第3章 「歌姫の目覚める時」
マリナちゃんに続いて、先の大扉をくぐって劇場エントランスに出てくると、警官隊と特命機動隊曹士の女の子達が大扉の両脇で2列を成していたの。
吸血チュパカブラの死亡を確認したマリナちゃんが非常事態宣言を解除したので、集合したんだね。
「お疲れ様です、和歌浦マリナ少佐!吹田千里准佐!」
列を成していた警官隊と特命機動隊の曹士の子達が、一斉に敬礼する。
警察官の皆さんは挙手注目敬礼、特命機動隊曹士の女の子達はアサルトライフルを用いた捧げ銃の敬礼。
敬礼1つ取っても、組織の違いがはっきり出てくるよね。
私もレーザーライフルを使った銃礼で応じたけど、ヒナノさんを抱えたマリナちゃんは会釈で応じる事になった。
「逃げ遅れていた歌劇団メンバーを、無事に救助致しました。吸血チュパカブラは射殺駆除致しましたが、油断は禁物です。細心の注意を払って処分をお願いします。劇場内では、生駒英里奈少佐が吸血チュパカブラの亡骸の監視に当たっています。皆さんは生駒英里奈少佐の指揮に従い、吸血チュパカブラの亡骸の凍結及び搬出作業にあたって下さい。」
「はっ!承知しました、和歌浦マリナ少佐!」
担架を担いだ警官隊と共に、死体凍結用の冷凍弾を装填したアドオングレネード付きアサルトライフルを手にした特命機動隊の曹士の子達が、大扉の中に飛び込んでいった。
彼女達の背中を見送った私は、エントランスのソファーに横たえられた白鷺ヒナノさんに視線を向けた。
「マリナちゃん…大丈夫なのかな、その人…?」
マリナちゃんにかけた私の声は、自分でもハッキリ分かる程に不安に満ちていたの。
ソファーに横たわる白鷺ヒナノさんに意識はなく、顔色は真っ青だ。
マリナちゃんに抱き抱えられた時までは、意識があったのに。
「大丈夫だ。緊張の糸が切れて気を失っただけだよ。水でも飲ませれば息を吹き返すさ。ちさ、悪いがミネラルウォーターを1本立て替えてくれないか?小銭を切らせちゃって…」
私が自販機で買ってきた適当なミネラルウォーターのペットボトルを投げ渡すと、マリナちゃんは失神したヒナノさんの唇に、開栓したボトルの口をあてがおうとしたが、しばらくして困った表情を浮かべた。
「駄目か…失神しているから飲んでくれない。口移ししかないか…」
複雑な表情を浮かべながら、ペットボトルに口をつけるマリナちゃん。
「口移し!?」
「ブッ!?ちさ、急に大声を上げないでよ!」
鸚鵡返しに叫んだ私の声で驚いたマリナちゃんは、口の中のミネラルウォーターを豪快に吹き出してしまっていた。
まるで、さっきの吸血チュパカブラの血みたいだね。
「別に、キスとかそういう意味じゃないって分かるだろ、ちさ?」
「そりゃそうだけど…その人、大浜少女歌劇団北組の娘役トップスターだよ!」
「これはあくまでも救助の一環だ。今は幸い芸能リポーターもパパラッチもいない。万一悪意のある報道をする不届き者が潜んでいたら、ユリ姉を経由して弾圧してやる!」
ユリ姉っていうのは、私達の所属する堺県第2支局の支局長を務めていらっしゃる明王院ユリカ大佐の事だよ。
ピンク色のポニーテールがとってもキュートな、みんなの人気者。
御子柴高等学校2年B組だから、高校でも私達の先輩なんだ。
支局長は支局の管轄地域に戒厳令を出せる権限を持っているから、マスコミに圧力をかける位は朝飯前なんだ。
ユリカ先輩は温和だから、そんな無茶な真似を今まで働いた前例はないけど、明確な悪意から管轄地域や支局メンバーを守るためだったら、それ位の事は辞さない人でもあるよ。
「そのためにも…吹田千里准佐!貴官に監視役と証人役と…そして人間の盾としての任務を与える!吸血チュパカブラの死体の搬出を見届けた生駒英里奈少佐にも動員をかけたので、手古摺るようならば協力して任務を遂行されたし!」
普段はタメ口だから気にならないけど、マリナちゃんって私の上官なんだよね…
「しょ…承知しました、和歌浦マリナ少佐!」
またしても銃礼で返答した私は、急いでソファーに駆け寄った。
「目を閉じていた方がいいですかね、和歌浦マリナ少佐?」
「余計な気を回さなくていい、ちさ!」
