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海のキャンバス  作者: 魔桜
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自己把握


 この世にはできることと、できないことの二つがある。

 努力や根性なんて言葉で万事解決できる程、現実は俺たちに幻想を抱かしてはくれない。

 俺は海野を未だに探している。

 もしも、これがドラマだったら苦労の末に、劇的な邂逅を果たすことだろう。そして、観ている人間は感動の涙。スタンディングオベーションで、鳴り止まない拍手に包まれる。

 だけど、現実なんてこんなものだ。

 なにせ、俺はあいつが今どこにいるかも知らずに、その場のテンションで学外へと走り出した。

 冷静に考えれば、立ち往生してしまうことはわかりきっていた。

 だけど、なんか、あのテンションで狩野に送られたら、高揚するに決まってるだろ! 馬鹿になっちまうだろっ! くそっ、こんな事態に陥るのなら、誰かに止めて欲しかった。

 海野が常日頃デッサンしている海に、必ず海野がいると高を括っていたが、誰もいなかった。とんだ誤算だ。

 それに、あれだけ莫迦みたいにはしゃいでいたことを思い出すと、恥ずかしすぎる。

 今の俺は誰にも止められねぇええええ。全て……振り切るぜ! とか走っている途中で叫ばなければよかった……。完全にトラウマ決定だ。

 あてもなく、ゾンビのようにぶらぶら街中を歩いていると意外な人物に出逢う。

「片桐くんじゃないか。君はこんな所で何をしているんだい?」

「……なんだ、宮崎か。お前こそ何してるんだよ」

 一目見れば華奢な優男だが、よく目を凝らせば、所々筋肉隆々。それから通りがかった女子高生が振り返るぐらいの美男子だ。

 宮崎はいつも通りの微笑を携えていた。

「なんだとはご挨拶だね。僕かい? 僕はただ、ウィンドウショッピングに興じているだけさ。この暑さじゃ、夏服もそろそろ買わないといけないしね」

 芝居がかった口調もいつも通り。

 ただ、宮崎の隣には工藤がいない。勿論海野もいない。

「それで、片桐くんは何をしているんだい?」

「ああ、俺は海野を――」

「なんだ、また海野香織か……」

 宮崎の顔から表情が抜け落ちる。

 しくじった。宮崎の前で海野の話は禁句だった。

 だが、どうしても下衆な好奇心は覆い隠せない。海野が宮崎に告白したかどうか、そんな野次馬根性丸出しの勘ぐり。

 海野に会ったら直接訊こうと思っていたが、この際、宮崎に訊いてみてもいい。

「なぁ、宮崎、海野からなんか言われたか?」

 緊張を悟られないように、視線を逸らす。日没までもう数分程。闇と一緒くたに混ざり合い、消えそうな自分の影を見下ろす。

「……海野香織から? 何もないよ。そもそも彼女と関わったことすらないからね」

 驚いた片桐は頭を跳ね上げる。

「ああ? この前の放課後に海野のクラスで楽しそうに話してただろ?」

「……ふ、見られていたのか。あんなのいつも通り、相手の調子に合わせていただけだよ。あっちが熱心に片桐くんについて訊いてきたからね。こっちとしても拒絶するだけの材料を持ち合わせていなかったし、周囲の目もあったからね」

「海野が俺のことを? それだけか?」

 そうか、あいつと宮崎は元々接点がない。宮崎と何を話していたのか甚だ疑問だったが、俺の話をしていたのか。あいつがあんなに楽しそうにしていたってことは、どうせ俺の悪口の話題で盛り上がっていたんだろう。

 それよりも、海野が宮崎に自分の胸中をカミングアウトしたのかが気になる。

「ああ。特別なことはなにも。……そうだな、海野香織に告白されたことぐらいかな。意外だったけど、もちろん断ったよ」

 心底どうでも良いことを話すような、宮崎のおざなりな口調に、片桐は狼狽した。

「なっ、なんでだよ、お前、」

 海野のこと好きなんじゃないのかよ。

 あれだけ俺と海野のことを遠ざけようとしたのはそういうことじゃないのかよ。

 宮崎は憂い顔で、俺の目を真正面から見える。

「……なんで、だって? そんなの決まってるだろ。昔から僕が好きな奴は変わっていない。その想いが決して叶わなかったとしてもだ。……それに、お互い好きでもなんでもないのに、付き合えるわけないだろ?」

