第4話 崩落
俺たちは、物置部屋ばかりだった廊下を出て、風に吹かれた。
城外。そこからの眺めは、雲海が左右をながれる、壮大な風景だった。アルプスやヒマラヤを旅したら、あんなふうになるのかもしれない。
正面に1本の空中回廊があり、その向こう側にもうひとつ城がみえた。電嵐城は、おおきく分けて、ふたつの城郭からなっていた。ひとつは、俺たちが通った正門から、直接入れるところ──そっちが北館のようだ──もうひとつは、その北館から、眼前の空中回廊を通って到達できる南館。食堂があったのは、南館のほうだった。
「綺麗……」
モンティは、なびく前髪を気づかって、ひたいに手を伸ばした。前方には、北館の味気ない石壁がみえる。モンティの視線は、そちらには向けられていない。左右に広がる真っ青な世界のほうへ、その瞳を輝かせていた。
「このゲームも、もうすぐ終わっちゃうんだね……」
「そうだな……長いのか?」
「β時代からやってる」
俺よりも古参なのか。だが、おかしくはない。モンティは、おそらくサーバ随一の物知りだ。【情報屋】を自称するだけのことはある。そのあたりを歩いている一般人の名前だって、当ててしまうかもしれない。もちろん、キャラ名の話だ。リアルの名前は、そうはいかない。リアルとゲームは違う。この俺自身が、痛いほどよく分かっていた。
「しかし、収穫ゼロだったな。だらだら歩いたのはまずかったかもしれん」
「足を使うのが探偵の仕事、とは限らないけどね」
それもそうだ。安楽椅子探偵という手もある。
探偵ごっこをしたことがない俺には、どちらが正解なのかわからなかった。
とりあえず、空中回廊を調査する。空中回廊は、風除けの壁と屋根がついた廊下で、幅は3メートルほど。高さは2メートルほどで、左右には風通しの穴が等間隔で開けられていた。歩いているあいだも、びゅんびゅん風を受ける。肌寒いくらいだ。
「この回廊って、なんのためにあるのかしら?」
「あれだろ。敵が攻めてきたら爆破して落とすんだろう」
「ああ、中世の橋みたいな感じね」
とはいえ、実際のところはよくわからなかった。俺は戦史にはくわしくない。
反対側の城壁までたどりついて、俺はとびらを開けた。
なかをのぞくと、南館とほとんど変わらない構造で、左右にドアがならんでいた。
ここも物置部屋だろうか。案外、運営が忘れていった資料でもあればいいのだが。
ひとつひとつ開けていく。物置部屋ばかりだった。
これは収穫なしだな。そう思いつつ、俺は次のとびらに取り掛かろうとした。
「ルーズ、こっちのとびら、開かないんだけど」
モンティは、真っ赤な金属製のとびらを、がちゃがちゃと引いた。
それは、ちょうど入り口から十番目のとびらだった。
「引くんじゃなくて、押してみろよ」
俺のアドバイスに、モンティは、ムスッと頬をふくらませた。
「それ、バカにしてるの?」
「してないさ」
人間、ほんとうにささいなことで、物事がうまくいかなくなる。パソコンのコンセントを入れ忘れてたりな。そういう細かい点にチェックを入れるのが、俺のモットーだった。リアルでもゲームでも、それは変わらない。
「どっちも試したわよ」
「貸してみろ」
俺は取っ手をひっぱったり押したり、いろいろやってみた。
なるほど、びくりともしない。よくよくみると、とびらに紋章がみえた。柊の葉を二枚、上端と下端で交差させたものだ。
「こりゃ、封印されてるな」
「解除できないの?」
もちろん、できるさ。だが、そうは答えない。
「ちょっとむずかしい」
「……ほんとに?」
「初見の封印だからな」
モンティは、俺のことを信用できないのか、じろじろ見てきた。まあ、実際に嘘をついているわけだが、ここで解封の特技を見せるのは、俺の損だ。あとでじっくり、ひとりで探索するときにしたい。
モンティが味方だとは限らないのだから。
「あたしたちの冒険は、ここで終わってしまった……ってわけね」
「そういうことだな……いったん、食堂へもどろう。そろそろ時間だ」
「ちょっと待って。もういちど、空中回廊をチェックしてみない?」
俺は首をかしげた。
「さっき渡っただろ? べつに異常はなかったぞ?」
モンティは腰に手をあてて、おどけた表情をみせる。
「おっと、チート屋のルーズくんは、クレアさんの証言を鵜呑みにしているのかな?」
なるほど、これは一本取られた。たしかに、クレアにはアリバイがある。だがそれは、彼女が空中回廊を使って正門に駆けつけた、という前提付きだ。もし食堂から正門までスキップする手段があれば、クレアのアリバイは崩れる。
俺たちは、もういちど空中回廊へもどった。回廊の根元から順番に、なにか仕掛けがほどこされていないか調べる。イオナには、あちこち匂いを嗅いでもらった。
石畳のひとつひとつ、天井のすみからすみまで、念入りに調査する。
ようやく真ん中に達したところで、モンティが口をひらいた。
「聖騎士さんたち、なにかみつけたかしら?」
「死体の検分はなぁ……俺もやりたかったんだが……」
そのときだった。耳をつんざくような轟音。俺たちの後方で、火柱が上がった。
思考が混乱する。爆発? なにが爆発した? それとも魔法攻撃か?