あっ、もう通常営業のようだね。
私の事を「フルネーム+階級」ではなく、「ちさ」っていうニックネームで呼んだから。
「ちさ、人の気配はないね?やるよ…」
親指を立てる私の合図に黙礼で応じたマリナちゃんは、再びミネラルウォーターを口に含むと、ヒナノさんの唇に自分の唇を押しあて、口腔を満たす液体を一気に流し込んだ。
うーむ…第2支局管轄地域内でも人気の高い和歌浦マリナ少佐と、大浜少女歌劇団北組の娘役トップスターである白鷺ヒナノさんのキスシーンか…
その実態は、気付け薬代わりにミネラルウォーターを口移しで流し込んでいるだけなんだけど、第2支局管轄地域では大スクープ物のレアシーンだね。
スマホで盗撮なんて野暮な真似はやらないよ。
友情を裏切った事で、マリナちゃんから絶縁されるだけでは済まないからね。
私達が所属する人類防衛機構は、友情と絆をとにかく重んじる組織なんだ。
私達の心構えを示した「人類防衛機構5箇条の誓い」にも、その事が明文化されてある位なの。
友情を踏みにじった事が発覚したら、次の瞬間に私は、第2支局の特命遊撃士と特命機動隊曹士の全員から八つ裂きにされるだろうね。
それに、こんなレアシーンは独り占めしたいじゃない。
間違いなく今日のハイライト。
カメラのレンズ越しではない、私自身の網膜を通して、脳の記憶中枢に永遠に刻み込んでおくよ。
「うう…ここは…」
短い呻き声が漏れるのを確認すると、マリナちゃんは白鷺ヒナノさんの身体からサッと離れて、ヒナノさんの横たわるソファーの傍らに立ち膝の体勢で収まった。
どうでもいい事かも知れないけれど、眠り姫や白雪姫の目覚めを見守る王子様みたいだよ、マリナちゃんが取っている今のポーズ。
「貴女は少しの間、恐怖で気を失っていたんですよ。でも、もう安全です。」
「ありがとうございます。危うい所を、本当に助かりました…」
どうにか人心地ついて、お礼の言葉を伝える白鷺ヒナノさんに向けて言った、この後のマリナちゃんの一言と来たら、反則レベルだったね。
「貴女達の大切な舞台を、あんな怪物の血で汚したくなかったのに…でも、あれが貴女達の血でなくて本当に良かった。」
ずるいよね。美味しい所を全部持って行っちゃうんだからさ。
「良かった!これでもう大丈夫だね!」
事件の解決に惜しみ無い安堵の声を、私は素直に漏らした。
正直言って、多少のやっかみがない訳でもないけれど。
その直後、静かな足音が私の耳朶に響いてきた。
「この様子ですと、もう私のお役目は無さそうですわね…」
私やマリナちゃんと同じ白い遊撃服に身を包み、白い柄のレーザーランスを携えた人影が、静かにエントランスのソファーに歩み寄ってくる。
「英里…その様子だと、何かあったようだね?」
マリナちゃんの指摘に促されて注視してみると、英里奈ちゃんの手にしたレーザーランスの先端についた、エネルギーエッジが僅かに白熱していた。
これは、ほんの少し前までレーザーランスが使用されていたという証だ。
「ええ。右腕の後始末をしておりまして。」
「右腕?まさか、私が最初にダムダム弾でぶっ飛ばした…!」
英里奈ちゃんの一言で、マリナちゃんの表情が一気に強張った。
どうやら、最初のダムダム弾で千切れ飛んでいった吸血チュパカブラの右腕が、まだ生きていたみたいだね。
常識外れのしぶとい生命力で、本当にウンザリしちゃうな。
「本体は蜂の巣になっていましたので、至って大人しかったのですが、偶然にも体組織の生き残っていた右腕が報復とばかりに、ミサイルよろしく私目掛けて飛んできたのです。」
同じ遊撃服を着ていた英里奈ちゃんを、マリナちゃんと混同しちゃったんだろうな、吸血チュパカブラの右腕は。
もしあの場にいたら、私も混同されていたんだろうね。
「それをレーザーランスで木っ端微塵にしたという次第ですよ。1人の犠牲者も出ておりませんので、御安心を。強いて犠牲を挙げるならば、私の御髪のセットが乱れた程度です。」
「そうか…警官隊に機動隊曹士、共に犠牲者なしか…それは何よりだよ!」
そう報告すると英里奈ちゃんは、レーザーランスを持っていない方の手で髪を撫で付け始めた。
そこがセットの乱れた箇所なのかな?
