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第18話 人格の値段

 俺はまた、例の薬品くさい廊下を歩いて、受付にもどり、ネームプレートを返却した。そとに出ると、太陽がまぶしい。俺は、病院の窓を——残念ながら、あの病室は反対側の壁面だった——見上げた。その背後にあるはずのあの森は、病院の建物で俺たちの目から隠されている——いや、それもおかしいか。森は、俺たちのためにあるわけじゃないし、あの少女を守るためにあるわけでもない。ただ、そこにあるのだ。

「人格データの加工か……」

 俺は、スマホをとりだした。さっきの会話を、こっそりと音声メモしておいたのだ。俺はさも音楽でも聴いているようなふりで、女看護士および瞬との会話を再生した。さきほどから俺のなかで、ある重大な疑念が、育ち始めていた。


《データを加工しないと、二度と復元できないと言われました》

《いくらかかると思ってるんですか?》

《五〇〇〇万です》


 五〇〇〇万。てもとに一億あれば、十分に支払える額だ。そう、俺は、推理をやめたわけじゃない。それどころか今、要点に近づいているという確信があった。


 津田瞬は、オブデロード卿の推理ゲームに参加していたんじゃないか?


 まだ本名が判明していない参加者は、


  吸血公ヴラド・フォン・グランバニア

  竜人グウェイン

  聖騎士サリカ・ガーデニアン

  情報屋リラ・モンティ


 この四人だ。登録時の性別は不問だから、津田瞬は女キャラの可能性もある。この四人のなかに、瞬がいる、あるいは、いた可能性。そして、参加の目的が、妹の津田香織の手術費用を捻出することだった可能性——どちらも、相当に高い。

 俺は、近場のコーヒーショップに立ち寄った。そこでアイスコーヒーを注文して、窓際の席にすわる。どうしたものか——俺は、もうリタイアなんだよな? よくよく考えてみると、オブデロード卿は、クリアの条件は示したが——もちろん、犯人の指摘だ——リタイアの条件は示していない。最初に倒れた贋金師ハッサムが復帰していない以上、ゲームオーバー=推理ゲームのリタイアだと決めつけていた。

「まあ、でも実際そうだよな……ゲームオーバーはリタイアだ……」

 しかし、俺は今からアパートに帰って、カプセルに入ることができる。そこで、もういちどあのサーバに接続したら、どうなるのだろう? ハッサムもウィルソンもマダムもヴラドも復帰しなかったのだから、アクセス拒否されるのか?

