第21話 終わらない推理ゲーム
くちびるをむすび、歯を噛みしめる。バカにしているのか?
それとも、リタイアしたという俺の推測がまちがっていただけなのか?
後者だとしたら、なぜハッサムたちは復帰してこない?
まるで、俺だけ特例みたいじゃないか。
ほかのメンバーの安否は?
大声を出してみるか? モンティ、いるか、って?
クレアが倒されたのなら、それでいいんだが……確証がない。
クレアだけが生き残っている可能性もあった。
「……」
俺はポシェットから携帯松明をとりだして、廊下を散策した。
部屋をひとつひとつ確かめる。
ときどき大きな物音を立てては、物陰に隠れてみたりもした。
効果はなかった。だれかが声をあげてくれるわけでもなく、クレアが攻撃してくるわけでもない。そして、このことが、俺を絶望的な気分にさせた。
イオナはやられたのか?
イオナ――津田香織なら、ちょっとした物音で、尻尾をふってあらわれるはずだ。
俺はそう読んでいた。彼女の人格はゲームのキャラクターと融合してしまっていて、じぶんのことを狼娘だと思い込んでいるのだから。そのイオナの反応がないということは、イオナは倒されたか、あるいは──楽観的に考えるなら、だれかと行動をしていることになる。
ゆっくりと廊下を歩く。クレアを迎撃した中庭ものぞいた。リスクがあるとは思ったが、ほかの場所はだいたい調べ尽くしてしまったのだ。そして、成果はなかった。木々がめちゃくちゃに折れて、あちこちが焼け跡になっていた。クレアの死体はない。バッドニュースだ。
俺は来た道をもどった。崩落した空中回廊へと足を運んだ。応接間は、真っ黒になるまで焼けていて、煤の匂いが充満していた。さらに先へと進む。風の音。最後のドアを開けると、城外の広間に出た。ラベンダー色の空が広がる。電子の海は、そのテリトリーを広げていた。
俺は目をこらした――バルコニーの左手、例の崩落した橋のそばにあった尖塔のうえに、炎上する物体がみえたからだ。火災のなごりか? 俺はポシェットから双眼鏡をとりだして、尖塔を確認した。お椀型になっている頂上には、松明のようなものがみえた。オリンピック聖火のように燃え上がっている。俺はこどものころに観に行った、第三回東京オリンピックを思い出した。
ひとがいるのか? 炎は、人工的なもののようにみえた。罠かもしれない。俺はさんざん迷ったあげく、尖塔へむかってみることにした。装備をととのえ、いざというときのために、逃走経路を確保しておく。ポータルまでのあいだにある障害物を、すべて撤去した。ドアがあれば破壊し、窓があればそのガラスをすべて割っておいた。
付け焼き刃だとはわかっていた。ほかにどうしようもない――いや、それはウソだ。このままポータルに乗って、もういちどリアルに帰る手があった。それを選択することもできるはずだ。
しかし、俺はそうしなかった。推理ゲームはまだ終わっていない――自分にそう言い聞かせて、尖塔へといそいだ。途中、通り過ぎる部屋や、廊下の影に、なんども視線を走らせた。到着するまで、三〇分もかかってしまった。
尖塔の根元には、小さな鉄のとびらがあった。俺を手招きしているかのように、ぽっかりと口を開けていた。鍵が壊されている。俺は、もういちどだけ周囲を確認し、螺旋階段をのぼった。五〇段ほどのぼったところで、ようやく光がみえた――夕暮れどきのラベンダー色の空。ここは、電嵐城を見渡せるほどに高かった。
「ようこそ、ルーズくん」
「!?」
俺は、腰の短剣に手を伸ばし――ゆびさきをとめた。
「グウェインさん!」
銀色の大きな皿のうえで、炎が暴れていた。
そのむこうから、竜人がすがたをあらわした。ところどころ破れた衣服から、緑色の血がみえた。それはとうに凝固して、かさぶたのようなものをかたちづくっていた。
「ようこそ、ルーズくん……あるいは、おかえりと言おうか」
「……どういう意味ですか?」
「きみこそ、いままでどこへ行っていたのかね?」
俺は、返答に窮した。
武器の準備はしてきたが、言葉の準備はしてこなかった。
「グウェインさんこそ、ここでなにをしてるんですか?」
「ほぉ、質問を質問で返すのかね?」
「おたがいに、情報を先出しする義務はないと思いますが?」
グウェインは、爬虫類の歯をみせて笑った。
「なにがおかしいんです?」
「いや、失敬……きみは、あまりウソがうまくないようだ。てきとうなことでも答えておけばよいのに。隠れていた、とかね。今の言い方では、大事な情報があると白状しているようなものだ」
「ぐッ……」
グウェインは、尖塔のふちに腰をおろした。
そして俺にも、座れと合図した。
俺はやや距離をとって、欄干を背中にするように座った。
