第21話「それに、娘と張り合えるのも、今が最後かもしれない」
「――おかみさんに怒られませんか? こんな店に来てしまって」
ちょうど数日前から使い始めた新衣装。
ワインのように深い紅のドレス姿で、微笑みかける。
少し長引いたものの無事に退院できるとは聞いていた。
しかし、まさかその日の夜にこんなところに来るなんて。
「ふふっ、うちのは大丈夫さ。相手が君であることは伝えているからね。
黙って来ていたら、タダでは済まないけど」
冗談めかして笑ってみせる親父さん。
彼が注文してくれたスパークリングワインを口にする。
以前にルシールちゃんが頼んだブランデーよりも高い銘柄だ。
フィオナが好んで飲む酒でもある。
「よかったんです? 娘さんより高いボトル入れてもらって」
「君のおかげで稼がせてもらっているからね、これでも安いくらいさ。
それに、娘と張り合えるのも、今が最後かもしれない」
つい先ほど、俺が注いだスパークリングワインを口に運ぶ親父さん。
これは旧知の冒険者もそうなのだが、俺の正体を知っている相手が俺の接待にドキマギする瞬間が好きだ。親父さんもそうすることができた。
フィオナに教えてもらった化粧も、この店での振る舞いもモノにできている。
「そんな。親父さんはまだまだ現役じゃないですか。
入院中にも考えていたんでしょう? 新メニューを」
「まぁ、それが僕の趣味でもあるからさ。店の料理を増やしたのも僕からだ」
先代の時代は、純粋な酒場だったということだろうか。
別に料理のメニューが豊富でなくても、冒険者ギルドの下請けであれば安定的な経営はできるものな。
「けど、娘が君と始めた――ゴーレムイーツだったね。
ああいう新規開拓には及ばないよ。軌道に乗りつつあるんだろう?」
「3体の運用なら問題なく。日中だけですけどかなり売れてますね」
こちらの言葉に頷く親父さん。
「君のことだ、数は増やすつもりなんだよね?」
「突発的な事象に対応するための安全装置が用意できれば。
3体までなら軽く感覚をリンクさせていればいけるんですが、それ以上は」
完全なフリーハンドで、ルシールやおかみさんのような監督役のいない環境に放り出すのは、あまりにもリスキーだ。3体までなら感覚を繋いでいられるが、これ以上増やすのは現実的ではない。
無理すれば5体くらいまでは増やせそうだが、俺は俺のことをそこまで信用していない。無理した俺を前提とした運用では話にならない。
「なるほど、もう少しかかるか。でも現状でも既にかなりの売上のはずだ」
「ええ。本当に良かったんですか? 売上を全て回してもらって」
「原価と人件費は少し貰ってるからね。
それに自由にできる現金を握ることが、今のルシールには必要だと思っている」
……ふむ、自由にできる現金か。
「冒険者として成功していた君なら分かると思うけど、大金は思考を変える。
娘が、ただ浪費するような性格だったのなら手綱を握るつもりだったが」
「どうにもその必要はなさそうですものね。
金を作ったら、稼ぐことに入れ直すタイプの人間に見えます」
大金が思考を変える、というのは感覚として分かる。
自分ひとりで生きていけるのだという感覚が自信になり、自信は自由を生む。
と言っても俺は冒険者から自由になるための道筋を見つけられるほどではなかったが。真の意味で自由になるにはレオ兄のようなしたたかさが必要だった。
「君もそう思うか。ルシールなら大丈夫だと思ってしまうのは、親の贔屓じゃないかと不安だったんだけど……」
「大丈夫ですよ、きっと。それに多少は金を使って遊ぶのも経験でしょう?」
こちらの言葉にフッと笑ってみせる親父さん。
「先代に言われたな、お前はもう少し遊んだ方が良いって」
「ルシールのお祖父ちゃん、なんですよね?」
「うん、僕にとっては義父になる。婿養子でね」
やはりそうだったのか。なんとなくそうだと思っていて、レオ兄がそう聞いたと言っていたから間違はないと考えていたが。
「元々は冒険者だった、と聞いたんですけど、本当なんですか?」
「……誰から聞いた?なんて聞いても無駄かな。知ってる人は知ってる話だ」
「レオ兄、って言って分かります?」
こちらの言葉に頷く親父さん。
「君のパーティに居た子だろう? 今はここの店長」
「さすがは業界人」
「彼から聞いたってことは、詳しくは知らないかな?」
親父さんの確認に頷く。
元冒険者だったという情報だけで詳細は何も知らない。
「彼や君からしてみれば、僕なんて元冒険者と名乗るのもおこがましいよ。
僕があのダンジョンに潜ったのは、ただの1度切りだからね」
――ッ、なるほど、そういうことか。
最初の1回だけで冒険者を辞めた。その事実だけで察しがついてしまう。
「さすがだ。分かるよね、あの業界に長いと」
