第31話「けれど、真っ当であることを愚かとは思わないで欲しい」
「――まさか、こんな大雨になるとはね」
足跡が残りにくい石だらけの川辺に出た頃だ。曇天が雨に変わったのは。
それまで乗っていた馬型のゴーレムは偽装工作のために街へ向かうルートへ走らせたが、こちらもこちらで徒歩の行進は厳しいと判断して、洞窟の中に入った。
「……はい。びしょびしょですね、お互い。傘、持ってくるんでした」
「ふふっ、急な旅路だったんでしょ? 仕方ないよ」
「そうですね、本当に急な出立になってしまって……」
暗殺者から逃れるため、遠方の祖父を頼りここまで来たのだ。
穏やかな旅路であるはずもない。
少しでもこの娘を安心させてあげたいが、いったいどうすればいいのか。
そんなことを思いながら、洞窟の中で火を起こす。暖を取るのが最優先だ。
「しかし、こんな雨になるなら、爆弾突っ切って街に戻るべきだったかな」
「……戻れたんですか? 雨さえ降っていたら」
「うん。燃え広がりさえしなければ爆発自体は防げるからさ」
と言っても、こうして都市に向かうルートを避けた時点であの暗殺者は撒けたと考えて良いだろう。仮に撒けていなくても、洞窟の付近には既に魔術式と門番のゴーレムを仕掛けてある。エド爺の屋敷よりは有利に戦える。
雨が降るまでの時間を、あの場所で待っていたらこの有利は取れなかった。
そう考えれば決して間違った判断ではない。
まだ致命的なミスは犯していない。……ドンと構えろ、フランク。
「あの、お姉さん。先ほどは、ありがとうございました。
――私を止めてくれて」
アマンダの滲んだ瞳に、祖父を亡くした悲しみが見える。
「……本当なら、止めたくなかった」
「え?」
「倒れているエド爺……お祖父さんを見て駆け寄りたいのは人の性だ。
普通なら、当たり前にそうするはずなんだ」
燃え盛り始めた炎に手のひらをかざす。
その熱が冷えた身体を温めてくれる。
「……けれど、私にはそれができなかった。
昔の感覚が染みついててね、不用意に遺体に近づくと同じ方法で殺される」
「でも、あの男は、おじいちゃんに仕掛けていたんですよね、爆弾を」
アマンダちゃんの言葉に頷く。
そうだ、人の性に従って爺さんの遺体に近づいたら死んでいた。
分かっている。そんなことは、分かっているのだけれど。
「……うん。人情に付け入るような外道は許せない。
それは前提なんだけど、外道に対応できる私も人の道を外れてるなって。
だから、君が眩しく見えた」
俺の身体と同い年か少し下。10代前半か下手したら1桁の歳だ。
そんな幼さで、あんな血生臭い現場に巻き込まれ、命を狙われ。
同い年の俺が同じ立場だったら、たぶんここまで辿り着いていないだろう。
「無垢さが眩しく見える、なんていうのは大人の戯言だ。
その歳で命を狙われる君には、私が持つような知識が必要になると思う。
けれど、真っ当であることを愚かとは思わないで欲しい」
――たとえ、その真っ当さが利用されたとしても。
そうではいられないように追い込まれたとしても。
実際にそう振る舞わなくてもいい。
ただ、真っ当な君自身を捨て去り切らないで欲しいんだ。
「……フランシス、さん」
「ごめん、話しすぎちゃったね。初対面なのに」
炎が冷たい洞窟の中に温度を与える。
これを待っていたんだ。
ここまで温まれば、濡れ切った外套を脱いでも寒くない。
「痛っ、肩に焦げ付いてるか……」
あの左肩を掠めた一撃は、外套を溶かしその下の皮膚まで焼いた。
おかげで外套1枚脱ぐだけで苦労した。
強引に剥がす羽目になったからな。
「酷い怪我を……私のために」
「ふふっ、子供を守って負った傷は勲章みたいなものさ」
「――あの、ぼく、いえ、私なら治せます」
治せるか、なるほどな。
これでこの娘が”魔力欠乏”という言葉を知っていたのも頷ける。
では、あの用意周到な仕掛けはこの娘が魔術師と知って、だろうか。
「治癒魔法の使い手なんだ?」
「驚かないんですね、お姉さんは」
「”魔力欠乏”なんて単語、こっちの畑じゃないと知らないからさ」
俺の隣にまで来てくれたアマンダに肩を預ける。
彼女の瞳は静かに俺の傷口を観察して――
「私もまだまだだなぁ。これでも治癒魔法のこと隠してたつもりなのに」
「治癒が使えるとまでは思ってなかったけど、どうして隠してるの?」
彼女の両手が、俺の肩にかざされ、魔術式が走る。
……ああ、今の俺なら、これもできるだろうか。完全な模倣を。
「母さんが隠しておけって。治癒魔法は生き方を縛られると」
「……かなり稀有な才能だもんね。
魔法使いの中でも人体を扱うのには才能が要る」
しかし、自分の子供が治癒魔法使いだと知って舞い上がらずに、隠せと言えるのはある意味で凄まじい親だな。銀のかまどに来ていた1級の魔法使いユウくんの母親とは真逆だ。
……なんだろう、仄暗いものを感じる。
推測に過ぎないけれど、この娘の母親はロクでもない生き方をした魔術師を知っているんじゃないかと考えてしまう。
「とりあえず治ればいいよ、魔力だって限界があるだろ?」
「いえ、お姉さんの綺麗な肩に痕を遺すわけには」
「あはは、嬉しいこと言ってくれるね――」




