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第八十一話 祖国の異変21

 強い日差しが肌を焼く、乾いた赤土の荒野。

 アルシエロに転移したルクレツィアは、まず、久々に目にした日光に目が眩んだ。


「アルシエロはまだ無事のようですわね」


 しばらく目を閉じて、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。

 アルシエロの宮殿前の門番はそんな彼女を不思議そうに見ていた。


「アルシエロでは、異変はありませんか?」


 ルクレツィアは歩み寄りながら、門の兵士に尋ねる。


「はい。異常ありません」


「そうですか。ニコラ殿下に緊急の用件があるのですが、取り次いでもらってもよろしいでしょうか」


「ルクレツィアさまが訪ねてきたら、すぐにお通しするよう言いつかっております!」


「わかりました」


 謁見の間への道もすっかり覚えてしまった。

 早足で横を過ぎる先触れの侍女に申し訳なく思いつつ、ルクレツィアもやや速足でニコラの元へ向かう。

 相変わらず、甘い香りの立ち込める宮殿。

 離れてそう時間は立っていないはずなのに、ルクレツィアは懐かしさを感じた。

 謁見の間に着くと、額に薄く汗を滲ませた侍女が待っている。


「ニコラさまはすぐにお会いになるそうです」


 弾んだ息を落ち着けるように、侍女が言って頭を下げた。

 ルクレツィアは彼女に礼をいうとそのまま室内へと入る。


「あれ、カルロは?」


 彼女を見るや否や、ニコラが言った。

 話すべきことをあれこれ考えていたルクレツィアは、一旦思考を止めて、ニコラの前に腰を掛ける。


「無事です」


「どうして一緒じゃないの?」


 口元ばかりは、にこにこと微笑みつつも、ニコラの目は笑っていなかった。

 仕方ないので、ルクレツィアはカルロをこの場に呼ぶことにする。


「カルロ」


 決して大きな声ではなかったが、ルクレツィアが名を呼んで数秒の内に彼は現れた。


「呼んだか?」


 魔力の名残が、赤い燐光となって宙を漂う。


「ん? なんでニコラのとこにいるんだ?」


 カルロはそこがアルシエロの宮殿であると気づくと、いぶかしげな表情で辺りを見回した。


「ええと、空間を跳ぶ前に確認しなかったのですか?」


「嫁さんの声がした方に跳んできたからなあ」


 そうすることが当然のように、自然とルクレツィアの横に腰を掛けて、カルロは言った。

 ルクレツィアはカルロの姿をまじまじと見つめ、無事であることを確認すると、小さく笑う。


「この距離で聞こえるなんて、凄まじい聴力ですわね」


 からかうような口調に耳元をくすぐられ、カルロは機嫌よく頷いた。


「当然だろ。ルクレツィアの声なら、世界中どこに居たって聞き取れる自信がある!」


「それは凄いな」


 つられて、ニコラも(こら)え切れずに笑ってしまう。


「なんで笑うんだ? 言っておくけどな、俺だけじゃない。どんなじーさん竜だって、嫁さんの声に呼ばれたなら、ひとっ跳びでやってくるぜ?」


 誇らしげに胸を張って言ってのけると、カルロはニコラに視線を移した。


「そういえば。あんたの血縁に会ったぞ。助けを求める民を救うまで帰れねーんだと。面白いやつだから、ちょっと手伝ってやることにした」


「手伝い?」


「おう。際限なく地中から湧いてくる死者と戦っていたから、手伝っていたんだ」


 カルロの言葉に兄の姿を思い浮かべ、ニコラは少し焦った。

 手伝っていたカルロがここにいるということは、今、サウロはただ一人で戦っていることだろう。


「なんとも兄上らしいな! わかった。もう戻って良いから、兄を頼んだよ!」


 いつもの気怠さはなく、妙にはきはきとした口調でさっさと帰れと言うニコラ。

