表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少女と剣と裁きの女神  作者: 南風禽種
第1章 魔術の神秘
3/13

秘められた地下の研究室

 ――静かで、誰ひとり訪れることのない、石造りの地下室。


 らせん構造をなして地下へと降りていく階段――その突き当たりにある壁には、使い古された木製のドアがきっちりとはまっている。

 粗末なそのドアには、ただひと言「許可なく立ち入るべからず」なる文句が書きつけられた看板だけが、所在なげにぶら下がっていた。


 湿気と地下水のせいで、ぬらぬらと湿った石の階段。

 石造りの壁には、錆びついた金具が連続して付いている。照明のために絶えずかがり火を焚いていた時代の、わずかに残った痕跡なのだろう。


 そんな足下の悪い階段を、慎重に一歩ずつ降りていく人影があった。

 子どものような身長の人影は、褐色をした革のフードを頭からすっぽりかぶっている。


「うんしょ、うんしょ……」


 その人影は、湿気に濡れた石壁に左手をつきながら、ランプを右手でぎゅっと握りしめ、籐を編んで作られた手かごだけは落とさないように、右肘のあたりにぶら下げている。

 その歩みは、右足を慎重に一歩降ろし、左足を降ろしてから再び右足で次の段へと降りていく……そんな遅々としたもの。人影の背が低いのに対し、石段が異常に高いからだ。


 のろのろと石段を降りていた人影は、終点が見えた途端、気が緩んだのか大声で不満を爆発させた。


「まったくぅ! どうしておじちゃんは、こんなところに一人で住みついてるのおっ?」


 その言葉を、今日までに何度叫んだことだろう。それを考えることすら、もはやバカバカしい。


 足がつるのではないかと思うほどの慎重さと、これでもかというほどのへっぴり腰で階段を降りる速度は、目的地が見えてもそれほど変わらないのだが。

 しかし、その人影は頭をすっぽりと覆ったフードの中で、頬を膨らませてぶつぶつと文句を垂れつづける。それは目的地に到着するまで続いた。


「毎晩こんなところに来なくちゃいけない……あたしの身にも、なりなさいよねっ……ぶつぶつ」


 だが、そこまで文句を垂れた時、明らかにサイズオーバーである革のブーツに、地下水が容赦なく染みこんできた。

 それがついに、張りつめていた心の糸を切ってしまったようだ。


「あー! もう、冷たいッ! ブーツが台無しじゃん! お気に入りだったのにぃ!」


 誰に言うともなく、いまいましげに癇癪を爆発させた人影は、それを契機に頭を覆っていたフードごと、着ていたローブを憤然と剥ぎ取り、みずから顔をあらわにした。


 それはまだ十代前半にしか見えない、小柄な少女の顔――。


 フードを剥ぎ取った瞬間、こぼれるように振り乱された、明るい褐色の髪。

 その髪はツインテールにまとめているが、背中にまで達するほどの長さがある。


 今しがたまでローブを重ね着していた身体には、農家の娘そのものと言える、木綿の粗末な上衣に、膝丈のスカートを身につけている。

 農作業用らしい、革製のエプロンも着けたまま。毎晩、農作業の帰りにここに寄る日課なのかもしれない。


 ツインテールに結い上げた少女の髪。結び目を留めているのは、目が覚めるような赤色を放つ、鮮烈な色のリボン。だが、それ以外の装飾は何もない。

 そばかすやにきびが残る彼女の顔には、まだ幼かった頃の面影が残っている。その容貌こそ十代前半らしい童顔だが、整った目鼻立ちと均整のとれた顔立ちには、素朴ながらも間違いなく、美少女の特徴が備わっている。


