124 血みどろエミーと、月明り
それまで雲に隠されていた月が徐々にその姿を現し、真っ暗な森を照らし始める。
私は腰を下ろした巨木の木陰で、その幹に寄りかかりながら、美しい月明りをぼんやりと眺めていた。
静かな夜だね。
獣の鳴き声一つ聞こえない。
<当然でしょう?>
まぁ、それもそうか。
<みんなみんな、エミーが殺して食べてしまったのですから>
すっかり雲が晴れ、月明りのもとにさらされた私の周囲は、赤黒く染まっている。
あちらこちらに、生き物だったものの残骸が転がっている。
私自身も血みどろだ。
死臭漂う夜の森。
ぐぅぅ、と。
腹の鳴る音が響く。
もうね、何が『ぐぅぅ』だよ、と。
目につく生き物は全部狩って食べつくしたというのに、それでも私の体は満足してくれないらしい。
ほんと、あのお喋り黒トカゲは余計なことしてくれたよ。
あれの血のおかげで、確かに私はいくつもの段階を飛び越えて魔力変質を遂げ、凄く強くなった。
でも、その代償の空腹感は未だにおさまらない。
まるで呪いだ。
「............」
その辺に転がっている木の枝を拾い、口に運ぶ。
決しておいしいものではないけど、ないよりはましだ。
だけど、ぽりぽりとかみ砕き腹に押し込んだそれは、あっという間に消化され、魔力へと変換されて、お腹の中にたまらない。
お腹空いた......。
これまで、私が何事もなく村で過ごせていたのは、“加護つきパン”のおかげだ。
あのパンには多量の魔力が含まれており、その辺の魔物を狩って食べるよりもはるかに効率よく魔力を摂取できたからね。
<ですが、今もあなたが空腹感に苛まれていることからわかる通り、本来であればあの“加護つきパン”ですら、あなたの体が必要とする魔力を補うには十分ではなかったのです>
と、いうことらしい。
で、なら何故、私はあの村にいる時には空腹感で苦しんでいなかったかというと......。
<“加護つきパン”の持つ、洗脳効果が空腹感をごまかしていたからですね。どうやら、あのパンには食べたものの思考を誘導し、行動を束縛する魔法的効果が含まれていたようですから>
食べたものを洗脳するパン。
......恐ろしいものがあったもんだ。
まぁ、村で採れた麦を原料に作ってんのかと思いきや、大量の死骸を贄にしてどっかから召喚されてたもんね。
そりゃ、多少人智を越えたパンであっても納得はいく。
落ち着いて今振り返ると、あの白装束たちこそが、この村の“パン屋”だったんだろう。
どんなパン屋だ。
で、その洗脳効果の副作用として、私とオマケ様の意志の疎通が阻害され、オマケ様の言葉が私に届かなくなっていた、と。
<......これは危険なものだと、あのパンを初めて食べた時に私が気づくべきだったのです。エミー、申し訳ありません......>
え、謝らないでオマケ様!
こちらこそ......オマケ様に申し訳ないよ。
これまで、ずーっと助けてもらってきたのに、パンのせいとは言えオマケ様のことを忘れてしまうなんて。
<いえ、私が悪いのです......>
いやいや、私が......。
<私が......>
私が......。
<............>
............。
<きりが、ないですね>
そうだね、不毛な会話だよ。
<では、どちらも悪くない。そういうことにしましょう>
それが良いね。
<間をとって、ゾスパンピッキーが悪いことにしましょう>
誰!?ゾスパンピッキーって誰!?
唐突に言及され、全ての責任を被せられる謎の第三者ゾスパンピッキーの正体とは!?
<............ふふっ>
............ふふふ!
<楽しいですね、エミー>
そうだね、オマケ様。
こうやって久しぶりに会話して、改めて思う。
私には、オマケ様が必要だ。
だって、こうしてやりとりをするだけで、村にいた時よりも、遥かに楽しいんだもの!
私、オマケ様のこと、大好きだったんだなぁ。
<や、やめてくださいよ。照れちゃいます......>
えへへ。
ぐぅぅ............。
ええい!空気を読まぬ腹の虫め!
もおーーーっ!お腹減ったよーーーっ!
はぁ、嫌だ嫌だ。
いつになったらこの空腹感はおさまるのかなぁ。
<今回の魔力変質の原因は神話生物の血液ですからね。そう簡単にはなくならないかと>
もうね、何が嫌かってね、色々と思考が追い詰められてくるのが嫌。
<割と平気そうにしているように見えますけどね>
私、辛いことに耐えるのには慣れてるからね!
