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エンディングを迎えて

 フラッシュの嵐──大学の正門で、俺は顔をおおった。情報学棟の総ガラス玄関を出たところから、マスコミがずっとあとをついてくる。前世紀にもよくある光景だ。変わったことと言えば、ロボット記者がちらほら混じっていたり、あのめんどくさそうなマイクというものが、なくなっていることくらいだろう。記者たちはタブレット型のメモ帳に、音声入力式で特ダネを得ようと、俺を取り囲んでいた。

 そのうちのひとり、スーツを着た男性記者が、話しかけてきた。

須藤すどう友成ともなりさんですか?」

 俺が無視すると、べつの少年型ロボットが質問を飛ばした。

「今回の人格データ加工について、ひとこと」

 俺は記者連中を押しのけると、肩をいからせてその場をはなれた。

 だが、マスコミは執拗についてきた。

 ほかの大学生たちは、このひとだかりを奇異な目でみていた。

「津田香織さんとは、どのようなご関係で?」

「……」

「報酬は受け取らなかったと聞きましたが、資金はどこから?」

「……」

 人だかりで、もみくちゃにされる。なんとか公道へつながる階段を下りきったが、そこで立ち往生してしまった。俺が大声を出そうとしたところで、一台の車がとまった。

 灰色のツードアで、自動運転のようだが、運転席にはひとが乗っていた。

 静かにドアがひらいた。スーツを着た、体格のよい女性が姿をみせた。

 大学の体育教官かな、と俺は無意識に思った。

「須藤くん、乗っていく?」

 新手の記者か。

 俺はドアをよけようとした。

「二階級特進は、おあずけだった」

 俺は振り返った。

「……グウェインさん?」

 まさか、そんなことがあるのか──いや、グウェインはBOTじゃなかった。中の人間がいるのは、むしろあたりまえだとすら言えた。

「乗っていく?」

 俺は首をたてに振って、記者を押しのけると、助手席に乗り込んだ。

 ドアがしまり、騒音が消える。非日常から非日常へ。ここはまだ、俺の学生生活とは異質な空間だった。消臭剤の香り。フロントガラスには、かわいらしい猫のアクセサリーが置かれていた。けれど、それ以外には、すこしもお茶目なところなどない公用車だった。

 女性はハンドルを握ると、クラクションを鳴らして、記者たちをどかせた。自動運転モードを切って、彼女は自走した。人間のドライビングを、俺はあまり信頼していなかった。車が高速道路に出ないことを願った。

「心配しないで。警察学校では、ちゃんと訓練してるから」

 俺の不安を見透かしたように、女性はそうつぶやいた。

 バックミラーをながめつつ、俺は話しかけた。

「グウェインさんですか?」

「そう」

「どうして、ここに?」

「ちょっと聞きたいことがあって」

 車内での会話は、それっきりだった。俺は、なにを話せばいいのかわからなかったし、グウェインのほうも気を散らしたくないのか、話しかけてこなかった。左右に流れる風景を、俺はぼんやりと眺めた。まるでこどものようだ。

 オフィス街を通り抜け、車は公園のまえにとまった。

「そのへんをぐるぐるしてて」

 グウェインはAIにそう命じて、車をはなれた。車は勝手に出発して、曲がり角に消えた。電気自動車だから、排ガスの匂いすら残らなかった。

「奥にベンチがあるわ。そこで話しましょう」

 グウェインに先導されて、俺は公園の奥へ向かった。緑がうつくしい自然公園だ。その木々のかたちが、津田香織の病室からみえた森の景色と、どこか重なってみえた。

 グウェインが言ったとおり、木製のベンチがあった。

 そのうちのひとつに、ふたりで腰をおろした。

「グウェインさん、今日は、なんの用事ですか?」

「津田瞬の件」

 俺はそのときになってようやく、グウェインの顔を、一度みたことに気づいた。

「あなた、法廷にいらっしゃいましたよね?」

「ええ」

 グウェインはニヤリと笑って、うしろ髪をなであげた。

「気づくのが、ずいぶん遅かったじゃない」

「俺は証言してから、すぐに出たもので……てっきり、べつの証人かと……」

「れっきとした証人よ。私は当事者だったから。それに……いえ、なんでもない」

 俺たちは、押し黙った──津田瞬は、あのあと病院で亡くなった。一八歳だった。タルタロスが彼に与えたダメージは、結局のところ致命的なものだった。ひ弱なキャラクターを選択したのが、裏目に出てしまったらしい。彼の人格は世界崩壊の衝撃に耐えられず、意識をとりもどすことはなく、搬送先の病院で死亡が確認された。

 今おこなわれている裁判は、VRMMOでの殺人事件ではなく、それに関連して起こった不正アクセスの有無と、器物損壊について──あまりにも矮小で、あまりにもおそまつなものだった。

「裁判は、どうなるんでしょうか?」

 俺は、おそるおそるたずねた。

 グウェインは、だらしなくベンチにもたれかかり、青空をみあげた。

「このまま流れるでしょうね。私たちのあいだに、矛盾した証言はなかったから」

「そうですか……すこしは、お役に立てたみたいです」

 グウェインは、またニヤリと笑った。

「すこしは? きみは、津田香織を蘇生そせいさせたんでしょ?」

「俺じゃなくて、俺の後輩です」

「ああ、アリサちゃんね」

 妙ななれなれしさに、俺は思わず破顔はがんした。

「どうしたの?」

「いえ……グウェインさんって、もっと真面目なキャラだと思ってました。それに、話し方からして、おじさんだという予想だったんです。まさか女刑事さんだとはね」

 グウェインは笑った。

 俺も笑った。

「ゲームのなかは、すべてお芝居ってわけ。がっかりした?」

「いえ……VRMMOって、そんなもんじゃないですか」

 容疑者たちは、全員なにかを演じていた。それが、善きものであれ、悪しきものであれ──いや、そういう区分さえ、無意味になるような、演技だったのだ。俺はなぜか、そんな気がした。

