世界崩壊のまえに
馬車の急停止で、俺は目をさました。
どのくらい眠っていただろうか。そとはまだ明るい。
意識のもどりかたは、リアルよりも急で、はっきりしていた。
仮想空間にありがちな酔いも、今はない。
俺は背中のクッションをどけた。小窓から御者に話しかけた。
「もうついたのか?」
中年男性の御者は、丸っこい背中を見せつつ、大声で返事をした。
「旦那、もうしわけないですが、ここからはひとりで行ってくださいや」
俺は眉をひそめた。
「金なら十分に払っただろ」
「このゲームはもう閉鎖されるんですよ。ゲームの通貨じゃ尻もふけやしません」
もっともな反論だった。ゲーム通貨は、ただのデジタル信号だ。
俺はタメ息をつき、もうすこしだけ行ってくれないかと頼んだ。
「電嵐城まで、あとちょっとだ」
小窓からは、雪の降り積もった山嶺がみえた。アルプスを模したそれは、幾何学的な印象のぬぐえない白い筋を、いくつも持っていた。背後には青い空がひろがり、ほとんどかき消されそうなほどに薄い雲が、かすかに流れていた。
そのふもとに、俺の目的地──電嵐城があるはずだった。
「旦那、サーバの閉鎖が七日後だって、まさかご存知ないんじゃないでしょうね? 言っちゃ悪いですが、初期アバターですよね、旦那のキャラ」
知ってるさ。
とはいえ、御者の心配も、もっともだった。俺の容姿は初期アバターだ。ようするに、パッと見イケメン風の青年だけど、なんの特徴もない。髪はありきたりなこげ茶色で、ヘアスタイルは単純な右流し。瞳孔は黒。装備品は、初期クエストでもらえる安物ばかり。サービス終了を知らずに登録した初心者、そうかんちがいされても、しかたがなかった。
俺は、現実通貨での交渉を申し出た。
ところが、御者はゆずらなかった。
「こうやってゲームにいるのも、ほんとうは規約違反なんですよ」
「だから金ははずむ」
御者は散々ごねたあげく、とほうもない額を提示してきた。
俺はあきれて、
「わかった。ここからは俺が運転する。あんたはポータルで帰ってくれ」
と言い、座席を降りた。
「このへんにポータルなんかありやすかね?」
「すこしもどった街に、宿屋があっただろ」
御者はぶつぶつと文句を言いながら、徒歩で道をもどって行った。
めんどうな出だしになった。
俺はそう思いながら、御者台に乗り、鞭をふるった。
ユニコーンがいななき、車輪がまわり始める。木々と草原が、左右を流れた。山嶺がだんだんと近づいてくる。風が心地いい。もうすぐ消えてしまう世界とは思えない。
オブデロード卿の復讐──このVRMMOは、そう呼ばれている。おそらく、世界で最も洗練され、最も多くのプレイヤーが遊んだゲームのひとつだろう。とうとつなサービス終了の告知があって、閉鎖まで七日を残すばかりとなった。プレイヤーには退去命令が出されている。残っているのは、俺のような規約違反者ばかりだった。
どれくらい走っただろうか。とつぜん、ユニコーンが速度をゆるめた。
鞭をふるっても減速するばかりで、ついには止まってしまった。
俺は御者台からおりて、ユニコーンのようすをみた。
「……これもサービス終了か」
ユニコーンは壊れたおもちゃのように、その場にたたずんでいた。
じっさい、壊れたのだ。サーバの閉鎖が近づくにつれて、さまざまな機能が停止しつつあった。移動用のモンスターも、その例に漏れなかったらしい。
俺は本日二度目のタメ息をついた。肩をまわす。
指先で地面にふれると、空中にステータス画面が飛び出した。
パネルステータス
種類:道
特殊:なし
俺は【特殊】欄にタッチした。
パネルステータス
種類:道
特殊:強制スクロール(前方)
ただの土くれが、ゆっくりと動き始めた。動く歩道のようだ。俺は馬車から、一枚の木板をはがした。それを適当な大きさに割る。地面に置き、スノーボードの要領で、そのうえに飛び乗った。
「よし、いけ」
