第16話『……ご無沙汰してます、先輩』
――思い返せば、予感があったのかもしれない。
シルビア先生に1年と2か月ぶりの死者が出たと聞かされた時から。
いや、あるいはもっと前だったろうか。
あのディーデリックに引きずられて若い世代が深入りしていると聞いた時には。
俺やバッカスのような尻込みするような老いた世代ではない。
逆にあの王子の語る”再征服”に魅せられ、名を挙げようとする男たち。
そういう世代に知り合いは少ない。
特にその痛みを、自らと同じものとして感じられるような友は。
だから予感はあった。けど、そうではないと思いたかった。
まさか、あいつのはずはない――俺はずっと、そう思っていたかった。
『……ご無沙汰してます、先輩』
トワイライトで働く、いつもの夜。
ちょうど第1幕が終わって少し落ち着いた頃合い。
聞き覚えのある男の声が聞こえてきて、俺はまず安堵した。
明確には意識していなかったけれど、胸のどこかで思っていた。
まさか、深入りして死んだ冒険者というのは、こいつなんじゃないかと。
だからその声が聞けて、まず安心したんだ。
「……オスカー、お前」
そして、次に感じたのは、幻覚のような痛み。
眼という器官が、友と呼べるような後輩の姿を捉えた瞬間だ。
痛みを模したような感覚が俺の右腕を駆け抜けていった。
――彼の右腕が”あった”場所、中身の無い袖がだらんと落ちる。
「ハハ、やらかしました。あれほど忠告してもらってたのに」
力なく笑うオスカーを前に、息を呑むことしかできなかった。
深入りには気をつけろ、常に退路を考えながら行動しろ。
そんな話をしながら同時に『じゃあ、どこでリスクを取るべきなのか?』を語り合った日々を思い出す。俺は特別後輩に好かれるような人間ではなかったが不思議とこいつとは気が合って。
「――マンティスか」
「へぇ、流石は先輩ですね。耳が速い」
オスカーの言葉に頷きながら、特等席が空いているかを確かめる。
ちょうど、数日前にディーデリックと向かい合った場所。
そこに連れて行くのもと思ったが、彼の表情を見ているとこんな騒がしい場所で応対をしたくなかった。幸いタイミング的にも俺が抜けて問題はない。
「――レナ姉。特等席、借りるぜ」
ちょうど店長が通りがかった瞬間に断りを入れる。
兄貴は軽口を叩く気満々でこちらに振り向いてきたが――
「……フランク、しっかりもてなしてあげなさい。予約は入ってないから」
このトワイライトという場所を職場にしてから初めて俺をフランクと呼んだ。
オスカーの顔を見ただけで、俺にとってどういう客なのかが分かったのだ。
そして気を遣ってくれた。相変わらず本当に良い兄貴で、惚れ惚れする。
「ウィスキー、好きだったよな? 酒は大丈夫か? 止められてないよな?」
こちらの言葉に頷くオスカーを見てからウィスキーのボトルを掴む。
同時にグラスとアイスペールを用意して、トレーに乗せた。
「――良いんですか? 個室なんて」
「良いんだ。悪かったな、見舞いにも行けなくて」
「いえ、知らせるほど長くいた訳じゃないんで」
特等席の中に移動し、ウィスキーの炭酸水割を用意していく。
少し濃い目がオスカーの好みだった。
「懐かしいっすね、先輩が始めたんですか? ソーダ割」
「……分かるか。
そう、トワイライトでこれが飲めるようになったのは俺が入ってからだ」
一周も回し切らない優しいステアを施し、ウィスキーの炭酸水割を完成させる。
そして静かにオスカーとグラスをぶつけ合った。
「分かりますよ。もう1年くらい前でしたっけ、初めてソーダってのを飲んだの」
「だいたいそれくらいだったと思う。まぁ、俺がこうなる前の話だな」
言いながらカクテルドレスの肩ひもをつまみ上げる。
その仕草を見つめながら、オスカーがくすっと笑みを零す。
前にこいつがお見舞いに来てくれたときは、こんな振る舞いをする余裕もなかった。ただ病院のベッドで静かに横になっているだけだった。
「あの行商人の一団が来てたのも、もうそんなに前なんですね……」
ウィスキーのソーダ割を飲みながらオスカーが呟く。
無論、その言葉の奥にあるものは俺も良く理解している。
まさかあれから1年ちょっとでこんなことになるとは。
神聖王国の都市を巡る行商人の一団、それが出していた臨時の酒場でバッカスとオスカーと3人、初めてソーダという飲み物と酒のソーダ割を飲んだ。あの頃には全く予想していなかった結末だ。俺が女になって、オスカーは右腕を失うなんて。
「……あてられたか。あのディーデリックの”再征服”に」
グラスを握る左腕と、あったはずの右腕を見つめる。
利き手を失った痛みと絶望、俺には想像することもできない。
「俺はそんなつもり無かったんですけどね……」
「……仲間に恵まれなかったか」
「結局は止められずに同行したんで、ほんとは何も言えないんすけど」
……冒険者のパーティというものは、誰もが仲間に恵まれている訳ではない。
俺とバッカス、そしてレオ兄のように能力のバランスがよく人間関係も良好に進むということはそれだけで一種の幸運だ。
「良いんだよ、ここは言えないようなことを言う場だ。俺しか聞いてないさ」
「……バカが突っ走るのに付き合わされて、このザマですよ。
最初からずっとこうだ。つくづく俺には仲間運がない」
吐き捨てるように本音をぶちまけるオスカー。
何も知らない奴は、いくらでもこいつの悲鳴を否定することができるだろう。
仲間を選ぶところから仕事なんだとか、どうして仲間を止めなかったんだとか。
けれど、俺にはできない。俺はそうしないと決めている。
「最初の剣士は、ボアレックスと接敵した瞬間に逃げ出したんだったよな」
「よく覚えてますね、俺は忘れもしませんが。
おかげで身体強化の魔法、滅茶苦茶使いましたからね」
勢いよく愚痴をこぼすオスカーを見て少し笑みが零れる。
良かった、これくらいの元気はまだ残っていて。
他者に怒れるということは、まだ絶望し切っていないということだ。
「ボアレックスを殴り倒した魔術師なんてお前くらいしかいないよ」
「おかげで良いお笑い草でしたけどね。ただ、今回はどうにもならなかった」
「……教えてくれるか? 何があったのか。辛いことは話さなくていいが」




