第23話 暗黒騎士
盛大なジャンプ――俺はその落下地点を見定めて、地面を溶岩パネルに変える。
標的を見失ったクレアは、空中で体の軸をぶらした。
ぎりぎり通常床のふちに着地し、すぐに溶岩の熱からはなれた。
「ちッ!」
俺は舌打ちをしつつ、内心ではほくそ笑んだ。この調子でいけば、そのうちマグマへ落ちるだろう。グウェインやサリカと戦って、バランス機能に故障が発生したようだ。あるいは、もともと安物なのか。とにかく、俺は逃げ回った。
クレアは、猪突猛進ということばがふさわしいくらい、直線的に攻めてくる。俺めがけて一直線なのだ。だから、どのあたりを狙っているのか、把握するのは容易だった。紫外線センサーにわざとひっかかり、突進してきたところで、床のパネルを溶岩に変える。すると、センサーが狂って、標的をロストする。
そのくりかえしだった。あたりは次第に、灼熱の大地と化していった。
まずいな……この調子だと、俺のほうがダウンするぞ。
足の踏み場は、だんだんとなくなりつつあった。それは、クレアにとってだけでなく、俺にとってもそうだ。今も、クレアの俊足の突きを、かわしたばかり。そのときに、左側しか逃げる場所がなかった。右やうしろへ行けば、溶岩の池に落っこちてしまう。
「くそッ! さっさと落ちろッ!」
何枚かパネルをもどすか? そう考えたのは、一瞬だけ。もどした時点で、俺はみつかってしまう。現にいまのクレアは、熱センサーが完全にいかれてしまったのか、闇雲に攻撃をしていた。俺のいないところへ、鋼鉄のパンチをくりだしている。
どうする? 発見されるリスクと、このまま逃げ場が減るリスク――選択がむずかしすぎる。ここまで特殊な戦闘を、俺は経験したことがなかった。BOTは普通、プレイヤーに対して、危害をくわえないようにできているからだ。
「……あちッ!」
俺の手の甲に、マグマが飛び散った。ダメだ。これ以上は範囲を広げられない。
通常床にもどそう――そう考えた瞬間、足もとの土砂がくずれた。
「うそだろッ!?」
俺は、溶岩のなかへ倒れ込む――こんなバカな結末があるか――目を閉じ、受け身すら取らなかった。すると――強烈な痛みが走った。やけどとはちがう、なにかにぶつかったような痛み。俺はあわてて、目を開けた。
「……なんだこれは?」
正門まえは、マグマの海になっていたはずだ。ところが、そのすべてが消えた。
だれかが、助けてくれたのか? それとも――混乱する俺の背中に、激痛が走った。
門の柱に激突するまで吹っ飛ばされた。脳しんとうを起こしたような風景のむこうで、クレアが右足を蹴り出したまま、立っていた。
「しまった……居場所がバレて……」
俺はふるえるゆびで、地面を操作した――なにも起こらない。
「え……?」
なにかの間違いかと思い、何度もパネルのステータスを表示させようとする。反応はなかった。あせる俺は、喉をおさえられ、空中に浮かんだ。剥き出しになったクレアの右目が、無機質に俺を見つめている。苦しい――俺は、クレアの腕をほどこうとした。ムダなあがきだった。
「目標ヲ捕獲……消去……シマス……」
クレアは、するどくとがった金属製のゆびを、ゆっくりと引いた。腹部をつらぬくつもりだ。今度こそリタイアだと思い、俺は覚悟を決めた。
「クレア、ひとつだけ教えてくれ……おまえの主人は、だれ……」
「そこまでよッ!」
俺は、耳をうたがった――モンティだ。クレアの背後で、なにやら棒のようなものを携帯していた。銃か? どこで手に入れた?
