第15話 強制ログアウト
「うわぁッ!?」
太陽の光――カーテンのレースごしに、青い空と、灰色の町並みがみえた。
「ここは……?」
俺の部屋だ。マンションの一室。大学生活をおくるための下宿先だった。
俺は、VRMMOのカプセルのなかで、上半身をおこしていた。
しずかな電子音。ゲームが終了した音だ。
俺は、ひらいたカプセルの天井をみあげた。
なにがおこった? かってにゲームが終わって――いや、ちがう。俺はあのあと、モンティたちと一緒に、柊の紋章がついた部屋をみつけた。そしてそこで、脱出用のポータルを発見した。だれが一番に使うかという話になって……なって?
なにがあった? 思い出せない。
「うッ……!」
頭痛。その症状に、俺はおぼえがあった。強制シャットダウンだ。キャラクターがいやがっているのに、むりやりポータルに乗せられた事案。そういうときに、この頭痛はおこる。だとすれば、俺はむりやりポータルに乗せられた?
とにかく起床する。カプセルから出て、部屋のなかを確認した。
いつもの俺の部屋だ。ちょっと荷物が多い。そのじつ、大したものはない。部屋のかたすみにある冷蔵庫が、ブーンと音をたてていた。なぜだろう。なつかしさすらおぼえる。俺はカレンダーをみて、さらに時計を確認した。夕方だ。
VRMMOのなかでは、現実世界の2倍の速さで時が流れる。だから――ほとんど時間は経っていないのだ。俺はぼうぜんとしつつ、テレビのスイッチをつけた。夕方の、とりたてて興味もひかないニュースをやっていた。
「……飯にするか」
俺は、ぼんやりとそうつぶやいて、お湯をわかした。カップラーメンをつくる。そのあいだも、ゲームのことについて、思考をめぐらせた。一億円のイベント『オブデロード卿の推理ゲーム』に、俺は負けてしまったのだろうか? そうとしか、考えられない。俺はむりやりポータルに乗せられた。
つまり、モンティか、あるいはイオナに? そうか? そのふたりだけか?
「それとも、犯人……?」
俺は、苦笑した。だったら、完敗じゃないか。ひょっとすると、モンティとイオナもやられてしまったのかもしれない。のこっているのは、聖騎士サリカと、竜人のグウェインだけだ。犯人は、あのふたりのどちらかだったわけか。俺はカップラーメンをすすりながら、どちらが犯人だったのか、考えてみた。
「……どっちでも、いいよな」
オブデロード卿は、ほんとうに一億払うのだろうか?
今さらながら、俺はしょうもないことを考えた。
俺はカプセルをみる――これ、負けたんだよな?
一億円は、もう手に入らない。俺はそのことに、すこしばかりがっかりした。だが、その落胆を超えて、ずっしりとした後悔が俺を襲う。
「ってことは、賞金首ランキング一位も陥落か……」
俺はウィルソンやマダムの死体から、個人データを瞬時に抜けたことを思い出した。それができるのは、彼らのキャラクターが凍結されているときだけだ。つまり、オブデロード卿の推理ゲームで敗北した者は、キャラクターを凍結され、そのままゲームから弾き出される仕組みになっていると推測された。
これが意味するところは、ひとつ。俺の持ちキャラであるルーズ・ネグレクトゥスも、すでに凍結されてしまったということだ。凍結キャラはランキングに乗らない。賞金首ランキングのリストからも削除されてしまっただろう。
「……ま、しょうがないか」
俺は気をとりなおした。俺が賞金首ランキングトップから陥落して、繰り上げになるのは……だれだったろう。俺は正確におぼえていなかった。ただ、ぼんやりと、暗黒騎士タルタロスならよかったのに、と思った。ガーデン湖の奇跡を起こした最強の騎士になら、首位の座を取られても惜しくはない。俺よりもタルタロスのほうがふさわしいと、そう考えていた連中も多かったかもしれない。
暗黒騎士タルタロスは死んだ。俺よりも先に。あいつのほうが無念だったかもしれないよな。サリカとかいう、ポッと出の参加者に負けるなんて。サリカは、どうやってタルタロスを倒したんだろうか。クレアと彼女との戦闘をみるかぎり、相当な実力者であることにはまちがいなかった。が、ガーデン湖の奇跡を起こしたやつに勝てるのか? 案外、卑怯な手を使ったのかもしれないな。卑怯という難癖をつけられるなら、の話だが。ゲームの世界では、あまり意味のある概念じゃなかった。
俺は、俺は冷蔵庫からお茶を汲み、チャンネルを変えた。またニュースか。もういちど変えようとしたところで、女性のアナウンサーが、原稿を読み上げた。
「次のニュースです。本日午後、都内で高齢の男性が、VRMMOのカプセルに入ったまま、脳死するという事故が起こりました。原因は、利用中になんらかの強い衝撃をうけ、同調不全をおこしたものと思われます。警察の発表によれば、停電中に非常電源が作動しなかったうたがいがあり、消費者センターは、同じタイプのカプセルについて、注意を呼びかけています」
アナウンサーは、タイプ番号をよみあげた。俺はお茶をこぼす。ふりむいて、カプセルの番号を確認する――TG803。アナウンサーの番号とはちがっていた。中堅のカプセルメーカーで、値段が売りのタイプだった。俺みたいな貧乏学生は、こういうものしか買えないのだ。
これより安いクオリティだったんだろうな。
安かろう、悪かろう、だ。
俺はチャンネルを変えた。同じニュースをしていた。
ピンポーン
ん? 宅配か? なにかを注文したおぼえはない。実家から、荷物がおくられてくるという話も、きいていなかった。
ピンポーン
新聞の勧誘か? しつこそうだから、きっぱり断ろうと思い、ドアをあけた。
そとに立っていたのは、コートを羽織った中年男性だった。
「こんにちは……須藤友成くん?」
自分の名前をよばれて、俺は困惑した。
「ええ……そうですけど……どなたですか?」
「わたしは、こういうものなんだが」
男性は手帳をとりだして、俺にみせた――警察手帳だった。
思考が停止する。
警察? 俺はなにもしてないぞ?
