第22話 不屈の人形
サッと周囲の気温がさがり、竜人は一瞬ひるんだ。
それもつかの間――グウェインは炎をはき、床の氷がまたたく間に溶けた。
時間稼ぎとばかりに、俺は尖塔の出口へと逃げ出す。
「待ちたまえ!」
俺は竜人の呼びかけを無視して、出口へ駆け込んだ。階段を数段とばしで下りて、地上へ出る。ところが、それとほぼ同時に、グウェインは地上に降り立った――尖塔のてっぺんから飛び降りたのだ。身体能力のちがいを見せつけられた俺は、その場にかたまった。左右に経路をさがす。
「ルーズくん、落ち着きたまえ」
「グウェイン、おまえは何者だッ! なぜ俺の名前を知ってるッ!」
「きみのことは、すこしばかり調べさせてもらったよ。ここへ来るまえに」
俺は、あとずさりした。この爬虫類は、どのくらいのスピードで走れる?
恐竜は、けっこうな速さで走れると、そう聞いたことがある。
俺よりも足が速いなら、逃げ出すのは背をみせることになり、かえってまずい。
くわえて炎を吐かれたら、火だるまになってしまう。
「……じゃあ、説明してもらおうか。おまえは、オブデロード卿の推理ゲームに参加するメンバーを、あらかじめ把握してたってことだよな? 招待状には、ほかのメンバーの素姓なんて、まったく書かれていなかったぞ? これはつまり、おまえがオブデロード卿である証拠だ。ちがうか?」
グウェインは、くびを左右にふった。
「とぼけても、ムダだ。じゃなきゃ、俺の名前なんて……」
「ガーデン湖の奇跡だよ」
まただ――いつも、あの事件に話がもどる。
「何度でも言うけどな。俺はあの場にいなかったんだッ!」
「そう、きみは、あの場にいなかった……あの場には、ね」
俺は、眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「暗黒騎士タルタロスから、挑戦状を受け取ったのではないかね?」
「!」
俺はさらに一歩さがった。
「なぜ……知ってる?」
「あのガーデン湖の奇跡の真相を、きみは知らないようだ」
イオナ――津田香織の件か?
俺は、遠回しに、イオナの名前を出してみた。
「イオナと関係があるのか?」
「それもまた、間接的な事象にすぎない……ガーデン湖の奇跡、VRMMOの伝説となっているあのエピソードは、運営が故意に起こしたものなのだ」
俺は唖然とした。
「運営が、故意に……? つまり、煽ったってことか?」
「そのような生易しいものではない。ガーデン湖侵攻作戦とその結末は、すべて運営が青写真を描いたものなのだ。参加者も、そして、タルタロスが勝つこともね」
俺は、急に肩の力が抜けた。
それは、じぶんが今まで信じていたことが崩れ去る、あの一瞬の身体反応だった。
「つまり……やらせ?」
「勇者たちは、本気でタルタロスを倒そうとしていた。わざと負けたわけじゃない。むしろ、彼らは被害者なのだ。運営は、タルタロスが勝つように、そのステータスを一時的に∞に書き換えたのだ」
嘘だ。俺はそう叫ぼうとした。
声にならなかった。
暗黒騎士タルタロスが、勇者とうぬぼれた連中を打ち倒す逆英雄譚。
その物語がすべて茶番だという事実を、俺を受け入れられなかった。
「ショックかね?」
グウェインは、俺の心中を察したかのように、そうたずねた。
「証拠は……あるのか……?」
「ある……が、それはリアルの世界に保管してある」
「だったら、あんたの口から出まかせかもしれないよな?」
グウェインは、その点をすなおに認めた。
「信じてもらえないだろうとは思っていた。きみは、タルタロスに憧れていたね?」
「……」
「答えなくてもいい。そして、ここからの私の話を聞いてくれるだけでいい。ガーデン湖の奇跡は、このゲームを運営する会社が仕組んだイベントだ。タルタロスが勝利することも、最初から決められていた。なぜか? あのイベントが、不都合なプレイヤーの排除を目的としていたからだ」
「不都合なプレイヤーの排除……?」
「そう、運営にとって不都合なプレイヤー……例えば、きみだよ、ルーズくん」
グウェインは語った。どのようなVRMMOにも、運営にとって迷惑なプレイヤーが存在する。ゲームのバランスを崩したり、規約を守らなかったり、外部からの不正アクセスを試みたりするような、そういう連中。『オブデロード卿の復讐』においても、事情は変わらなかった。運営は、何十人というプレイヤーを密かにブラックリスト入りさせていた。その中に、俺も入っていた。
「なぜだ? 俺は規約違反も不正アクセスもしてないぞ?」
「きみはこのゲームのハッキング大会で勝っただろう」
「あれは正式なコンテストだ」
「ところがね、あれは運営にとって誤算だったんだよ。天才プログラマーアイドルとして売り出す予定だった、ある芸能事務所の登録キャラが優勝するはずだったのだ。それなのに、きみは思いも掛けない凄腕で優勝してしまった。その芸能事務所は、このゲームのスポンサーから降りた」
私怨すぎるだろ。
