表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海のキャンバス  作者: 魔桜
27/28

閑話休題


 生徒指導室のソファーに向かい合って座る二人。

 一方は、先日かけた、ゆるふわカールでご満悦な狩野。もう一方は、長い脚がガラスの机に当たり、窮屈そうにしている宮崎。

 明日から夏休みというだけあって、今日はほとんどの部活動は休み。といっても、夏休みから始まる合宿や猛練習に向けての小休止といったところだが。

 宮崎は狩野に呼び出された。

 どんな意図で呼び出したのか、彼方が言い出すまで、睨みで無言のプレッシャーをかけ続けていたが、暖簾に腕押しだ。

 この女、前々から、思考が読めない。策を巡らしているのか、それとも何も思考していないただの馬鹿なのか。僕としては、こういうタイプが一番苦手だ。

 このまま均衡状態を保つのも飽きたし、会話の主導権を握るためにも、こちらから話しかけるのが賢明か。

「狩野先生、何の御用ですか? 僕はこう見ても多忙な身なんですよ。できるなら要点だけでお願いします」

「そうなの? もう、私だって忙しいのよ。なんだか部活の顧問に新しく抜擢されちゃったのよぉ。教頭先生に、あなただけには任せたくないけど、他に手の空いている人がいるから仕方ないって言われちゃったのよ。これで、また忙しくなるわね」

 間延びする語尾が、一々鼻につく。挑発のつもりか。

 頭の固い教頭先生が、頭を悩ますだけはある。そして片桐くんが、この女を嫌悪するだけはある。

「それは、それは。狩野先生ずいぶん忙しそうですね。そんなにお忙しいのなら、こんな所で油を売っている暇はないでしょう? もういいですから、単刀直入に用件を仰ってくださいませんか?」

 狩野を厳重に警戒していたが、こいつには軽口を叩いても脅威は皆無のようだ。頭の軽い女を操作するのは容易いが、利用価値のない女の為に、これ以上無駄な時間を浪費したくない。僕は自らの想いを通すための下積みを強固にする為に、各所に様々な根回しをする時間が必要だ。

「うーん、大したことじゃないんだけどね。――宮崎くん、犯人は………………あなたよ!!」

 してやったり、とした顔で人差し指を突きつける狩野。

 痛々しい空気が流れ、無限にも思える時間、宮崎の身体は硬直する。

 実際は数秒間だが、宮崎は、途方もなく疲労した声音で、

「……帰っても?」

「ふふん、駄目よ。私と同じ舞台に立ったからには、貴方も役者。緞帳が下りるその時まで、途中退場は許さない」

 他人の神経を掻き毟ることに関しては、天才だということは耳にしていた。だが、これ程のものとは、流石に想定外だとしか言いようがない。

 とりあえず、その妙なノリを辞めろと頭に叩き込みたい。

 だが、先ほどの狩野の挙動で、宮崎は安堵していいと確信した。

 これほどまでに低能だと、御し易い。

 宮崎はこの部屋に入って、初めて肩の力を抜く。

 狩野という存在は、自分に何の害もない。

「――あなた、有沢さんを使って、海野さんを襲わせた犯人でしょ?」

 宮崎が油断した瞬間を見切った攻撃に、虚を突かれる。

 こいつ、まさか今までの全てが演技か?

「どういう意味ですか?」

 くそっ、そんな有り体な詰問しかできないぐらいに、僕はいま動揺してしまっているのか。弱みを晒していることを悟られるな。隙を見せたら、一気にこの場を掌握される。ひっくり返された状況を、再び自分のものにすることは容易ではない。

「そのままの意味よ。有沢さんの家の財力を散々利用しあの不良達を雇わせ、海野さんを襲わせたのは、あなたでしょ?」

 いくらでも付け入れる雰囲気だったが一転。

 この僕がいつの間にか気圧されている。

 どうも信じがたい事態だ。

 組んでいた足を組み直す。

「面白い冗談ですね」

「そう? 冗談ついでに教えてあげましょうか? 有沢さんはね、カードを盗んで親の金にも手を出していたのよ。そのことを、貴方は知っていたの? この件が明るみになってから、あの子がどれだけ酷い扱いを受けたか分かる? あの子は健気にあなたを庇って、宮崎くんの名前は一切、口を割らなかったのよ」

