第20話 運命の宣告
俺は会話ログを閉じた。
腹立たしい。周囲の反応以上に、じぶんの臆病さが腹立たしかった。
ガーデン湖の奇跡。暗黒騎士タルタロスの勝利は、その夜のうちにネットを席巻した。最初はデマだという声すらあった。だが、タルタロスの名前がランキングから消えず、それが真実であることが確定すると、さまざまな掲示板で羨望と嫉妬の渦がまいた。
俺は……俺もまた、その両方を味わっていた。ベッドに横たわっている俺の背中から、なにやら声が聞こえる。なぜ挑戦を受けなかったのか、と。
受けてどうする? それが俺の正直な答えだった。自責の念があるわけじゃない。受けていたら、俺も死んでいただろう。それとも、俺のチート能力を駆使すれば、簡単に勝てたのだろうか? ありえなくはない。床パネルを落とし穴に変えて……いや、それくらいの罠なら。あの夜の連中も持参しただろう。
タルタロスは、どうやって勝った? これが最大の謎だった。ネットでも、その勝利には多大な関心が寄せられていた。当然だ。数十人のトッププレイヤーを相手に勝つ方法があるなら、だれだって知りたいに決まっている。ところが、タルタロスと対戦しただれもが、「異常に強かった」という、こどもみたいな感想しか持ち合わせていなかった。具体的な勝ち方をたずねても、とにかく勝てなかったと答えるだけなのだ。このことが、一部のネット民に、ある疑惑を生じさせた。
タルタロスは、不正をしたのではないか。俺も、その可能性を考えた。脳裏をかすめたというレベルではなく、数日は本気で検討した。いいわけがましくなるが、根拠はあった。ガーデン湖の奇跡の翌日、告知なしに緊急メンテナンスが入ったのだ。タルタロスの不正調査なのではないか、と、もっともらしい噂が流れた。ありえると思った。
しかし今では、その可能性もなくなってしまった。タルタロスは登録を抹消されなかった。あれだけの事件だ。不正があれば運営が処罰するだろう。それまで疑いの目をむけていたひとびとも、タルタロスの勝利を認めざるをえなくなった。その後、彼を英雄視するプレイヤーは、増加の一途をたどった。
「おい、ルーズ、起きてくれ」
俺はドアのほうをみやった。
アズガルドは、鏡のまえでポーズをとっていた。
豪華な服を着ていた。金色の刺繍が、窓からさしこむ光にかがやいた。
「これならどうだ? うまくいきそうだろ?」
「……」
俺はなにも言わなかった。
アズガルドはタメ息をつく。
「せっかく道化を演じてやってるのに、それはないだろ」
「よけいなお世話だ」
アズガルドは、真摯な表情をつくった。
あの夜這いの日、出発前にみせてくれた表情だった。
「だから言っただろ、対決するのがゲームの流れだ、ってな」
「ゲームは勝つものだ」
「観客から評価されない勝利に意味があるのか?」
痛いところを突いてくる。じっさい、VRMMOでなにが【勝ち】かなんて、現実世界と同じようなものだった。つまり、その場の漠然とした空気で決まる。
アズガルドは、同情のまなざしをむけてきた。
「ま、忘れろよ。おまえがランキング1位なのは変わらないし、ネットの風評なんて最後は消えるんだ。あとに残るのは、公式が定めた結果のみ。そうだろ?」
「……そうだな」
俺は自分に言い聞かせるように答えた。
アズガルドは俺が納得したことに笑って、耳のピアスをはずした。
「おまえはアイテムを錬成できるから、要らないだろうが、こいつはやるよ」
俺は起きあがった。
なにを言い出したのかと、不思議に思ったからだ。
「そんな慰めのプレゼントなんかいらない」
「慰めのプレゼントじゃない……俺、このゲームはもうやめようと思う」
俺は理由をたずねた。
「フラれた……ってのは、ただの直近の理由かな。1ヶ月くらいまえから、そろそろ引退しようかと思ってた。むしろ、引退するために告ったのかもしれない」
「直近でない理由は、なんなんだ?」
アズガルドは、もう片方のピアスもはずして、テーブルのうえにおいた。
楕円形のそれはくるくると回り、そして止まった。
「なあ、ルーズ、俺たちはなんのためにVRMMOをプレイしてる?」
「……リアルでは味わえない冒険だろ」
「そうだよな。でも、俺たちがやってることって、そうなのか? 毎日いろんなプレイヤーと人づき合いして、珍しいアイテムが手に入ったら見せびらかして、だれそれはリアルだと大金持ちだの、だれそれは芸能人の裏アカウントじゃないかだの、そんなことばかりだろ?」
アズガルドは、窓からみえる街並みをゆびさした。俺たちは、あの商業都市を離れて、観光名所で名高い山麓の城塞都市に居を移していた。そこからみえる王城には、先頭で旗を振るガイドがいて、ぞろぞろと観光客を引き連れていた。その周辺には、土産物屋があった。さらにその背後には、マスコミと思しきひとびとが、カメラを回してなにかを撮影していた。
俺はベッドのはしに座り、アズガルドに声をかける。
「まあな……俺とおまえが登録したときとは、だいぶ変わった」
むかしは、剣と魔法とファンタジーの世界だった。いつわりなんかじゃない。もちろん、なにもかもが良かったとは言わない。初期版ではアイテムが大量に消えるバグが発生したり、アカウント削除の基準があいまいだったりで、よくわからないまま消えていったプレイヤーもたくさんいた。