思わず、目の前のグウェインに対して非難を飛ばしてしまった。
「完全にとばっちりじゃないかッ! ふざけるなッ!」
「おとなの世界は複雑なのだよ、ルーズくん。そして、きみは運営に目をつけられた。きみに賞金をかけたのは、どこぞの領主ということになっているが、あれも運営の指図だ。ところが、ここでさらに予期しない展開になった。きみは生き延びて、全然狩られる気配がない。そこで、運営は考えた。いっそのこと、迷惑プレイヤーは一網打尽にしてしまおう、とね。それが、あのガーデン湖の奇跡なのだ」
「だけど、俺が真っ向からタルタロスとぶつかるわけないだろ?」
グウェインはうなずいた。
「運営も、タルタロスときみの一騎打ちを望んだわけではない」
「さっきの説明と矛盾してるじゃないか」
「運営が望んだのは、きみがあのガーデン湖にやってくることだ。たとえタルタロスと戦うつもりがなくても、きみは見物には来るかもしれない。さまざまなチート能力を使ってね。そこで、タルタロスとはべつに、きみを襲撃するチームが組まれていた」
「襲撃するチーム?」
「ハッサム、ウィルソン、マダム、ヴラドの四人だよ」
俺は言葉をうしなう。
ミッシングリンクは、今、目の前にあった。
「で、でも、待ってくれ。俺はけっきょく見学に行かなかったし、あの四人に襲われもしなかった。運営の計画は、空振りだったんだろ?」
グウェインは、静かに口を閉ざした。
イヤな予感がする。とてつもなくイヤな予感が。
「これは、きみには伝えたくなかった。私だけで解決したかった」
「……言えよ」
「ある人物が、ガーデン湖の見学に来た。そして、きみと間違えられ……襲われた」
……………………
……………………
…………………
………………
どのくらいの時間、俺は沈黙していたのだろう。
俺は乾いたくちびるで、その被害者の名前を告げた。
「イオナ……か?」
「そう、本名・津田香織、当時中学一年生の女の子だ。暗闇で襲われ、彼女はろくに防御することもできなかった。ヴラドたちも、きみが来たと誤解して最初から全力攻撃だった。そして、ガーデン湖の周囲にはキャラクターが密集しすぎていたこともあり、運悪く彼女に処理落ちが発生……電脳性人格障害を併発した」
音をたてて、風が通り過ぎた。あしもとで、塵が舞う。
信じたくなかった――彼女の事故に、俺が絡んでいたなんて。
もしこれが夢なら、覚めて欲しいと思う。
「つまり、今回のゲームのメンバーは、最初から共通点があったんだな?」
「すくなくとも、きみたちにはね」
「グウェイン、もうひとつ訊いていいか? ……あんた、俺を疑ってるよな? 俺を抹殺しようとした四人が、順番に殺された、だから、俺が犯人だって?」
「うむ……私ははじめ、きみが犯人ではないかと疑っていた」
「はじめ、というのは?」
「今は、自信がない」
竜人は、うろこにおおわれた尾を揺らして、天空を見上げた。
「私のこれまでの推理を、きみに聞いてもらおう。きみは、ガーデン湖の奇跡で命を狙われた。このサーバの運営にね。だからきみは、イオナ……津田香織が脳障害を負ったという情報を警察にリークして、会社をつぶした。さらに、あのとき運営に協力したメンバーを、この廃墟サーバにおびきだした……オブデロード卿としてね。こう考えれば、オブデロード卿に資金がないこと、ガーデン湖の関係者が呼び出されて順に殺害されたこと、きみが一時的に姿を消したことにも、納得がいく」
なるほど――完璧な推理だ。
俺が当事者じゃなければ、信じていただろう。
「しかし、きみの視点では、ちがうのではないかね?」
「ああ……ちがう」
「ならば、きみの視点からはなにがみえているのか、教えて欲しい」
俺は、なにをどのていどまで話せばいいのか、迷った。だが、グウェインは、俺の素姓を突き止めているだけでなく、事件の裏にも熟知していた。俺がこれから話すことも、じつは知っているのではないだろうか。
俺は口をひらく。
「これ以上の隠しだては、意味がないみたいだな……話すよ」
俺は、モンティ、イオナといっしょにポータルまで逃げたこと、そしてそのあと、リアルへ一時的に移動していたこと――移動させられていたことを告げた。だれのしわざかまでは、俺にも分からないと告げた。
「津田香織に、会ったのかね?」
「会った……津田瞬にもな」
そう――こいつが、津田瞬じゃないのか?
だからこそ、イオナ=津田香織という事実を知っているんじゃないのか?
今までのグウェインの情報がすべて正しいとすれば、今回の事件の動機は、津田香織の復讐──犯人は、津田瞬ということになる。
偽オブデロード卿=殺人犯=津田瞬
この方程式が、ファイナルアンサーのように思われた。
そして、それがゴールではなくスタート地点であることもわかった。
俺はどのキャラクターが津田瞬かを特定できていない。
すでに三択まで減っている。モンティか、サリカか……目の前のグウェインだ。
さらに、もうひとつ根源的な問題があった――特定して、どうする?
