第5話 毒殺婦の証言
マダムの自白に、俺たちはざわついた。
解決してしまったのだろうか、こうもあっさりと。
真っ先に声をあげたのは、モンティだった。
「あなたが犯人なの?」
マダムは小馬鹿にしたように笑って、
「だれもそんなことは言っていないでしょう」
と付け加えた。
モンティは食らいつく。
「ハッサムに短剣を突き刺したのは、あなたなんでしょ?」
「ええ、短剣を突き刺したのは、あたくし。でも、死体に突き刺しただけで、殺したわけじゃないわ」
どういうことだ? 俺は一瞬混乱し――理解した。
「マダムが来たとき、ハッサムは既に死んでたってことか?」
「あら、ぼうや、なかなか物わかりがいいじゃない」
なにが、ぼうやだ。俺はいらだちをこらえた。ここは冷静にならないといけない。
感情論は無意味だ。深呼吸して、先を続ける。
「たしかに、あんたが食堂を訪れたのは、ハッサムが死んだあとだ。それは、俺のチート能力で、プロフィールをのぞいたときに確認できている」
「そういうこと……あたくしのアリバイは、ルーズちゃん、あなたが証明してくれたってわけね。お礼を言っておこうかしら」
マダムはキセルを片手に、おざなりな礼を述べた。
俺はなにか反論しようとしたが、自分自身の能力で証明してしまったアリバイだ。簡単に崩す方法を思いつかなかった。
ここで、竜人が一歩まえに出た。長い尾が、ずるりと床にこすれた。
「そこまでは、サリカ殿とすでに推理済みだ。我々も、短剣の持ち主=ハッサム殺しの犯人という、安直な推理はしていない」
「あら、光栄ね」
「ひとつだけ確認しておきたい……なぜ、ハッサムに短剣を刺した?」
マダムは紫煙を吐いて、崩落した空中回廊の向こうがわを見つめた。
「単純よ。死体に傷跡がなかったからだわ」
なにを言っているのか、さっぱり分からなかった。
だが、竜人は、納得したようにうなずいた。
「傷跡がない死体……すなわち毒殺であると疑われるのを恐れたのだな?」
そういうことか――毒殺の疑いが出れば、マダムが第一容疑者だ。毒殺婦の異名は、だれだって知っている。もちろん、毒殺=マダムの犯行というのも、安直過ぎる推理にはちがいない。だが、すくなくとも警戒はされるだろう。ゲームを始めるまえから、いきなり不利な立場になってしまう。
「あなたって、ほんとうにかしこいドラゴンなのね」
マダムは微笑んだ。
「そうよ、毒殺だと思われたら、真っ先にあたくしが疑われてしまうわ。ルーズちゃんが来るって、事前に分かっていたらよかったんだけれど……後の祭りね」
そう言ってマダムは、俺を盗み見た。まるで、俺のせいにしているかのようだ。
竜人は、さらに尋問を続けた。
「短剣の謎は、これで解けたとしよう……では、次にうかがいたい。ハッサムの死体を見つけたときの状況を、くわしく教えてもらえないだろうか?」
「くわしくと言われてもねぇ……特に……」
「死体は、あの場所にあったのか?」
「そうよ。死体には、指一本触れていないわ。きたないもの」
「短剣を壁から外して、胸に刺しただけだ、と?」
「ええ」
「しかし、死体に傷がないと気付いたのだから、調べはしたのだろう?」
この質問は、なかなか核心を突いていた。マダムは肩をすくめて、
「ハッサムは仰向けに死んでいたわ。それは、あなたたちも見た通りね。あたくしも、そちらがわは一応調べましたのよ。背中は……まあ、足で蹴ってみて……」
おいおい、なんて証言をしているんだ。
指一本触れていないというのは、手で触っていないだけか。
竜人はこの返答にも、顔色ひとつ変えなかった。
「ふむ……短剣以外に傷がないというのは、我々も確認した。そうだな、聖騎士?」
「うむ、グウェイン殿の仰る通りだ」
傷がない――裸にでもしたのだろうか。このふたり――聖騎士と竜人――は、少々手際が良過ぎる。俺は、ふたりが談合している可能性も考慮し始めた。
それに、もうひとつ気になることがあった。このふたりは、流血の量から、死因が短剣による刺殺ではないと診断した。マダムが自白した以上、その診断は正しかった。ということは、このふたりは医学の知識が多少なりともあることになる。ゲームのキャラになりきることはできても、知識をインストールしてもらうことはできない。つまり、このふたりは、医学知識をリアルでも持っているわけだ。
リアルの職業が医者なのか? ありうる。医者がVRMMOをやってはいけないという法律はない。ただそうなると、聖騎士と竜人のふたりは、すこしばかり俺たちよりも有利な立場にいる。ここまでの捜査で、だいぶリードされてしまったように思われた。
「私からの質問は以上だ……聖騎士から、なにか質問はあるかね?」
竜人はサリカと交代した。
サリカはあの大剣を手に、マダムと向かい合う。
「現場で、ほかに気付いたことはなかったか?」
「ほかに、と言われても……あたくし、死体鑑賞が趣味ではありませんし……ああ、そう言えば、初めに見たハッサムの死体は、胸を押さえていましたわね」
サリカと竜人の視線が交差した。胸だと? ……まさかの病死?
