第1話 始まっていた推理ゲーム
電嵐城の食堂へ案内されたとき、俺のイヤな予感は的中した。
チーク材の床に、赤い絨毯。テーブルクロスさえない食卓。
おもてなしのかけらもない空間に、九人の生者と、ひとつの死体。
そう──俺が到着したとき、事件はすでに始まっていた。
モンティは、床にころがった死体をのぞきこみながら、
「あちゃあ、第一発見者ってわけには、いかなかったか」
と、おどけた声をだした。
彼女のあしもとには、血みどろの老人が横たわっていた。白いターバン、浅黒いひたい、深いしわ。アラビアンナイトに出てきそうな衣装。胸には短刀が突き刺さっている。心臓をつらぬいていることは、おびただしい血溜まりから明らかだった。即死だろう。ゲームのなかであっても、死因は現実世界とそう変わりはしない。
俺は立ったまま、
「失血死か」
と、あたりさわりのないことをつぶやきつつ、ほかの参加者を盗み見た。俺たちよりも先に来ていたキャラは、死体を除くと、ぜんぶで五人いた。魔女のかっこうをした妙齢の美女、吸血鬼、竜人、白銀の甲冑を身にまとった女騎士。まるで仮装パーティーだ。最後のひとりは、無精髭のある職人風の男だった。彼らは死体に興味をしめさず、黙っておたがいのようすをうかがっていた。
俺は、視線を死体へもどした。
「モンティ、なにか気づいたか?」
「あたしから情報を抜くつもり?」
「いや……そういうわけじゃないんだが……」
そうだ。もう勝負ははじまっているのだ。
バカげた質問をしてしまった。
とはいえ、このままでは埒があかない。
ほかのメンバーの警戒心をとくため、俺はわざとまのぬけた調子で、
「えーと、すみません、自己紹介タイムとか、ないんですか?」
とたずねてみた。
苦笑すらされず、気まずい空気が流れた。
こんどはクレアに話しかける。このメイドなら、サポートしてくれるだろう。
「クレアさん、仕切ってくれたりしません?」
「みなさまのお気に召すままに、お遊びくださいませ」
俺はタメ息をついた。
出だしはよくない──最悪だ。俺だけ浮いてるのもマズい。
そう思った瞬間、暖炉のそばにいた竜人が、巨大な口をひらいた。
「その少年のいうことは、もっともだ。我々は自己紹介をする必要がある」
ずっしりと重たい声。
真っ赤な舌が、しゃべるたびにチロチロとのぞいた。
それに反応して、魔女はキセルを吸いながら、
「こういうときは殿方からと、相場が決まっているのではありませんかしら」
とささやいた。
すると、吸血鬼の男が胸に手をあてて、一歩まえに出た。
「マダムのおっしゃるとおりです。わたくしから自己紹介させていただきましょう。わたくしの名は、ヴラド・フォン・グランバニア。グランバニア領の領主を務めております。お見知りおきを」
ずいぶんと礼儀正しいキャラだ。俺はそう思った。
ヴラドは、ここへ来た目的も、だれに呼ばれたのかも、一切説明しなかった。もちろん、俺たちは知っている。ここに集められた目的も、だれに呼ばれたのかも、そして、これからなにをしなければならないのかも。自己紹介は、間合いをはかっているにすぎない。
ヴラドが引っ込むと、そこから時計回りに、男だけが──正確にいうと、男キャラとおぼしきアバターだけが──自己紹介をした。まずは、頬に傷のある、三〇代なかばの、職工風の男。俺はその顔を知っていた。爆殺魔ウィルソン。イベント会場に爆弾をしかけて、大量の犠牲者が出るのをよろこぶテロリスト。賞金首をかけられているキャラのひとりだった。
だが、ウィルソンはそれをおくびにも出さず、
「オレはウィルソン。よろしくな」
と、気の良さそうなおっさんを演じていた。
お次は、竜人。紺色の粗末な麻服をまとっていた。裸でこそないものの、四肢はむき出しだった。その巨大な尾には、無数の鱗がならんでいた。このサーバで人外種を選択する者は、めずらしくない。
「私の名はグウェイン。グレート・デヴァイン山脈の遥か北、雪に閉ざされた竜人の巣からやって来た」
俺の番だ。
咳ばらいをする。
「俺はネグレクトゥス。鍛冶屋です」
この答えで納得させられるとは、俺も思っていなかった。
案の定、ブランヴィリエは、まゆをひそめた。
「鍛冶屋? 鍛冶屋がなぜここにいらっしゃるの? しかも初期アバターで?」
俺は、マダム・ブランヴィリエからただよう紫煙をはらいのけ、タメ息混じりに、
「みなさんはキャラの造形も凝ってますし、装備品も高級ですから、かなりの有名人みたいですね。ま、こういう無名のガキもいるってことで、お手柔らかにお願いします」
