初恋の人 vol.2
施錠している靴箱を開ける為にポケットを弄り、鍵を探す。
鍵付きの靴箱から、教室を歩くのに使用するスリッパを靴箱に入れる。代わりに、学校指定の革靴を取り出す。春は特に気にしなかったが、夏になると革靴が蒸し器のようになり、足がむず痒くなる。
他の学生は体育で使用する運動靴以外にも、部活で使用する専門の靴なども入れ、ギュウギュウ詰めだが、片桐の靴箱はけっこう余裕のスペース。
俺以外の人間は何かを頑張っている。部活やら、勉強やらなにかしらしら。そして、将来いつか叶えたい夢を持っている。
それがきっと、みんなの当り前。
そんなものくだらねぇ、と必死に自分に暗示をかけているが、本当は羨ましい。
何かに情熱を傾けられるほど、執着心なんてない。どんな夢を持てばいいのか、見当もつかない。俺はこのまま、独りで燻っていることしかできない。
「ほんと、かっこわりぃな――俺」
「そんなことないって! いつだって片桐は格好いいよ!」
ぽん、と肩を叩かれ、誰かと振り返れば、俺が首っ丈で、羨望を抱いている工藤だった。いつもは飛び上がる程嬉しい言葉と、人物な筈なのに、なぜだか今はそんな気分になれない。
工藤は、屈託のない笑顔を俺に振り撒く。
全身からは幸せオーラが出ている。そんなキラキラ粒子に目がチカチカしながら、いつも通りの自分を胸中で思い描く。演技スタートだ。
「よう! 工藤。これから部活か? バレー部の次期エースは大変だな!」
ばっか、気が早いよ。まだまだ先輩達には及ばないよ。まっ、男子の先輩だけで、女子の先輩はとっくに追い越しちゃったけどね。とかなんとか軽口を叩くかと思いきや、工藤は能面。
気遣わしげに、俺の顔色を窺う。
「……どした、片桐。なんかあった?」
両手でがっしり肩を掴まれる。絶対に逃がさないと、工藤の目が語っている。
うぜえんだよ、そういう暑苦しいの。やめろよ、恥ずかしいだろ。いいから、俺の演技にのっとけよ。たったそれだけのことで、いつもの俺らに戻れるんだから。
「なんでもねぇよ、なっ、それより――」
「何もないことないでしょ? どうしたの?」
「なんでもねぇって」
「いいから、何があったの? 私にも話せないことなの」
「何でもないって言ってんだろ!」
工藤の手を払いのけ、そのままの勢いで自分の靴箱を叩く。ステンレス製の靴箱がへこむほどの威力。トンネルで反響したようなその破壊音に、周りの奴らの談笑はミュートになる。
工藤だけには心配されないように、嫌われないようにしているのに、どうしてこんなことをしちまったんだ。
格好つけたい筈なのに、いつも自分の弱い部分を工藤に曝してしまう。
誰かの傷には敏感で、放っておけない、そんな工藤のいい所は、かえって仇にしかならない。
「うん、そっか。片桐がそういうなら、きっと、そうなんだな」
ちょっと待っててね、と工藤は俺に星屑が出そうなくらい完璧なウインクをし、俺の大声からまだ正 気を取り戻しておらず固まっていたバレー部の先輩らしき女子三人組に向かっていく。
そして、リーダー格っぽい人に、すいませーん、今日は部活お休みしていいですか。えっ、工藤さんが珍しいわね。いやー、今日朝ご飯食べ過ぎて気分悪いんで早退します。あ、朝ご飯って何食べたの? 天丼とカツ丼と釜飯丼です。えっ、釜飯って丼なの? ……まっ、いいわ。いつも工藤さんは必要以上に頑張っているものね、私が部長に話しとくわ。必要以上ってどういうことですか、先輩! じゃあ、失礼しまーす。と、一気に捲し立てるように話し終えると、ぽんと、俺の肩を叩く。
こんどは俺を捕獲する為じゃなく、一緒に歩き出そうという合図で。
「よし、今日は部活サボる! 片桐ちょっと付き合ってよ!」
俺の返答も聞かずにすたすたと先に歩き出す。後ろからバレー部の人が、こらっ! サボるな! といったが、工藤はすいませーん、今度はバレないようにしまーす。となにやら和気藹藹。工藤の人徳のなせるわざだろう。
そして、周囲は俄かにざわめきを取り戻していく。俺が壊した雰囲気を、事も無げに工藤は修復させる。
いつだって工藤は周りを巻き込んで、そしてみんなを笑顔にする。そんな工藤に、俺はなりたいのかも知れない。台風の目になりたいのかもしれない。
どうして工藤さんはこんな野蛮そうな人と一緒にいるのかしら? とでも言いたげな先輩を華麗にスルーするでもなく、睨んで怯ませている俺には、一生工藤にはなりえないだろうけどな。