俺は、ほんとうに事故死の可能性を考えた。だが、サリカの解釈はちがった。
「もしや、それも毒殺を疑われる理由と考えたのか?」
サリカの質問に、マダムはうなずいた。
「ええ……とにかく、暴行で死んだようには、見えなかったもので……」
「ならば、偽装工作をする必要が、そもそもあったのか?」
「あら、聖騎士さんにお尋ねしますけど、あのまま死体を放置しておいて、『あたくしが来たときには、心臓発作かなにかで死んでおりましたのよ』と言って、納得してくださるのかしら?」
これは、サリカが一本返された形だった。
サリカは、こくりと首をたてにふった。
「たしかに、偽装工作のメリットはあるな……失礼した」
「分かっていただければ、それでよろしくてよ。では、そろそろ……」
マダムは、俺たちのほうを眼差した。
「ルーズちゃんたちの捜索結果も、教えていただけませんかしら?」
俺たちからか――自分は最後、というわけだ。俺とモンティは目配せし合い、モンティが説明することになった。俺よりも口はうまいはずだ。なんだかんだで、俺はリアルでもゲームでも、言葉遊びが器用じゃない。
「あたしたちは、空中回廊のところまで調べたわ。この城は軍事施設だから、武器や弾薬がいっぱいあるフロアみたいね。とくに事件と関係ありそうなものは、見つからなかったわ。向こう岸まで渡って、それからもどって来ようとしたときに、橋がドッカーン!」
モンティの説明は、俺が想定していたよりも、さらに短かった。あの封印された扉には言及しなかった。いや、言及するはずもないか。あれは大切な部屋だ。長年ゲームをしていると、そういう勘が冴えてくる。モンティも、あの部屋を開ける方法を考えているのかもしれなかった。疑心暗鬼になる。仮にそうなら、先手を打って、そう、今夜にでもあの封印を解除して、中を確認するほうがいいかもしれない。
「それだけ?」
マダムは怪訝そうに、右目を細めた。
「最後の『ドッカーン』は、なにかしら? あたくしも、耳にしましたけれど」
「見て分からないの? 空中回廊が落ちたのよ」
マダムは、初めて気付いたような素振りで、橋があった場所を確認した――演技か? いや、そうは見えない。短剣のことがバレて、動揺していたのかもしれないな。飄々としているように見えても、人間、機械にはなりきれないわけだ。
マダムは橋の残骸をみて、
「自作自演ではなくて?」
とたずねた。また痛いところを突いてくる。正直、ほかの面子も、俺たちの自作自演は疑っているような気がした。崩落したと言っても、結局は三人とも生還している。爆弾を自分たちで仕掛けて、ちょっと危なかったフリをしているだけではないのか。そう思われても、おかしくはなかった。もっとも、モンティがいなけりゃ、あの時点でほぼゲームオーバーだったっていうのが真相だ。今更ながらに背筋が凍る。
マダムはキセルを人差し指と中指で支え、俺たちを順繰りに見比べた。
「ただ、そこの狼ちゃんは、そういうことに、頭が回らなさそうなのよねぇ」
イオナは、歯を見せて唸った。
「イオナはバカじゃないぞッ!」
「バカとは言っていないわよ。むしろ、信頼してあげているの」
「ん? ほんとか?」
イオナは、急に機嫌をなおした。しっぽを左右に軽く振る。おい、騙されてるぞ。
マダムはイオナを適当にあしらってから、今度は俺に向きなおった。
「で、ルーズちゃんは、モンティちゃんの証言を追認するのかしら?」
「ああ」
即答した。
「なにも見つからなかった、と?」
「なにも」
マダムはあまり信用していなさそうだった。
ゆっくりと紫煙を吐き、