心の表面上はへらへらする術を前世と今世でしっかりと学びました。
表情とか、外見上にはそもそも何にも現れませんが。
とにかく、お腹が減って辛いです。
あぁ、さっき我慢しないで、ロンテさん食べちゃえば良かったかなぁ?
<だ、だめですって!そんなことしちゃ!>
うぅ、そうだよねぇ......。
さすがに食人は、私もしたくないよぉ......。
<あそこの村人は、常にあのパンを食べてますからね、そのお肉には洗脳魔法がまるで生物濃縮の如く溜まっています。そんなもん食べたら、あなた、また洗脳されちゃいますよ?人間を食べるなら、別の村を見つけて襲いましょうよ?>
えぇ!?
まさかの食人への忌避感がゼロ!?
<私は、エミー以外の生物の生死について全く頓着しませんので。この世の全ては須らくエミーのための糧です>
はぁ......。
そうでした、この方、こういう所がある方でした。
これ、私この先しばらくは人里におりられませんな。
まぁ、私は呪い子だから、人里におりたところでまともな村人には追い出されちゃうんだろうけど。
はぁ......。
とりあえず、食べるものがないかあたりをきょろきょろ。
特にないので、背後の巨木にかぶりつく。
ぼりぼりぼり......。
<それにしても、手遅れになる前に洗脳が解けて本当に良かったです。あのままの状態が続けば、いずれ完全に洗脳されて、あの村の神......豊穣神の手駒になり果ててしまうところでしたから>
えっ、それは怖い。
というか、どうして私のパン洗脳は解けたの?
ぼりぼり。
<まず前提として、エミーは一般人に比べると非常に洗脳などの精神汚染に抵抗力があります>
なんで?
ぼりぼり。
<肉体の頑強さもさることながら、魂の強さが段違いですからね>
......ふーん?『魂の強さ』?
ぼりぼり。
<ええと............。まあとにかく、あなたはそういう精神攻撃に強い性質なわけですよ。とは言え、継続的かつ大量にあのパンを摂取していましたからね。徐々に汚染は進行していました。ところが、その洗脳に綻びが生まれました>
私があの“儀式”を見て......ショックを受けたから?
<はい、その通りです。あなたはもともと、村での生活に言い知れぬ違和感を感じていたはずです。その違和感自体は洗脳の綻びとは言えぬほどの小さな傷ですが、ショックがそれを大きく広げ、ようやく私が声を届けられるようになったというわけです>
はぁー......なるほどねぇー......。
<あなたが狩りをする際に、相当量の“つまみ食い”をしていたこともプラスに働きました。パン以外のものを口に入れ、その魔力を摂取することで、パンの洗脳魔法の浸食を遅らせることにつながりましたからね>
ぼりぼりぼりぼり......。
私とオマケ様の会話は続く。
ぼりぼりぼりぼり......。
ミシ......ミシシシ......ズズズ......ズゥゥ......ン......。
私がかじり続けた巨木の幹は、もはやその自重を支えきれないほどに細くなり、地面にその身を横たえる。
その幹に巣くっていた小さなアリ(っぽい生き物)たちが、幹の断面で慌てている。
こいつらは程よい酸味と甘みがあって、美味である。
幹ごとおいしくいただく。ぼりぼり。
◇ ◇ ◇
あれや、これやと。
私とオマケ様はとりとめもなく、実のある話やない話、色んな話をした。
私は、嬉しかったんだ。
久しぶりにオマケ様と会話できた。
それだけで嬉しかったし、楽しかった。
......だから、油断していた。
木の幹をかじりながらおしゃべりすることに夢中で、私に近づいてくるその足音に、全く気が付いていなかった。
「ようやく、見つけたよ」
「!?」
そんな声をかけられたのは、すっかりあたりの木々を食らいつくし、森の中にぽっかりとした空き地を作り出してしまった頃だった。
私は幹をかじるのをやめ、顔をあげる。
目線の先にあるまだ残っていた茂みをがさり、がさりとかき分け私の前に現れたのは......深緑色の髪を後ろで一つに縛った少年。
私が居候をしていたおうちの一人息子、プロウくんだった。
「もう!エミーったらこんな時間まで森で何してるのさ!皆心配しているんだよ!?」
プロウくんはぷりぷりと怒っている。
「ほら、早く村に帰ろう?お母さんが作ったおいしい晩ご飯が待っているよ!」
