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第八十五話 祖国の異変25

「ホ、ホフレ……先生……?」


「うむ。立派じゃろう? 本当は衣服など脱ぎ捨てたいところじゃが、"娘"の前じゃからの。自重した」


「どこからどう、突っ込んでよいのかわかりませんが。わたくしには、先生がる気満々のように見えます。……気のせいですわよね?」


「よい勘じゃ! というわけで、わしは行ってくるぞい!」


「えええぇぇぇッ!?」


「あやつらだけ、最盛期の力を満喫するなんてズルいじゃろう! わしも混ぜええぇぇいッ!!」


 ホフレは馬の腹を蹴り、魔物と兵士が入り乱れる戦場へと突撃した。


「……先生だけ、ずるいです」


 残されたルクレツィアがぽつりとつぶやいて、空を見上げる。

 突然のことだった。

 彼女の視界が赤で埋め尽くされる。


「ルクレツィア!?」


 とっさに広く周囲を覆う結界を展開したルクレツィアは、その衝撃に馬上でふらついた。

 地面に叩きつけられたカルロ。

 巨竜の体を支え続けるルクレツィアの全身が焼けるように熱を帯び、強張った筋肉がぎちりと引き絞られる。


「あ……ぐッ……」


 流れ出す大量の魔力。脳髄が煮え立ちそうなほど痛む体で、結界を制御し、維持する。

 ルクレツィアの頭は魔力と呼気不足でふらついた。

 人の身で扱う限界を越えた結界の維持に、全身が悲鳴を上げる。

 竜と大地を隔てる銀の膜に守られた、王都と兵士達。

 兵士たちは宙に浮かんだ赤い巨竜を信じられないような面持ちで、見上げている。


「くそッ!」


 カルロは何とか体を起こして、再び空へと羽ばたく。

 その翼の風圧に飛ばされぬよう、ルクレツィアは結界を維持し続けた。


「なんとか、耐えられたようですわね」


 今の一撃で、城の魔術師たちの魔力は枯渇したことだろう。

 息を整えながら、彼女は胸元で熱をもつ魔石を握りしめた。

 上空から緩やかに降りてくる白竜を警戒しつつ、赤竜は物言いたげな視線で、ルクレツィアのいるあたりを見つめる。


「わたくしなら、大丈夫です。存分に戦ってください」


 ルクレツィアが空を見上げてそういうと、カルロは白竜の接近を阻むように、飛翔した。

 結界への魔力補充による激痛。先ほどの衝撃をホフレもくらったはずだが、無事だろうか。

 王都の門の前からでは師の姿は見えなかったが、魔力が健在であることを確認して、ルクレツィアは安堵の息を吐いた。


「ルクレツィアさん! 大丈夫ですか!?」


 アマーリエとその仲間たちが、ルクレツィアの元へと馬を走らせた。

 アマーリエは革の鎧を着こんでおり、桃色の髪をきつく結い上げている。


「たった二人で結界を維持するなんて無茶だ。死んでしまうぞ!?」


 ジュリオが青い顔で、ルクレツィアの無事を確かめるように、馬首を返して隣へ並ぶ。

 彼もまた、白銀に輝く金属鎧を着こんでいた。

 その背には、両刃の剣を背負っている。


「ですが、こうするより他ないでしょう。このくらい、どうという事はございません。あなたたちこそ、ずいぶんとくたびれているようですけれど?」


 アマーリエとジュリオの衣服はあちこち血や泥で汚れており、小さな傷がいくつも見られた。

 ルクレツィアは魔力を紡いで彼らの傷を治すと、ジュリオを睨み付ける。


「あなたはこんなところでいったい、何をやっているのですか。自分の身分を忘れたとは言わせませんわよ!?」


 城から抜け出そうとして、死者に襲われていたというのに、まだ懲りていないのだろうか。

 下手をすれば命を落とすかもしれないのだ。戦場ここは、王族が軽い気持ちで来てよい場所ではない。

 自然、ルクレツィアの口調も厳しいものとなった。


「身分も何も、無実の人間――しかも、王家の血に連なるものをおとしめた時点で、私は廃嫡されるだろう。せめてもの罪滅ぼしとして、この剣を国のために役立てようと思ってね」