 カルロは眉を寄せて、傍らの妻を見下ろした。


「えぇ……? いいのか、ルクレツィア」


 困惑も露わに問うてくるカルロへ、申し訳ない気持ちになりつつも、ルクレツィアは頭を下げる。


「すみません。カルロ。きっとニコラさまはあなたの身を案じてくれたのでしょう」


 それは希望的憶測であったが、嘘ではない。

 ニコラがなぜ、カルロの姿をああも気にしたのか、ルクレツィアには分からなかった。

 けれどきっと、少しは心配もしてくれたはずである。


「なんで? 俺、強いのに? まあ、いいか。じゃあな!」


 そんな妻の気遣いも意に介せず、カルロは不思議そうな顔をしていたが、あっさりと理解するのを放棄する。

 そうして、来た時と同じくらいの速さで、カルロは去った。


「ああ。これ、お返ししておきますわね。耳飾りがなくとも、ご助力いただけたようですので」


 別れを惜しむ間もなく去ってしまった夫に、くすりと微笑んで、ルクレツィアは左耳の耳飾りを外した。

 差し出された耳飾りを受け取って、ニコラも兄を想い苦笑する。


「わかった。全く、兄にはいつも驚かされるよ。自分の身分をなんだと思っているのか」


 てのひらの耳飾りを指先で摘まんで、自分の左耳へとつけるニコラ。

 何気ないゆったりとした所作だが、色香を感じさせる美しさであった。

 ニコラは意識して人を惑わす所作よりも、そういった何気ない所作の方が見る者の心を引き付ける。

 愚痴こぼしている姿でさえ、麗しく見えるのだから、手に負えない。

 肘をつき、はしたないとされる姿で唇を尖らせるニコラに、ルクレツィアも苦笑した。


「けれど、そこがあの方の美徳であるように思われます」


 彼女の苦笑はニコラに向けてものであったが、彼は都合よく勘違いして同意する、とばかりに頷いた。


「巻き込まれる方はたまったもんじゃないけどね。それで、用件って?」


 敷き布に寝そべって、ニコラは宙を仰ぎながら投げやりに言葉を紡ぐ。

 ルクレツィアは彼に、レッチェアーノで起こっていることと、結果的に女神が復活したこと。

 そして世界の滅亡を回避するために、アルシエロの協力が必要であることを説明した。


「なるほどねえ。もう、サルダまで侵食されちゃってるんだ。アルシエロも他人事じゃあ、ないしねえ」


 瞳を細め、探るような視線で見つめてくるニコラにルクレツィアは首を傾げる。


「何か、問題でも?」


 その質問を待っていた、とばかりに彼は瞳を光らせた。

 紡ぐ声と同じく、とろりと甘そうな飴色の瞳が、常にないほど鋭さを増す。


「一つ聞かせてほしい。ルクレツィア、君はレッチェアーノと和解したらあの国に戻るつもりかな?」


 ルクレツィアの全身に鳥肌が立つ。

 これから始まる問答は、決して間違ってはならぬものだと、彼女に警告しているかようだった。


「いいえ。レッチェアーノに戻れば、わたくしとカルロはの国の良いように利用されるでしょう。サルダやアルシエロと敵対する可能性だってあります」


 ゆえに、彼女は慎重に言葉を紡いでゆく。

 問いかけの重要性を理解した返答を褒めるように、ニコラが口端を持ち上げた。


「そうなるだろうね。女神が戻り、神話の力を手に入れたレッチェアーノは、まさに怖いものなしだ」


 しかし、彼は手を緩めない。

 まるでルクレツィア自身がレッチェアーノという国であるかのように、言葉を継いだ。


「大陸を平定することも、もはや、夢物語ではなくなるだろう。……違うかな?」


「さて、そう上手くいくでしょうか。今回の件で、ガブリーニ家の力は増し、否応なしに王家との緊張関係も高まるはずです。今回の災禍による被害も甚大ですし、今のレッチェアーノに国外進出への余力はないかと思われます。わたくしが家に戻れば、更に面倒な事態になるでしょう。わたくしはそれを望みません」