「ルーズをおろしなさい」
「……」
「おろしなさい。吹き飛ばされたいの? 炸裂弾よ?」
「……」
炸裂弾――濃縮した火炎魔法を封じ込めたものだ――しかし、クレアにいまの状況が分かるのか? 俺を絶対に抹殺するなら、このまま炸裂弾をくらって、心中するほうを選ぶだろう。オブデロード卿がどんなプログラムを命じているのか――俺の安否は、それにかかっていた。
「おろしなさいッ!」
「……」
ゆびがゆるんだ。俺は、事態を把握するひまもなく、地面に落下した。
「ルーズ、はやくこっちへッ!」
俺は、這いつくばるように逃げた――そして、おどろいた。途中でふりかえると、あのクレアが両手をあげて降参していたからだ。俺は、モンティのところまでたどりついて、ようやく背筋を伸ばした。その拍子に、ぶつけた箇所が痛む。
「大丈夫?」
「命は、な」
俺は、モンティがにぎりしめているものを直視した。
二度目のおどろき――それは銃などではなく、木でできたオモチャの装飾品だった。
「あいつ、目が見えないんでしょ?」
「ああ……だけど……」
モンティは、そのまま突っ立っているようにおどして、一歩ずつあとずさりした。
「どうする? 逃げたら、また追いかけてくるぞ」
「そうね……なにかで縛れないかしら?」
「縛るって……どうやって近づくんだ?」
そのときだった――地面に、ひとつの影が舞った。
俺とモンティが見上げたとたん、その影はクレアめがけて一直線に下降した。
金属を断つ音――クレアは、俺たちの目の前で、上半身まっぷたつになった。
俺はその影の正体に気づき、彼女の名前を呼んだ。
「サリカ……?」
漆黒の鎧をまとったサリカが、残心の体勢で、崩れ落ちるクレアのそばにいた。
サリカは、唖然とする俺たちのまえで、大剣をふりはらった。顔はみえない。こちらに背をむけているからだ――ほんとうにサリカか? 聖騎士が着る白銀のよろいじゃない。これじゃまるで、暗黒騎士の――いや、まさか――
「ルーズ、モンティ……無事だったか?」
「おまえ……まさか……」
「ようやく気づいたか」
サリカはふりかえった――これまでにみせたことのない、邪悪な笑みを浮かべていた。クレアの体内から吹き出たオイルが、返り血のようだ。
「私が暗黒騎士タルタロスだ」
俺は事態を察した。
「そうか……タルタロスが死んだっていうのは、自作自演……」
「その通りだよ、ルーズ・ネグレクトゥス……いや、オブデロード卿と呼ぼうか」
「ッ!?」
モンティは、俺の横顔をみあげた。痛いほどに視線を感じる。
「サリカ……いや、タルタロス、待ってくれッ! その推理はまちがいだッ!」
タルタロスはあざけるように笑い、大剣をかまえなおした。
「もうごまかす必要もないだろう……オブデロード卿の復讐……なるほど、うまいことを考えついたものだ。私たちに対する復讐のつもりだな……津田瞬?」
「違うッ! 俺は津田瞬じゃないッ!」
タルタロスは宙に舞った。大剣が、俺たちめがけてふりおろされる。
モンティが俺を突き飛ばし、ぎりぎりのところで刃をかわした。
小石が跳ね、俺はそでで顔をおおう。だが、それは迂闊だった。
次のひと太刀を回避する余裕をうしなう。
「負け犬は死ねッ! ……ッ!?」
何者かが、タルタロスに飛びかかった。その耳と尾に、俺は喫驚をあげた。
「イオナ!」
イオナはタルタロスにしがみつき、彼女の右腕に深く牙を立てた。
タルタロスの悲鳴――イオナは飛び退いて、俺にかけよる。
「大丈夫か?」
「ルーズ! イオナ! 逃げるわよ!」
モンティはフック付きロープで、城壁のうえにのぼっていた。俺とイオナは、そのほうへ駆け寄る。だが、腕を噛まれただけのタルタロスは、すぐに攻撃を再開した。
「このくたばり損ないがッ!」
タルタロスは鬼の形相で、イオナに襲いかかる。
イオナはふりおろされた大剣を、白刃取りした。
これには、タルタロスの表情が変わる。
「なッ……!?」