俺たちの叫び声と同時に、空中回廊がゆっくりと落下し始めた。
しまった。罠か。俺が死を覚悟するよりも早く、モンティはポシェットから、一本の鉤付きロープを取り出す。左側の通風孔から身を乗り出し、それを一回転させるや否や、正面の壁に放り込んだ。鉤の部分が石壁にめり込んで、支点を作った。
「ルーズ! イオナ! 掴まってッ!」
俺は、咄嗟の判断で、モンティの背中に飛びついた。その俺の背中に、ずっしりとイオナの体重が乗りかかる。重量オーバーじゃないのか? ロープが切れる。そんな心配をする暇もなく、空中回廊は、足下の空へと消えて行った。
俺たちは、南館の壁に向かい、振り子の要領で投げ出された。
「ぶつかるぞッ!」
「3人で壁を蹴るのよッ!」
打ち合わせもしてないのにできるかッ! 俺は目をつむり、衝撃を待った。
体重がかかり、脳しんとうを起こすかと思うほどに、全身がしびれた。
……………………
……………………
…………………
………………
生きてるのか? 空中を落下している気配はない。
俺が目を開けると、モンティの背中が、鼻先にみえた。上下を確認する。
イオナは俺の下でぷるぷる震えていた。
「おまえら……ちょっとは力を入れろ……」
一番下にいるイオナは、両足で壁にふんばっていた。俺はロープにぶらさがって、イオナに体重を預けるだけの格好になっている。完全なお荷物だ。
「わ、悪い」
俺は壁に靴底をつけようとした。だが、壁と俺とのあいだには、モンティの体が挟まっていて、うまくいかなかった。
「ちょっとッ! 変な動きしないでよッ!」
「す、すまん……」
かえって、モンティに謝るハメになった。
「おぬしたち、無事か?」
女の声──見上げると、聖騎士サリカの顔がみえた。
「これが無事に見えるわけ?」
モンティは自嘲気味に答えた。
「命があれば、無事というものだ。引き上げてやるから、しばらく待て」
聖騎士はそう言って、崩れた空中回廊の根元に突き刺さった鉤爪に、べつのロープを結び付けた。そして、竜人のおっさんと一緒に、ふたりで俺たちを引っ張りあげてくれた。
ふたりとも馬鹿力なのと、一番下でイオナが頑張ってくれたおかげだ。
俺は始終、モンティの背中に抱きついているだけだった。情けないにもほどがある。
「ふぅ……助かったわ」
「サンキュ」
「めちゃくちゃ疲れたぞ……」
南館に這い上がった俺たち3人は、廊下に腰をおろして、ひたいの汗をぬぐった。
「なにがあったのだ?」聖騎士の質問に、モンティは肩をすくめた。
「こっちが訊きたいわよ。いきなり火柱があがるんだもの」
「火柱だと……?」
モンティは、聖騎士と竜人のふたりに、さきほどの出来事を語った。
すべてを聴き終えた聖騎士は、俺のほうへ向かって「ほんとうか?」と尋ねた。
俺は、首肯せざるをえない。イオナも、「びっくりしたぞッ!」と叫んだ。
「火柱……火薬の類いかもしれない」
竜人は、そうひとりごちた。俺たちは、それまで黙っていた憶測を、お互いに視線だけでキャッチし合った。爆殺魔ウィルソンだ。火薬での犯行と言えば、やつの十八番。
だが、ひとつの疑問も湧いた。あからさま過ぎないだろうか? だからこそ、だれひとりとして、ウィルソンに嫌疑をかけようとしないのだと思う。
イオナは筋肉のつっぱったふともとをさすりながら、
「竜人のおっちゃん、なにしてるんだ?」
と話しかけた。竜人は、崩落した空中回廊の根元を調べていた。
「これでこの城は密室になってしまったわけだな」
竜人はそれだけ言って、先を続けなかった。
密室──そうだ。この電嵐城は、空中に浮かぶ要塞。陸への架け橋は、向こう側に見える北館にしかなかった。俺たちは孤立したのだ。