スルスルとすべり始める。何度もキックして加速させると、自転車なみの速度が出た。調子に乗ってさらに加速をつける。そろそろ危ないかな、というところで、バランスをとった。
俺の名はルーズ・ネグレクトゥス。怠け者を意味する英語のlooseと、おなじく怠け者を意味するラテン語のneglectusを組み合わせた名前だ。本名じゃない。キャラクター名というやつだ。本名は須藤友成。この世界では使わない名だ。
そして俺にはもうひとつ、半ば公式のふたつ名があった──チート屋のルーズ。このVRMMOのさまざまな機能に、俺は直接干渉することができた。現に今も、この街道は俺のために動いてくれている。床パネルの属性を変更したからだ。最初からこうしろと言われそうだが、馬車を使ったのには理由があった。これから開催されるオブデロード卿の推理ゲームにそなえて、ライバルたちにじぶんの能力を見せたくなかったからだ。
風が心地いい。馬車に乗っていたときよりも、ずっと。不快な振動もない。
こうして一時間ほど、雪のないスノーボードを楽しんだ俺は、大きな断崖絶壁のまえに到着した。体重移動でブレーキをかける。強制スクロールのパネルから飛びおりた。ここは、次元の果てと呼ばれる場所。大地は途切れ、永遠に広がる青空が、目のまえに広がっていた。うえを見上げても、崖からのぞきこんでも、一面が空になっている。視線を水平にもどすと、ひとつの城が浮かんでいた。
電嵐城──伝説のラストダンジョンだ。
その正体は、サーバの管理オフィスだった。俺も訪れるのは初めてだ。中世RPG風の、石造りの建物だった。四方に城壁を有し、尖塔には旗がなびいていた。そこに描かれた双頭のドラゴンの紋章は、オブデロード卿の家紋だと言われている。うわさが正しければ、の話だが。ネットの考察は、意外とアテにならない。
「これが一億円のパーティー会場か……」
俺はあたりを警戒した。今のところ、俺とおなじ方角からやって来るキャラは、いないようだ。それもそのはずで、俺はわざわざ遠い村を起点にしていた。このゲームでは、ポータルという装置を使って、スタート地点を決めることができる。俺が選んだポータルは、平時なら選択肢に入らないほど遠かった。
俺は、腰の小さなポシェットを確認した。そして、なだらかな丘陵を通過し、ゆっくりと電嵐城へ近づいた。城は空に浮かんでいた。跳ね橋を通って、正門へと入る構造だ。
ちょうど跳ね橋の真ん中まで来たときだろうか、
クエスト オブデロード卿の推理ゲームを開始しました
というアナウンスが聞こえた。
これは、プレイヤーがクエストを始めたとき、自動的にかかる音声ガイドだった。
同時に、機械音声とはべつの、ひとの声も聞こえた。
「そこのお兄さんッ!」
ふりかえると、跳ね橋のうしろから、ひとりの少女が手をふっていた。登山家のような服装は、彼女が山岳地帯の出身──おそらくはグランバニアかグレート・デヴァイン──であることをほのめかしていた。ゴーグルをひたいにのせ、快活そうな笑顔をみせていた。やや中性的なアバターの作りには、単調なだ。あまり金をかけていないのだろう。まゆは山なりで、瞳はやや大きめ。髪型はつんつんとした栗毛だった。目立ったアクセサリはない。
俺は用心した。ゲームはもう始まっている。彼女はライバルにちがいない。
ところが、少女は気にもしていないようすで、跳ね橋をポンポンと渡ってきた。
途中で、
クエスト オブデロード卿の推理ゲームを開始しました
と、彼女の分のアナウンスが入った。
「こんにちは、あなたもオブデロード卿に招待されたの?」
「ああ……きみは?」
少女は、にっこりと笑った。
「あたしはリラ・モンティ。ふだんはトレジャーハンターをしてる」
ウソだろうな、と直感的に思った。
こういうエセ申告は、俺くらい年季が入ってくると、すぐに察知できた。
「で、ふだんじゃないときは?」
モンティは、わざとらしくおどろいてみせた。
「そうね、ふだんじゃないときは……たとえば、あなたがチート屋のルーズさんであることを、特定したり、かな」
