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第七十八話 祖国の異変18

 一方、王宮へ向かったルクレツィアたち。

 王宮へ到着した後、彼女たちは城門前の兵士たちとしばし、口論することとなった。

 此度こたびの騒動の原因であると噂される、ルクレツィアが同行していたからである。

 剣を抜くかぬかどうかというところまで発展し、一行は危うく兵士たちにとらえられるところであった。

 しかし、貴族の子息と、サルダ帝国の王族、極めつけは女神を名乗る美女まで現れ、一応、国王へと話が通されることとなったのである。

 元々国王――セヴェリオは、ルクレツィアが現れたら、玉座の間へと通すように命を下していた。

 しかし、この状況にあっては、情報の伝達も上手くいっていない様子である。


「ルクレツィア、来てくれたか」


 壇上の玉座に座ったセヴェリオの表情に覇気はなく、やつれてしまっていた。

 かつてないほどの災害に、不眠不休で対応していただろうことが、その顔色からうかがい知れる。

 王座の間には、第三王女であるリゼルや王太子であるジュリオ、その護衛の三人組みと部外者――そのほかにも多くの貴族達が玉座の間に押しかけていた。

 事情を知るもの以外は、此度(こたび)の災害の犯人と噂されているルクレツィアの登城にざわめいている。


「あなたの依頼を受けたわけではありません。大切な人たちのために、参りました。……陛下は、少しやつれたようですわね」


 他のものが頭を下げて、セヴェリオの言葉を待つ中、ルクレツィアとルーナ、セイの三人は真っ直ぐに彼を見つめていた。


「罪びとが! 陛下のご尊顔を拝むなど無礼にもほどがある! ひざまずいて地に伏せよ!」


 扉を護る兵士の一人がとがめるも、セヴェリオは疲れたように首を振った。


「よい。彼女は我が国の臣民ではないのだ。国の滅亡がかかっている今、罪を問うつもりはない。……我々には彼女の力が必要だ」


 セヴェリオの言葉に貴族たちがたまらず声を上げる。


「しかし、陛下! 此度の災禍はそこな女の仕業だと聞いております」


 こうべを垂れたまま奏上そうじょうする貴族を、セヴェリオが一喝する。


「下らぬ流言に惑わされるでない。まずは私が話をする。黙って聞いておるがよい」


 そうして、ルクレツィアの真意を見定めるように玉座から彼女を見下ろす。


「依頼を受けるつもりもないのなら、なぜ捕らえられる危険をおかしてまで王宮へ参った?」


 良く似た容貌の女性が二人。

 どちらがルクレツィアか見分けがついてないようで、セヴェリオは二人を交互に見ながら、声をかける。


「捕らえる? 今のレッチェアーノに、わたくしとカルロを捕らえられる人間はいないでしょうに。時間がないので手短に話します。行方不明だったティート=バドエルが生きていました」


 ルクレツィアの言葉に、セヴェリオは思わず腰を浮かせた。


「なにッ!? ティートが!?」


「ええ。彼は死者を蘇らせる研究をしていたようです。そのために、女神の遺骸と力を贄として、彼の娘を女神として復活させようと……」


 彼の最後を思い出し、ルクレツィアは瞳を伏せる。

 魔術師として生きたティート=バドエル。

 彼が生涯をかけて積み上げてきた魔術、功績、そして名誉。

 その全てと引き換えに彼が望んだのは、娘だった。

 彼のせいでルクレツィアを含め、多くの人間が苦しめられた。

 けれど、あの最後を見たルクレツィアには、彼を責めることはできない。

 一人のために世界を危険にさらすなど、狂気の沙汰さたではある。

 しかし、彼の娘を追い求める姿。それ自体には、酷く胸を打たれたのだ。


「娘と言うと、フィオナ=バドエルか。あれもまた、痛ましい事件だったな」


 セヴェリオが玉座に肘をついてうなった。

 そうして彼は、誠実で堅実な人柄で知られるティート=バドエルが凶行に至った理由について、考えを巡らせる。

 ルクレツィアはセヴェリオの言葉に、眉尻をあげて口を開いた。


「事件、ですか?」


「詳しいことは語れぬが、危機に瀕した娘を護ろうと奥方が命を犠牲にしたのだ。しかし、ティートが駆けつけた時、娘は母親の腕の中で、既にこと切れていたらしい。……常人ならばとても耐えきれまいて」