 憂いを秘めた青い瞳で、自嘲するジュリオ。

 この戦いで死のうとしているようにも聞こえる台詞に、ルクレツィアのまなじりがきりりとつり上がる。


「逃げるのですか。わたくしは、逃げても冒険者という生き方がありましたが、あなたに逃げ場はないでしょう?」


 空を飛ぶ大きな鳥のような魔物を紡いだ陣で、撃ち落としながら、彼女は言った。


「大丈夫ですよ! ジュリオさまも私達と一緒に、冒険者になればいいんです! ねっ、オルソ先輩!」


「そうだな! 俺らが一緒なら、何とかなる!! キーリ、もちろんお前も一緒だぞ」


「いや、オルソ。私は遠慮したいんだが……」


「もう! キーリ先輩! こうなったら一蓮托生いちれんたくしょうなんですよ。家に帰れたらそれが一番ですけど、追い出されたら、雇ってくれるところもないでしょうし。そうしたら、冒険者としてやっていくしかないと思います!」


「ええ? それは無茶だろう、アマーリエ。オルソも、勢いでそんなこと言って。私達では討伐どころか、生活すらままならないだろうな」


 空気を読まないアマーリエとオルソの、明るく、前向きな言葉に、ジュリオも困惑する。

 そもそも、元王太子が冒険者になるなど、国王が許すはずがない。

 こめかみをもんで、ルクレツィアがため息を吐いた。


「アマーリエ、良いからあなたは黙ってなさい」


「えー? ルクレツィアさんも、いい考えだと思いませんか?」


「思いません!」


 ぴしゃりと言って、ルクレツィアはジュリオに視線を戻した。


「逃げられないなら、足掻くしかないでしょう。ご実家の事情は分かりませんが、あなた方は罪を問われることはありませんし、表向きの地位や役割は変わらないかと思われます。けれど、ジュリオ。あなたはレッチェアーノの歴史上、初めてあやまちを犯した王族として扱われます」


 情け容赦のないルクレツィアの言葉に、ジュリオは力なく頷いた。


「そうなるだろうね。私が王位につけば、史上初のあやまちを犯した愚王、と皆が(さげす)むだろう。妹が女王になった方が、国のためかもしれない」


「女性の王というのはこれまで例がありませんし、王座を巡っては意見が割れることになるのでしょうね。その話とは別にして、わたくしに少しでも申し訳ないと思う気持ちがあるのならば、逃げずに残って下さい。そうして、わたくしに見せてください。あなたの、誠意と言うものを」


 少し前のルクレツィアのように、どうにもならない状況で逃げるのは簡単だ。

 けれど、ジュリオには”自らの死”以外の逃げ道が見つからなかった。

 自殺ならいつでもできる。

 どうせ死ぬしかないのなら、少しでも償う形で死にたい。

 そんな身勝手な願望を見透かされたような気がして、ジュリオは己を恥じた。


「実の妹と王座を巡って争えと? ……君は、酷いことをいう」


「では、あなたは今のレッチェアーノの王座に就くことが、リゼルさんの幸せにつながると思っているのですか?」


 己の亡き後まで考えていなかったジュリオにルクレツィアの言葉が突き刺さる。


「いいや。あの子はまだ幼い。この国で初めての女王が務まるかどうか……」


 ジュリオは俯いて地面を見つめた。

 ルクレツィアのいう事は理解できるが、それはあまりにも困難な道である。

 ただ一人の王位継承者として、大事に育てられてきた彼が、今度は一転。

 王族の面汚しとして扱われるのだ。それは彼にとって、あまりに辛いことだった。


「ならば、あなたが継ぐしかないでしょう。少し前の話ですが、わたくしはこれでも、あなたを高く評価しておりましたの。そのときのわたくしならば、きっと、あなたならばやりとおせると言うでしょうね」


