第19話 死亡ニュース
「あ……ぶねぇ……」
俺のあたまに、くだけたコンクリ片がぱらぱらと落ちる。腰が抜けかけて壁に寄りそう俺に、無精髭のおじさんがほほえみかけた。
「やあ、また会ったね」
「あ、ありがとうございます」
俺の後頭部にふりおろされたもの――それは、アパートの警備用ロボが持つ、特殊ゴムの警棒だった。ゴムといっても、そうとうな破壊力がある。脳天にくらったら、俺は気絶していただろう。そして、それをもくろんだロボットは、おじさんの――昨日会った刑事さんの手で、停止させられていた。警察が持つ、警備ロボットに対する命令権の行使だった。間一髪だ。
刑事はロボットの完全停止を確認してから、俺に声をかけた。
「立てるか?」
「ええ、なんとか」
そう言いつつも、俺は刑事の手を借りた。
立ち上がり、ズボンのほこりをはらう。
「すみません、助かりました」
「メンテナンス・コストをケチってるようだね。大家に言ったほうがいい」
なるほど、そうだろうな。俺は苦笑した。格安物件には、いつも、いわくがある。
ただ、俺はそれどころじゃなかった。刑事の二度目の訪問に困惑していた。
「ところで、刑事さんは、どうしてここに?」
「もういちど、きみから事情を聴きたいと思ってね……時間は?」
ある――俺は、そう答えた。一難去って、また一難というわけだ。だが、ここでことわるのは、俺の立場が悪くなると思った。目をつけられているなら、日取りを変えて訪問しなおすだけだろう。あとになればなるほど、嫌疑をかけられる恐れがあった。
刑事は俺の返事に満足して、タブレット型の手帳をとりだした。
「立ち話で、いいかね?」
「はい」
それじゃあ、と言って、刑事はタブレットを操作した。
うかつなことはしゃべれない。今はここをやりすごす必要があった。ぐだぐだと時間をとられると、津田香織の救出はどんどん困難になってしまう。
刑事の質問は、このまえと同じところから始まった。
「きみは、『オブデロード卿の復讐』というゲームを、長いことやってるね?」
「はい」
「そういうプレイ歴の長いひとなら、あの暴動について、なにか知ってると思うんだ」
ちょうど夢に出てきた話で、俺はどきりとした。
どうしたものだろうか。あれは暴動ではないのだ。この刑事は、ゲームのことをあまりよく知らないようだった。だとすれば、ゲームの中でプレイヤーたちが一定の取り決めのもとにバトルをしていると説明しても、通じない可能性が高かった。
俺は、慎重にことばをえらんだ。
「すみません、とくには」
「プレイ中にどうしても、耳にするうわさがあるんじゃないのかい?」
「リアルでも、俺はあまり他人に関心がないんです」
「『オブデロード卿の復讐』というゲームは、コミュニケーション型なんだろう?」
コミュニケーション型だからと言って、ほかのプレイヤーと連携する必要はない。そのことを、俺はなるべくわかりやすいかたちで説明した。ようするに、BOTなどのキャラクターや、プログラミングされたモンスターと戦えばいいのだ。
「リアルな人間をあいてにする必要は、ありませんよ」
「なるほどね。私はてっきり、他人とプレイするのが楽しいのかと思っていたが」
刑事は――なんだか不気味なほどに――俺の話をあっさりと受け入れてくれた。
どうもおかしい。俺は気になって、逆に質問してみた。
「刑事さんに、こちらからたずねるのは、あんまりよくないのかもしれませんが……あのゲームに参加しているプレイヤーは、万を数えます。どうして俺のところへ二回もいらしたんですか?」
刑事は、口もとをほころばせた。
「きみ、なかなか勘がいいね」
「いえ……ちょっと疑問に思っただけです」
刑事は、ひたいをかるく掻いた。
「じつはね、この事件を担当してた刑事は、べつのひとなんだよ」
「べつのひと?」
「そいつは何ヶ月もまえから、あの乱闘事件を追っていてね。だけど、がんばり過ぎて体調をくずしたのか、今週になって休職しちまったんだ。おかげで、多少はネット犯罪にくわしいわたしが駆り出された……というより、ただの補充だ。うえのほうでも既に、あんな事件は大したことじゃないと考えてるんだ。だから、わたしは捜査してるというより、形式的に関係者をあたってるだけなんだよ」
どういうことだ? ……関係者だと?