 そういうことだったのか。

 とセヴェリオは眉間を指先で押さえうつむいた。

 今まで王家に尽くしてきたティートがルクレツィアをおとしいれる理由もない、と一応身辺調査を命じつつも別の黒幕を探っていたが、そもそも狙いは他にあったのだ。

 ジュリオをたきつけて、ルクレツィアに冤罪をふっかけることで、王家と公爵家の仲をさき、混乱に乗じて事を成す。

 セヴェリオの知る、ティートらしからぬやり口に、すっかり騙されたのだった。


「あの方を狂わせたのは、妻子の死ばかりではないと思いますの。全てをなかったことにされたら、存在そのものを奪われたような気持になるのではないでしょうか」


「それがこの国のやり方だ。しかし、それを改めねばなるまいと、此度こたびの件で痛感した」


 沈黙するセヴェリオにルクレツィアが問いかける。


「ティート=バドエルはいったいどのような研究をしていたのですか?」


「報告書には女神が紡いだ死のことわりを乗り越え、死を克服するための研究とあったのだが……全ては娘をよみがえらせる為のものだった、ということであろうな。犬猿の仲であったホフレ=リストスキーを除いて、ティートの仲間であった者たちは国を去ったと聞いている。妻を亡くし、娘を失い、仲間は去った……状況から考えるに、彼はとうに正気を失っていたのだろう」


 セヴェリオは永遠の命を得たいとは思わなかったが、その手法があるのならば、王家で管理せねばと考えていた。

 だからこそ、ティートが姿を消したとき、研究絡みであることを疑ったのである。

 セヴェリオはしばし過去を振り返り、ティートの妻と娘の早すぎる死をいたむように瞳を伏せた。

 ルクレツィアは過去に何があったのか気になったが、今はそんな場合ではないと思い直し、言葉を紡ぐ。


「娘をよみがえらせようとした結果、彼は失敗し、亡くなりました。蘇ったのは彼の娘でなく、月の女神ルーナです。女神が言うには、これより先は死者だけでなく、過去の魔獣や古代の生物も蘇るとのことですが……」


 ルーナを横目に見ながら、ルクレツィアが本題を告げる。

 これ以上事態が悪化することはない。そう思っていたセヴェリオは頭痛とめまいを感じで、頭を抱えた。


「過去の魔物もか!? それは、大変な事になるぞ。なんとしても防がねば」


「蘇った女神の力で世界を元に戻すには、人々の信仰、のようなものが必要らしいです」


 セヴェリオの嘆きも意に介さず、ルクレツィアは淡々と言葉を続けてゆく。


「信仰……とは、昔きいたことがあるような気もするが、耳慣れぬ言葉だ」


 レッチェアーノでは久しく聞かない言葉に、セヴェリオがうなる。

 ますます頭痛がひどくなったような気がして、セヴェリオはこめかみを指先でもんだ。


「わたくしもよくわからないのですが。女神は、願い、感謝、祈りをささげる人間の魔力を糧とするらしいです。まずは女神の存在を強く信じることが大事なのではないかと。魔力が満ちれば、彼女が本来あるべき神の座へと戻されるのだそうですよ」