 宮崎の誇らしげな笑みは、なぜか達成感に満ちているようだ。

 どうしてだよ。

 意味分かんねぇよ。

 どいつもこいつも何が言いたいのかさっぱりだ。

 結局、宮崎は工藤が好きだってことか。

 そして、海野は宮崎のことが好きじゃない? 何言ってんだ。

 あいつは、お前のことが好きで好きでしょうがなくて、お前の絵をあんなに描いてたんだぞ。どうしてそれに気づいてやれないんだ。どうしてお前は、あいつのことを理解しようとしないんだ。どうして外枠だけで、中身を見ようとしないんだ。

 お前は、あいつのことを知らないかも知れないけれど、凄いやつなんだよ。

 確かにお前みたいに人付き合いを卒なくこなせるほど、器用でもない。工藤のように明朗に陽気に分け隔てなく、言葉を選べるほど、人間できてない。

 だけどな、俺が知らないどころで……海野、お前告白できたんだな。

 俺は結局工藤に告白できなかった。

 なのに、海野は勇気を振り絞って言えたんだ。

 それは簡単なことじゃなかったはずだ。

 あいつにとっては、とんでもないことだったんだ。

 それだけっ、それだけっ、あいつはすげぇことをやってのけんだよおっ!!

「噂をすれば、だな」

 宮崎の言葉と視線を追うと、海野香織が歩いていた。しかも一人ではなく、複数で。あまりにタイムリーなタイミングに驚くが、もっと驚いたのは連れだって歩いている面子だ。

 既視感。

 宮崎とラーメンを食べに行ったあの裏通りで見た奴らと同じ。あの時と唯一違うのは、有沢と海野が入れ替わっているってことぐらいか。

「これで分かったろ? 片桐くん」

「……なんのことだよ?」

「海野香織は、有沢恭子を隠れ蓑にして、自分は裏で好き勝手にやっているんだ。あいつは、君には似合わないよ。もう、君はあいつに一切関わるな。これは片桐くん。君の為を思って言ってるんだ。まだ間に合う。僕と工藤。僕らと一緒に、また平和な日常に戻ろう」

 ――もういい! 二度と私の前に現れないで!

「どいつもこいつも、うるせぇんだよ!!!!!」

 俺には、海野と有沢の間に大きな軋轢が生じていたように見えた。もしも、それがそのまま真実だとしたら、海野とあの不良達が一緒にいるのなんてありえない。だから、宮崎の言うとおり俺はずっと、海野に騙されていたってことになる。

 海野に報復するつもりはない。というか憤りを通り越した。心のリミッターは完全に振り切っちまった。もう、あいつのことなんてどうでもいいぜ。

 だけど……だから……。

「どこへ行くつもりだい、片桐くん? そっちは海野香織達が歩いて行った方向だよ。おいおい、まさか、あいつの所に行く気かい? 一体海野香織に何を吹き込まれたのかは、君の口から聞きたくもないが、いい加減目を覚ましてくないか? 片桐くんにとって、海野香織は百害あって一利なしだよ。そんなのは、君だってわかってるだろ。いったい何を、意固地になっているんだ。君らしくないよ」

 宮崎はいつもの柔和な笑顔を、完全にしていない。

 俺らしいってなんだ。斜に構えて、事態を傍観することが俺らしいってことなのか。線引きをして、冷静に大人ぶった思考できていることが、俺らしいってことなのか。

 確かに、今まではそうしてきた。

 少しでも自分と合わないと思ったら即時自分の中から排除して、遠ざけていた。周囲の人間が、俺を避けていたと思い込んでいた。

 だけど、なんてことない。

 ――俺が周りの人間を淘汰していたんだ。

 そして、海野のことも、一瞬どうでもいいって思ってしまった。

 俺は海野の為を思って、色々尽くしてきたつもりだった。それが海野の為になると思って。

 けれど、結局それは自分自身の為だったんだ。あいつの為なんて偽善的なことは、塵芥も存在しなかった。自分の居心地のいい場所を確保するために、そして、空虚な心を満たすため。