 負けたキャラクターから凍結されているという俺の推理は、正しいのだろうか。すべての状況証拠は、敗北=復帰不能を指している。しかし、実験はしていない。

「せーんぱい」

 肩をたたかれた。ふりむくと、眼鏡をかけた少女——結城アリサが立っていた。

「先輩が土曜日に町でぶらぶらしてるなんて、めずらしいですね」

 手には、アイスティー。レモンが浮かんでいる。

「おまえこそ、ここでなにしてるんだ?」

「やだなあ、あたし、この辺に住んでるって言ったじゃないですか」

 そうだっけか。VRMMOばかりやってると、現実世界の地理に疎くなるから困る。

 アスティア王国のバーゼン通り何番地と言ってくれれば、すぐに分かるのだが。

「で、先輩は?」

「ああ……連休中だし、なんとなくぶらぶらするのもいいかな、と思って」

「ええ? ほんとですか?」

 明日は、雨かもしれませんねぇ、などと、歯に衣着せない物言い。悪くはない。

 ごちゃごちゃ遠回しにしゃべられるのは、俺は好きじゃない。

「先輩、なにかおもしろい話、ありませんか?」

「ゲーム? それともリアル?」

 どちらでもいいですよと、アリサは答えた。

 俺は、そうだなあ、と言って、ふと思いついたことを口走った。

「人格データの加工って、できるか?」

 アリサは、きょとんとした。そ組みをして、あごを引く。かるく目を閉じた。

「人格データの加工ですか……そうとうむずかしいですよ」

「やっぱり、ムリか?」

「ムリってわけじゃないですけど……それなりの設備が必要ですし……うちの研究会のパソコンじゃあ、ちょっとスペックが足りてないですね」

 そうか——じゃあ、足りるようにすればいい。

「大学のスパコンにアクセスして、演算を手伝ってもらうのは?」

 なるほどと、アリサは手をたたいた。

「なんとかなりそうです。うちの大学のセキュリティは、穴だらけですからねぇ」

 学内規約には反しているが、人助けだ。人命救助だと言えば、大学もある程度お目こぼししてくれるのではないかと、俺はそう考えた。

 アリサは、俺がどうして人格データの加工に興味を持ったのか、尋ねてきた。

 同時に、あのとき瞬がつぶやいた言葉が、脳裏をかすめた。


《そんなに腕の立つひとは、ボランティアなんかしませんよ》


 今ここでアリサに協力を持ちかけたら、タダでやってくれるだろうか。

 すこしばかり迷ってから、正直に話した。

「アリサに調べてもらった少女、津田香織を助けたい」

「親族とはかけあったんですか?」

「兄の津田瞬は治療費が払えないんだ。五〇〇〇万かかるらしい」

 まあ、それくらいでしょうね、とアリサは言った。

「ただ、そういうのって、人格データ加工自体が医療用以外に認められていなくて、設備投資が進んでないからですよ。プレミアム価格ってやつです」

「じゃあ、設備さえそろってれば、そんなにかからないのか?」

 アリサは、ちょっと肩をすくめた。アイスティーを飲む。

「そうとも言えないんですよね……人格データ加工技術者は、そうとう値がはりますよ。年収億単位のプログラマーすらいますし」

「おまえは、どうなんだ?」

 俺の質問に、アリサはにやりと笑った。

「あたし、狙ってます」

 そうか、自信家だな。俺は、そう思い、ほほえましくなった。

「じゃあ、ボランティアだと嫌か?」

 アリサは真顔になった。じっと俺の顔をみつめる。

「……あの少女、本気で助けるつもりなんですか?」

「ああ」

「人助けって、あんまり先輩らしくないと思うんですよ」

 いろいろ事情がある。俺はそう答えかけて、やめた。

「気まぐれだよ……アリサの言いたいことはわかる。世界中には、いろんな病気のひとたちがいて、その中から津田香織だけ進んで助ける理由がない、だろ?」

「ええ、遺伝病のためにスパコンを使うのか、それともあの少女のためにスパコンを使うのか、これってリソースの問題ですよ。どっちも助けるのはムリなんです」

 正しいことをしているわけじゃない。俺にもその自覚はあった。

「それでも、やってみたい」

「……わかりました。費用はツケときます」

 俺は、アリサとすこしばかり話をして、コーヒーショップを出た。

 もうすぐ一二時だ。

 飯は……いらないな。コーヒーで腹がふくれる。俺は、そういうタイプだった。

 アリサとはショップの近くで分かれた。アリサは大学の講義があるのだ。

 俺はいつもさぼりぎみだから、公園に寄って、ベンチによこたわる。これからの作戦を練るとき、こうして横にことが多かった。木漏れ日が俺の顔にふりそそぐ。

 まずは人格データの構造解析からとりかかって——


  ○

   。

    .


「ルーズ、起きろ」

 俺は肩をゆさぶられた。

「起きてるよ」

 まぶたをあげる。

 闇夜のなかで、飛行型の夜光虫がゆらめいていた。

 ほんとうに綺麗だ。このゲームは、細部を大切にする。デザインは秀逸で、森の裏に回ればハリボテだったなんてこともない。

 俺は夜光虫を目で追いながら、ふと、アズガルドに質問した。

「なあ……オブデロード卿って、どんなやつなんだろうな」

 アズガルドは告白の台詞を復習するのに夢中で、俺の質問に気づかなかった。

 俺はふたたび、夜光虫を目で追う。だが、どこかへ消えてしまった。

 オブデロード卿——VRMMO『オブデロード卿の復讐』の代名詞にして、謎に満ちた人物。その姿をみたプレイヤーはいない。電嵐でんらん城という空中要塞で、この世界を監視する黒幕だ。ある人々によれば、オブデロード卿にはキャラクターとしての実態はないのだという。このゲームが始まって二年半が経とうとしているのに、彼(彼女?)は、いかなるシナリオにも登場していなかった。別の人々によれば、ゲームのタイトルになっている以上、いつか未知のシナリオで、その姿を現すのだという。そのシナリオは、一部のプレイヤーたちのあいだでは【最終シナリオ】と呼ばれていた。つまり、この世の終わりだ。