「あの…こちらの方達は…?」
怪訝そうな口調で問い質す白鷺ヒナノさんの気持ちも、私も分からなくはないよ。
吸血チュパカブラに襲われた時の気の動転が未だに収まっていないのに、物々しく武装した2人組がいるんだから。
「ヒナノさん、ご紹介しましょう。こちらは生駒英里奈少佐に吹田千里准佐。私と同じく、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局の特命遊撃士です。そして何より、私の掛け替えのない親友です。」
「エヘヘ…どうも…」
照れ隠しに、軽く頭を掻く私。
やりにくいな、相手が歌劇団の娘役トップスターだと。
「貴女は大浜歌劇団北組の誇る至宝です。ご無事で本当に何よりですわ、白鷺ヒナノさん。」
この事件における私と英里奈ちゃんは、すっかり王子様の忠実な従者2人組のポジションに収まってしまったね。
それでも英里奈ちゃんの方が、私よりもよっぽど気の利いた受け答えが出来ている分、格上感が出ているな…
「親友…ですか。いい響きの言葉ですね…」
「貴女にも大勢、いらっしゃるじゃないですか…ほら。」
マリナちゃんが指し示す方角に、白鷺ヒナノさんにつられて、私と英里奈ちゃんも視線を向けた。
自動ドアの反応ももどかしそうに、大劇場のエントランスに詰め掛けて来た人だかり。
「ヒナノさん!」
「ヒナノ!」
それは大浜少女歌劇団北組の名だたるスター達だった。
白鷺ヒナノさんの無事が伝えられたので、取るものも取り敢えずに駆け付けた次第らしい。
「ヒナノさん…無事で…無事で本当に良かった!」
ヴァン・ヘルシング教授の衣装である黒いスーツとコートを身に付けた、一際背の高い金髪のショートヘアーの女性がヒナノさんに駆け寄り、そっと抱き締めた。
「オリエさん…」
男性風のメイクが崩れるのも構わずにボロボロと涙をこぼすこの女性は、北組男役トップスターの東雲オリエさんだ。
こんな言い方はアレだけど、貴女の果たすべきポジションは、マリナちゃんがほとんど全て遂行しちゃったよ。
怪物からの姫君の救出も、失神した姫君をお姫様抱っこしてのエスコートも、そして目覚めの口付けもね。
まあ、「マリナちゃんの代わりに吸血チュパカブラと戦え。」と言うのも、酷な話だけどね。
「本当に…本当にありがとうございます!ヒナノを救って下さって…」
東雲オリエさんはマリナちゃんや私達の方にサッと向き直ると、頭を下げて感謝の言葉を口にした。
さすがは大浜少女歌劇団北組の誇る男役トップスター。
お辞儀1つ取っても、本当に様になるよね。
「本当に、ありがとうございます!」
東雲オリエさんの後を受けて、大浜少女歌劇団北組の名だたるスター達もまた、一斉に頭を下げたんだ。
公演のフィナーレみたいで、何だか壮観だね。
この面々が私達3人のためだけに頭を下げるなんて、豪華と言うべきか気が引けると言うべきか。
「あっ…頭を上げて下さいっ!そんな、勿体のうございます…!私共はただ、特命遊撃士として成すべき役目を果たしただけなのですから!」
申し訳なさと気恥ずかしさに、いてもいられなくなった英里奈ちゃんが、オロオロとした様子で謙遜の辞を述べている。
わぁ、さっきまでの姫騎士然とした二枚目イメージを自ら壊しちゃったね…
