第6話 死のティータイム
さきほどまでとは打って変わって、周囲が暗くなった。
廊下の燭台を頼りに、俺たちはイオナを追いかける。
イオナは複雑な城内を縦横無尽に駆けめぐった。おそらく、火薬の匂いを追っているのだろう。彼女の身体能力が高過ぎて、ときどき見失いそうになった。
「イオナ! すこし落ち着け!」
「ひとの叫び声がしたぞ!」
「なにぃッ!?」
鼻だけでなく、耳もいいのか――俺には、全然聞こえなかった。
しかも、今の情報は重要すぎた。
「だったら、なおさら落ち着けッ! 罠だッ!」
「犯人がいるはずだぞ!」
どうやらイオナは、捕り物かなにかと勘違いしているらしい。もちろん、ここで犯人を捕まえられたら、大団円だ。だが、そうなるとは思えない。そんな簡単なゲームのはずがないんだ、これは。
イオナが立ち止まったのは、一枚の扉――の跡地だった。煙がたなびき、あたりに火薬の匂いが充満している。俺は袖口で鼻を押さえながら、イオナを捕まえた。
「うしろに下がれ」
イオナは、くんくんと鼻を鳴らした。
「嗅がなくてもいいだろう。火薬の匂いくらい、俺にも分かる」
「……肉を焼いた匂いがする」
俺は思わず、イオナの肩から手を離した――肉を焼いた匂いだと? いや、まさか――俺は信じられず――あるいは信じたくなくて――イオナを睨んだ。
「脅すな」
「嘘じゃない!」
イオナはそう叫んで、部屋に飛び込んだ。
俺とモンティも反射的に、そのあとを追った。
「勝手に行動するなってッ!!」
「あれだ!」
俺は、イオナの指先を追った――そして、後悔した。
壁際に、黒焦げになった男の死体が転がっていた。
……………………
……………………
…………………
………………
「おえッ」
「大丈夫?」
モンティに背中をさすられて、俺は洗面台に突っ伏した。気持ち悪さで涙目になりつつ、鏡をのぞき込む。顔が青ざめていた。
「あなた、このゲームをやり込んでるわりに、だらしないのね。あれは敗北時のキャラグラフィックでしょ……まあ、多少は気持ちが悪いけど、調整されてるし、ゾンビゲームのほうがよっぽどグロいじゃない」
俺はホラーゲームは苦手なんだよ。内心でつっこみを入れた。
たしかに、そこまでグロテスクなグラフィックじゃなかった。当たり前だ。幅広い年齢層が遊べるようにしているのだから、残虐な描写は使えない。だから、あのウィルソンの死体だって、VRMMOでは、まあよくあるような焼死体だった。現実で爆発に巻き込まれれば、もっとぐちゃぐちゃになっているだろう。想像したくもない。
「あれは、誰の死体だった?」
「もう忘れなさいよ……苦しいんでしょ?」
「ちょっと気分が悪くなっただけだ……ウィルソンか?」
モンティは、なにも答えなかった。けれど、その沈黙は、Yesだと答えていた。
コンコン
ノックの音。
聖騎士サリカの声が、トイレのドア越しに聞こえた。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
俺は、気丈にそう答えた。
「全員集まっている。申し訳ないが、早めに願いたい」
俺は「分かった」と答えた。口元をぬぐって、手を洗った。
モンティは心配してくれたが、へばっているわけにはいかない。
ドアを開けると、豪勢な客間がひろがった。調度品は、中世というよりは、むしろモダンな感じで、やや違和感があった。もちろん現代風ってわけじゃない。ニスを塗ったテーブルとか、大理石の暖炉とか、雰囲気は考えられていた。
イオナは絨毯のうえにじかに座って、俺を待っていた。
「もういいのか?」
「ああ、すまん」
「イオナが話を聞いて、あとで教えてやってもいいだんぞ?」
いや、それは御免こうむる。情報の信頼性に疑問がある。
「心配してくれるのはありがたいが、ほんとうに大丈夫だ」
「そっか」
イオナは納得した。
サリカが咳払いをして、座を見渡した。暖炉の近くのソファーに座っているのは、竜人とマダム・ブランヴィリエ。吸血鬼ヴラドは、マントルピースに寄りかかり、腕組みをしていた。なにを見ているのか――それとも、なにも見ていないのか。サリカは部屋の中央に立って、俺たちを待っていた。俺の背後にいるモンティとイオナを加えて、7人だ。メイドのクレアは姿がみえなかった。
俺は、今後の予定を、サリカに率直にたずねた。
「これから、どうするんですか?」
「貴殿らに集まってもらったのは、ほかでもない……ウィルソンは死んだ」
俺は、嘔吐感を我慢した。