背面攻撃への警戒だ。
「さて、おたがいに、どこから話そうか」
「サリカさんたちは、どこへ?」
グウェインは、「ふむ」と息をもらした。
「行方不明だ」
「行方不明? ……クレアと相打ちに?」
「あのBOTは、なんとか倒せた。チューニングが甘くてね。たいしたAIを搭載していなかったようだ。これは、かなり重要な情報ではあるが……」
「重要? なぜです?」
自分で考えてみなさいと、グウェインは言った。
「俺たちを殺す気がなかった……じゃないですか?」
「なるほど、その可能性もある」
「その可能性も?」
グウェインは、べつの可能性をあげるのかと思いきや、話題そのものを変えた。
「きみは、ほんとうに一億円がもらえると思って、ここに来たのかね?」
「ええ……オブデロード卿の招待状には、運営にかかわっている気配がありました。現に、この電嵐城を貸し切っているじゃないですか。ゲームを盛大に終わらせるなら、その賞金額もありかな、と……海外のサーバでも、総額数億円のコンテストは、毎年開催されていますし……」
「きみは、うたぐり深いようにみえて、なかなか純粋だ。まだ若いとみえる」
俺は、こくりとうなずいた。
「仮にそうだとして、グウェインさんは、なにが言いたいんですか?」
「一億円を支払う能力が、オブデロード卿にはなかった……こうは考えられないかね?」
俺は、グウェインを凝視した。
「……根拠は?」
「さっき言った通りだよ。クレアのAIは、たいしたものではなかった。現に、我々がここへきたときから、怪しげな行動をとっていたほどだ。つまり、オブデロード卿は、このサーバの運営などではなく……不正アクセスをした一般人と考えられないだろうか?」
俺は呼吸をとめた――今の推論には、説得力があった。
それだけではない。俺がリアルで入手した情報とも一致していた。このゲームの運営会社は、電脳性人格障害という事故を起こしてしまい、警察に目をつけられて、サーバの閉鎖を決めた。この推理が正しいなら。そんな状況で、推理ゲームなどしている余裕があるだろうか。
俺はみなまで話さず、すこし遠回りな返答をした。
「たしかに……司会進行がクレアだけというのも、へんですね」
「そうだろう? 一億円もの報酬が支払われるならば、個々の探偵役に、メイドをつけてもよいくらいだ。それにもかかわらず、この電嵐城には、クレア以外のBOTが存在しなかった。さらに、めだったアトラクションも存在しない。北館でなにも見つけられなかったと、きみたちは言ったね。こうして北館との連絡が閉ざされても、推理ゲームは続行している。会場の半分が往来不能になったにもかかわらず、なんのサポートもはいらない。奇妙ではないかね?」
俺は、うなずきかえした。ようするに、北館は推理ゲームとなんの関係もなかった。なぜなら――オブデロード卿には、巨大な舞台を用意する予算がなかったから。こう考えるのが、一番しっくりきた。
「だとすると……オブデロード卿って、だれなんですか? 運営じゃないんですよね? だったら、俺たちのうちのだれかって可能性も……」
「だれか、か……その問いのまえに、問うことがあるのではないかね?」
俺は、すこしだけいらだった。
グウェインは、のらりくらりとしている。
今は緊急事態ではないのだろうか。
「すみません、俺はそこまで頭が回らないんで、教えていただけませんか?」
慇懃無礼とは、このことだろう。
俺は皮肉に近い口調で、グウェインに先をうながした。
「オブデロード卿は、なぜこの推理ゲームを主催したのか、だよ」
言われてみれば、あたりまえの質問だった。
しかし、答えのない質問だとも思った。
「そんなのは、俺たちにはわからないと思いますけどね。一億円を払う余力があろうがなかろうが、外部からゲームサーバを乗っ取って推理ゲームをやらせる。しかもルールが杜撰で、なにをすれば勝ちなのかも判然としない。ようするに、ゲームの素人ってわけです。そんな犯罪者の意図なんか、読めるわけがないでしょう」
「きみは今、重要なことを言った。そう、オブデロード卿は、ゲームの素人だ。あの招待状に書かれていたルールでは、勝敗を決することはできない。トリックをあばけば勝ちなのか、物証が必要なのか、犯人が自白しないといけないのか、なにも決められていない」
「だったら、オブデロード卿の思考を読むなんて、ムダじゃないですか」
グウェインは、じっと俺をみつめた。
物分かりの悪い生徒をみる、教師のような目つきだった。
「……なにが言いたいんです?」
「逆だよ、ルーズくん」
「逆?」
「オブデロード卿は、ゲームの素人で、招待状はでたらめだ……つまり、オブデロード卿にとって、推理ゲームはどうでもよかったのだ」