ただ、それがどこまで重要なことなのかは、判然としなかった。たしかに俺たちは、電子の海に呑まれようとしている。だが、どのみち、事件が解決するまでは陸へもどる気はなかったし、解決すれば運営が救出に来るだろう。そう考えたからだ。オブデロード卿が最終日まで姿を現さないのも、ゲーム中であることを考慮すれば納得がいった。現に、食堂での騒動とはうってかわって、今回の空中回廊の崩落を深刻にとらえているメンバーはいなかった。
俺も崩落部分をのぞきこみながら、
「爆発が起こったのは反対側です」
と指摘した。
「そうか……となると、きみたちがもうすこし先を歩いていたら、爆発に巻き込まれていた可能性があるな」
俺は、いまさらながらに身震いした。けっこう際どいタイミングだったぞ、あれ。
モンティは、思い出したように廊下の石畳を殴った。
「そう言えば、吸血鬼のやつらは、どこ行ったのよッ!? これだけ騒ぎが起きてるのに来ないなんて、おかしいでしょッ!?」
聖騎士と竜人は、おたがいに知らないと言い合った。
これには、俺もびっくりした。
「3人とも、行方不明なんですか?」
「行方不明というわけでは、あるまい。べつのところで捜査しているのだろう」
「あれだけ大きな音がしたのに?」
俺の疑問に対して、竜人は冷静に答える。
「この城は、かなり大きい。爆発が起こっても、聞こえないのではないか? 我々は近くにいたから分かったが、そのときも、それほど大きな音はしなかった」
俺は半信半疑だった。しかし、よくよく考えてみれば、救急車の音だって、すぐに聞こえなくなる。壁で囲まれた城なら、なおさら音は判別しにくいのかもしれなかった。
しかし、モンティの怒りはおさまらない。
「だけど、ちょっとくらいは耳にするでしょう? どうして……」
「あなた方、なにをなさっているの?」
妖艶な女の声に、俺たちは振り向いた。廊下の奥から、マダム・ブランヴィリエと、あの吸血鬼貴族が歩いてきた。マダムはキセルをくゆらせながら、広場へ出る。陽の光が、彼女の顔を、明るく照らし出した。風にスカートが揺れるのも、おかまいなしだった。
「あなた方、なにをなさっているの?」
マダムは、同じ台詞をくりかえした。
モンティが喧嘩腰に答える。
「空中回廊が爆破されたのよッ!」
「爆破ですって?」
マダムは、吸血鬼と顔を見合わせた。なにか思い当たる節があるのか、すこしだけくちびるを動かしかけた。が、声は漏れなかった。これをみた聖騎士は、マダムたちにむけて、するどい目つきを向けた。
「ウィルソン殿は、どちらに?」
「……」
「ウィルソン殿は、あなた方の組にいたはずだが? どこへ行かれた?」
「……」
聖騎士は剣の先を、カツンと石畳にぶつけた。
「答えよ。ウィルソン殿は、どちらに?」
「……分からないわ」
今度は、俺と聖騎士が顔を見合わせた。
彼女の端正な顔立ちにも、不信の念があらわになっていた。
「分からないというのは、いかがな意味か?」
「あたくしたち、南館のほうを回っていましたの。使用人室の数が膨大だったので、三人で手分けして探しておりました」
「別行動をとられた、ということか?」
「別行動をとるつもりは、ありませんでしたのよ。ただ、ウィルソンのほうが、勝手にいなくなって……」
マダムは、あれやこれやと、いいわけを連ねた。あまり印象はよくないが、吸血鬼も同じことを証言した。
聖騎士は目を細めて、剣を杖代わりに、直立したままだった。
「……とりあえず、ウィルソン殿を探しに行かねばなるまい」
彼女の当然のひとことに、吸血鬼が反対した。