一方、ヴラドはただの事務報告を受けたような口調で、
「どのように確認を?」
とたずねた。
「私とグウェイン殿で検死した……ヴラド公も確認するか?」
いや、結構。ヴラドは、そう答えて、さらに質問をかさねる。
「他殺は確定というわけですか?」
サリカは即答しなかった。その理由は、俺にもわかった。
そして、サリカもその理由通りに答えた。
「事故死の可能性もあると思う」
「事故死……」
ヴラドはひと呼吸おく。
「つまり、あなたはこう言いたいのですか、聖騎士様? あの空中回廊を爆破したのはウィルソンであり、彼は南館も破壊するつもりだった。ところが、そのとき火薬の扱いを間違って、自分が事故死してしまった、と?」
「ヴラド公のおっしゃるような可能性もある、と思う」
「では、贋金師ハッサムを殺害したのも、ウィルソン氏だと?」
サリカは、かぶりを振った。
「そこまでは断定していない」
「失礼……カマをかけたわけではありません。率直な意見をうかがいたいだけです」
「私はまだ、ハッサムが病死だったのかも、ウィルソンが事故死だったのかも、分からないと考えている。すべては可能性の話だ」
「それを推理によってどうにかするのが、わたくしたちの役目かと思いますが」
ヴラドの指摘は、ややいじわるだと思った。「わたくしたち」という言い回しはしているが、サリカに丸投げの印象を受けた。まるで他人事のようだ。ヴラドもオブデロード卿に呼ばれたメンバーであり、彼にも推理の義務はある。
ここで、モンティが一歩前に出た。
「あの、ちょっといいかしら?」
聖騎士はそちらへ視線を動かす。
「意見は、忌憚なく述べていただきたい」
「ウィルソンさんがいなくなったのって、いつごろ?」
モンティの質問は、ヴラドとマダムに向けられていた。
マダムはすこしばかり逡巡した。
「さあ……しばらくは、一緒にいたように記憶しておりますけれど……」
吸血鬼のほうは、これよりもはっきりした返答をする。
「二、三〇分は、ともに行動しました」
モンティはメモ帳をとりだした。器用なやつだ――いや、情報屋なら当たり前か。
「二、三〇分……あたしたちが捜査を始めたのは……リアルタイムで、ほぼ一八時過ぎ、ゲーム内時間では、ちょうど一五時頃ね」
俺もうなずいて、
「ただ、そこからウィルソンの行動を追跡するのは、ほぼ不可能な気がするな。俺たちが南館へもどろうとしたのは、ゲーム内時間で一七時頃だ。マダムとヴラド公の証言が正しいなら、一時間半近いラグがある。どういう種類の爆弾が使われたのかはわからないが、九〇分もあれば、簡単だったはずだ」
モンティはペン先を噛みながら、
「そうね……ルーズの言うとおりだわ……やっぱり事故なのかしら?」
と首をかしげた。俺は、なにも答えられなかった。
これまでの事件について、一番簡単な推理は、こうだ。
贋金師ハッサムは、病死した。
爆殺魔ウィルソンは、事故死した。
両者とも、事件性なし。
だが、それはありえない。すくなくとも、ハッサムは病死ではないはずだ。
直感じゃない。きちんとした理由があった。
俺は自分の意見を述べようとして、部屋の中央に出た。
「俺の話を、聞いてくれるか?」
当然だと、サリカは答えた。
俺は手早く自分の考えをまとめる。
「オブデロード卿は、俺たちを推理ゲームに呼んだ。そして、ハッサムの死体が転がっていた。次は、ウィルソンの死体だ。これ以外に、事件とおぼしきものは、なにもない。メイドのクレアは、ハッサムの死体が発見された時点で、ゲームは始まっていると言った。オブデロード卿からの手紙には、犯人がひとりいると書かれていた。以上を総合して考えると、ハッサムを殺した犯人が、ひとりいるはずだ」
俺は、ロジックをできるだけわかりやすく説明してみた。
サリカもうなずいてくれる。
「合理的な推論だ。だとすれば、私たちのなかに、犯人がいることになる」
俺たちは、おたがいに視線を走らせた。このなかに犯人がいる――俺の推論は、そう告げていた。――だが、いるのか? それらしき人物は、思い浮かばなかった。
ここで、ヴラドがやや皮肉っぽく、
「単独犯だというのは、推理小説のマナーなのですかな」
とつぶやいた。
そうかもしれない。犯人が複数だと、トリックが膨大なものになってしまう。例えば、犯人が三人いると仮定しよう。凧を自作して、一人がそれに乗り、もうひとりはそれを操り、最後のひとりは、だれかに目撃されていないか監視する。こうして、食堂でハッサムを殺害することが可能になる。複数人の犯行ならば、おおがかりなトリックだって実行できてしまうのだ。これが五人、六人、あるいは俺以外全員犯人みたいなことになったら、目も当てられない。なんでもありだ。
