第八十三話 祖国の異変23
「……という事情なのですが、通常の母娘とはどのようなものなのでしょう?」
死者が去った屋敷にて、しばしの休憩を取っていたソフィアの元へ使わされた銀色の鳥。
ルクレツィアの魔術で編まれたその鳥は、主の声でそんなことを言った。
ソフィアもまた、普通の母娘というものがわからない。
黙り込む彼女に、小鳥が首を傾げる。
「んな小難しく考える必要ねえだろ! かあちゃんって呼んで、素直に甘えりゃあいいんだよ!」
「……お前のように、か?」
グイドに向けるソフィアの視線は冷たい。
インヴェルノの酒盛りでみせた、彼の醜態を思い出しているのだろう。
「酒の席は無礼講だろ!」
「無礼講とはいっても、何をしても許されるわけではない」
「そりゃあ、まあ。そうだけどよォ……」
応接間の長椅子に腰かけ向かい合う二人。
その間のテーブルの上で、小鳥が首をすくめ、二人の間から飛び立った。
術の主であるルクレツィアが、陣を解いたのだろう。
来た時と同じように、窓から飛び去る小鳥を見送る二人。
グイドは視線を室内に戻すと、肩を落として俯いた。
大柄な白熊が、自分の体をできる限り小さくしようと頑張っているような、妙な愛嬌がある。
「わかった。あんたが嫌がるなら、酒は控える」
「簡単自分を曲げるな。おまえに誇りはないのか」
殊勝な態度で頷くグイドに、ソフィアはどこまでも冷たい。
「はあ? あんたいったい俺にどうして欲しいんだよ!?」
思わず長椅子から腰を浮かして、怒鳴るグイド。
ソフィアも椅子から立って、言葉を投げ返した。
「知るか! 自分で考えろ!」
「あー、もう! 分かった! 俺はここにあんたと残る。んで、あんたが良いというまで、求婚し続けるからな!」
再び長椅子にどっかり腰を掛けると、グイドはふてぶてしい態度で横になった。
「どうしてそうなる!?」
柳眉を跳ね上げてテーブルを叩くソフィアにも、動じることなく、彼は唇を尖らせた。
まるですねた子供のようである。
「あんたが好きにしろって言ったからだろ!」
グイドの言葉にさらに言葉を返そうとした、ソフィアの動きがピタリと止まる。
彼もまた、しばし動きを止めた後、長椅子から起き上がり、窓の外を眺めた。
「外を見ろ。月が紅みを帯びて来てやがる」
「見るまでもない。さっさと準備しろ」
グイドが外を見ている間に、ソフィアは既に身支度を済ませていた。
「へっ?」
しかし、彼が驚いたのは身支度の速さではない。
彼女から向けられた言葉の方だった。
己の空耳を疑って聞き返すグイドへ、ソフィアが淡々と言葉を続ける。
「共に戦うのだろう。ぐずぐずしているとおいていくぞ」
言ってすぐに背を向ける彼女に、慌ててグイドは窓から離れ、武器を手に取った。
「ま、まて! すぐに、終わらせる!」
慌ただしい足音を立てながら、ソフィアの後を追ってくる彼に、彼女は振り返らずに告げる。
「……私は、ずっとこの屋敷を護り、生涯をあの方に捧げる。その生き方を変えるつもりはない」
だから、求婚は受けられないのだ、と彼女は言外にいった。
背を向けているので、その表情は見えない。
「そうか。嬢ちゃんは良いだろう。夫も友人もこれ以上ないくらい、恵まれている。だが、あんたは誰が支える?」
その背を見つめながら、グイドが尋ねる。
どれだけ強い人間でも、人は一人では生きてゆけない。
インヴェルノで生まれ育ったグイドは、身に染みて知っていた。
「おまえには関係のない事だ」
「いいや、あんたは俺が支える。この屋敷に残って、嬢ちゃんの帰りを待つのならば、それでもかまわない」
「故郷を捨てると?」
苦々しげな口調で、ソフィアが言った。
主であるルクレツィアの事以外で、彼女が心を揺らすのはこれが初めてである。
グイドから好意を向けられるたび、ソフィアの感情が乱され、胸が苦しくなった。
向けられる感情に、応え、報いることができない。
それを知ってるから、なおのこと、彼女の胸は痛む。
「村の者は既に承知している」
揺らがず、震えず、ただ背を向けて立ち尽くす彼女に、グイドは言った。
その覚悟はすでに済ませたと。
「呆れてものも言えないな」
革の手袋に包まれた拳をぎゅっと握りしめる。
力が入り過ぎて、震えた拳に彼女の感情が込められているようであった。
「俺にはもう行くところはない。だから、ここにおいてくれ」
なりふり構わず向かってくるグイドに、ソフィアの肩がぴくりと揺れる。
「……主の許可が必要だ」
「嬢ちゃんならきっと良いって言うだろうよ」
ようやく軟化した彼女の態度に、グイドがほほ笑む。
一目ぼれだった。強さと美しさに一目で惹きつけられ、こうして、その内面に触れると放って置けなくなった。
抜身の刀身のように、美しく危なげな女。
彼女が剣ならば、自分はそれを護る鞘になりたい、グイドはそう思った。
互いに並びあうことを認め合った二人。
彼らは屋敷の門の前に立ち、敵の襲撃に備えた。
「門番はふつう二人要るだろ? 一人より、二人の方が幅も広がるってもんだ」
人一人分くらい離れた場所にいるソフィアに、グイドが笑いかける。
「――感謝する」
ソフィアは前を向いたまま、僅かに唇を動かした。
「えっ、いまなんて……」
「二度は言わん! さあ、来るぞ!」
少し頬を赤らめて、ソフィアが拳を握りしめる。
ぎちりと彼女の拳の中で、革が擦れる音がした。
「ああ、くそッ! 終わったらもう一度求婚するからな! 返事を聞かせてくれよ!」
蠢く地面に視線を落して、頭をがしがしとかき混ぜると、グイドも大斧を構える。
ソフィアはそれを横目に見て、苦笑した。
「その前に自分の命の心配をしろ」
「ああ? 生き残るに決まってんだろ! 俺はあんたの返事を聞くまで死んでも死にきれねえよ!」
「物好き」
「物好きでけっこう! さあ、やつらがやってきたぜえッ」
「言われなくても、見えている」
これより先は言葉など不要。
互いの大切なものを護るための拳さえあればいい。
ソフィアとグイドは深く息を吐いて、しっかりと前を見据えた。
赤く色づく月の下、二人は屋敷の門前に並び立つ。
そうして、地より湧き出でる異形を共に迎え撃つのだった。