「イオナは、くたばり損ないじゃないぞッ!」
「ほざけ、オオカミ女ッ!」
タルタロスは歯を食いしばり、ペッと血を吐いた。
「おまえがあのとき……おまえがあのとき、ガーデン湖にいなければ、私はこんなゲームに付き合う必要はなかったんだッ! おまえのような……おまえのような社会の底辺が、私の人生を……ッ!」
タルタロスは、なりふり構わず大剣を振るう。
さすがにイオナもひるんで、タルタロスと距離をとった。
「津田香織ッ! 津田瞬ッ! 兄妹もろとも、ここで死んでもらうッ!」
「つだかおりなんて、イオナは知らないぞッ!」
「きさまの本体の名だッ! バカ犬がッ!」
タルタロスはイオナに切り掛かった――イオナは咄嗟にかわす。スピードならイオナのほうが勝っているかと思いきや、かなりいい勝負のようにみえた。暗黒騎士タルタロスの実力を、目の当たりにさせられる。
この女は強い。運営の補正がなくても、最強にみえた。
「ルーズ! イオナさんを助けてッ!!」
「できるわけないだろッ!」
「あんたチート屋でしょッ!」
俺は、歯ぎしりした。
「分かった! ここは俺に任せろ! モンティはグウェインを捜してくれッ!」
「援軍ねッ! 了解!」
モンティは、城壁の欄干のむこうに消えた。
俺は、壁に触れてみる――出ない。パネル操作ができない。
なんでだ? 俺の能力は、どこへ行った?
右往左往する背後で、タルタロスの大剣がイオナのよろいを砕いた。腹部が露出して、タルタロスはそこを執拗に狙い始める。だが、本気で殺しにいっていない。どこかで手加減しているようにすらみえた。俺の目の錯覚か。
イオナは右に跳ねるとみせかけて、左に猛ダッシュし、タルタロスの背後へまわった。タルタロスがふりむくよりも早く、背中に蹴りを入れる。タルタロスはふらついたが、すぐに体勢をもどした。
異常な耐久力。あの黒い甲冑は、ダメージを軽減する効果があるようだ。イオナもそれに気づいたらしく、間合いをとり始めた。
「その鎧、絶対おかしいぞ! 違法品だな!」
「バカをぬかせ。運営直々のプレゼントだ」
タルタロスは大剣を軽々と持ち上げる――俺は、ようやく気づいた。タルタロスの装備しているものに、俺は心当たりがない。アイテムのカタログで見たことがないのだ。それに、大剣を片手で操っているのは、どう考えてもおかしかった。普通、ああいうアイテムには、かなりの重量が設定されているからだ。
「タルタロス! おまえ、最初から運営に雇われてたなッ!」
俺は叫んだ。
タルタロスはこちらを見ずに、手のひらで小馬鹿にしたような動作をした。そして、俺に向かって親指を下に立てた。
「おまえのような迷惑プレイヤーを始末するのが、私の仕事だ……今回は、運営の指示ではなく、護身のためだがな。リアルに死んでもらう」
タルタロスは、ふたたびイオナに切り掛かった。イオナは、左右にかわそうとしたが、動きを見切られたらしい。タルタロスはちょうど同じ方向へすり込んで、イオナの側面にむけ、思いっきり大剣をくらわせた。鎧が砕け散り、イオナは壁に激突する。
「イオナ!」
「気をうしなったようだな……安心しろ、すぐには殺さんよ」
タルタロスは、俺のほうへ剣先をむけた。
「ルーズ、取引をしよう」
「取引……? おまえと取引することなんか、ない」
俺はそう言いながら、背面の壁にゆびを這わせた。頼む。ステータス画面。
あせる一方の俺に対して、タルタロスはニヤリと笑った。
「ルーズ……おまえ、なかなかに間が抜けてるな」
「……なにが言いたい?」
「おまえの能力は、もう使えないのだよ……サーバが崩壊を始めた」
俺は口をひらき、あえいだ。
「崩壊……? 崩壊は五日後だろう?」
「サーバの閉鎖が五日後だ。世界はもっと早く崩壊を始める。おまえは、サーバの電源を切ってハイ終わり、とでも思っていたのか? データ消去が先だろう?」
ってことは――アクセス不能になってるってことじゃないかッ!
