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第七十九話 祖国の異変19

「――久しいな、娘よ」


 万感(ばんかん)の思いが込められた一言であった。

 その言葉に、彼の全ての感情がこもっている、そんな一言。

 ルクレツィアの瞳が、水気を帯び、開かれた唇から吐息が漏れる。


「ええ、久しぶりですわね。お父さま」


 気丈きじょうに微笑んで見せた彼女であったが、声は震えていた。

 国を去った時に交わした、言葉のない、別れ。

 そして、二度と会うことのないと思っていた父親との正式な再開。

 彼女の心と言わず、全身が歓喜に震えているのだ。


「まだ、父と呼んでくれるか」


 ルクレツィアの元へと歩み寄り、アレッサンドロは彼女を見下ろした。

 そうして彼は、娘の傷一つない、いたって健康そうな姿を確認して目を細める。


「あら。お父さまだって、わたくしを娘と呼んでくれたでしょう?」


 こぼれそうな涙を堪えて、ルクレツィアもアレッサンドロの元へ、一歩歩み寄った。


「当然だ。お前はいつまでも、私の大切な娘だ」


 辛い想いをたくさんしたであろうに、決して泣こうとしない娘。

 愛おしくも痛ましい娘の気持ちに応えるように、アレッサンドロもぎこちない笑みを浮かべた。

 それは不器用な微笑みであったが、彼の娘の心には強く響いたらしい。

 ルクレツィアは堪えていた涙をついに決壊けっかいさせ、飛びつくように父親へ抱き着いた。

 恐ろしい白昼夢を見た幼少時のように、無心に抱きつき、アレッサンドロの肩を濡らすルクレツィア。

 大きくなっても、子供と言うのは変わらぬものだな、とアレッサンドロは彼女の頭を撫でながら思った。

 美しく、気高い女性へと成長した娘。

 けれど、アレッサンドロにとってルクレツィアは、いつまでたっても小さくて可愛い娘のままだった。


「うう……ぐずっ……」


 感動の親子の再開。その背後で、鼻を啜る音。

 思わず、ルクレツィアとアレッサンドロが振り返る。

 そこにはあふれる涙をドレスの裾で拭う、ルーナの姿があった。


「わらわは、こういうのに、弱いのじゃ。不器用ながらも、想いあう親子の愛。これほど美しいものはない」


 ぐしぐしと乱暴に目元を擦りながら、ルーナが続ける。


「アレッサンドロと言ったか。汝、シエルによう似ておる。あやつも、器用とはいえなんだが、家族思いの優しいやつじゃった……!」


 シエル。それはレッチェアーノの初代国王の名である。

 知らぬ者のおらぬ名の登場に、周囲の貴族達がざわめいた。

 周囲の反応などお構いなしに、りし日の夫の姿を思い出して、更に涙を流すルーナ。

 ルクレツィアは、持っていたハンカチを黙って彼女に差し出した。


「ありがとう。お前は、ほんにいい子になったのう」


 受け取ったハンカチで、涙をぬぐい、ルーナは深く息を吐き出した。


「よし。落ち着いたぞ。ルクレツィア、お前は良い父親に恵まれた。そういえば、母親はどこじゃ?」


 ひとしきり泣いて落ち着いたルーナが、辺りを見回す。

 アレッサンドロは眉間にしわを寄せ、いつものいかめしい表情を作って、口を開いた。


「母親……クラリッサは、だな……屋敷をま、いや、屋敷に残してきたのだ」


 少し気が急いたらしく、言葉を噛んだアレッサンドロ。

 ルクレツィアは、はっとすると、慌てて父の支持をした。


「そ、そうですわね」


 言いながら、ルクレツィアは貴族の『病弱』ほどあてにならないものはない、と思った。

 表向き『病弱』と言われている、ルクレツィアは冒険三昧ぼうけんざんまいであるし、パメラは裏で暗躍する黒幕系令嬢だ。

 ベルリンゲル侯爵家三男のジャンティーレは有能凄腕の変態冒険者であるし、公爵夫人クラリッサは暗器をもつ、暗殺者のようであった。

 『病弱』な貴族には、気を付けよう。ルクレツィアはそう、心の中で決めた。


「外は死者や魔獣で溢れていて、危険ですものねっ! お父さま!」


 その胸中はさておき、健気な娘からの助け舟。

 父親はややあって、力強く頷いた。


「うむ! 娘の言うとおりだ! だから、屋敷を任せ、いや、屋敷の者たちに任せてきた」


 いつもより眉間にしわを寄せ、口角をぎゅっと下げて、アレッサンドロは言った。