とだけ答えた。
俺のほほは、ひだりどなりにいるモンティの視線を、痛いほどに受けていた。
まあそういう目をするなと、俺は思った。手札は非公開のほうがいい。
俺の自己紹介で、男性陣は終わった。吸血鬼ヴラドは、女性キャラへ視線を転じた。
「では、ご婦人がたにうつっていただきましょう」
反時計回りに自己紹介がはじまった。
まずは、モンティから。
「あたしはモンティ。情報屋だよ」
彼女のことばに、ウィルソンは、
「やっぱりな。お嬢ちゃん、オレのこと知ってるんだろ? 流し目でわかったぜ?」
とたずねた。
「もちろん」
モンティの答えは、それだけだった──そう、あなたが賞金首だってこともね。
少女の顔は、あからさまにそう物語っていた。
「次は、あたいか?」
右も左もわからないのか、獣耳の少女イオナは、きょろきょろした。
モンティは「そうよ」と、あきれ気味にうながした。初期アバターの俺も大概だが、この獣娘も、そうとう場ちがいに思える。俺は、いかにも初心者キャラにみえる。この獣娘は、言動がいかにもこどもっぽくみえる。
けれども装備品は、俺より立派だと言ってよかった。青龍の皮でつくった鎧をまとい、背中には巨大なハンマーをしょっている。
「あたいは、イオナ。バーサーカーだぞ。よろしくな」
小学生じゃないだろうな。俺はそう案じた。
年齢をいつわって登録するプレイヤーは、どこにでもいる。
ヒューと口笛が聞こえた。ウィルソンだった。
「お嬢ちゃん、学校に行く時間じゃないのかい?」
つまらないツッコミだ。俺は不快感をおぼえた。
ところが、それ以上に俺をおどろかせたのは、イオナの反応だった。
「狼が学校に行くわけないだろッ!」
こいつ、キャラ作りが徹底してる。もちろん、この場の全員がキャラを演じている。とはいえ、演技だとわかる範囲でのふるまいだ。それに対して、イオナは、なんというのだろうか──迫真に満ちているところがあった。キャラを演じているのではなく、なりきっている。
それとも、そういう迫力を伝えるくらいに演技がうまい、ということなのだろうか。ありうる。リアルの芸人や役者がVRMMOに登録することは、めずらしくなかった。こどものような態度をみせているのは、俺たちに誤った印象を与えるためかもしれない。
用心しろ、俺。だましあいは始まっているんだ。
ウィルソンは、ハイハイわかったと言う調子で、両手をひらひらさせた。
吸血鬼が咳ばらいをして、ようやくブランヴィリエの番になった。
「あたくしは、オードリー・ブランヴィリエ。夫に先立たれてばかりで、男運が悪いのですけれど、今宵は美しい殿方がおそろいですこと」
男性陣は彼女の流し目を無視して、すぐとなりの騎士にむきなおった。
豊かな金髪を結いあげた、蒼い目の女だった。
「私はサリカ・ガーデニアン。聖騎士だ」
この自己紹介に、周囲はざわついた。
ウィルソンは「へぇ」とワケ知り顔で、
「ってことは、暗黒騎士を倒したお嬢さんか」
と言った。そうだ。俺も名前は知っている。聖騎士サリカといえば、つい最近、賞金首ランキング二位の暗黒騎士タルタロスを倒したという、うわさのプレイヤーだ。タルタロスは、ガーデン湖という小さな山上湖を根城にしていた、伝説級の暗殺者。複数の領主から、賞金をかけられていた。それを倒した新参の聖騎士がいるというニュースは、たちどころに広まっていた。まさかこの推理ゲームに参加しているとは、思わなかった。
サリカは周囲の好奇心を無視して、
「ところで、あの死体の正体を、だれか知らないのか?」
とたずねた。
すると、モンティはしたり顔で、
「聖騎士さまは、そういう質問に答えが返ってくると、思ってるのかな?」
と挑発した。
サリカは顔色ひとつ変えなかった。
「情報屋のモンティ殿なら、ごぞんじでは?」
モンティはあきれて、
「聖騎士さまは、ひとを疑うってことを知らないのかしら……ま、いいわ。あたしの情報が正しければ、この男は、贋金師ハッサムね」
と答えた。
その名前に、幾人かが反応した。
とくにウィルソンは、
「電子通貨の無限増殖法を編み出したやつか?」
と言いながら、無精髭をなで、死体にちかづいた。
一方、マダム・ブランヴィリエはつまらなさそうに、紫煙をはいた。
「で、ゲームは始まっているのかしら、そこのメイドさん?」
マダムの視線は、クレアに向けられていた。
クレアはスカートの裾を持ちあげて、一礼した。
