第19話「……ひょっとして、惚れました? あの王子様に」
『ふふっ、そうだね。これで、もう少し君と近づけるわけか』
彼との昼食を終えてから1夜が過ぎた。
過ぎたというのに、俺はまだ彼の言葉を、彼の声を思い返してしまう。
成人したばかりの少年らしい笑顔を浮かべる紫色の瞳を。
彼の動きに合わせて揺れた柔らかそうな髪を。
「――フランクさん」
ディーデリック・ブラウエルのことを思い返し続けていた俺を、現実に引き戻す声がする。ルシールちゃんだ。今日も今日とて銀のかまどのゴーレムを準備しに来ていたのだ。
「ああ、ルシールちゃん……」
「どうしちゃったんです? 昨日から上の空で。上手く行ったんですよね?
王子様への接待は。レンブラントさんも褒めてくれてましたし」
ルシールちゃんの言葉に頷く。
接待なんて言うと、かしこまった響きだが、まぁ、あれは上手く行っていた。
レンブラントが礼を言いに来てくれたのも全てが世辞ではあるまい。
「……ひょっとして、惚れました? あの王子様に」
「はい?」
「いや、今のフランクさん、髑髏払いの儀式で生の王子を見た友達みたいで」
うわっ、随分と近い具体例が出てきたな。
確かにあの時のディーデリックを見れば一瞬でファンになってもおかしくない。
あんな凄まじい戦いをやって冒険者になった奴はここ5年に1人もいない。
しかし、今の俺がそれと同じだと……?
「いやいや、これでも俺の中身は男だからね?」
「ん~、でも、男でも見惚れる男なんですよね? ディーデリック殿下。
私もな~、儀式の最中にしっかり顔を拝んでおけばよかったな~」
髑髏払いの儀式の間、ルシールちゃんは軽食と飲み物を売り捌いていたと聞く。
その時に軽くは見たのだろうが、この感じだとあまり覚えていなさそうだ。
しかし、顔の良い女が他人の顔をもっと見ておけばよかったと言うのもなかなかに面白い光景だ。
「その質問に俺が頷いたら、答え合わせになるじゃないか」
「ダメなんです? 別に良いじゃありませんか。せっかくのその身体なんですし」
ガシッとこちらの肩を抱いてくるルシールちゃん。
これじゃまるで女友達だな。いや、今の俺の身体のせいなんだが。
「まだ、その一線は越えたくないんだ。これでも戻れると思ってるわけだし」
「たしかに望んでこうなった訳じゃないですもんね。
ちなみに戻ったら今みたいなゴーレム運用はできなくなったり?」
何気ない会話として聞かれただけだが、クリティカルな質問だった。
……現在の魔力と魔法の向上はこの身体になった後からなのは間違いない。
この女体化と魔法の向上は、恐らくセットになっている。
メリット側を本質とするには材料が足りないというのがシルビア先生のスタンスではあるが、仮に治せたとしたらどうなる? 今の魔法を失うのか?
「分からない。分からないが、昔の俺なら3体で限界だな。
今ほどの精度を出すことも難しいだろう。まぁ、感覚として掴んでいるから条件が昔に戻っても多少は上手くやれるはずだが、それにも限度がある」
既に今の俺は、今の向上した魔力と魔法を経験している。
だから魔力と魔法が元に戻っても少しは上手くやれるはずだ。少しは。
「……なるほど。フランクさんが元に戻ったら今のようにはいかないと考えておいた方が良さそうですね。私も貴方がそれを望むのなら、引き留めるつもりはありませんし」
意外だな、冗談めかして『ずっと女の子で居てくださいよ』くらい言ってくると思っていたのに。
「それに元々が突発的にそうなって原理が不明となれば、望む望まないにかかわらず、急に以前の身体に戻る可能性もあるってことですよね?」
「……今の俺に起きている事象が、時限式の可能性は有り得なくはない」
シルビア先生が定期的に診てくれているのも、その可能性を考慮してという部分が大きい。最初はいろいろなアプローチを試してくれていたが、今ではすっかり経過観察になっている。突発的な変化が起きる可能性を念頭に入れて。
「じゃあ、稼げるうちに稼いでおかないと。ですね?」
クスっと笑いながら帳簿を持ち出すルシールちゃん。
そして、2週目と3週目の売上を合計していく。
「――賭けは私の勝ちです。
今後は店の利益の1割を渡すという形で、私と契約してください。
父にも母にも承諾は得ています。契約書自体はまた後で用意します」
スッと頭を下げるルシールちゃんに対して、こちらは手を差し出した。
「フランクさん……?」
「――頭を下げなくて良い。君とは対等な関係でいたいんだ。
君が俺を見出してくれたように、俺も君を見込んでいる」
こちらの言葉を聞いて少し息を呑んだルシールは、迷うことなくこちらの手を取る。真っ直ぐに握手をするなんて久しぶりだな。直近で握手をしたのは、レンブラントだったか。あれは魔術師同士の探り合いって感じだったが。
「……良いんですか? こんな若輩者を相手に」
「君のような商才の持ち主とは、若い頃じゃないと縁を結べないからね」
ルシールちゃんが、俺の言葉に軽く微笑む。
「――父に言われ、いえ、言われる前から分かっていたんですが、今のフランクさんは本当なら私の手の届く相手じゃない。店を回してくれるゴーレム、王子様への配達、私の思い付きを実現してくれるなんて普通じゃありえません」
親父さんが俺に対して言っていたこと、ルシール本人にも伝えていたのか。
いったいどんな言葉で伝えたのかは少し気になるが、親父さんに言われた時から思っていたことがある。
「”本当なら”なんてないよ」
「え?」
「今、ここでこうして君と俺が手を組んでいる以上の”本当”なんてない」
現実の前に仮定など無意味だ。
俺がもっとこの力を活かすために前のめりになっていれば、たしかに何かしらの魔術師ギルドに食い込むなり、王族のお抱え魔術師になるなりできたのだろう。
そうしていればルシールちゃんの頼みを受けることはできなかった、のかもしれない。だが、そうはならなかった。俺は見知らぬ人間に自分の力を売り込むことを恐れて今日を迎えた。それが現実なのだ。それ以上の”もしも”はない。
「――ふふっ、やっぱりカッコいいですね、フランクさんは」
「別にそんなことないよ。元は情けないおっさんさ」
「私がそう思っていたら”やっぱり”なんて言いませんよ」
そう言いながら、少し髪をかき上げるルシールちゃん。
「それでフランクさん。利益の1割って少ないと思うんですよ」
「え? そんなことないと思うけどな……」
「いえ、あります。少なくとも私はそう考えています」
彼女が今、こういう話をしてくるということは……。
「何か新しい策があるのかな?」
「はい。その分、フランクさんには新たな負担を強いますが、新しいことを始めてそちらの売上を私たちで確保してしまおうかと」
……銀のかまどの店とは別に何か新しいことを始めるつもりか。
新事業となれば、確かに売上や経費の割り振りも主導権を握りやすい。
「できることであれば協力したいな。いったい何を思いついたんだい――?」