 むしろ、演技であって欲しいことのほうが、多かった。津田瞬の死、四人の被害者たちの死、そしてタルタロスが、じつは英雄ではなかったこと……全部ウソだと言って欲しかった。

「グウェインさんこそ、チート屋の中身が俺で、失望しましたか?」

 彼女は、すぐには答えなかった。

「うーん、そうね……もっとしょうもないやつかと思ってた」

「俺は、しょうもないやつですよ」

「天才ハッカーなのに?」

 天才――俺はくびをふった。

「俺が臆病者でなければ、あんな事件は起こらなかったんです。タルタロスの挑戦状を受けて……そう、それが罠だったとしても、俺が出向いていれば……」

「……」

「ひとつ、質問していいですか?」

「プライバシーでなければ」

 俺はひざのうえで両手を組んで、ゆっくりとくちびるを動かした。

「じつは俺、ひとつだけ解けていないことがあるんです……津田瞬は、なぜ俺に招待状を送ったんでしょうか? 俺には犯罪履歴はなかったですし、ガーデン湖の奇跡には参加していません」

 グウェインは、いい質問ね、と言って、一分ほど沈黙した。

「これは私の憶測なんだけど……津田瞬は、タルタロスがあなたに挑戦状を送ったことを、知っていたんだと思う。だから、ガーデン湖の奇跡に参加していないっていう噂を、頭から信じることができなかったんでしょうね」

「つまり……俺がイオナの事故に責任があるかどうか、見極めたかった、と?」

 グウェインはうなずいた。曖昧なうなずきかただった。

 俺は、ちがう解釈をしていた。身勝手な解釈だ。そう、津田瞬は、俺がハッカーであることを知って──助けて欲しかったんじゃないだろうか。俺たちは半ばボランティアで、あの少年の妹を助けた。だが、もちろん資金は必要だった。ボランティアというのは、俺とアリサには報酬らしきものがなにもなかった、という意味に過ぎない。スパコンを動かしたり、俺とアリサにできない仕事を外注する費用は、不可欠だった。そしてそのすべては、津田瞬の保険金でまかなわれた。妹の命を救うプロジェクトには無制限の使用を認めるという契約が、彼と保険会社とのあいだで結ばれていた。

 だとすれば、彼は協力者にアテがあったということだ。それが俺だったと思うのは、うぬぼれだろうか。そうかもしれない。だけど、仮にそうであるとすれば──あのゲームにおける真の勝利者は、津田瞬ということにならないだろうか。俺は、そうであって欲しいという気さえした。

「さてと……タルタロスの捜索にもどりますか」

 グウェインは腰をあげた。

 彼女は俺の真正面に立ち、背筋をのばした。

「まだ見つかっていないんですね」

「タルタロスは、海外サーバからアクセスしてた。どこかの国のカプセルのなかで、死んでるのかもしれない」

 俺は、地面に視線を落とした。

 アリが一匹、日陰と日向のあいだを、行ったりきたりしていた。

 それはまるで、太陽を求めながら、その明るさに耐えられないかのような動きだった。

 俺はしばらく沈黙し──顔をあげた。

「……俺、タルタロスには、英雄であって欲しかったんですよ」

 グウェインの表情は見えなかった。

 だが、それはどうでもよかった。

 これは、ただのひとりごとなのだから。

「リアルに、英雄はいないじゃないですか……もちろん、英雄と言われてるひとはいますけど、じっさいに調べてみたら、べつにそんなことはないんです。フィクションだったり、まわりの功績が混ざってたり、じっさいにはロクでもなかったり……ゲームのなかになら、いるかもしれない……そう思って始めてみたら、けっきょくゲームもリアルと同じだったんです。そんなとき……」

 そんなとき、タルタロスはあらわれた。

 シナリオという名の出来レース、ランダムという名のインチキ、名声と実績は乖離して、デザインは陳腐になり、消費がすべてを支配する──それが悪いわけじゃない。ただ、そうでない世界がどこかにあって欲しいと、そう思っただけだ。

 俺は目を閉じた。闇夜の湖に、月明かりが映る。居城に立つ、黒い鎧の騎士。それはすっかり孤独で、寂しささえおぼえてしまう。星辰は墓守に徹し、幾千年も前に転がり落ちた岩が、こう語る。そう、待っていたのだ、このときを。

 俺は目を開けた。

 変わらない日常が、まだ午前の香りを残す風のなかにあった。

 グウェインは敬礼した。

「さようなら、チート屋のルーズ……あなたは英雄よ」

 彼女は、公園を立ち去った。最後まで、本名を明かさなかった。それもまたいいだろう。そして、もう会うこともないと思った。理由はわからない。そのほうが、エンディングにふさわしい。

 それとすれ違うように、ひとりの少女が駆けてくる──アリサだった。

「せんぱーい、こんなところで、なにしてるんですか?」

 答えるすべがなかった。俺は、なにをしているのだろう。

 もしその答えがみつかるとしたら、それはゲームのなかじゃない。

 俺はグウェインの背中を見送って、それからアリサに話しかけた。

「なあ、香織さんのお見舞いに行かないか」

 俺とアリサは、また新しい人生の一歩を踏み出す──現実のなかで。

 ゲームのなかのキャラクターたちは、春風とともに、空の彼方へ消えた。

 とある五月の、わずか数日の出来事だった。

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