俺は、推論の合理性にうちのめされた。
「まさか……それって……」
「そうだよ、ルーズくん。オブデロード卿の目的は、私たちをこのサーバに集めて、閉じ込めることだった。つまり、推理ゲームや賞金や犯罪履歴は、召集のための口実にすぎない。だれが犯人を当てるのか、どうやってトリックを解くのか、それはオブデロード卿にとっては、どうでもよいことだった」
計画殺人。俺の脳裏に、そんな言葉がよぎった。
電嵐城は、犯人が用意した巨大な密室だったのかもしれない。空中回廊の崩落だって、そうだ。あれが現実世界で起こっていたなら、密室を作り出すための下準備だと、あっさりとわかったはずだ。つり橋を落として陸の孤島にするなんて、推理小説ではありきたりな手口だからだ。その可能性を見逃してしまったのは、VRMMOという特殊な空間がなせるわざだった。
「とはいえ、状況証拠ですよね」
グウェインは「ならばこれはどうかね」と言って、先をつづけた。
「運営会社の直近の株主総会でも、『オブデロード卿』のサービスは今後も継続するという説明になっていたのだよ。つまり、今回のサーバ閉鎖は、社会的にも寝耳に水なのだ。以前からずっと計画されていたもののようには思われない」
株主総会の議事まで押さえているのか。
俺は驚愕しつつも、あいまいにうなずきかえした。
「……グウェインさん、こういうことを言うと、自意識過剰だって鼻で笑われるかもしれませんが……俺、オブデロード卿に会ったことがある気がするんです。二度ほど」
グウェインは笑わなかった。
静かに、その時と場所をたずねた。
俺は、とある商業都市で出会った女占い師の話をした。その占いがタルタロスの勝利と死を予告していたこと、そして、奇妙な予言を残して消え去ったこと――このふたつの説明を受けて、グウェインはその大きな目をまたたかせた。
「興味ぶかい……たいへん興味ぶかいよ、ルーズくん」
「それに、イオナはこう言っていたんです。じぶんはオブデロード卿の招待状なんかもらわなくて、どこかの湖で魔法使いに声をかけられたんだ、って。その魔法使いがあの女占い師と同一人物である可能性に、ついさっきまで思い至りませんでした。でも、仮にそうだとしたら……あの女占い師は、オブデロード卿本人だったんじゃないか、そんな気がしてきたんです。このサーバの都市伝説を、グウェインさんもご存知ですよね?」
「オブデロード卿は、市井のキャラクターにまぎれて、このゲームの開始時点からずっと登場している……という噂かね?」
俺はうなずき返した。もちろん、ネットでよくある噂話でしかない。漫画でもアニメでも、じつはあのキャラがラスボスだとか、そういう考察はいくらでも転がっている。もっともらしいものもあれば、もっともらしくないものもある。このVRMMOのタイトルは『オブデロード卿の復讐』だ。オブデロード卿が最初から暗躍しているという解釈は、だれでも思いつきそうなものだった。
グウェインは、好奇心にみちた竜の目で、
「で、それはさきほどの推理と、どのように関係するのかね?」
とたずねてきた。
俺は肩をすくめた。
「特には」
沈黙。炎が、ぱちりとはぜた。
グウェインはしばらく黙ったあと、ふいにこう告げた。
「もしその夢に意味があるとすれば、きみの脳がこれまでの体験を無意識のうちに整理して、なんらかの示唆を与えたがっている点だろう。その正体を突き止める必要がある」
突拍子もない夢解釈──だが、グウェインの言っていることには、一抹の真理が感じられた。プログラマとして経験を積んできた俺は、コードで行き詰まったことがなんどもある。そういうときは、一晩寝てしまうにかぎる。脳は睡眠中も活動していて、データを処理してくれるのだ。だから、俺の夢が今回の事件に対する反応であるというのも、笑い飛ばせる憶測ではなかった。
同時に、俺は強い疑念をおぼえた。
「ひとつだけ……質問させてもらってもいいですか?」
「なんだね?」
「グウェインさんは、どうしてそこまで状況がみえているんですか?」
グウェインは、トカゲのような瞳をほそめた。
「なぜだと思う?」
俺は、さきほどから膨らみ始めていた考えを、竜人にぶつけた。
「グウェインさんが、今回のゲームの主催者……偽オブデロードだからじゃないですか?」
竜人は笑った。これまでで、一番高らかな笑いだった。
俺はこっそりと、パネル操作の準備をした。爬虫類のキャラなら、地面を氷床に変えることで、動きが鈍くなるだろう。できるだけ、すばやく。
「ざんねんだが、はずれだよ。ルーズくん……いや、須藤友成くん」
「!?」
俺は、床のパネルにゆびを触れた。