 そして、丸くて大きな彼女の瞳は、鉱物の色を溶かし込んだ水をたたえ、深遠の底すら見通せない火山湖のような、清冽な青緑色。


 ウォーターサファイアの色にも似たその瞳の奥には、ろうそくの炎が燃えるような、黄色の燐光が絶えずゆらめいている。

 その明滅する神秘的な輝きは、彼女の意志の強さを象徴しているかのようでもある。


 そんな光り輝く彼女の瞳の前に立ちはだかるのは、「許可なく立ち入るべからず」の看板。


 粗末な木の板に、黒のインクで書き殴られたその文字を、少女はいまいましげに睨み上げた。彼女の身長では、どうしても睨み上げる姿勢になってしまう。それは仕方がない。


 そんな彼女が次に起こした行動――それは、無言で立ちはだかるドア越しに、目指す地下室の住人を怒鳴りつけることだった。


「おいこら、おじちゃん! あたしだよ! 働きもしないで地下室に引きこもるなって、いつも言ってるでしょ!」


 今にもドアを蹴飛ばすのではないかと思うほどの勢いで、少女は一気にまくし立てた。


 あれほど大事そうに持ってきたランプの火が、湿気のせいで今にも消えそうになっている。目的地に着いたので、もうどうでもよくなったらしい。

 しかし、右肘にぶら下げた籐の手かごだけは、相変わらず腕に掛けたまま、どんな姿勢になっても落ちないように保持している。これを届けるのが、彼女の目的なのだ。


「…………」


 ところが、怒鳴りつけてからしばらく経つのに、ドアの向こうからの反応がない。

 天井からしたたり落ちるしずくの音だけが、狭いらせん階段に寂しく響く。

 いつもなら、すぐに「へーい」という返事が聞こえてくるものなのに、今夜に限って無反応なのは、一体どういうわけなのか――?


「おーい、おじちゃん……。いないの?」


 反応がないことをいぶかしむ少女が、眉をひそめながら不安そうに呼びかけた。

 この地下室の主は、引きこもりだ。この時間に不在であるはずがない。

 普段と違う。これは明らかにおかしい。少女は青くなって慌てた。


「――まさか、食べ物がなくて倒れてるとか? こ、こ、孤独死とかっ?」


 眼前に突きつけられた思いがけぬ展開に、少女は顔面蒼白になりつつ両手で顔を覆う。


 一部の特権階級を除いて誰もが貧しく、飢えに苦しんでいた時代――。人知れず野山や原野で行き倒れになる旅人が年に何人か見つかるほど、辺境の農村を取り巻く環境は厳しいものだった。