まあ、これが普段の英里奈ちゃんだけどさ。
よし、ここは私が場を引き締めよう。
正直言って、そんな柄でもないけど…
「それに、大浜歌劇団の舞台は、皆さんの友情に裏打ちされたチームワークによって成立していると評判です。そのため、1人の犠牲者も出す事なく怪物を駆除出来なくては、作戦は失敗になる。通報が入った時に、私達が真っ先に考えたのはこの事でした。友情と絆は、人類防衛機構に所属している私達が常日頃から重んじていますから!そうだよね、英里奈ちゃん!マリナちゃん!」
駄目だ…やっぱり二枚目役は私には似合わない。
喋っている途中で、居たたまれない気分になってしまったよ。
仕方がないので私は、狼狽えた英里奈ちゃんの両手を取り、英里奈ちゃんを落ち着かせると同時に、2人に助け船を出して貰う事にした。お願いだから気付いてよ、2人とも…
「え…ええ!勿論ですわ、千里さん!」
私に握られた両手に注意を取られた事で、多少は落ち着きを取り戻した英里奈ちゃんが、私の手を握り返してくれる。そして…
「ああ、その通りだ!英里!ちさ!」
手を取り合った私と英里奈ちゃんの背中にマリナちゃんが手を回して、まるで条約が締結された時の両国首脳と国連事務総長のようなポーズを取る私達。
よし!私も英里奈ちゃんも、ボロを出さずに綺麗に決まったよ!
「行こうか、英里!ちさ!報告書が私達をお待ちかねだよ!」
「そうですわね、マリナさん!」
「うん!分かったよ、マリナちゃん!」
そのままの体勢で背中を軽く叩いたマリナちゃんに促され、私達はクルリと背を向けた。
ところが、ソファーから響くソプラノの声が、そのまま立ち去ろうとするマリナちゃんの足を止めた。
「お願いです!お待ち下さい、和歌浦少佐!」
さすがは少女歌劇団の娘役トップスター。
人の心にダイレクトに響く声をしているね。
「和歌浦少佐…あうっ!」
挫いた足を労るのも忘れて、起き上がろうとして苦悶の表情を浮かべるヒナノさんを片手で制しながら、マリナちゃんは再びソファーの側に膝を突いた。
「挫いた足が治ったら…次の私達の公演を、是非とも御覧になって下さい!」
「お弁当付きの特等席のプレミアムチケットをお贈りさせて頂きますよ。もちろん、お友達の分もお付けして郵送させて頂きます。ヒナノを救って下さった皆さんへの、我々からの、せめてもの気持ちです。どうか、お受け取り下さい!」
白鷺ヒナノさんの後を受けた東雲オリエさんが、マリナちゃんの手をそっと取って懇願する。
このままマリナちゃんの手の甲にキスでもしそうな勢いだね。
「ありがとうございます。きっと皆も喜ぶでしょう。ですが…まずは挫いた足を労って下さい。ヒナノさん!健康な身体を取り戻した貴女がプリマドンナとして歌う、素晴らしい舞台を楽しみにさせて頂きますよ。」
こう言い残して立ち上がったマリナちゃんは、今度こそ振り向かずに大劇場を後にした。
「それでは参りましょうか、千里さん!」
マリナちゃんの背中を追って、英里奈ちゃんが続く。優雅にひるがえされた茶色のロングヘアーが、実に美しかった。
「あっ、待って!置いて行かないでよ、2人とも!」
少しテンポの遅れた私が、慌てて少佐2人の背中に追いすがる。
もう私、三枚目でいいや…