 俺のとなりにスタンバイしていたアズガルドは、緊張しているらしく、

「くぅ、頼んだぜ、ルーズ」

 と、こぶしをにぎって上下にふりまわした。

 いよいよ時間だ。俺も背筋をのばした。

「おまえの告白の仕方次第だと思うがな」

「こういうのはシチュエーションが大事なんだよ」

 夜中に、窓際から愛の歌を歌うのがか?

 へたをすると火炎魔法でも喰らってしまうのではないかと、俺は危惧していた。

 だいたい、こんな芝居じみているやり方は、俺の性に合わない。

「アズガルド、おまえはシェークスピアの読みすぎだよ」

「イギリス文学の最高峰だぞ」

「芝居のな」

「俺たちだってお芝居みたいなもんじゃないか」

 おっと、これはしてやられた。

 俺は反論に窮した。

 ポシェットから帽子をとりだし、それを目深にかぶる。

「せいぜいがんばりなよ、ロミオ殿」

「おい、寝るな」

「寝てない」

「その帽子はなんだ? アイマスクのつもりか?」

「こいつは対魔法用の防具だ」

 アズガルドは、防具をつけた理由をたずねた。

 俺は答えずに、窓のほうをゆびさす。

「ほら、お出ましだぞ」

 テラスのガラス窓がひらいた。白いドレスの少女があらわれる。

 アズガルドは気をとりなおして、最後のおめかしをする。

 コホンと咳払いをした。

「よし……じゃあ、頼んだぞ」

 アズガルドはゆっくりと、だがわざとらしく音を立てて、茂みを出た。

 すると、ドレスの少女はすぐに気づいて、

「そこにいらっしゃるのは、どなた?」

 とたずねた。

 アズガルドはうやうやしく胸に手をあてた。

「ご機嫌麗しゅう……今宵の月も、あなたさまの……」

「衛兵、どろぼうよッ!」

 ほれみたことか。

 アズガルドはなにかわめいていたが、すぐに衛兵と番犬が飛んできた。

「曲者ッ! さてはアイテム泥棒だなッ!」

 先頭の兵士は、そう言ってアズガルドに飛びかかろうとした。

 だが、そのまえにスッと地面に消えた。


 パネルステータス

 種類:草地

 特殊:落とし穴


 いっちょあがり、と。

 お次は番犬にとりかかる。

 俺はそばにあった花壇にゆびさきを伸ばした。


 ブロックステータス

 種類:花

 特殊:なし→眠り

 