「子供のお守りではないのです。ウィルソン氏には、ウィルソン氏の好きなようにさせておきましょう。まずは、おたがいの捜査状況を確認すべきかと」
「メンバーが欠けているのは、好ましくない。ウィルソン殿の捜索が先だ」
「ウィルソン殿が、贋金師殺人の犯人だとすれば? この爆発騒動も、我々をおびき出すための、罠やもしれません。むりに捜しに行くのは危険です」
この吸血鬼も、なかなか用心深い。それに、正論だった。ウィルソンの嫌疑は濃い。殺人犯でないとしても、俺たちを消そうとしているのかもしれない。賞金の分配額を大きくするために。ウィルソンは、このサーバ閉鎖後に、インターネット上の危険行為を理由に警察に告訴されるのではないかという噂も立っていた。やけくそになっているのかもしれない。海外へ逃亡するための資金集めとも考えられた。
聖騎士サリカも、ようやく同意した。
「分かった……では、私たちから報告する。私とグウェイン殿で調査した結果、いくつか興味深いことが分かった」
「ほぉ……それは?」
吸血鬼は、先をうながした。
俺たちも、聞き耳を立てる。
「まず、死体の状況からして、凶器は短剣ではない」
「!」
俺たちは、一様に息を呑んだ。
「短剣じゃないって……どういうこと?」
モンティは、目を白黒させている。
サリカは、先を続けた。
「血の量だ。短剣は、贋金師ハッサムの心臓を貫いていた。じっさいに絨毯には血が染み込んでいた……が、出血量が予想よりも少ない。心臓が止まったあとで刺したとみえる」
モンティは、まったく信用しかねる様子だった。
「心臓が止まったあとで刺したですって? なんのために?」
モンティの質問に、サリカは答えた。
「そこまでは分からない」
モンティはため息をつくと、ひたいに手をやり、やれやれとあたまを振った。
「すでに死んでいる人間を刺すなんて、メリットがないわ」
たしかに、モンティのひとことは、常識的な解釈だった。一方、サリカは、信じる信じないはおまえたちの勝手だと言わんばかりに、次の情報に移った。
「あの短剣は、食堂の壁にかかっていた装飾品だ。だれかが持ち込んだものではない」
俺は、なぜそう言い切れるのか質問した。
「食堂の壁に、なにもかかっていない留め金があった。その大きさと形状が、短剣と一致している。このことも、ハッサムが死んだあとに刺されたことを証拠立てている。壁から短剣を外した人間が、正面から接近してくる。これで防御を取らない人間はいない。たとえ面識があっても、だ。ハッサムの死体には、抵抗したようなあとがみられなかった」
沈黙。どう考えればいいのか、みえてこなかった。ただひとつ、イオナの鑑定、マダムの匂いが短剣に染み付いていたという鑑定が、いきなり信ぴょう性を帯びてきた。
サリカからバトンタッチするように、竜人が口をひらいた。
「というわけで、最も怪しい人物は、ハッサムの次に食堂へ来た人物ということになる。死んでいるハッサムに短剣を刺すことができるタイミングは、そのときしかないからだ」
俺たちの視線は一斉に、マダム・ブランヴィリエへと注がれた。竜人と聖騎士は、ふたりそろって──おそらく、食堂ですでに打ち合わせてあったのだろう──マダムを取り囲んだ。マダムは軽蔑したような眼差しで、フッと紫煙を吐いた。
「あたくしをお疑い?」
マダムのくちびるがゆがむ。そして、彼女はこう続けた。
「オブデロード卿も、バカな面子を集めたわけじゃないのね」
自白か? 緊張が走る。
マダムは、ふたたびあの妖艶な笑みにもどった。
「そうよ、ハッサムに短剣を刺したのは、あたくし、マダム・ブランヴィリエよ」