「............」
そう言って、私に向けて笑顔で手を伸ばす。
私は、無言でプロウくんを警戒する。
<気をつけましょう、エミー。この少年もきっと、“加護つきパン”の力で洗脳されているはずです>
洗脳されていない、普通の精神の少年が、こんな夜中に一人で私を探して森をうろつくなんて、あり得ないしね。
血みどろの私を見て、怯む気配もないし。
<豊穣神が、村人を洗脳して一体何を企んでいるかは知りませんが......あなたは決してあの村に戻ってはいけません。戻るべきではありません。神々なんて、どうせろくな事、しないんですから......>
「ねぇ、エミー。黙ってないで、何か言ってよぉ?......あ、お腹が空いて、動けないのかな?」
プロウくんは私の警戒など意にも介さず呑気な笑顔で近づき、肩から下げたポシェットに手をつっこんだ。
中から取り出したのは......黄金色に輝く、“加護つきパン”。
「そんなこともあるかと思って、ちゃんとパンも持ってきてたんだよー!えへへ、エミーは食いしん坊だからね!......はい、どうぞ!」
私の目の前に差し出される“加護つきパン”。
香ばしい香り。
美しい色合い。
豊富に練り込まれた魔力。
まるでこの世の物とは思えないほどにおいしそうなパン。
私は思わずごくりと喉を鳴らし、そのパンに手を伸ばして......。
<エミーッ!!!>
「ッ!!!」
間一髪、オマケ様の一喝で正気を取り戻し、プロウくんの手に持ったパンを叩き飛ばした!
「あぁーーっ!もう!何てことするんだよエミー!もったいないでしょ!?」
「............」
わたわたと慌てるプロウくんは。
「でも、大丈夫!まだポシェットにパンが入っているから!」
そう言って笑顔で、新たに“加護つきパン”を取り出した。
......それも間髪入れずに叩き飛ばす。
「まだあるよ?」
新たに出てきたパンも叩き飛ばす。
「まだまだあるよ?」
叩き飛ばす。
......どんだけパンがつまってるんだよそのポシェット!!
きりがないので【飛蝗】を使って跳躍、プロウくんとの距離をとる。
プロウくんは、不安そうだ。
目を潤ませて眉を下げながら、こちらを見つめている。
「ね、ね?ボク、なんかエミーに嫌われるようなこと、したかなぁ?もしかして、寝坊して予定版配りをまかせちゃったから、それで怒ってるの?」
「............」
純粋な瞳で、こちらを見る。
ここ数か月の、プロウくんたちとの思い出が脳裏によぎる。
村の皆は、とても優しくて、私のことを仲間って言ってくれて、私はとても幸せで......。
<ダメですよ、エミー。それは全てまやかしです。豊穣神に操られた人々が演じさせられている“人形劇”です>
............。
わかってるよ、オマケ様......。
私がたくさんの人々に愛され、受け入れられるなんて、そんなこと、あるわけないんだ。
前世も、今世も。
私は嫌われ者で、厄介者の呪い子なんだから。
「私は、戻らない」
「え............」
「私は、村には、戻らない」
呆然と目を見開き、驚き固まるプロウくん。
ごめんね。
「さようなら、プロウくん。......みんなにも、よろしく」
張り裂けそうな胸を抑えて、なんとか喉からそれだけは言葉を絞り出し、私はプロウくんに背を向ける。
グロウノードッカ村に、背を向ける。
幸せだった時間に、背を向ける。
前に広がっているのは、夜の暗闇だ。
私を嫌い、蔑み、受け入れてくれない世界だ。
常時空腹感に苛まれる日々だ。
それでも、私は。
「あぁ、そりゃそっか。やっぱり、仰られていたとおりか」
しかし、その時だった。
ここでぽつりと、プロウくんが呟いた。
驚くほどに、冷たい声で。
恐ろしいほどの魔力......【威圧】を発しながら。
「......!?」
驚き、振り返って身構える。
そこで月を背にして立っているのは、先ほどまでと同じ深緑色の髪を後ろで一つに縛った少年だ。
しかし、その身にまとう雰囲気は一変している。
その顔に浮かんでいるのは、純朴そうな村の少年の笑顔ではない。
冷たく、機械的な印象すら受ける、無表情。
「目が、覚めちゃったんだね?」
膨大な、黄金色の魔力をその小さな体から溢れさせながら、少年は薄い笑みを作った。