俺は【ガーデン湖の奇跡】の関係者じゃない。残念ながら、とでも言おうか。
「すみません、俺はまえも言いましたが、あの現場……ガーデン湖の奇跡の現場には、いあわせませんでした。運営会社に問い合わせていただいてもけっこうです。ログが残っているはずですから」
「もちろん、そうしたよ」
過去形で返答されて、俺は動揺した――まさか、俺のキャラを知っている?
心臓がバクバクしはじめた。
ガーデン湖の奇跡は口実で、俺のハッキングを問題視しているのか? だけど、あれは合法だ。VRMMO『オブデロード卿の復讐』では、リアルの個人情報にタッチしない限りでのハッキングが許容されていた。チート屋のルーズがアカウント削除にならない理由は、あれが法律にも規約にも違反していないからだ。実際、公式のハッキング大会もおこなわれたほどだ。そこで優勝したのが、他ならない俺で……と、自慢話をしている場合ではなかった。もしこの刑事が俺のハッキングを違法だと誤解しているなら、この場でその嫌疑を晴らさないといけない。
とりあえず、刑事の真意をさぐる。すべては俺のかんちがいかもしれないのだから。
「じゃあ……どうして俺を?」
刑事は、ちょっと失礼と言って、たばこをくわえた。だけど、火はつけなかった。このアパートのろうかは禁煙スペースだ。警告用ドローンがとんでくる。
「さっきも言ったように、同僚の仕事の引き継ぎでね」
それだけ言って、刑事は背後にある公園をみおろした。
こどもたちが遊び回っている。
「すみません……おっしゃることが、よく分からないのですが……」
まあ、捜査の話だから、と、刑事は適当にはぐらかした。
俺は不安になった。
そして、そんな俺の肩を、刑事はぽんぽんとたたいた。
「今日は、大学はなかったのかい?」
「ええ……まあ……」
刑事は、にやりと笑って、警備ロボットを再起動させた。そして、さっさとメンテ工場へ行くように指示してから、その場を去った。俺は、彼が階段をおりきって姿を消すまで待った――なにしに来たんだ? 俺が関係者? ……容疑者にあがってるんじゃないだろうな? そう懸念したが、俺は正真正銘の無実だ。
俺は首をかしげつつ、ドアを開け、室内にはいった。部屋を薄暗くさせたまま――俺には、このほうが心地いい――しばらく考えにふけった。午前中は、津田香織と津田瞬のことで、あたまがいっぱいだった。だが、いまは、あの刑事のこと――というより、あの刑事の訪問理由――のことで、あたまがいっぱいになった。
俺を逮捕するつもりなのか? 容疑は?
だんだん頭痛がしてきて、俺はテレビをつけた。音楽番組だ。最近できたばかりのAIユニットが歌っていた。曲調は、前世紀末に流行ったものらしい。どうしてこうも、時代はグルグルとめぐり続けるのか、俺には理解できない。
技術は直線的に進化しているのに、人間の生活は車輪のなかのハムスターだ。人間が技術に遅れを取り始めているのではないかと、俺はがらにもない心配をした。
「ガーデン湖の奇跡、か……」
竜人のおっさんは言っていた。吸血公ヴラド、毒殺婦ブランヴィリエ、爆殺魔ウィルソンの三人は、あの場にいたのではないか、と。顔見知りだったというわけだ。さらに、聖騎士サリカの出身地ガーデニアンは、ガーデン湖を所領におさめる国だ。イオナは、ガーデン湖の奇跡に巻き込まれて、電脳性人格障害を負った少女――どういうことだ?
どうして複数の参加者が、あの湖でつながる? ほかの連中、贋金師ハッサムや、情報屋のモンティ、あるいは、竜人グウェインも、そうだったとしたら?