 全ては妻の名誉のため。ようやく噂話が落ち着いてきたところに、火種を放り込むようなことはしたくない。

 彼自身は少々気合いを入れたつもりであったが、まるで、決死の覚悟で女神に挑む戦士のような表情である。

 ルーナはその表情を一瞥いちべつし、あっさりと頷いた。


「そうか。なら、よい」


 嘘をついている事は分かったが、彼女が嫌いな類の嘘でないと気づいたからだ。


「わらわはルーナ。ルクレツィアがルネッタであった頃の、母である」


 ルーナは改めて名乗ると、胸を張って、アレッサンドロを見上げた。

 月の光を連想させる銀色のドレスに身を包んだ彼女は、造形こそよく似ているが、態度やしぐさ、話し方、何から何までルクレツィアと違う。

 写し身であるように似ているのに、中身がこうも違うとは。

 アレッサンドロは不思議な違和感に、しばし黙して彼女を見下ろした。


「ルーナが言うには、私は彼女の娘、ルネッタの生まれ変わりらしいです」


 黙り込む二人の沈黙に耐えかねて、ルクレツィアが口を挟む。


「すまない。私はアレッサンドロ。ご存じのとおり、ルクレツィアの父親です」


 アレッサンドロはルーナに無礼を詫びて、自らも改めて名乗る。

 そうして、傍らのルクレツィアに囁きかけた。


「生まれ変わり? それは、真実なのか」


「わたくしには記憶がないので、わかりません。けれど、アルシエロで出会った、水精霊もわたくしのことをルネッタと呼びました」


 いよいよ複雑になってきた話に、アレッサンドロは閉口した。

 国王の前でも述べていたが、まさか本当に、女神の娘だとは。

 しかし、彼が娘に向ける言葉はただ一つ。

 それだけは、天地がひっくり返ろうと、変わらない。


「そうか。お前がなんであろうと、私の娘には変わりないし、無事であるならそれでよい」


 アレッサンドロは努めて、笑みを浮かべるようにしてルクレツィアに頷いた。


「ありがとうございます! お父さま」


 父親の言葉に彼女は、花咲き誇るような笑みで礼を言った。

 もう一度抱き着きたいくらいであったが、さすがにそれは、と理性をもって自重する。


「して、娘よ。お前の恋人はどうしておるのだ?」


 アレッサンドロはずっと気になっていたことを、尋ねてみることにした。

 できるだけ、何気ない風を装いたかったが、ついそわそわしてしまう。

 そんな父の様子を気にした風もなく、ルクレツィアは笑顔で答えた。


「恋人? ああ! 夫のカルロのことですわね」


「夫オオオォォォ―ッ!?」


 不意に投げつけられた特大の爆弾発言に、アレッサンドロは我を失った。

 娘が国を出てからわずかの間に、婚約期間を通り過ぎて、既に嫁いでしまったとは。

 衝撃的過ぎて、彼の頭は真っ白になった。


「お、お父さま……?」


 抜け殻のように虚空こくうを見つめている父の、尋常ではない様子。

 ルクレツィアはこれ以上彼を刺激しないよう、恐々と話しかけた。

 娘の心配そうな視線を受けて、アレッサンドロは我に返る。


「はっ! いや、つい取り乱してしまった。すまない。まだ心の準備が整っていなかったものでな」


 父親に正式な許しも求めず、勝手に婚姻を決めることは、貴族の常識としてはありえない事である。

 けれど、表向きは除籍された彼女が父親に婚姻の許しを得る事は難しかった。

 それでも、これまで支え続けてくれた父親に対し、申し訳ない気持ちになって、ルクレツィアは頭を下げた、


「承諾も得ず、申し訳ございません」


「相手が竜だろうとなんだろうと、お前が幸せならば、よい。うん。よいのだ……」


 しおらしい娘の態度にアレッサンドロは、鷹揚おうように頷いた。

 語尾は尻すぼみになった辺りに、彼の本音が現れていたが、ルクレツィアは素直に喜ぶ。


「はい。わたくしはとても幸せです」


 晴れやかな笑顔。これまで彼が見てきた中で、それは、一番の笑顔であった。

 アレッサンドロは言葉もなくもう一度頷いて、咳ばらいをする。


「さて。これからどうするか、話し合うとしよう」


 積もる話は多々あれど、すべてはことが終わった後である。

 国中の人間が救いを待っていた。

 父と娘は久々に手を取り合って、国の難所に取り組むことにしたのだった。

 


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