 しかし、説明を受ければ分からないこともない。

 人間の持つ魔力は、女神が地に落ちて人間と交わることで与えられた、との説もある。

 元々女神のものであるならば、それを糧とするのも納得がいった。

 要するに、女神がるべき場所へ戻れば、この狂った世界を元に戻してくれるのだ。

 セヴェリオはそう、理解した。


「ふむ。それが事実であるならば、かけてみる価値はあるが……」


 女神信仰が廃れてしまったレッチェアーノでは、建国時の女神の教えすら残っていない。

 レッチェアーノは今や、死者や朽ちた魔物が徘徊する死の国となりつつある。

 家族や友人、国のため、女神を信じて救済を願い、祈るというのはそう難しいことでもないだろう。

 しかし、それが本当に女神へ届くかは、やってみなければ分からないというのが難点である。


「まずは、このことを国中に知らせねばならない。この状況では正直、厳しいだろうな」


 多く貴族たちは城に集まっているが、城下の店や屋敷に閉じこもっている者達も多い。

 国中にふれを出そうにも、魔物や死者が通りにあふれている現状では難しかった。

 国を渡れるほどの転移魔術陣を紡げるのは、ホフレとルクレツィアくらいである。

 ホフレはまだ戻らない。せめて、死者と魔獣がどうにかできれば。


「のう。一つよいか?」


 思い悩むセヴェリオへ、ルーナが声をかけた。

 ルクレツィアは彼女をてのひらで示しながら、セヴェリオに紹介する。


「彼女はルーナ。月の女神です」


 ルクレツィアと鏡映しのような美女を女神と紹介され、セヴェリオは怪訝けげんな表情で頷いた。

 いきなり女神だと言われても、ぴんと来ないが、真実であるならば怒りをかうわけにもいかない。

 ルーナは、心の奥底を覗き込むような瞳で彼を見つめた。


「セヴェリオといったな。お前は何を悔いておる?」


 深い紫の瞳を見つめていると、全て見透かされているような気がして、セヴェリオの全身に鳥肌が立った。

 ルクレツィアと良く似た容姿であるのに、話してみればまるで印象が違う。

 見下ろしているのは、壇上のセヴェリオであるはずである。

 なのに、泰然たいぜんとしたルーナの立ち姿に圧倒され、遥か高みから見下ろされているような気さえした。


「どういう意味でしょうか?」


 自然、彼の口調も丁寧なものとなる。

 髪どころか、全身から月の魔力を漂わせるルーナ。

 生きた神秘の発する魔力に、玉座の間にいる人間たちの肌がしびれた。

 それが緊張によるものなのか、圧倒的な魔力に対する防衛本能かはわからない。

 けれど、女神はその場の人間の反応など意に介せず、更なる魔力を身にまとう。


「わらわの娘を見た瞬間に、罪悪感を示したじゃろう。汝、わらわの娘に何をした?」


 風もないのに、ルーナの髪がふわりと浮かび上がる。

 強すぎる魔力に周囲の人間は、肌を焼かれるような痛みを感じた。

 理性も本能も逃げろと言っているのに、みな、足を地面に縫い付けられたように動くことができない。


「あなたの娘とは、いったい?」


 察しはついたが、それが間違いであることを祈るように、セヴェリオが問いかける。

 ルーナは炯炯けいけいと輝く紫の瞳を、すうっと細めた。


「質問しているのはわらわの方じゃ。ルネッタ、いや、ルクレツィアに何をした? 心して答えよ、汝の一言がこの国の滅びを招くやもしれぬぞ」


 紅い唇に浮かんだ笑みは、酷薄こくはくで、底冷えのするもの。

 女神とは救いをもたらすもの、と認識していた貴族たちは震えあがった。

 本来、神とは、おそうやまうものである。

 なせなら、その怒りをかうことは、滅亡を意味するから。