 俺は、少しでも自分の期待を裏切られたと思ったら、人間関係なんてどうでもいいって、切り捨てていたのかも知れない。

 ああ、海野も俺のことなんて、どうでもいいんだって思った。だから俺も、あいつのことなんて、どうでもいいんじゃないかって遮断しようとした。

 けれど、それはただの損得勘定の関係なんだ。将来、大人になって、契約を結んだ相手との商売をする時に考えることと一緒なんだ。

 一度や二度、他人が、自分の理想と違ったことするなんて当たり前なんだ。あいつは、ロボットじゃない。血肉を、感情を持ち合わせた人間なんだ。

 だからこそ、俺はあいつを信じることができる。……ちょっとドジで、プライドが高いあいつのことを。

 本当のことは、海野香織自身に問いかけないと解らない。それを実行するまで、俺は逃げ出しちゃいけない。……ああ、もういいやって投げ出しちゃいけない。

 遠ざけたいってことを逆から言えば、いつの間にか俺の中で、あいつはそれだけ大きな存在になっていたってことなんだ。

 自分の理想を押し付けて、それが駄目なら駄々を捏ねる。

 そんなの格好悪いだけだろ。何度裏切られても、自分の理想を追い求める。そして、死ぬ気で格好つける。どれだけ失敗してもナルシストであり続ける。

 それが俺だ。

 それが俺らしいってことなんだ。

 だから、俺は……。

「行かなきゃいけないんだ」

 宮崎は信じられないものを見ているかのような目で、瞳孔を大きくしながら目を見張る。

 ははは、そうだよな。信じられないよね。

 無理もねぇ。

 俺だって自分が何をいってんのか分からねぇ。

「片桐くん、君は僕と海野香織のどっちが大切なんだ? どっちがより信頼に値する存在なんだ? 親友である僕か、それとも、きみを誑かす、女狐の海野香織か」

「……どっちが大切だとか、そういう問題じゃないだろ」

 クラスで腫れもの扱いされて、根も葉もない噂をされ、不良のレッテルを張られていた俺を、お前らは手を差し伸ばしてくれた。

 お前や工藤がいてくれたから、俺は今まで生きてこれたといっても過言じゃない。

 本当はずっと傷ついていたんだ。

 俺のことをよく知りもせずに、誹謗中傷をし続ける他人を心の中で罵倒して、気にしていない振りをし続けてきた。けれど、本当は、生きていくのですら辟易していたんだ。

 宮崎、工藤、狩野、姉貴、そして、海野。お前らは普通に俺と接してくれた。そんなお前らに、俺はずっと救われていたんだ。

 俺は一人で生きているって、生きていけるって思い込んでいたけど、それは違う。

 俺が傷ついた時に、俺の姉は黙ってシチューを作ってくれた。

 俺に激高されても、嫌な顔一つせずに、工藤は俺の悩みを聞いてくれた。

 俺が迷走しても、狩野は強制的に俺を捕獲して、進むべき道を指し示してくれた。

 なぁ、宮崎お前だって、今俺の為を思って、こんなことしてんだろ?

 莫迦だな、お前ら。俺にそこまでする価値なんてないだろ。なんでそこまでしてくれるか解らねぇ。 それに、海野。

 俺は不謹慎だけど、お前と喧嘩したのが少し嬉しかったんだ。あれが俺にとって人生初めての喧嘩だった。誰かを一方的に痛めつけることはあったけど、対等な立場で気持ちをぶつけ合ったことはなかった。

 お前は、真剣に俺と向き合ってくれてたんだよな。

「俺、やっぱり行くわ。ここで行かないと、俺はもっとだめになる。俺を信じてくれている人達の期待を裏切りたくねぇんだ」

 あいつがもしも、宮崎や有沢の言うとおりに人間だったなら、その時はぶん殴るかも知れねぇ。そして、お互いの短所をみっともなく罵り合って、その後仲直りすればいい。

 きっと、そんなことができるって、俺はその時信じきっていた。


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