 そんな状況だからこそ、孤独な餓死は十分考えられる、最悪のケースといえた。


 相手は眠っているのかもしれない。いや、単に用便中なのかもしれない。そんなことは、冷静になって考えれば誰でもわかることだ。

 しかし、すでに最悪の結果を脳内で導き出してしまった少女は、頬を手で覆い、おろおろと取り乱すしかない。そうなれば、次になすべき行動はひとつしか思いつかなかった。


「こ、こうなったら――蹴破ってでも入って、あたしがおじちゃんを助けるっ!」


 こうと決めたら、何としてでも行動する。それが彼女の数少ない取り柄のひとつだが、数多い欠点のひとつでもある。

 その旺盛すぎる行動力のために、これまでにどれだけ、痛い目を見てきたことか。

 だが使命感に燃える彼女に、そんなことはもうどうでもよかった。異常なほどの決意を宿した少女の瞳が、ランプの光を反射して妖しげに光り輝いた。


 目の前の邪魔なドアは、蹴破ってでも入る――。

 そう決意した彼女は、次の刹那、すでに右足を振り上げていた。


 振り上げた華奢な右足。スカートがいくらめくれ上がろうとも、誰も見ていないのだから、彼女にとってもはや何の障害にもならないらしい。


「待ってて、おじちゃん! 今、あたしがドアを開けて、助けてあげるからっ――!」


 大事なものが入った手かごを持ったまま、少女が片足立ちになり、その右足に力を入れようとしたその時――。


 ――ガチャ。


 急にドアが開いた。


「――うるせえガキだな。まったく、落ち着いて手紙も書けやしねえ」


 そう文句を言いつつ、内側からドアを開いて現れたのは、よれよれの白衣を着た、ボサボサ頭の中年男性。一見して研究者だが、どうにも風采が上がらない。


 伸び放題の無精ヒゲに、やつれた顔つき。よれよれの白衣。

 それでも聖職者として定められた聖印だけは、しっかりと首から下げている。ゆえに聖職者に間違いはないのだが、どう見ても聖職者とは思えない、冴えない風貌。


 いきなり扉を開けた男は、ボサボサに乱れた青色の髪をボリボリ掻きむしりながら、今にも足を振り上げ、ドアを蹴ろうとしている少女を迷惑そうな顔で見下ろした。


「……早まるな、テミス。俺は生きてる。孤独死なんかしちゃいねえよ」


「えっ……うにゃあッ?」


 蹴りつける目標であったドアが急になくなったことで、振り上げた右足が空を切ることになった少女の身体は、当然のように、つんのめってバランスを崩した。


「……おっと、危ねえなあ」


 白衣の男性はそう言うと、素早い動きで少女の右腕を掴み、ついでに細い腰にも手を当てて、倒れないように支えてやった。

 飄然とした風貌とは真逆ともいえる、素晴らしい身のこなしと反射能力だった。


 期せずして抱き合い、間近で顔を見合わせることになった少女の顔は、そんな姿勢になった途端、まるで熟した果実のように真っ赤に染まった。


「ちょ、ちょ、ちょっとお! このエロ親父ぃ! か、か弱い乙女の柔肌に触れていいだなんて、ひとことも言ってにゃいじゃにゃいのおッ?」


 白衣の男性に身体を支えられたまま、真っ赤な顔をした少女は、ツバを飛ばしながら舌足らずな口調でまくし立て、拘束から逃れようと両手に力を入れ、ジタバタともがく。

 男はそんな彼女の反応を見て、深々とため息をつくと、幼い子どもを抱くときのように脇に手を差し込み、しっかりと支えてやると、優しく床に降ろしてやった。


「いいかテミス、このまま転んだらお前、水たまりの中に浸ることになるぞ?」


「――えっ?」


 確かに直下の床は、湿気としずくでできた水たまりになっている。男は彼女を抱き上げることで、転んで濡れないようにしてやったのだ。

 すぐにそれを理解した少女は、急に態度を改めると、体勢を戻しながら小声で礼を言った。


「あ、ありがと……」


「――で、何用だ? ここがかの高名な魔術研究者にして聖地たる教区の助祭、マカベウス・フェランの研究室だと知って来たのか? いたいけな小娘よ?」


 白衣の男――マカベウス・フェラン助祭は、悪戯っぽい笑みを浮かべながらも、聖職者でありながらも演技がかった重々しい口調で、からかい気味に言う。

 待ち受けた魔王が勇者を迎える場面のようでもあるが、二人は初対面ではない。毎日のように顔を合わせているというのに、わざとらしいにもほどがある。


 そんな軽薄なセリフを聞いた刹那、馬鹿にされていると感じたのか、テミスと呼ばれた少女は急に頬を膨らますと、今までどうにか落とさずに運んできたもの――籐で編んだ手かごを、マカベウスの胸へと乱暴に突きだした。


「――むっ!」


 テミスの顔は、あいかわらず真っ赤のまま。しかし、引きこもり中年への説教を垂れることだけは、毎日恒例の行事らしく忘れることはない。

 今日はちょっとアクシデントがあったせいか、やや恥ずかしげなのだが。


「はい、今日のごはん! いくら研究だからって、地下で引きこもってちゃ、らめ……らんだからね!」


 真っ赤な顔を隠そうともせず、照れ隠しのためか憤然とした表情で研究者を見上げながらも、十二歳の少女テミスは、パンとチーズ、そしてワインと蜂蜜が入った手かごの覆いを取り除いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