 女神の怒り――正確にはその娘だが――をかった世界の終りにある大地(アルシエロ)を思い出し、セヴェリオも血の気が引いてゆく。

 大勢の貴族たちが見守る中、彼は答えを口にすべく、ごくりと息を飲んだ。


「全て、私が悪いのです」


 唐突に、王太子――ジュリオがルーナの前に歩みでた。


「汝は?」


 取るに足らないものを見つめるような、冷たい視線を向けられて、ジュリオの足が震えた。

 けれど、彼は意を決して、口を開く。


「……ルクレツィア、さん、の元婚約者です」


 ルクレツィアの名を呼んだところで、じろりと睨み付けられ、ジュリオの声が裏返る。

 しかし、失態など気にしてられないとばかりに、彼は必至で言葉を紡いだ。


「名をジュリオと申します。私はティート=バドエルの策略により、おとしいれられた彼女を信じることができませんでした。そのせいでルクレツィアは捕らわれの身に。国外へ逃げ出さなければ、大勢の貴族たちの前で裁かれ、処罰を受けるところでした」


 今思えば、全てティート=バドエルが管理する学園の内で始まった出来事であった。

 その時点で疑うべきであったのに。

 ジュリオはティート=バドエルの言葉と告発文を信じて、婚約者を偽りの罪で裁こうとした。

 その時のことを思い出し、ジュリオの表情が歪む。

 彼がそれを悔いているのは、誰の目にも明らかだった。

 ルーナは初めて彼に興味を持ったように、その目を覗き込む。


「ふむ。つまり、わらわの娘にいわれなき罪を着せ、裁こうとしたという事かの?」


 妙にゆったりとした口調で、ジュリオの心の動きの一つ一つを読み取るように、ルーナが告げる。

 ジュリオは体の奥底から、ぞわりと込み上げてくる恐怖に耐えるように、肯定した。


「はい」


「それに王も関与しておるのか?」


「……おそらく父上は、ルクレツィアの無実を知っていました」


 彼の返事を聞いて、ルーナはセヴェリオへと視線を向けた。

 細められた瞳は全てを見透かしているようで、セヴェリオの背に悪寒がはしる。


「王は娘の無実を知りながら、偽りの罪で裁いたという事じゃな。悔やむ程度の心は残っておるようじゃが、その悔いには何の価値もない。息子可愛さに、罪を犯したか。あるいは、後継者を無くした後の争いを恐れたかは知らぬが、今代の王は実にくだらぬぞ!!」


 言い捨て、見る価値もなしとばかりに背を向けるルーナ。


「可愛い娘の願いと思うて、神の座に戻る覚悟を決めたが、気が変わった。わらわのらぬ間に腐り切ってしまった国など、滅びてしまえばよいのじゃ」


 視線をルクレツィアに向けると、ルーナはきっぱりとした口調で告げた。

 そうして、女神は気まぐれな猫のように、軽い足取りで出て行こうとする。

 ルクレツィアは慌てて彼女を呼び止めた。


「待ってください、ルーナ!」


 呼びかけに、ぴたりと足を止めてルーナは振り返る。


「安心するがよい。一番に滅ぶのはレッチェアーノじゃ。他はおいおい救うとしよう」


 心配するな、とでもいうように慈悲深い笑みで、彼女はとんでもないことを言ってのける。


「それではわたくしが困ります!」


 しん、と静まりかった玉座の間に、ルクレツィアの声が響き渡った。

 見守る人間たちは、果敢に女神に向かっていく彼女へと、祈るような視線を向ける。

 もはや、女神の心を動かせるのは、彼女しか居ないとの身勝手な期待を込めて。


「……なぜ、救わねばならん? わらわは、裏切りや偽りは好かぬのじゃ! 一度許せば、こやつらはまた同じ過ちを繰り返す。ならば一度、腐りきった国を滅ぼし、新たに美しい国をつくりなせばよかろう!」


