29:新たなる子供
室内で待っていたのは四十代後半ぐらいの女性。
とある家の侍女を勤めていると言うが、黒一色のローブ姿からはその仕事は想像つかない。フードを目深に被っているあたり顔を見られたくないのだろう。
はたしてそれはマリエラ達に顔を見られたくないのか、あるいは、怪物辺境伯の住まいに入るところを他者に見られたくないのか……。
「ローブ……、ステファンと同じ格好」
ポツリとマリエラは小さく呟いた。
ステファンも色の濃いローブを纏いフードを目深に被って顔を見せまいとしている。もっとも、ステファンは顔の作りからあまり顔を隠せていないのだが。
「そのローブ、顔を隠すために着ていたのね」
「何だと思ってたんだい?」
「最初に私と会った時にそれを着ていたでしょ? だからてっきり一張羅だと思っていたわ。刺繍も入って素敵なローブだし、ステファンに似合ってるから」
スーツ姿のステファンも素敵だし、ラフな服装の彼も素敵だ。もちろん、寝間着も。
それと同じくらい今のローブ姿も魅力的である。濃紺色のローブに金色の刺繍は厳かさを感じさせ、銀色の毛で覆われたステファンの姿をより色濃く幻想的に見せる。まるでおとぎ話から抜け出できたかのようではないか。
それほど素敵なのだから正装の一つなのだと思っていた。そう話せばステファンが金色の瞳を丸くさせた。次いで柔らかく笑う。
もっとも、
「話が進むどころか始まりもしないから、惚気はそこらへんで」
ティティにぴしゃり言い切られ、微笑み合っていた顔を揃えてバツの悪いものに変えたのだが。
そうして話し合いが始まり、まずはと来客が口を開いた。
……のだが、
名前も名乗れない、どこの家から来たとも言えない、誰が主人かさえも教えられない。
話し始めたものの侍女は何一つ提示しようとせず、これでは無礼なと追い返されてもおかしくない。
だがステファンもティティもさして気にしている様子はない。むしろ当然と言いたげに話を進めるあたり、怪物返りを連れてくる者達は殆どがこんな態度だったのだろうか。
それどころか、侍女はステファンに対してチラチラと視線を向けている。だというのにステファンが話をしようとすると露骨に顔を伏せてしまうのだ。これもまた無礼な態度である。
「僕はここで失礼しよう。マリエラ、ティティ、後を頼む」
自分が居ては話が進みにくいと考えたのか、ステファンが立ち上がった。
落ち着いた声色。来客の露骨過ぎる態度を咎めるでもなく、怒りを孕んですらいない。己が恐れられている事を理解し受け入れている声だ。
普段通りの声だがそこに僅かな寂しさを感じ取り、マリエラは咄嗟に彼を呼んだ。
「あとでお茶をしましょう」
マリエラの口から出たのは、いつも通りのお茶への誘い。
数え切れないほど伝えた言葉だ。屋敷の通路でたまたまステファンと会った時、庭に居る彼を見つけた時、互いに静かに本を読んでいてふと視線を合わせた瞬間……。幾度となくこの言葉を告げた。
今ここで言わなくても良いほどあり触れた誘い。これに対して告げられたステファンは金色の瞳を一瞬丸くさせた後、ゆっくりと目を細めた。
「……あぁ、分かった。用意しておくよ」
「それじゃあまたあとでね」
短い応酬の末、ステファンが今度こそ客室を去っていく。
そうしてパタンと扉が閉まれば、来客の侍女があからさまにほっと安堵するではないか。あまりに失礼な態度にマリエラの眉間に皺が寄るが、ここで文句を言ったところで話が進むわけではない。
「それで、連れてきた子供は?」
「この子です。私達では手に負えず……」
侍女が傍らに置いていたバスケットへと視線をやった。
大きめのバスケット。白い布が被せられており中に何が入っているのかは分からない。だがこの話の流れから考えるにそこに怪物返りの子供がいるのだろう。大きさからすると赤ん坊か。
マリエラが立ち上がりバスケットへと向かう。侍女はマリエラの突然の行動にビクリと肩を震わせるものの、止めることもなければ、さりとて促すこともしない。