「……ふん。それが勘当された本家に、土下座してまで得た情報ですか。流石は狩野家ですね。有沢家とは格が違う」

 どうやら演技は通用しないらしい。

 俺も大概だが、この女も大した役者だ。素の俺を引き出す為に、ここまで計算していたか。

 狩野家は、有数の財閥の一つ。

 本来なら、教師などという職業に就くことなどありえない。なるとしたら、実家と縁を切るより手段はない。まあ、そのことはひた隠しにされ、情報を知っているのは上流階級の一部だけらしい。全ては有沢を抱き込んで得た情報だけどな。

 宮崎の口の端が歪んだのを見ると、狩野は眉を顰める。

「……その不遜で落ち着いた態度……分かっていたのね、有沢さんがこうなってしまうことも。何故そんな平気な顔ができているかは訊きません。ただ、今、完全に、貴方は――私を敵に回したわ」

 有沢恭子は、格式の高い家に生まれ、何不自由ない生活をしていたが、心は満たされなかった。

 家に帰っても話し相手は、ハウスキーパーしかいない。豪邸の分厚い壁は、家族の心の壁に比例していた。

 相手にされなかったら、悪いことをすればいい。そうすれば、親から構ってもらえるよ。

 そう持ちかけたら、ほいほい追従してきた。もっとも、僕の言葉を耳にいれるまでに、相当の時間を費やした。だが、心に闇を抱えた人間を操るのなんて簡単だ。どうにかして、そいつの心の穴を埋めてやればいい。適当に優しい言葉をかけてやれば、勝手にあっちが都合のいい解釈をする。

 そんな駒を使い捨てして何が悪い。むしろ、感謝して欲しいな。あんな馬鹿と同じ空気を吸うだけで吐き気がしていたんだ。少しぐらいは恋愛ごっこに付き合ってやったし、この僕があの女の価値を見出してやらなければ、あいつはただのクズ同然だったんだから。

 まさに、馬鹿とはさみは使いようってね。

 有沢に比べれば、工藤夏樹はまだ利口だ。

 僕の本性をいち早く見抜いただけでなく、自ら僕の傀儡となることを選んだんだから。僕の崇高で純粋なる目的を把握すると、どんな命令でも従った。

 大きな課題は、片桐くんが、工藤に惹かれてしまっているということ。

 だから、好きでもなんでもない、盤上の駒の一つでしかない工藤とも付き合っているフリをした。そうすれば、自然と片桐くんの目も逸らされる。それからゆっくりと時間をかけて僕と、片桐くんとの垣根を無くそうと様々な計画を立てていた。

 その周到さが仇となった。

 思い人という防波堤を壊した結果、海野香織というイレギュラー分子の介入を許してしまった。

 片桐くんは重度のお人好しだから、あんな女狐に唆される。孤独な状況を最大限に利用して、片桐の同情を誘う。憐憫を恋心と錯覚してしまった、片桐くんの目を覚まさせられるのは僕だけだ。あんな尻軽な女に、片桐くんを渡すわけにはいかない。

 僕の障壁となる人間は、海野だろうが、狩野だろうが、まとめて視界から消したい。

「挑発はその程度に抑えておいた方がいいですよ。狩野先生、あなたも片桐くんと離れたくないでしょう?」

 工藤夏樹に危険性はないだろうから、放っておくが、この女は危険だ。僕の片桐くんの周囲をウロチョロするだけでは飽き足らず、僕のことも探っている。僕に油断を抱かせたり、苛立たせたりすることによって、情報を引き出そうとしている。

 ……こいつ、消しておくか。

 狩野本家の後ろ盾を持っているとはいえ、こいつ自身はただの教職員。二度と同じ手で、狩野家の権力を行使できる筈がない。切り札は何度も使えないから、切り札というんだ。今のこいつに僕は脅威を感じない。

「あなたには、私を止めることなんてできないわよ。だって、あなただって有沢さんという巨大なバックがなくなったんだから。でも、この私にはまだ武器が残っている。あなたに勝ち目なんてあるのかしら?」

 僕の胸中を見透かしたような、狩野のその態度。

 ただのブラフか、それとも嘘か。言葉が真実かは定かではないが、どうやら最も恐れるべきは、こいつ――狩野沙耶か。

 どちらにしても、相手の手札が見えない以上、今は手を下さない方が得策だ。ブタと思い踏み込んで、フルハウスだとしたらそれこそ取り返しのつかない結末を迎えてしまうかも知れない。それに、有沢という便利な駒を損失したものまた事実。こいつを潰すには、もう少し策を練らなければならない。

 だが、こいつが性懲りもなく、片桐の傍に居座り続けるなら、いずれ必ず僕の手で――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