 ルクレツィアの呼びかけもむなしく、ルーナはむっとしたように言葉を投げつけた。

 先ほどの威厳はどこへやら、まるで、子供のような言い分である。


「この国が滅べば、わたくしの愛する人々が困ります。この国に生きる人々に、国とともに滅べというのは、あまりに乱暴な結論ではありませんか」


 何とか思い直させようと、ルクレツィアはルーナの目を見つめ、真摯な態度で言葉を紡いだ。

 見つめ合う、紫の瞳。

 耐えかねたように、ルーナはふいと視線を逸らした。


「よその国へ行けばよかろうに」


 あと一歩。ルクレツィアは手ごたえを感じて、更なる言葉を重ねる。


「わたくしの身に起きた理不尽な出来事。それに怒りを感じてくれたのは嬉しく思います」


 それは事実だ。

 そんな国など滅びてしまえ! というのは、いささか行き過ぎではあるが、親身になって怒ってくれるのは、素直に嬉しい。


「けれど、わたくしは、今の自分に満足しています。国を出て、幸せになりましたもの。だから、いいのです。急な出来事で当時は状況が良くわかっておりませんでしたけれど、お話を聞いて、わたくしが原因で内乱が起きなくてよかった、と思えるようにもなりましたから」


 失ったものも大きかったし、絶望もした。

 しかし、国を逃げ出さなければ、ルクレツィアがカルロと結ばれることはなかっただろう。

 加えて、彼女の愛する人たちは、まだみんな生きている。

 ルクレツィアはそれだけで、満足だった。


「その言葉に、偽りはないようじゃの」


「ありません。この国の本当の姿を知り、思うところはいくつもありましたが、それでも滅んでしまえとは思いませんでした」


 再開した愛する人々の姿を脳裏に浮かべ、ルクレツィアはゆっくりと笑みを浮かべた。


「国を治める方々にはそれぞれの思惑があるのでしょう。しかし、その過程で踏みにじられた人間により、国が滅びかけているのです。どうすれば、より良い国となれるのか。わたくしにもわかりませんが……願わくば、真実を知った人々、そして間違いを悔い改めた人々により、これからよき方向へと向かう努力がなされると信じたいのです」


 ルクレツィアの紡ぐ一言一言に耳を澄まし、全てを見定めるように眺めていたルーナ。

 彼女は、悩ましげにまぶたを閉じた。


「うーむ、まだ残すべき価値があるということか。……ではこうしよう。当初の予定通り、神の座に戻れたならば、救ってやる」


 言って、瞳をゆるりと見開くと、壇上にいるセヴェリオに静かに告げる。


「――ただし、過ちは認めよ。わらわは娘ほど甘くはない。できぬと言うなら、いかに娘の頼みといえども、わらわは動かぬぞ」


 最大限の譲歩だ、と言わんばかりにルーナは言った。

 ようやく明るい兆しが見えそうだ。

 しかし、ここが正念場である。

 セヴェリオは疲れ切った体を叱咤するように、拳を握ると、慎重に言葉を発した。


「無実を知りながら、国のためと見捨てたのは認めます。その子には本当に申し訳ない事をした。このような時にする話ではないかもしれませんが、国の状態が落ち着き次第、責任を取って王位を退くことも受け入れましょう。必要ならば、この首を差し出す覚悟も決めました」


 セヴェリオの言葉に玉座の間がざわめいた。

 ルーナはセヴェリオを一瞥して、不快を示すように眉根を寄せる。


「そんな首、いらぬわ。わらわが好むのは、曇りなき真っ直ぐな生き様であり、偽り無き人間の献身である。正しきを知りながら過ちを成し、理想と現実の間でくたびれ、生きることを諦めた人間の首などいらぬ。わらわに死を与えて欲しくば、何か一つでも心から誇れることを成しとげてみせるのじゃな」

 

