかく水だ水。
水を飲みたい。
服を着たまま泉に飛び込む。
冷たい水が、走り続けて火照った体を冷やしてくれる。
気持ち良い。
そのままごくごくと水を飲んでから、【剥離】を使って体と服についた汚れを落とす。
私にこびりついていた血糊が剥がれ、泉がどす黒く変色していく。
仰向けになり、ぷかぷかと泉に浮かびながら、青空を流れる白い雲をぼうっと眺める。
「シュミミミミ......シュミミミミ......」
周囲の草むらから名も知らぬ虫の音が<あれはシュミカッペというカタツムリの鳴き声です>マジかよ。......カタツムリの鳴き声?が、聞こえてくる。
グロウノードッカ村でも聞こえていた鳴き声だ。
........................。
<ね、ねぇエミー......まさか、村に戻りたいと思っていたりとか、しませんよね?>
......まさか。
言ったでしょ?私は洗脳されるのはごめんだよ。
でも。
でも、洗脳されていたとは言え......多分、洗脳されていたからこそ、なんだろうけど......あそこの村人は、私に優しくしてくれたんだよね。
そんな人たちを放っておいて、私は一人で逃げてきたんだと思うと、なんかさ......。
申し訳ない気がしてさ。
<........................>
........................。
<ねぇ、エミー。殴ったら洗脳って、解けますか?>
え?無理でしょ。
ってか私に殴られたら、普通の人間は死んじゃうよ?
<ですよね。なら、無理です。エミー、あなたに村人たちの洗脳を解くことはできません>
......なにさ、人のこと、暴力しか取り柄が無いみたいな言い方、しないでよ......。
<失礼いたしました。しかし、あなたではあの村のことは、どうにもできない。それは事実なのです。できないことを気に病んでいても、仕方がありません。辛いかもしれませんが、割り切ってください>
........................。
<........................>
........................そっか。
<............はい、そうです。あの村のことは、もう忘れましょう。きっと村人たちも、もうあなたのこと、忘れていますよ>
........................そうかな。
<長年共に過ごしてきたはずの老婆の死ですら、すぐにあそこの村人にとっては『とるにたらない』ことに成り下がりました。あなたの存在とて、同じことです>
........................そうなんだろうね。
<きっと彼らは、あなたのこともすぐに忘れて、今も変わらず、幸せに麦畑を広げていますよ>
........................『幸せに』、か......。
◇ ◇ ◇
ぴゅうと一吹き、風が吹く。
濡れた顔を撫でられて、ようやくエミーは、体が大分冷えてしまったことを自覚した。
ざばざば泉の縁まで泳いでいって、のそりと上がる。
犬みたいに体を震わせて水気を飛ばし、【乾燥】をかける。
日の力も手伝って、あっという間に体が乾く。
「............」
エミーは、彼女が走ってきた方角に顔を向ける。
そこに見えるのは、どこまでも続く草原と、夏の青空。
もはや、森も村も、影すら見えない。
だけど。
だけど、彼女は頭を下げた。
頭を下げて、しばらくの間、じっとしていた。
たくさんの意味が込められた、一礼だった。
だけど、何の意味もない、一礼だった。
だけど。
だけど、彼女には、それくらいしかできることがなかった。
次が、第8章の最終話です。