警察に突き出すのか? それは当然なのかもしれない。けれど、あの津田香織を助けたいという俺の意志はほんものだった。すくなくとも、ほんものだと思いたかった。それに、みんなをこのサーバの崩壊前に脱出させないといけない。
津田瞬は協力してくれるだろうか? 俺を信頼するだろうか?
目の前の竜人が津田瞬であるならば、今この場で確認できるわけだ。
俺を信じて、このゲームから離脱し、その足で警察に行ってくれないか、と。
俺は、グウェインの瞳をのぞきこんだ。
「私が津田香織の兄……津田瞬だと、うたがっているのかね?」
「ああ……」
「それは間違いだ、とだけ言っておこう」
「俺の個人情報だけ筒抜けなのは、フェアじゃないと思うけどな」
竜人は、かるくうなずいた。
「そうだな……きみを信頼するなら、あるいは……」
ガシャリと、奇妙な金属音がした。俺とグウェインは、同時にふりかえる。
その音は、ほの暗い通路――南館へとつながる通路――から聞こえてきた。
「ウソだろ……」
俺は短剣を抜いて、あとずさりした。
溶けた右半身、むきだしのメタルボディ、右目はあとかたもなく、赤いレンズのカメラがのぞいている。ぎこちない動作で、その物体はこちらに接近してきた。
「目標ヲ……発見シマ……シタ……」
ナイフが飛ぶ。
俺は間一髪のところでよけて、尖塔のうらへ回り込んだ。
「グウェイン! 倒したんじゃなかったのか!?」
「機能停止は確認したッ!」
「動いてるだろッ!」
第二弾――クレアは異常な跳躍力で、俺たちのほうへ飛翔した。
強烈なパンチがくりだされ、尖塔の壁がくずれおちる。
俺とグウェインは二手に分かれて、これをなんとかかわした。
グウェインは火炎を吐き、クレアを赤く染めた。
「やったかッ!?」
「ダメだ。このBOTは魔法に強い。打撃でしかトドメを刺せない」
サリカ――サリカは、どこだ? 打撃系のキャラは、あいつしかいないのに。
「サリカは!?」
俺は、ナイフの雨をよけながら、グウェインに大声でたずねた。
ふたりとも、だんだん距離がはなれている。クレアの攻撃は計算されていた。
「分からんッ! 行方不明だッ!」
グウェインも大声で答えて、もういちど炎を吐いた。
クレアは、両腕で頭部を防御した。電子回路をガードしたのか?
あまりにも炎が強過ぎて、俺もグウェインを見失ってしまった。
あたりは火の海だ。
「グウェイン!」
「ルーズくん、今はバラバラに逃げようッ!」
そう言って、グウェインの声は聞こえなくなった。俺は舌打ちして、とにかく出口をさぐる。最後にクレアをみたとき、彼女はポータルへむかう道をふさいでいた。こうなったら、別のルートから南館に逃げ込むしかない。グウェインも、そっちだろう。
俺は炎をかいくぐりながら、天窓をひとつ見つけた。俺はチート能力で跳躍し、その天窓を破って南館へと飛び込んだ。
グウェインの姿はなかった。分断されてしまったようだ。
俺は、ひたすらに走った。耳を澄ませながら。
とびらを開け、応接間を抜け、食堂に入る。
「ど、どっちだ?」
客間のほうへ逃げるか? それとも、中庭か?
サリカたちと最後に分かれたのは、中庭だった。もしかすると、サリカはあちらにいるのかもしれない。だが、戦闘で傷を負ったなら、むしろ客間に――えーい、ままよ! 俺は、正門のほうを選択した。とにかく、狭い場所はさける。
ドアを蹴破って、中庭まで駆けた。
「くッ……やっぱりあのままか……」
中庭にはだれもいなかった。
天を見上げる。壁を伝って屋上へ行けなくはないが……隠れる場所がない。
俺のチート能力を活かせるのは、ごちゃごちゃした戦場だ。
その意味では、城のなかへ戻ったほうが――
ガシャリ
俺は、あわてて振り向いた――クレアだった。
「目標ヲ……補足……」
クレアは、予備のナイフがきれたのか、肉弾戦に持ち込んできた。強烈なアクセルをかけたかと思うと、一気に俺との間合いを詰めた。俺は寸でのところで回避して、クレアを壁に激突させようと試みる。ところがクレアは、するどいカーブを描いて、俺のほうへUターンした。AIはポンコツだが、戦闘力は吹っ切れているらしい。
「この脳筋ロボがッ!」
俺は地面にゆびを触れて、溶岩の池に変えた。クレアは熱反応を検知したのか、一時的に減速、急ブレーキをかけた。やっぱりカメラが壊れてるな。赤外線センサーのようなものでしか、俺を探知できていないのだろう。グウェインの攻撃で俺を見失いかけたことにも、館のなかを逃げ回っているのに、直線的に追跡ができることにも、納得がいく。
ようするに、俺の体温をトレースしているわけだ。
勝機はある――俺は、短剣をふたたびかまえた。
「チート屋でも戦えるってことを、見せてやるよッ! 来い、殺人メイド!」