 容赦のないルーナの言葉に、セヴェリオはうなだれた。

 国が滅びかけている今だからこそ、国王として王家と国を守らねばならない。

 しかし、セヴェリオにはとるべき道が分からなくなっていた。

 王家とは、兄の信頼を裏切り、姪を無実の罪で裁こうとしてまで、守るべきものだったのか。

 ルクレツィアが国を出た後も、変わらず公爵家を重用し、親しくしているように見せることで、アレッサンドロの立場が揺らぐことはなかった。

 けれど、アレッサンドロは己の地位よりも、ただただ娘のことを案じている様子であった。

 セヴェリオはそんな兄の姿を見るたび、罪悪感にさいなまれた。


 国が荒れる未来が避けられなかったというなら、断腸の思いでジュリオを廃嫡するべきだったのではないだろうか。

 王家の威信が地に落ち、アレッサンドロを王座に就かせようと、あるいは自身が王家の簒奪を望む者たちによって内乱が引き起こされたとしても、その方が正しかったのではないか。

 ルクレツィアが国を去り、災禍の中で朽ちゆく国を眺めながら、彼は幾度となく自身に問いかけた。

 ……今日まで、その答えは出なかった。

 王家の威信などと言っていられないほど国が滅亡の危機に瀕し、女神に罪を暴かれることでようやく、セヴェリオは己の罪を告白することができたのだった。

 罪を告白した後、セヴェリオはすべての責任を負い、死を持って償おうと考えた。

 彼の誤算はすべてを諦め、無責任に放り投げて死ぬことを許すほど、女神が甘くなかったということである。


「……ほかに、私にできることはあるでしょうか」


 生きている以上は役目を果たすが、許しを請う事すら許されぬことをしたというのに、今更どう償えばよいのか。

 すっかり老け込んだように意気消沈しているセヴェリオ。彼の様子も意に介せず、ルーナは冷たく振り払う。


「そのくらい、自身で考えるのじゃ。娘の名誉を挽回し、真に罪あるものどもを裁け」


 彼女の言葉尻を耳にして、ルクレツィアが苦笑した。


「わたくしの汚名をすすいでくれるのは、元実家のためにもありがたいですが、これ以上人が裁かれるのはうんざりです。……レッチェアーノの次の王が誰になるかなど、わたくしには関係のない話ですけれど。こんな状態の国を譲渡されても、次の王に据えられたものが苦労するのは目に見えています。ならば、現在の王が責任を持って治めるべきかもしれませんわね」


 ここに来るまでにたくさんの苦しむ人たちを目にしてきた。

 できることなら、これ以上は避けたい。

 この国に生きる友人のため、そしてすべての国民のため、良き王となる覚悟があるのならば、彼女にとってレッチェアーノの国王など誰でも良かった。

 責任を取って辞め、あるいは死に、それで終いとされても、事態は何も好転しないだろう。

 セヴェリオに死ぬ覚悟があるというのなら、この国のため、命を捧げたつもりで働いてほしい。

 それは偽らざる彼女の本音である。

 ルクレツィアの言葉を受けて、ルーナは困ったように頬に手を当てた。


「ほんに我儘わがままな娘よの。しかし、お前がそういうのならば、それも良かろう。しかし、この国がわらわとの約束を破った時には、大陸ごと海に沈めてくれようぞ」


 物騒な脅し文句の後、ルーナはそわそわと落ち着かない様子でルクレツィアへ問いかける。


「時に、ルクレツィア、今世のお前の両親とやらはどこじゃ?」


 前の世の母として、ルクレツィアの今世の両親が気になるらしく、ルーナは視線を巡らせる。

 ルーナの言葉を受けて、貴族たちの視線がアレッサンドロに集まった。

 これだけあからさまでは、隠すこともできず、ルクレツィアは観念して父親を掌で示す。


「あちらに」


 紹介の言葉を続けようとしたところで、ルクレツィアは言葉を失った。

 除籍された身で、父親と紹介していいものか、躊躇ちゅうちょしたのだ。

 アレッサンドロは、ルクレツィアが最後に会った時と全く変わっていない。

 草臥くたびれたようすも、悲嘆にくれたようすもなく、常と変らぬ立ち姿である。

 ルクレツィアと視線があると、彼は厳しげな紫の瞳を僅かにゆるめて、口元を綻ばせた。


「――久しいな、娘よ」


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