第2章 「大浜大劇場の死闘!守れ、歌姫の美声!」
吸血チュパカブラという特定外来生物の悪名は、良く知られているよね。
モヒカンのようなトゲが生えた、エイリアン風の外見の人間大の猛獣なんだ。
本来はメキシコやアルゼンチンを始めとする南米にしか生息していないはずだったんだけど、近年では船舶に紛れ込んで運ばれているみたいで、世界各地で目撃されているの。
銛みたいに鋭利に尖った舌で家畜や人間の血液を吸うので、世界中の国で害獣認定されているんだ。
今日の14時頃に大浜一帯を騒然とさせたこの事件は、吸血チュパカブラがメキシコ発のコンテナ貨物船に紛れ込んでいた事から始まったの。
この吸血チュパカブラは船員を殺して船上から逃亡を図って大浜付近に泳ぎ着き、事もあろうに大浜少女歌劇団北組の「歌劇・吸血鬼ドラキュラ」で満員御礼の大浜大劇場に乱入してしまったんだ。
特命機動隊を率いて現場に急行した私達は、警官隊と連携して、観客と歌劇団メンバーの避難誘導と護衛、そして特命機動隊の指揮にあたっていたんだけど、ヒロインのミナ・セワードを演じていた歌劇団北組娘役トップスターの白鷺ヒナノさんが、スカートの長いイブニングドレスの衣装が災いして、運悪く逃げ遅れてしまっていたの。
危うく吸血チュパカブラの爪で引き裂かれそうになっていた白鷺ヒナノさんの命を救ったのが、張り開けられた大扉から乱入したマリナちゃんだった。
そして、右手に構えた愛用の大型拳銃から発射されたダムダム弾が、少女達の夢の舞台を踏み荒らし、今まさに娘役トップスターを殺めようとする異形の怪物の凶悪な腕に命中した。
右腕を吹き飛ばされて動揺する怪物の隙を突き、一気に舞台に駆け上がったマリナちゃんは、回し蹴りや肘鉄を何発もお見舞いしながら、吸血チュパカブラの身体に散弾を次々と撃ち込んでいったの。
もちろん肘鉄と回し蹴りは、援護射撃をするべく客席でレーザーライフルを構えている私の照準を合わせ易くさせるためでもあるんだけどね。
「大劇場の薄闇を切り裂くレーザーの閃光…これがレーザーポインターだったら、単なるイタズラで済むんだけどなあ…!」
このような軽口を叩きながらも、私は椅子と椅子の間から銃口を突き出して、吸血チュパカブラに狙いを定めた。
私のレーザーライフルによる部位破壊で、自慢の脚力を無力化された吸血チュパカブラの狼狽振りと来たら、なかったね。
トリガーを引くと、間髪を入れずに吸血チュパカブラが咆哮を上げるの。
あれは威嚇なんかじゃない。
苦悶の叫びだね。
私にレーザーライフルで狙撃されて仰け反り、マリナちゃんの近接攻撃で悶絶する吸血チュパカブラ。
堺県が誇る大浜大劇場の舞台上という事もあって、その姿は異様なダンスにも見えなくもなかったね。
所詮はグロテスクな暗黒舞踏でしかないんだけど、だからこそマリナちゃんの流れるようなコンボ技が際立つんだ。
鮮やかな蹴り技のコンボの中に銃撃を巧みに織り混ぜたマリナちゃんの華麗な立ち回りと、醜悪の極みでしかない吸血チュパカブラの苦悶の暗黒舞踏。
美醜の両極端に位置する両者の織り成す舞いは、まさしく美女と野獣。
この吸血チュパカブラも考えてみれば、生涯最初で最後のダンスの相手がマリナちゃんになったんだから、身に余る光栄と喜ぶべきだよね。
もっとも、ミュージカルを観に来たお客さんも、他の歌劇団メンバーもみんな避難しちゃったから、このブロードウェイでも見られない異様な取り合わせのダンスの観客は、私1人だけだけど。
いや、正確にはもう1人残っていたね。
舞台の上手側でへたり込んでいる白鷺ヒナノさんが。
まあ、白鷺ヒナノさんには落ち着いて観ている余裕なんてないだろうね。
それにしても、ほんの少し前までは舞台の上で客席を埋め尽くすファンの注目を一身に集めていたヒロインだったのに、今はマリナちゃんとチュパカブラの死闘の一部始終を特等席で見守る観客になってしまうだなんて。
世の中って、本当に諸行無常だよね。
マリナちゃんがお見舞いした決まり手は、上段蹴りで敵の身体を無防備な空中に浮かせたタイミングで撃ち込んだ、眉間へのヘッドショットだった。
まあ、私が吸血チュパカブラの心臓にお見舞いしたレーザーライフルの援護射撃も、役に立ってはいたけどね。
吸血チュパカブラの身体はスローモーションのようにゆっくりと舞台の下手側に吹っ飛んでいったんだけど、これはあくまでも私の主観に過ぎなくて、実際の時間上は1秒も掛かっていなかったんだろうね。