だけど、剣と魔法とファンファジーの世界だった。それは事実だ。クエストは命を賭けたものだったし、新しいアイテムを見つけるたびに、羨望のまなざしが集まった。ギルドは同じ夢を持つ仲間であふれかえり、パーティーバランスなんか気にせずに遊んだ。
今はちがう。アカウント凍結の可能性があるクエストはなくなった。苦情が多かったからだ。新しいアイテムもほぼ出尽くして、今ではリアルマネーで特注品を作らせるのがはやりだった。それを見せびらかしてえられるのは、羨望ではなく嫉妬だ。ギルドは効率を求めるひとびとであふれかえり、攻略サイトに載っているジョブの組み合わせでなければ、居場所がなかった。
昔を懐かしんでいるだけなのだろうか? そうかもしれない。俺はまだ二十歳になったばかりだが、懐古趣味がゼロだとは言い切れない。でも、それだけでは割り切れないなにかが、たしかにこのゲームにはびこっていた。
俺はゆっくりと、くちびるを動かす。
「ファイクレシアの森へ狩りに行くか?」
アズガルドは、さみしげな笑みを浮かべた。
腰に手をあてて、胸をはる。それが虚勢だと、俺にはすぐにわかった。
「このまえの夜のできごとで、吹っ切れたよ」
俺は苦笑しかけた。
「やっぱりあれが直接的な原因なんだな。べつに初恋ってわけじゃないだろ?」
俺はそこまで言って後悔した。
アズガルドに、じっとみつめられる。
おまえもわかっていないな、と、そう言われているようだった。
「あの夜、窓際から声をかけたとき、彼女の返事はYesでもNoでも、どっちでもよかったんだ。フラれるのは慣れてるからな。ただ……なにかひとつ、ゲームのなかで起こるかもしれないような、そういうやりとりがあって欲しかった。『計算づくめの恋には、いやしいところがあるのよ、泥棒さん。さあ、あきらめてお逃げなさい』とね。俺はファンタジーのセリフが聞きたかった」
「……でも、それはエゴだよな、アズガルド。あの女の子の反応は正しかったよ。暗闇のなかに、奇妙なかっこうの男が現れる。当然にセキュリティを呼ぶよな。ほかのキャラクターが都合のいいように動いてくれるのは、VRMMOじゃない。ただのRPGだ」
アズガルドは笑った。
「そう、そのとおり。ですからこのアズガルド、舞台から降りさせていただきます」
アズガルドは胸に手をあてて、うやうやしくポーズをとった。俺たちはその夜、王城近くのバーで大いに飲み明かした。むかしのクエストのことや、これからの大学生活のことをとりとめもなくしゃべり、気づけば俺だけホテルにもどって寝ていた。
アズガルドは退会していた。
翌日、俺は装備品をととのえ、例の商業都市へともどった。
そして、あの占い師の館をおとずれた。
ドアを開けると、占い師は待ちかまえていたかのように、水晶玉のまえにいた。
「お待ちしておりました」
占い師は、例のくぐもった声で、そうつぶやいた。
俺は短剣のつかに手をそえたまま、占い師をにらんだ。
「おまえは、だれだ?」
「このサーバで小金をかせぐ、一介の占い師でございます」
「タルタロスが勝つことを、どうやって知ってた?」
館のなかに、静寂がただよった。
「……はて、おかしなことをおっしゃいます。あの日、あなたさまからタルタロスの勝敗を占うように申しつけられたことは、ございませんけれども?」
俺は占い師のようすを観察した。
ウソをついているのか、いないのか。
なるほど、あの占い結果は、てきとうな発言だったのかもしれない。その夜、タルタロスが勝利したのも、偶然だったのかもしれない。
俺は金貨を2枚とりだし、それを占い師にむかって投げた。
占い師は受けとる気配もみせなかった。
金貨はテーブルのうえで跳ねて、床に転がり落ちた。
「なにを占ってさしあげましょう?」
「おまえの占いは信用してない。オカルト否定派なんでね」
「では、寄付金で?」
「おまえ、情報屋だろ?」
占い師は答えなかった。俺はその沈黙を、肯定だと受けとった。
情報屋。VRMMOのなかで情報を売り買いする商人だ。この占い師は、暗黒騎士タルタロスと俺の行動を監視していたのだろう。俺はそう推測していた。タルタロスが俺宛に出した手紙を、どこかの冒険者が盗み見たのかもしれない。賞金首ランキング2位から1位へ送られた挑戦状となれば、情報屋は大金で買い取るはずだ。
「おまえがどこから情報を仕入れたのかは、どうでもいい。訊いても教えるはずがないだろうしな。ここからは、純粋に俺とおまえとの取引だ」
「剣呑なことをおっしゃいます。わたくしはただの占い師にございます」
あくまでもそういうキャラ作りなのか。
まあ、どうでもいい。情報屋が自白するはずもないのだ。
俺は一番目の質問をはなつ。
「暗黒騎士タルタロスは、ほんとうにひとりで勝ったのか?」
「過去のことを占うおつもりですか……かまいません」
占い師は水晶玉を発光させた。
「……はっきりとみえます。大勢の勇者たちと孤独に戦う、暗黒騎士の姿が」
水晶玉の光は輝きを増し、映像が浮かんだ。
暗黒の仮面をかぶった騎士が、大剣をふるって勇者たちをなぎ倒す。
でもそれはほんの一瞬で、水晶玉はすぐに暗くなった。
ここまで凝った演出をする必要があるのか? 俺は疑問に思った。
それとも、今の映像は……ほんもの?