「……そうでもないか」
俺は考えなおした。まず、俺はガーデン湖の奇跡と関係がない。この推理ゲームの参加者にもかかわらず、だ。それに、あの事件には、上級プレイヤーの大勢が関わっていた。ヴラドやマダムやウィルソンがあの場にいたのは、むしろ自然だとすら言える。参加者の半数が関係していても、統計的になにか意味があるわけじゃない。
俺は、おおきくため息をついた。終わった推理ゲームについて、どうしてあれこれ考えているんだ? バカバカしい。津田香織を救出することのほうが、よっぽど大事だ。一億という額が、俺にとっては予想以上に魅力的だったのかもな。だから、脳のどこかで未練がましく――俺は立ち上がると、今朝のコーヒーを沸かしなおして、カップにそそいだ。
津田香織について、マジメに考える。だが、安請け合いはできない。値段的に、という意味じゃない。難易度として、だ。俺はまず、大学の講義で使った――記憶はあまりないのだが――電脳医学の教科書を探し出した。分厚くて気が滅入る。とりあえず、索引からたどることにした。
「電脳性人格障害……あった」
【電脳性人格障害】
電脳世界への人格転送に関するエラーによって発生する人格障害一般の名称。一時的な昏睡のみを発症する急性人格障害と、継続的な意識の不整合を発症する持続性人格障害とに分類される。後者は第一種電脳特定疾患に指定されている。
第一種電脳特定疾患。俺はそのカテゴリの意味をおぼえていた。現時点では標準治療が存在せず、個別的な対処療法でしか治療できない最重度の病状を、国の保健機関が指定したものだ。公的医療保険の対象にならないので、治療費は高額になる。どうやら、津田瞬が言っていたことはほんとうのようだ。ますます気が滅入ってきた。
俺はコーヒーをひとくち飲み、今度はパソコンに向かった。かたっぱしから医療サイトを検索し、この病気の治療法をさがしてみる。だが、すべては徒労に終わった。
「決定的な治療方法はなし……か」
椅子にもたれかかり、大きく背伸びをした。初動は好ましくない。俺はチャットアプリでアリサに電話をかけた。が、応答はなかった。講義中か、それともじぶんのプログラムをしているのか、あるいは――どうだろうな。アリサがほんとうに津田香織の治療に協力してくれるのかは、俺にとっても未知数だった。ただ、アリサの協力がなければ成功しないだろうという確信だけはあった。あらためてひとりの限界を感じる。
そうこうするうちに音楽番組は終わって、ニュースになっていた。
「午後のニュースです。昨日起こった電脳カプセル死亡事故について、あらたにふたりの犠牲者が発見されました。今回の事故で犠牲になったのは、建設会社に勤務する阿佐田透さん、三四歳。個人宝石店をいとなむ、南原悦子さん、四〇歳です」
カップが指からすべりおちた。ソファーに大きな染みができる。
「あさだ……とおる……?」
爆殺魔ウィルソンと同姓同名?――バカな。
だが、俺の否定をあざわらうかのように、南原悦子の名前もでていた。
どういうことだ?
画面には、ふたりの顔写真。
阿佐田のほうは、ちょっと口髭のある、やや人相の悪い男性。
南原は、ウェーブのかかった髪に、細い目つきの女だった。
ウィルソンとマダムが、リアルでも死んだ?
俺はたちあがり、室内を無意味に徘徊した。
考えろ。なにがおきた? 混乱がつづき――チャイムが鳴った。
《もしもし、須藤友成さんのお宅ですか?》
インターフォンから、声が聞こえた。なんだ、この忙しいときに。
《さきほどは弊社の警備ロボが、ごめいわくをおかけしました》
ああ――そういうことか。俺は、インターフォンに出た。
「もしもし、須藤です」
《お怪我はございませんか?》
「いえ……だいじょうぶです。ご心配なさらずに」
《弊社から、お詫びの品を持ってまいりました。お受け取りください》
俺は念のため、ドアののぞき穴に目をちかづけた――配達用のロボットが、段ボール箱をかかえて立っていた。俺は鍵を開ける。
「ありがとうございます」
その瞬間、俺は頭部に重たいものを感じて、意識をうしなった。