眉間と心臓の銃創から、まるで壊れた消火栓か、鯨の潮吹きのように鮮血を吹き出す吸血チュパカブラは、湿った汚い音を立てて舞台の下手の床に墜落した。
今までに毒牙にかけた数多の犠牲者達の血が溜まっていたのか、頭と心臓を吹き飛ばされた吸血チュパカブラの死体は、破裂した水風船みたいになっていたなあ。
舞台の下手側が吸血チュパカブラの血の海なのに、返り血を一滴も受けなかったマリナちゃんの真っ白な遊撃服を、スポットライトが神々しく照らしていた。
ライトを反射して光る金ボタンと金糸の刺繍が目にも鮮やかだ。
生臭い血の池地獄と化した下手側で、そこだけが白くて美しかった。
その光景はあたかも、「心に一片の曇りもない正義の使者は、薄汚い邪悪の影響を受ける事など一切ない。」というロジックを、証明するかのようだったね。
「醜くて、そして汚いね…お似合いの死に様だけど、この舞台には相応しくない…」
全身の至る所を大型拳銃とレーザーライフルによる銃創で蜂の巣にされた、吸血チュパカブラのグロテスクな残骸。
特定外来生物が呪わしき生命を停止した事を冷やかに確認したマリナちゃんは、物憂げにこう呟いた。
そして血臭と硝煙が漂う下手側に背を向けて、イブニングドレス姿がうずくまる舞台の上手側へと静かに歩を進めたんだ。
「もう大丈夫です。立てますか?」
上手側に歩み終えたマリナちゃんは片膝立ちの姿勢になって、へたり込んだ白鷺ヒナノさんへと、そっと静かに手を差し伸べた。
しかし、こうして伸ばされたマリナちゃんの手を、堺少女歌劇団北組が誇る娘役トップスターは取らなかった。
いいえ、取りたくても取れなかったの。
何故なら白鷺ヒナノさんは吸血チュパカブラから逃げる途中で足を挫き、おまけに恐怖で腰が抜けてしまっていたからね。
「あっ…ああっ…」
何かを言いたげに、整った唇を動かそうとする白鷺ヒナノさん。
でも、恐怖で硬直した声帯は思うように動いてはくれず、意味を成さない喘ぎ声にしかならない。
マリナちゃんは、そんな娘役トップスターに微笑を向けると、内ポケットから取り出した遊撃士手帳を開いて示した。
開かれたのは身分証明欄。
そこに貼られている証明写真は、特命遊撃士養成コースを修了して少尉の階級を授かり、正規の特命遊撃士として第2支局に配属になった中学1年生の時に撮った物だけど、今のマリナちゃんと少しも変わらなかった。
強いて違いを挙げるなら、公式の証明写真という事もあって表情がやや固く、今よりもほんの少しだけ初々しかった事かな。
「私は人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士、和歌浦マリナ少佐です。ご心配いりません。私は…いいえ!私達は、貴女の味方です。」
そう言って遊撃士手帳を遊撃服の内ポケットに仕舞ったマリナちゃんは、誰もが憧れる娘役トップスターの背中と膝下にそっと手を回した。
「私の首に手を回して、後は楽な体勢にして下さい。捻った足に障ります。」
そう言うとマリナちゃんは、白鷺ヒナノさんを抱き抱えて立ち上がった。いわゆる「お姫様抱っこ」という体勢だね。
お姫様抱っこの体勢で抱えた白鷺ヒナノさんの、痛ましく挫いた足を庇って、大劇場の通路を進むマリナちゃんの足の運びは、ゆったりとしていて静かで、それでいて堂々とした歩みだった。
まるで、本物の王子様みたいだよ。
その光景に見惚れていた私がふと気がつくと、マリナちゃんではない白い影が通路の階段を静かに下りて、私の潜んでいた客席に歩み寄ってきた。
「他の歌劇団メンバーと観客の方々の安全が確保出来ましたので、加勢に馳せ参じたのですが、どうやら勝敗は決したようですね…」
「英里奈ちゃん…」
腰まで伸びる癖の無い茶色のストレートヘアーに、気品はあるが内気で自信の無さそうな幼い美貌。
私とマリナちゃんの親友でもある、特命遊撃士の生駒英里奈少佐だ。
「舞台を血だまりに変えている醜い肉塊が、通報にあった吸血チュパカブラの成れの果てですね。特命機動隊が到着して処理を終えるまで、あの肉塊は私が監視致します。千里さんは、マリナさんに付いていてあげて下さいね。」
「分かったよ!英里奈ちゃん、気をつけてね!」
レーザーランスを携えた英里奈ちゃんは舞台へ、レーザーライフルを構えた私はマリナちゃんを追ってエントランスへと、それぞれ歩みを進めるのだった。
本作戦中に別行動をとっていた英里奈ちゃんの動向は、「外伝編Part4『御嬢様遊撃士・生駒英里奈少佐 大浜大劇場を駆ける』」に詳しく記されています。




