第1話「えっ、それじゃ冒険者保険が降りないんですか?」
「えっ、それじゃ冒険者保険が降りないんですか?」
――脳みそがとろけてしまいそうな自分の甘い声にも慣れた頃だ。
今まで掛け続けてきた保険が支払われるのか否かを確認してもらっていた。
10年以上も支払い続けてきたのだ、こんな時のために。
「……はい。残念ながら」
受付嬢ちゃんが神妙な顔をして答えてくれる。
真っ昼間で、いつもならダンジョンに潜っている時間だ。
こういう時間に彼女と向かい合うのは不思議な感覚だった。
場所自体はいつもの酒場、ギルドの下請けのひとつ。
だけど今は、俺とこの娘しかいない。
この場所に訪れる昼間の静けさを、俺は初めて感じていた。
「どうして? 俺はギルドを追放されて冒険者じゃいられなくなったんですよ」
「それはそうなんですけど……」
「俺もこの業界は長い。何人もやめて行った奴は見たが、みんな貰ってたぞ」
――そもそも保険に入っていなかった奴以外は。と続ける。
だが、どうにも結果は変えられなさそうに見えた。
彼女の表情が雄弁に物語っていたのだ。
「それは、みなさん後遺症が残るような怪我や呪いを受けていましたからね」
彼女の言葉を聞いて、今までに見送った戦友たちを思い出す。
先輩や後輩、10年以上も業界に居ると去って行った同業者も少なくない。
どんな理由であれ、生きてこの業界を去れるのは成功のうちに入る。
「……確かにそうだったな。
腕を失くしたり、足を失くしたり、魔法が使えなくなったり」
魔法が使えないというのにも色々ある。
呪いの類いならまだしも、頭に深い傷を負うと一気にダメになるのだ。
程度にはよるけど、前者の方がまだ神官に治してもらいやすい。
「ええ、フランクさんの場合は、五体満足ですし魔力も落ちてはいませんよね?」
「……でも冒険者ギルド追放されてるんですよ、俺」
「それはそうなんですけど、保険の要件に該当しないんですよ」
言いながら”今回みたいなケースは初めてで”と続ける受付嬢ちゃん。
確かに俺自身、自分の置かれた状況には驚いているし、聞いたことがない。
「――女の子になってしまったから、ギルドから除名なんて」
そう言った受付嬢ちゃんは俺の事をまじまじと見つめてくる。
……淡い桃色に染め上げられてしまった髪と瞳。
細くて白い指先、軽くなった身体、スラリと伸びる四肢。
これがすべて自分自身のものだなんて、悪い冗談みたいだ。
「……じゃあ、こういうのはどうだ?
幼くなる呪いで身体能力が落ちたから保険の要件に該当するってのは」
こちらの言葉を聞いて、静かに俺の身体を見渡してくる受付嬢ちゃん。
他意はないのだろうけど、その視線にいやらしさを感じて自分の身体を抱いてしまう。
この娘が悪いという訳ではないが、冒険者業界には男しかいない。
俺がこうして女になってしまってから数週間。
男の頃には気づかなかったような嫌な視線をビンビンに感じ取っているのだ。
「……そ、そんなジロジロ見るな。人のこと」
「あ、すみません。失礼でしたね……でも本当にお綺麗になられて」
「褒めないでもらえます? 俺としてはもう本当に散々なんで」
30代突入を目前にして、成人から続けてきたこの稼業から追い出されそうになっているのだ。正直に言って今後の人生のことを思うと胃がキリキリする。引退するにせよ、あともう1つくらいはデカい山を当てるつもりでいたのに。
「――それで、フランクさんにかかってる呪いって、女体化と退行なんですか?
見てる限りだと、下手したら私より若い肌してますよね? つやつやで」
そう言いながら俺の指先をジロジロと見つめてくる受付嬢ちゃん。
随分と触りたそうにしているので、右手を差し出してみる。
「医者が言うことには、10代前半くらいの身体になってるらしい。
ただ、どうにもそんな単純な術式じゃないんじゃないかと」
俺の右手を取り、手のひらと甲を両手で包み込んでくる受付嬢。
彼女も彼女で成人したて。最近この仕事を始めたばかりの少女だ。
正直言って女日照りの俺からすると、これだけでもドギマギしてしまう。
「出ている症状は女の子になることと若返ることでもそれが本質ではないかも」
「ああ。なにせダンジョンの仕掛けだ。現代人が全てを明かすことは難しい」
特に俺のかかりつけ医は物事を簡単に断言しない人だ。
それも相まって俺が受けてしまった呪いの本質はまだ不明となっている。
「……ふむ、それじゃあ試してみますか」
何か頷きながら用意していた書類を持ち出す受付嬢ちゃん。
「え? 試すって何を……」
「――保険の要件に本当に該当していないか、チェックするんです。
フランクさんにはお世話になってますからね。
私個人としては保険金をお支払いしたいと思ってまして」
”いろいろ準備してきたんですよ~”と書類を見ながら道具を用意する受付嬢ちゃん。あの書類は何かしらのマニュアルなのだろうな。
「さて、まずは不正がないようにこの天秤を用意してっと」
彼女が最初に用意したのは”女神の天秤”だった。
細かい条件は使用者の設定によるが、ざっくり言えば指定された二者のうち、どちらかが嘘を吐くと天秤が揺れる。そういう代物だ。
といっても、魔術師ならこれをハックする方法はいくらでも知っているし、そもそも自分自身を根本から騙すことに長けているタイプの人間には通用しない節がある。ただ今回のような公平性が求められる局面では重宝されるのだ。
リセットしない限り記録が残る構造になっていて、生半可な魔術師がハックしても事後的にその痕跡を見抜かれることは少なくないから、その意味では信頼性は高い。
「よろしいですね? フランクさん。
貴方のような魔術師さんには説明不要でしょうが、承諾の署名を」
「ああ。いくら追放されたからと言ってこれ以上にギルドを敵に回す気もないよ」
保険を得るために不正を行ったとなれば、追放どころじゃすまないだろう。
冒険者ギルドは最強の戦闘集団だ。普通に敵に回したくない。
それに気を遣ってくれたこの娘を裏切るようなこともしたくない。
「さて、これで今から私たちは互いに嘘はつけません。
私も貴方を騙してテキトーに終わらせる気はないのでご安心を」
にこやかに微笑んでくれる受付嬢ちゃん。
……改めて思うが、本当に見目麗しい女の子だ。
明るくてイエローに近い金髪と、同じ色の瞳。
数年と経たないうちに良い縁談が舞い込んでくるのだろうな。
「――最初から疑ってないよ、君のことは」
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