「ええ、最近は減ってきましたが、初めの1回が最も危険ですからね」
「……うん、僕が生き残ったのは幸運でしかなかった。4人いて2人死んだ」
ルシールちゃんを手伝って、それに打ち込んでいるうちに忘れていた。
この開拓都市が、容易く人の死ぬ環境であることを。
それでも、オスカーのパーティに死人が出たのが1年2か月ぶりなのだ。
かなり良くなった方だと思う。俺が始めたばかりの頃はもっと。
「地元からここに出てきて、その時に頼ったのが”銀のかまど”だった。
僕の実父が先代と少し縁があってね。
冒険者になるまでの短い期間、お世話になるだけの予定だったのに」
冒険者が実際に金を稼ぐようになる前、開拓都市のどこで生活するか?は結構な難関だ。俺は地元である程度稼いでいたが、それも魔術師だからこそではある。
「そのまま、銀のかまどの料理人に?」
「ああ。元々料理は少しできる方で、妻がそれを気に入ってくれてね。
……ほんと、縁に救われたよ。
冒険者にはなれなかったけれど、何人もの冒険者を見てきた」
スパークリングワインの中で弾ける炭酸を静かに見つめる親父さん。
彼の何気ない仕草に、その人生の重みを感じる。
「……どこかの鉱脈の話だけど、実際に土を掘って宝石を探す鉱夫よりスコップを売り捌く人間の方が儲かるって話を聞いたことあるかな?」
「ざっくりとは。詳しいことは知りませんが」
ダイヤモンドか金か、どこかの鉱脈の現状を例えた話だったと思う。
実際に腕を動かす人間より、腕を動かす多数に向けた商売をする方が稼げる。
そんな実情を寓話化したものだ。
「僕はたぶん、そのポジションになれてしまった。
冒険者として一獲千金を狙うよりも、冒険者に対して商売をする。
大きな当たりはないが、長期的に見れば並みの冒険者以上には」
別にスコップを売っている訳じゃないが、冒険者に酒と食事、そしてギルドからの情報を降ろしているのだ。彼がそう言うのはなんら間違いではない。長期的に見れば彼のポジションの方が稼げるというのも真だ。
「でもね、開拓都市に出てきた君なら分かると思うけど、普通はなれない。
スコップを売る方が儲かると知っていても、あの日の僕や君はそうはなれない」
「――初期費用を賄うことができないから」
こちらの相槌を聞いて親父さんは心底嬉しそうに微笑む。
「そうだ。元手がなければ”そっち側”には行けない。
縁に助けられて、今はそっち側にいるけど、僕の根幹はこっち側だ。
受け継いだ事業を続けることはできても、拡大させる意識を持てない」
……最初から金を持っている奴、恵まれた生まれを持つ人間は冒険者になんてならない。ディーデリック・ブラウエルという男が例外中の例外なだけだ。金のない奴、家業のない奴、行く当てのない奴らが行きつく先なのだ。
ここで商売をやる方が稼げると気付いたとしても、そもそも元手が一切ない。
冒険者として稼ぎ始めるまでの生活費で精いっぱいだった。
最初の俺もそうだし、きっと、あの日の親父さんも。
「けど、ルシールは違う。あの娘は僕が持ちえなかった才能を持っている。
そう育ってくれたと思ってるし、どこかでそう育ってしまったとも」
「……怒りますよ、娘さんが聞いたら」
最初から商売人の家に生まれたルシールならと言うことか。
おかみさんもどちらかというと商売に色気はないから、環境だけではなく天性の才能という側面もあるんだろうが。
「酔った勢いだ、忘れてくれ」
自分の唇に人差し指を立てて笑う親父さん。
まったく、悪い親父だな。
「ただ、僕は娘の才能を邪魔したくない。
僕には進めなかった高みへ進めると思っているから」
……俺が今までの人生で、他人から見たことのない温和な笑顔を浮かべている。
これが娘を愛する父親の表情なのか。垣間見る機会が殆どなかった。
「だから、娘さんと張り合えるのもこれが最後かもしれないと」
「うん。特に君のような特異な魔術師が傍らに居てくれるのならね」
親父さんが向けてくれる真っ直ぐな視線を、受け止めることしかできなかった。
「――改めて、娘を頼む」
息を呑むように頷く。こんな真剣に、真正面から願われてしまうとは。
「君の卓越した魔法が娘の力になってくれるだろうが、僕が君を信頼して娘を託せるのは、ずっと君を見てきたからだ。駆け出しの頃から今日の今日まで。僕がなれなかった冒険者をやり通して、追放されてもなお、しっかりと身を立てている」
……開拓都市に出てきたばかりの頃を思い出してしまう。
バッカスと組んで、晴れて冒険者になって銀のかまどを本拠地にした頃。
その少し後にレオ兄とも出会い、色んなことがあった。俺の人生だ。
「次の仕事を見つけられたのは、レオ兄のおかげで、俺は別に」
「いいや、それも君の人柄が引き寄せたものだ。少なくとも僕にはそう見える」