俺は一歩引いた。
モンティは笑った。
「ちょっと、ビビりすぎ。バトルクエストじゃないんだよ、これ。ただの推理ゲームなんだから。おたがい仲良くやりましょう」
「そうか……きみは情報屋だな」
情報屋。そういうジョブが、正式に搭載されているわけではなかった。VRMMOにはよくある話で、プレイヤーたちは、非公式の職業をいくつも考案していた。転売ヤーは代表的なもののひとつだし、不慣れな初心者プレイヤーのためのガイドもそうだ。そしてそのなかに、プレイヤーの情報──ゲーム内の情報であれ、リアルの情報であれ──を売り買いする者もふくまれていた。彼らは情報屋と呼ばれ、このゲームのあちこちで暗躍していた。
俺は、要注意人物リストに、モンティを登録した。
「さ、そろそろ指定の時間でしょ。入りましょ」
モンティはそう言って、さっさと先へ行ってしまった。
すると、跳ね橋の終着点に、べつの人影がみえた。メイド服を着た少女で、おへそのあたりに両手をそえ、つつましく立っていた。俺はモンティのあとを追い、跳ね橋を渡りきった。
モンティとそのメイドは、なにやら会話をしていた。
「え、もうみんな来てるの?」
モンティはそう言って、俺のほうへむきなおり、
「このひとの話だと、もうみんな来てるらしいわよ」
と教えてくれた。
あたりまえじゃないだろうか。もう集合時間ギリギリだ。
オブデロード卿からの招待状には、リアルタイムで一七時に来いと書いてあった。
そろそろその時刻のはずだ。ゲームに入ってからの体感時間で、だいたい察しがつく。
俺みたいに用心して来ないかぎり、早めに着くのがマナーというものだろう。
「どうせ俺たちで最後だろ」
そう返事をすると、メイドが訂正をいれてきた。
「いいえ、もうおひとり、ご到着になっていらっしゃいません」
俺は内心で眉をひそめた。
遅刻組がいるのか? 賞金額のわりに大胆だな、と思った。
俺はすこし情報を仕入れたくて、
「来てるメンバーは、どんなひとたちですか?」
と、なるべくへりくだった感じでたずねた。
ところが、メイドはそれに答えなかった。
視線をそらし、俺のかたごしに遠くをみやった。
「最後のおひとりがいらっしゃいました」
ふりかえると、だれかが橋の対岸から走ってくるのがみえた。
青いごてごての甲冑を着た、少女のアバターだった。
獣人キャラなのか、ケモノ耳らしきものがみえた。犬だろうか。
髪が黒いから、シベリアンハスキーかもしれない。
どうやら彼女が、最後のお客さんらしい。少女は間延びした声で、
「おーい、イオナも入れて欲しいぞ」
とさけんだ。
俺とモンティには、待つ義理などなかった。
が、メイドといっしょに、その少女が渡りきるのを待った。
クエスト オブデロード卿の推理ゲームを開始しました
少女は全力疾走したわりに、息を切らせていなかった。それに、さっきは遠目でわからなかったが、犬ではなく狼がモチーフのようだった。するどい犬歯とツメがあった。背中に巨大なハンマーを背負っていた。怪力系だと察しがつく。表情もりりしく、まゆは逆八の字で、ひとみも切れ上がっていた。
「イオナも参加するぞ」
メイドは深々と会釈しながら、
「お待ちもうしあげておりました。では、会場へご案内いたします」
と言って、そばにあったレバーを倒した。
重々しい音とともに、跳ね橋がくさりにひっぱられる。
城塞が、空の孤島になっていく。
一方、俺はメイドの言い回しが、ちょっと気になった。
「会場はここじゃないんですか?」
メイドは俺たちに背をむけて、ふりむきもせずに答えた。
「みなさまを南館の食堂へご案内するように、おおせつかっております」
なるほど、城内なのは、まちがいないわけか。
しかし、なにかイヤな予感がする。
こんなに和気あいあいとした出だしにもかかわらず、俺の勘がそうささやいた。
用心しろルーズ──俺はじぶんにそう言い聞かせて、城門をくぐった。