ヴラドのコメントを受けて、竜人も口をひらいた。
「となると、複数犯でウィルソンは口封じをされた、という可能性もなくなる」
その通りだ。
俺も相槌をうった。
「王道路線でハッサム殺しのトリックをしっかりと考えれば、自然と犯人に行き着くと思うんですよね。魔法やモンスターを使わなくても、純粋に物理的なトリックで、食堂にいたハッサムを殺害することができたはずです」
これに対して懐疑的だったのは、マダムだった。
「で、あなた、そのトリックとやらがお分かりになられるの?」
「いえ……まだ見当がついていません。現場をもうすこしくわしく……」
突然、部屋のドアがひらいた。俺はギョッとした。
「お茶をお持ちしました」
メイド服の少女――クレアだった。
クレアは、ティーワゴンをテーブルの近くに停めて、おしゃれな花柄のカップに、紅茶を注ぎ始めた。七つ淹れて、それをお盆のうえにおき、ひとりひとり、配って回る。俺もひとつ受け取った。
ヴラドはカップに口をつけながら、
「変わったティータイムですね」
とつぶやいた。
そう、変わったティータイムだ。殺人犯といっしょのひととき。
あまりいい気はしない。クレアの冷静さが、俺たちの真剣さとバッティングしていたからだ。もちろん、クレアが冷静な理由はわかる。おそらく、クレアはこの推理ゲームの参加者ではなく、スタッフなのだろう。だとすれば。一億円の賞金は関係がないし、どの時点でリタイアしても、ゲームサーバからはじき出されるだけで、リアルには支障がないのだ。ようするに、推理小説を読んでいる読者とおなじ立場というわけだ。その傍観者っぷりが、事件に真面目にとりくんでいる俺には、なんとなく腹立たしかった。
「ハーブティーでございます」
クレアは、そう言って、俺にもカップを渡した。
俺はヴラドのほうを盗み見る。とくに異常はない。
俺もひとくち飲んだ。ハーブの香りが、口一杯に広がる。
パチリ
指を弾く音――モンティだった。
「ちょっと、クレアさん」
「はい……お砂糖がご入り用でしょうか?」
「あなた、事件があったとき、どこにいたの?」
俺たちの視線は、クレアに集まった。だが、クレアは、平然とした顔をしていた。
「事件というのは、どちらの事件でございましょうか?」
「ハッサムのほうは、もう聴いたわよ。残りのほう」
「そうではなく、空中回廊が崩落した事件と、ウィルソン様の事件の、どちらでございましょうか、とお伺いしております」
意外と細かいんだな。俺はそう思った。
モンティは、肩をすくめてみせた。
「空中回廊のほうから」
「あのときは、サリカ様たちと一緒でした」
モンティは、サリカのほうを見つめた。
「左様だ。クレア殿と分かれたのは、爆発の音を聞いたあとだった」
「どうして分かれたの?」
「不穏な音だったからな。クレア殿には、食堂で待機するように言いつけた」
クレアが自主的に待機したわけでは、ないようだ。
モンティは、すこしばかりあごをなでた。
「ふぅん……じゃあ、ウィルソンが死んだときは?」
「そのときも、食堂に待機しておりました」
「証人は?」
いません――クレアは、あっさりと認めた。
「となると、あのときアリバイがないのは、クレアさんだけということになるかしら」
「左様でございます」
クレアは、声を荒げることも落とすこともなく、淡々と答えた。
これにはモンティも拍子抜けしたのか、
「ま、容疑者のひとりってだけね」
と、嫌疑が固まっていないことを白状した。
「それと、もうひとつクレアさんに訊きたいことがあるんだけど……」
「ごほッ!」
なにかを吐瀉する音――振り返ると、マダム・ブランヴィリエが、口元を押さえて、むせていた。気管支に入ったのだろうか――そう思った矢先、マダムは、血を吐き出した。
「ごほッ! ごふッ! うぅ……ッ!」
室内は騒然として、俺たちはマダムに駆け寄る。
サリカがマダムを抱き寄せた。口のなかに指を入れ、嘔吐させた。そして、クレアに水を持ってこさせた。
だが、すべては後の祭りだった。マダムの息は細くなり――こうべを垂れた。
「水をお持ちしました」
場違いなほど落ち着き払って、クレアが水差しを持って来た。
「……ありがとう」
サリカは、水差しをわきに置かせ、首の脈と、瞳孔を順に確認した――
「ダメだ……死んでいる……」