「となると、手詰まりね」
とだけつぶやいた。
こんどは俺たちが反撃する番だ。
俺はマダムと吸血鬼を尋問する。
「ふたりは、なにも見つけなかったのか?」
マダムは一言、
「なにも……猫の子一匹いなかったわ」
とだけ答えた。
そうかもしれない。このサーバは、もうすぐ閉鎖される。BOTの召使いや動物も、姿を消していた。サーバの負荷を、なるべく減らすためだ。モンスターもいなくなり、エンカウントすることもなくなった。冒険者たちが遊んだこの世界は、今はただの箱庭だ。
そして、この情報は、今回の推理ゲームにとっても重要だった。ドラゴンなどを使って食堂に忍び込んだ可能性が、ほぼなくなったからだ。現在も稼働中の城内にはモンスターが残っているかもしれないと思ったが、マダムの言うとおり、俺たちはスライム一匹目撃していない。
俺は咳払いをして、
「そうですね、サーバの負荷を減らすために、小道具は最小限だと思います。この城まで来るのも、馬車を自力で操作しなくちゃいけなくて、たいへんでしたからね」
とコメントした。マダムは、
「そのわりには、おかしな推理ゲームを開催する余裕があるのね。オブデロード卿って、変な御方。いちどお会いして、ダンスでも踊ってさしあげたいわ」
と返してきた。
このあまりにも気取った台詞は、すこしばかり真実を突いていた。というのも、オブデロード卿という人物は、このゲームの代名詞であるにもかかわらず、一度もイベントに登場したことがなかったからだ。そんな中での、今回のサーバ閉鎖騒動。ネットではいろいろな噂が立っていた。一番もっともらしいのは、ゲームの打ち切りだった。つまり、ほんとうはオブデロード卿を出すシナリオがあったにもかかわらず、なんらかの運営上の都合で、ゲームはおしまいになってしまったわけだ。だから、俺が今回の推理ゲームに興味を持ったのも、卿に会えるかもしれないところが、多少は含まれていた。
そして、マダムの気取った台詞を最後に、情報交換は終わった。手詰まりだ――おたがいに隠しだてをしていなければ、の話だが――ここで、聖騎士が司会をとった。
「それでは、ウィルソン殿の捜索に向かいたい」
マダムは眉をひそめた。
「放っておきなさいよ。ヴラド公のおっしゃるとおりだわ。罠だったら、どうするの? 空中回廊を落としたのも、彼の仕業かもしれないでしょう? 狙いは、よく分からないけれど、爆弾が、まだどこかに仕掛けられて……」
爆音――俺は思わず地面に伏した。さきほどの感覚がよみがえる。
モンティも床へ屈みこみながら、
「な、なに? また爆発?」
と、あたりを見回した。
爆音は、それほど大きくはなかった。もし大声で話していたら、聞き逃していた可能性もあったと思う。だから、方向もよくわからなかった。
俺はイオナにたずねた。
「どっちの方角だ?」
「あっちだぞ」
イオナは、先頭を切って走り始めた。
「バカ! 案内しろとは言ってない! 罠かもしれないぞッ!」
俺の声が聞こえなかったのか、それとも無視されたのか、イオナはマダムと吸血鬼の横を抜けて、南館のなかへ姿を消した。
モンティは、イオナが消えたとびらと、俺の横顔とを交互にみやる。
「ど、どうする?」
「パーティーメンバーを放置はできないだろ」
モンティは、半ばあきれたような笑みを浮かべた。
「……あなた、そうとうなゲームバカね」
なんとでも言ってくれ。
俺もモンティをつれて駆け出す。
「待てッ! 散り散りになるなッ!」
背後から聖騎士の声が聞こえた。
俺はそれに構わず、南館の廊下へと飛び込んだ。