 きっぱりと言い切るルクレツィアに、ニコラがゆるく顔を傾ける。

 サウロに良く似た、しかし、手入れの行き届いた砂色の髪がさらりと揺れた。


「それは、本心かな? 望めば君は、あの国の女王にだってなれるはずだ」


 その口から告げられた言葉に、ルクレツィアは言葉を失った。

 女王だなんて、彼女は一度も望んだことはない。

 王妃になる可能性はあったが、今となっては、願い下げである。


「わたくしが一番に想うのは家族や友人、己の愛するものたちです。国や民を思えない時点で、わたくしに統治は向いておりません。これまで通り、自由な冒険者として生きてゆくつもりです。そうして、これからも愛する人々のために、力を尽くしていきたいと思っております」


 それが彼女の偽りのない本心であった。

 国のはかりごとに巻き込まれるのは、もうたくさん。

 こばめるだけの力を手にしたのだから、嫌なことはきっぱりと断る。

 ルクレツィアの決意は固い。

 彼女の表情を読み取って、決意のほどを知るも、ニコラは揺さぶりをかけずにはいられなかった。


「欲がないなあ。女神の後ろ盾を得て、神々に祝福された大地が手に入るんだよ? 僕なら絶対そっちを選ぶけど」


 それだけ、彼にとってレッチェアーノの王座が魅力的だったからである。

 万人が望む地位を要らぬという、彼女の方が異端いたんであった。


「その代償も大きいでしょうから。失うものの中には、ニコラさまとの友情も含まれておりますのよ」


「それはそれは。レッチェアーノの玉座と天秤にかけて貰えるなんて、光栄だね」


 冗談のように軽く行って、ニコラはしばし黙り込む。

 兄は不在。父は病床。既に宮殿は掌握しており、最終的な決定権を持つのは、彼だった。

 だからこそ、疑いに疑って、すべての嫌疑が張れた時に、決定を下さねばならない。

 今までの彼ならば、そうしていたことだろう。


「――わかった。ルクレツィア、君を信じよう」


 だが、彼は初めて、それを放棄した。

 世界の危機もまだアルシエロには及んでおらず、彼女の話の真偽も問えない状況で、信じてみることにしたのだ。


「ありがとうございます」


「僕が他人を信じるなんてねえ。自分でも驚きだよ。兄上の変な自信がうつったのかも。この地は元々女神信仰が盛んな地だし、今回の件もさほど労なく済むんじゃないかな」


 女神がレッチェアーノに降臨したとなれば、ひと騒動あるだろう。

 それをどう治めるかはニコラの手腕にかかっている。

 取るべき手順を頭に思い浮かべながら、ゆるく微笑むニコラに、ルクレツィアは頭を下げた。


「助かります」


「ルクレツィアとカルロには散々世話になったからね。これからも、よろしく頼むよ」


 彼女に少しばかりの見栄を張りたい気持ちもあって、ニコラは努めて軽く、ひらりと手を振った。

 そのくらい、容易いことだと、自分に言い聞かせる意味合いもあっただろう。


「もちろんです。それでは、そろそろレッチェアーノに、戻りますわね」


 魔術師の礼をするルクレツィアを見やり、ニコラは思う。

 ――此度の件がうまくいけば、女神に謁見し、この地を元に戻してもらえる可能性がある。

 それは、兄の悲願であり、この地の民の望み……そして、ニコラが幼いころに諦めた願いであった。

 急に両肩が重くなったような気がしたが、気付かぬふりをして、ニコラはいつものように振る舞う。


「気を付けて行っておいで」


「はい」


 前回と同じやりとり。

 変わらぬやりとりに安心して、ルクレツィアは宮殿を去り、再びレッチェアーノに戻るのだった。


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