 沈痛な表情でうつむく彼に、ルクレツィアが微笑みかける。

 気高く美しい微笑を焦がれるように見やって、ジュリオは苦く笑った。


「君にそういわれると、逃げるに逃げられないな」


「ええ。ですから、頑張ってください。遠くの地より、見守っております」


「国に戻ってこないのか?」


「ええ。サルダやアルシエロとの約束もありますので。わたくしはこれまで通り、どこの国へも属することなく、いち冒険者として依頼を受けるつもりです」


「そうか……」


 肩を落とすジュリオ。

 分かってはいたが、彼女の口から聞くと、やはり落ち込むようであった。


「まずは、この難局を乗り切らねばなりません。戦うつもりがあるのならば、前へ。この場から動けぬわたくしの分も、存分に剣を振ってください」


 意気消沈と言った風のジュリオを奮い立たせるために、ルクレツィアはわざと声を張り、彼の肩を軽く押した。

 彼女の指先が触れた部分を手で触れて、拳を握るとジュリオは強く頷く。


「ああ! そうだな!」


 ぱっと表情を明るくするジュリオのすぐ前で、アマーリエが首を傾げる。


「そういえば、ルクレツィアさんの恋人さんはどちらに居るんですか?」


 彼女の問いかけに、ルクレツィアは空を指さした。

 そこには巨大な白竜と赤竜が互いの体をぶつけ合いながら、激しく戦っている。


「わたくしの夫でしたら、あちらに」


「えっ!? あれって……竜!?」


 ルクレツィアの指先を見つめて、アマーリエが目をむいた。

 のけ反り過ぎて、馬上から落下しそうな勢いである。


「――赤竜カルロ。わたくしの夫です」


 誇らしげに夫を紹介する彼女に、アマーリエは身を乗り出した。

 

「わあ! とっても綺麗ですね! それに強そう。殿下、残念ですけど、あの竜には勝てないです。諦めましょう!」


 そうして、憐れむような視線をジュリオに向ける。

 

「……いったい何の話だ」


「ルクレツィアさんのこと、好きなんですよね? でもあれは、さすがに無理ですって」


 往生際の悪いジュリオのとどめを刺すように、アマーリエが言う。


「ちょ、あ、アマーリエ!? 急に何を言い出すんだ!?」


 ジュリオのルクレツィアへ対する感情は複雑だ。

 後悔と憧憬と羨望――今更好きになっただなんて、口が裂けても言えない。

 しかし、ジュリオは間違いなく、彼女の強く美しい生きざまに憧れを抱いていた。


「いや、だって殿下……」


「頼むからもう、黙ってくれッ! さ、魔物を討伐しに行くぞ!」


 ジュリオは馬上から振り落とされそうなほど、挙動不審な動きをした後、馬の腹を蹴った。

 夜目にも鮮やかに、その顔は羞恥に染まっている。

 触れられたくないものを、一番知られたくない者の前でさらされた、少年のような反応であった。


「おい! 一人で突っ走ったら危ないってのに……!」


 馬を駆けさせるジュリオを追って、オルソも馬の腹を軽く蹴る。


「殿下ー! 逃げずに堂々と思い伝えて、散った方が傷は浅いですよー!」


 アマーリエは馬だけでなく、言葉でも追い討ちをかけながら、去って行った。


「おまえらはもっと、緊張感を持て! 仲間がすまなかった。私も無礼な態度をとったことを、謝罪する。そして、君の助力に深い感謝を」


 キーリはルクレツィアの目を見て、そう告げる。

 最後まで丁寧に言い終わると、彼は深く頭を下げて、仲間の後を追った。

 彼らを見ているとなぜか、イレーネ達とのやりとりを思い出し、ルクレツィアが笑みこぼす。

 戦況はひっぱくしているらしく、次から次へと結界に衝撃が加わり、彼女の魔力もごっそりと吸い取られて行く。


「あと僅かじゃ。もうしばらく耐えておくれ」


 耳元で、ルーナの声が聞こえた気がした。

 あと僅か。

 その言葉を聞いた瞬間、ルクレツィアの手はしっかりと手綱を握り、馬の腹を蹴って、地を駆けていた。


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