なんてことだ。マクロレベルでのサーバ管理が専門じゃないから、そういう事態を予測していなかった。俺はあらためて、井の中の蛙だと思い知らされる。
タルタロスは笑った。
「そのようすでは、ほんとうに知らなかったようだな。チート屋もこの程度か」
ピシリと、夜空にひびが入った。
金属の塗装が剥がれるように、ゆっくりと夜空が落ちる。
そのあとには、薄黄色に燃え上がる天蓋がみえた。
世界が崩壊する。電子の海は今や、俺たちを飲み込もうとしていた。
「どうやら、ほんとうに気づいていなかったようだな……まあ、いい。そうでなくては、取引ができないからな」
タルタロスから圧が消えた。
殺気はある。だが、攻撃の手がゆるんだ。
「取引ってのは、なんだ? 一緒に脱出するってことか?」
タルタロスは、くびを振った。
夜空から、ふたたび黒い皮膜が落ちる。
まるで夜が明けるように、あたりが輝きを増した。
タルタロスはその神々しい光景を背にして、こう断言した。
「全員一緒には、もうムリだ」
「ムリ……だと……?」
「外部へのアクセスは、一部をのぞいて、すべて閉ざされた。ポータルも、もう使うことができない」
俺は、愕然とした――ここにきて、脱出不可能? そんなバカな。
「でたらめを言うな」
「でたらめではない」
「じゃあ、おまえはなんで脱出しなかったんだ?」
「取引をするためだよ……津田瞬、おまえと、な。おまえは、私の犯罪履歴を把握している。ここから脱出しただけでは、私の安全が保証されていない」
この女、まだ俺のことを津田瞬だと勘違いしてるのか――だが、訂正はしない。取引をすると言っているのだ。俺が津田瞬じゃないと分かれば、タルタロスは俺に興味をうしない、攻撃をしかけてくるかもしれなかった。イオナが負け、チート能力も使えない状態では、もはやどうしようもない。
「わかった……取引の中身を言え」
「この電嵐城にあるはずの、緊急脱出用ポータルの場所をおしえろ」
「緊急脱出用ポータル……?」
なんだ、それは?
「知らないようだな……まあ、ムリもない。運営専用のポータルで、一般プレイヤーには完全に秘密にされているものだ。私も運営の仕事にかかわっていたとき、この情報を知ったくらいだ。この電嵐城は、もともと運営の中心地。どこかにあるはずだ……捜せ」
「どういうことだ? そんなものがあるなら、全員脱出できるじゃないか?」
「残念だが、緊急用のポータルは、管理部長と副部長専用でね……ようするに、ふたりしか乗れないのだよ。それ以上の人数が乗ると、アクセスが遮断される」
俺は、おおきく息を吸った――タルタロスの言いたいことが、ようやく理解できた。
「なるほどな……ひとりは、おまえ自身ってことか……もうひとりは?」
タルタロスは、大剣の先で、気絶したイオナをさした。
「もうひとりは、おまえの妹……津田香織にしてやろう」
「……ほかのメンバーは?」
知ったことかと、タルタロスは冷酷な笑みをもらした。
「このサーバのなかで、電子の海に消えるんだな。美しいぞ。むかし、運営の目を盗んでゲームの世界と死をともにしたやつがいた。インターネットの伝承で知っているだろう。この世のものとは思えぬ光景を拝めて死ねるのだ。感謝しろ」
電子の海に消える――いまの津田香織と、おなじ状態に――いや、おそらくは、カプセルのなかで脳死を迎えるだろう。リアルに死ねと言っているのだ。
「妹想いのおまえにとって、悪い取引ではあるまい? ん?」
「……」
「さあ、決めろ……妹を助けるか、ここで全員が死ぬか……二者択一でなッ!」