 スーッとあたりに妙な香りがただよった。

 俺はガスマスク機能のある仮面をかぶり、アズガルドの救出にとりかかる。

 アズガルドはその香りを嗅いでしまったらしく、うつらうつらしていた。

「さ、ずらかるぞ」

「すまん、あと五分……」

 寝ぼけてる場合か。

 俺は巨人のブレスレットで腕力を強化して、アズガルドを担いだ。

 浮遊魔法で壁をジャンプする。

 そとで待っていたユニコーンにまたがり、尻に鞭を入れる。

 ユニコーンは甲高くいなないて、俺たちを運んだ。風を切る。

 田舎町をすぐに通り過ぎ、俺たちは町外れの居酒屋に到着した。

 ドアを開ける。汗と酒の匂い。冒険者たちの歓声。

 そばで酒を飲んでいた盗賊たちは、俺には目もくれずに乾杯をしていた。

 俺が賞金首ランキング一位であることなど、だれも知らない。

「いらっしゃい……そちらのお連れは?」

 酒瓶を持った中年男性は、アズガルドをみて俺に声をかけた。

「眠り草にやられてね」

「ああ、だったら気つけ薬でもさしあげましょうか。お安くしておきますよ」

 俺は遠慮した。ポシェットにいくらでも入っている。

 それに、今起こすと、もういちどチャレンジすると言われかねなかった。

 もう面倒ごとは御免だ。

「寝かせておけば、そのうち起きるさ……おやじ、酒。こいつには苺水いちごすいを」

 店員は、この場にふさわしくない小型の金属プレートをさしだした。

 俺はそれに触れる。年齢確認だ。

「はい、おふたりさま」

 俺はすみっこのテーブルについた。アズガルドは、テーブルに突っ伏させておく。

「うーむ……姫……」

「おまえはほんとに幸せ者だよな」

 俺は運ばれた酒を飲みながら、椅子にもたれかかった。

 店内の会話に耳を澄ます。

 こういう場では、うっかり秘密を聞けるチャンスが転がっているものだ。

 となりのテーブルでは、ポーカーをやっていた。

 金貨が山積みになり、かなり白熱しているようだ。

「今夜のガーデン湖の戦い、当然に賭けたんだろ」

 バイキングの格好をした男が、カードを一枚切りながら、他のメンツにたずねた。

 魔法使いの老人が、髭をなでつつ答える。

「ありゃあ、賭けが成立せんかったよ。オッズで一〇〇:一じゃったろ」

「バカだなぁ、じいさん、そこで低いほうに賭けとけよ」

「そういう確率を知らん奴は、ギャンブルに向いとらんぞ」

 ギャンブルをしている時点で、確率計算ができているようには思えない。

 こういうのは、胴元が儲かると相場が決まっているのだ。

 老魔法使いは、一枚のカードを切った。

 ダークエルフの少年が、うーんとうなる。

「その手、いいですね」

「ほっほっほ、だてに六十年も生きとらんぞ」

 これにはバイキングが鼻で笑って、

「六十過ぎてVRMMOとか、体に悪いぜ」

 と言った。老魔法使いは笑う。

「年の功じゃよ」

 ダークエルフの少年は、おとなふたりの掛け合いを尻目に、カードを切った。

 それをみて、バイキングが舌打ちをする。

「チッ……持ってやがったか」

 バイキングの男は、手札のカードをあれでもないこれでもないとさわる。

 状況が悪いんだな、と、はたから見ても理解できた。

「ほれ、確率計算、確率計算」

「じいさんは黙ってろ……よし、いちかばちかだ」

 バイキングは大きく腕をふりあげたとき、居酒屋のドアが開いた。

 荒々しいその音に、店内は静まり返る。

 警備隊の抜き打ち検査か? 緊張が走った。

 ところが、ドアのもたれかかって息を荒げていたのは、平凡な男性市民だった。

 市民は咳き込むように、なにかをわめいていた。

 店主が出てきて、男に水を飲ませる。

「た、たいへんだ……タルタロスの野郎……タルタロスの野郎が勝ちやがったッ!」


  ○

   。

    .


 俺はそこで目が覚めた。

 昼下がりの公園。木々とコンクリートのオブジェ。

 こどもたちがサッカーで遊び、老人が犬の散歩をしていた。

 なんという懐かしい夢を見たのだろう。なんというイヤな夢をみたのだろう。もしあのときに帰れるかと訊かれたら、もしタルタロスの挑戦を受けるルートを選ぶかどうかと訊かれたら、俺は……いや、たらればだ。もしかすると、あのときとおなじように逃げたかもしれない。むしろ、その可能性のほうが、高いような気さえした。

 俺は上半身を起こし、大きく背伸びをした。

「……帰るか」

 俺は無人タクシーに乗って、アパートまで運んでもらった。

 玄関に手を触れて、自動ロックを開ける。

 カチャリと音がしたところで、背後にひとの気配を感じた。

 ふりかえろうとした瞬間、俺の後頭部に、重たいものが振り下ろされた。

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