この情報屋、もしかして現場で撮影していたのか? ありえなくはないが──
「わかった。二番目の質問だ……タルタロスは、俺とまだ闘う意志があるか?」
「それは運命によって定まっていることでございます」
「答えろ……いや、教えて欲しい」
占い師はふたたび水晶玉に呪文をかけた。
今までにみたことのない、夕焼けのような光がはなたれる。
「おお……これは……」
俺は、占い師の演技に飲み込まれてしまう。
「なんだ? なにが見える?」
「タルタロスに……死相が……」
俺は一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
「死相……? VRMMOの世界で……?」
「タルタロスを倒す者があらわれます。タルタロスはその者に殺されるのです」
俺はうっかり、とんでもないうぬぼれた質問をしてしまう。
「俺にか?」
占い師は首を左右にふった。俺は急に恥ずかしくなった。
それに、なぜこんな茶番につきあっているのか、二重に羞恥心が芽生えた。
俺は気をとりなおして、
「それは俺の質問と関係がないだろう。タルタロスは俺と闘いたがっているのか?」
と、くりかえしたずねた。
占い師は俺のあせりを読み取ったかのように、静かな笑みを漏らした。
「あなたとタルタロスは闘う運命にあります……おたがいに望もうと、望むまいと」
○
。
.
「うわッ!?」
まぶたをあけた俺は、はげしく咳こんだ。
窒息しかけていたのだろうか。酸欠の症状が出ていた。
俺はおおきく息を吸い、そしてはいた。
「はぁ……はぁ……ここは……?」
蝋燭の炎。ゆたかな調度品。窓ひとつない、不思議な部屋。
その光景に、俺は見おぼえがあった。
「で、電嵐城ッ!?」
俺は、自分のポジションを確認した──ポータルに寝ている。モンティが教えてくれた、あの客間にあるポータルだった。封印されていたとびらの奥だ。
夢か? そう自問して、俺は混乱した。
どっちが夢だ? 俺は、電嵐城の夢をみているのか?
それとも──自宅のアパートの夢をみていたのか?
俺はベッド型のポータルから起きあがった。
柊の紋章のあるとびらにちかづく。
耳を澄ませ、あたりの様子をうかがった。
……………………
……………………
…………………
………………
物音ひとつしない。剣がぶつかる音も、魔法が炸裂する音もしなかった。
「何時だ?」
俺はチート能力で、空中にステータスを表示した。
「ゲーム内時間で午後6時……?」
俺は、リアルに何時間いた? いや、そのまえに、あのリアルはリアルなのか?
ポータルに横たわって、リアルにもどった夢をみていたんじゃないだろうな?
俺は、アパートで起きたあとの出来事を、念入りに思い出した──細部まで、はっきりと記憶がある。アレが夢だったわけではないようだ。というのも俺は、見た夢をすぐに忘れてしまうたちだった。それに、午後4時という時刻──リアルで夕方の5時に起きて、翌日の午後2時頃に気絶した。つまり、21時間経っている。このゲームのなかでは、時間が倍ですすむから、+42時間──今が午後6時だということとも一致していた。
俺は用心しつつ、とびらを開けた。あさぎ色の空と、どこまでも流れゆく雲海が、眼前にひろがる。そばには、花壇のあるバルコニー。俺とモンティとイオナが、フック付きのロープで這いあがった場所だ。いや、もうすこしむこうだったか。
それにしても、みんなどこへ行ったんだ?
モンティは? イオナは? サリカは? グウェインは?
あの殺人メイドBOT、クレアは倒したのか?
それとも、サリカたちが倒された? 全滅?
俺はバルコニーから、したをのぞきこんでみた。2日前に割った窓が、そのままになっていた。火災はおさまったようだ。あの窓から侵入できないだろうか。俺は壁を足場にしようと思ったが、断念した。壁渡り中に攻撃されたら、空の彼方へまっさかさまだ。クレアが負けたという保証がなかった。
俺はタメ息をついて、ふりかえる。すると、とびらにナイフが突き立てられていた。中から出たときは死角になっていた。そしてその先端には、一通の封筒。俺は息を呑んで、それを抜き取った。
推理ゲームは、まだ終わっていない。
── オブデロード卿より