「中を見ても?」
「は、はい、もちろん構いません……」
侍女の返事を聞き、さっそくとバスケットに掛かっている白い布をそっと捲った。
そうしてそこに居る赤ん坊に、マリエラは翡翠色の目を見開いた。
「この子は……」
「恐ろしい子です。こんな子供が生まれるなんて……、奥様は嘆いて体調を崩してしまって」
「嘆く? どうして。こんなに綺麗で可愛いじゃない」
我慢ができず、マリエラはバスケットの中に居る赤ん坊を抱き上げた。
不思議な外見の赤ん坊だ。大きさや形の造りこそ一般的な赤ん坊と同じだが、そこに肌や毛は無い。それどころか目や鼻、口もない。全身が濃紺色に覆われており、数え切れないほどの光が散りばめられている。
たとえるならば星空を赤ん坊の形に切り抜いたような、あるいは、赤ん坊の形をした器の中に星空を流し込んだような、そんな子供だ。
本来顔がある位置にはとりわけ明るく光る星が二つ輝いている。目なのだろうか、マリエラがじっと見つめているとまるで見つめ返すように星も瞬いた。
「なんて素敵な子なの。はじめまして、私はマリエラ。これからよろしくね」
「そ、その子は……、見た目が異質なだけではありません」
「あなた何か凄いことが出来るのね。それを悪戯に使わないのを願うばかりだわ」
冗談が通じるわけがないと分かっていても冗談めかして告げ、マリエラは腕の中の赤ん坊をあやすように揺すった。
両腕に掛かる重み、じんわりと伝わる暖かさ。キャァと高く弾む声が聞こえてきたかと思えば、腕の中の星空が輝きを増した。全身で返事をしてくれるのだと考えれば愛おしさが増していく。
「私共ではその子を育てることは出来ません。ですが手に掛けるのはどうしても……。どうかよろしくお願い致します」
マリエラが赤ん坊を受け入れたと見るや、侍女が早々に話を詰めてきた。気が変わらぬうちにとでも思っているのか。
次いで持ってきていた鞄をテーブルの上に置いた。しっかりとした造りのトランクケース。
「それは?」
「心ばかりですが、お納めください」
「……もしかしてお金? そんな、子供を預かるのにお金のやりとりなんて」
要らないと拒否をしようとする。
だがそれをティティが止めた。
「あるに越した事はない。貰っておこう」
「ティティ……」
「手切れ金だよ。お金を払ったんだからもう関わらない、そう言いたいのさ」
はっきりと断言し、ティティがテーブルの上の鞄を自分達の方へと引き寄せた。
他でもない彼女が言うのならば従う他ない。そう考え、マリエラは赤ん坊を抱いたままソファに座り直した。ゆらゆらと揺すってあやしてやるのは、お金の為に預かるのではないと伝えるためだ。
「で、では、これでお話は終わりにさせて頂きます。先程もお伝えしましたが、くれぐれもこの事は」
「分かってる。こちらも探らないし、そちらも探らない。この話もすべてもう終わり」
淡々としたティティの言葉には明確な断絶の意志が込められており、異論を認めさせぬ圧がある。
それに気圧されたのか侍女がそそくさと立ち上がった。
一刻も早くこの場から去りたい、この屋敷から脱したい、……恐ろしい赤ん坊との縁を切りたい。そんな気持ちが表情から伝わってくる。まるで幽霊が蔓延る廃屋敷に囚われているかのようではないか。自分から来たくせに。
「私が見送るわ。ティティ、この子をお願い」
腕の中の赤ん坊をそっとティティに渡す。
赤ん坊は嫌がることも泣きもしない、大人しくて良い子だ。キラキラと輝いているのは喜んでくれているのだろうか。
ティティが赤ん坊を受け取り「ステファンのところに行こう」と腕の中に囁きかけた。侍女に対して話をしていた時の冷ややかさはなく、優しさに溢れた声だ。
その声に罪悪感と居た堪れなさを覚えたか、あるいはもはやそんな事を気にしている余裕も無いか、侍女は落ち着きなく視線を彷徨わせている。
見兼ねたマリエラは救いの手を差し伸べるように「案内するわ」と退室を促した。