「電嵐城でメイドを務めさせていただいております、クレアでございます。このたびは、城主オブデロード卿のご招待に応じていただき、まことにありがとうございました。不在の城主に代わりまして、御礼もうしあげます」
この自己紹介は、締めくくりにならなかった。
むしろ喧噪をもたらした。
最初に声を発したのは、グウェインだった。
「城主は不在なのかね?」
彼の爬虫類の顔は、その表情をうまく隠せるようだ。怒っているのか、単にたずねただけなのか、見当がつかなかった。あるいは、竜族特有の表情、というものがあるのかもしれない。開発者がそのようにデザインしていれば、の話だが。
クレアは、うやうやしく返答した。
「七日後には、お帰りになられるかと」
どよめきが起こった。おたがいに目配せし合う。
あからさまに青くなっていたのは、情報屋のモンティだった。
「ちょっと待って……七日後? このサーバがいつ閉鎖されるか、わかってるの?」
モンティの質問──というよりは、もはや詰問に近かったが──に対して、クレアは職業的な笑みをくずさず、「オブデロード卿のご帰還は、七日後となっております」と、澄まし顔で答えた。
モンティは一歩まえに出て──俺がそでを引かなければ、ハッサムの血を踏みつけていただろう──こぶしを振り上げると、
「このサーバが全消去されるのも、七日後なのよ? ゲームのなかにいたら、どうなるか想像がつくでしょう? 現実世界の脳に傷がつくッ!」
クレアはほほえむと、一同に目くばせした。
「みなさまは、オブデロード様からの招待状を熟読し、この城へいらっしゃいました。リスクにつきましても、ご承知いただけているかと」
ありきたりな口上だ。利用規約をよくお読みください、というやつに違いない。もっとも、このゲームの利用規約に比べれば、オブデロード卿からの招待状は、とるにたらない長さだった。当人が不在だということも、書かれていなかった。
ウィルソンは、刈りあげた頭をぽりぽりとかきながら、
「一億なんて賞金だから、やばいとは思ったんだが、さすがにそりゃねぇよな」
とつぶやいた。
だが、その顔はむしろ、面白がっているようにみえた。
クレアは両手をへそのあたりにそえて、
「ゲームははじまっております。死体は上々、みなさまの足もとにございます。ご自由に推理なさってくださいませ」
と言い、一礼した。
そのとたん、意味不明な叫び声があがった。
「パーティーじゃないなら、あたいは帰るぞッ!」
イオナは、食堂を飛び出そうとした。
クレアは上半身をもちあげて、声をかけた。
「お待ちください。すでに城外は、世界崩壊がはじまっております。命が惜しければ、このままゲームを続けられるよう、おすすめいたします」
バカな。さっきまでは平常運転だったろう。
俺たちは、食堂に備えつけの窓へ駆けよった。
それまで青空だった世界には、電子の砂嵐が発生していた。
「くっそ」
ウィルソンの舌打ちが聞こえた。なんだ、さっきのは強がりか。俺はすこしばかり、ウィルソンの人物評価をさげた。ブランヴィリエのキセルの香りが濃くなる。ふりかえると、彼女は俺のうしろにいた。俺の肩ごしに、崩壊する世界のようすをながめていた。
「そうね。最初の夫が亡くなったときも、こんな嵐の日だったわ」
ブランヴィリエの芝居じみた台詞に、俺は嫌悪感をおぼえた。
混乱のなかで、幾人かは冷静さをたもっていた。吸血鬼と竜人、そして、聖騎士も電子の海を見つめ、表情を崩さなかった。最後のひとりは──俺のうぬぼれでなければ──俺だ。こんなところでブルってたまるか。
竜人は窓際からはなれて、クレアにたずねた。
「クレア殿にうかがいたい。今回の出来事は、仮想世界監禁罪に当たる。現実世界の警察も動く事案だ。オブデロード卿は、なぜこのような催しものをひらかれた?」
「それにつきましては、みなさまもよくご存知かと思います」
クレアの意味深なまなざしに、答える者はいなかった。
おやおやと言わんばかりに、クレアはスカートのすそをなおした。
「みなさまは警察に顔出しできるご身分ではないと、そううかがっております」
どういうことだ? 俺は脅迫の意図をつかみかねた。
俺は犯罪者じゃない。もちろん、チート行為は規約違反だ。が、それはゲーム内の話であって、プレイヤーがVRMMOの規約を守っているかどうかには、政府もいちいち干渉していなかった。
クレアは一礼し、俺たちを順繰りに見つめた。その瞳に、やさしげな笑みが浮かんだ。
「それではごゆるりと、命あるかぎりお楽しみくださいませ」