「おどろかなくても、いいよ。逮捕しにきたわけじゃないから。リラックスして欲しい」
「え……あの……」
「きみは、『オブデロード卿の復讐』というゲームに登録してるね。VRMMOの」
「は、はい」
「そのゲームのなかで、暴動があったことは、おぼえてるかな?」
「暴動?」
俺はなんのことか、心当たりがないと答えた。
すると警察のおじさんは笑って、
「あ、すまない、私はこういうゲームはしなくてね、なんというのか……大勢の人物が集まって、なにかいざこざが起こったことがないかい?」
俺は、それにも心当たりがなかった。そう答えようとしたところで、ふと聖騎士サリカのことを思い出す。彼女が倒した暗黒騎士タルタロス、そのタルタロスが成し遂げた偉業も、ゲームに興味がないひとからみれば、ただのいざこざだろう。
「……ひょっとして、ガーデン湖の奇跡ですか?」
刑事さんは、そうそうと答えて、さらに質問をつづけた。
「そのガーデン湖というやつでね、ちょっと調べてることがあるんだ」
「俺は、あそこにいませんでしたよ?」
わかってる、と、刑事さんは俺をなだめた。
俺は、どうにもパニックになりかけていた。
「おちついて欲しい。ほんとうに、きみを逮捕しにきたわけじゃないんだ。あれから警察のほうで、いろいろ調べていてね」
「もうしわけありませんが、なにも証言できないんですけど……」
「ひとりプレイヤーが、脳障害を負って……そういう話を、聞いたことがないかな?」
脳障害? ……なんのことだ? 俺は、単刀直入に知らないと答えた。
「そうか……」
「すみません、もうすこし、くわしく教えていただけませんか? なんのことか、よく分からないので、心当たりもなにも……」
刑事さんは、個人情報を完全にふせたうえで、次のように教えてくれた。
あの日、暗黒騎士と数十名の勇者たちの衝突のなかで、ひとりのプレイヤーが、強制ログアウトをくらった。サーバがクラッシュして、たまたまそこで処理を受けていた人物が、巻きこまれたのだという。そのプレイヤーは、重度の脳障害を負ってしまい、ゲームのなかの人格と現実の人格との区別がつかなくなってしまったそうだ。
「それは、ひどい事故ですね……」
「事故なら、ね」
刑事さんは、意味深なことをつぶやいた。
俺は、なぜ刑事さんがここにきたのか、その理由にようやく思いあたった。
「もしかして、事故じゃないんですか?」
「いや、我々としては、いろいろな可能性を追っているだけだよ」
はぐらかされてしまった。
俺も口をつぐむ。刑事さんが俺から情報を引き出そうとしているのは伝わってきたが、俺からとくに提供できる情報はなかった。
「すまないね。もしなにか思い出したら、警察へ連絡してほしい」
俺は、「はい」とだけ答えて、ドアを閉めた――そして、脳をフル回転させた。
ガーデン湖の奇跡で、脳障害者がでた? 初耳だ。
「待てよ……ガーデン湖の奇跡で事故……ッ!」
俺の脳裏に、サリカとの会話がフラッシュバックした。
《それはわからん……が、ガーデン湖の奇跡については、妙な噂がある》
《噂?》
《なにか運営レベルでの【事故】があったという噂だ》
俺は、『オブデロード卿の復讐』が閉鎖する、真の理由に気づいた。
「そうか……致命的なバグが発見されて、警察沙汰になったのか……!」
待て待て待て――だとすると、俺たちを推理ゲームにさそったオブデロード卿は、何者だ? 運営のきまぐれだと思っていた――一億円出すなら、企業だろう、と。だが、警察沙汰になったのだとすれば、そんなことをするはずがない。今度こそ、逮捕されてしまうだろう。すくなくとも、会社がつぶれるはずだ。
「ってことは、オブデロード卿は、部外者……?」
ありえるのか? ……ありえる。電嵐城のセキュリティは放棄されていた。運営はもう逃げているのだ。廃墟のサーバに侵入するなら、俺レベルでもできる。
俺は、あせる自分を落ち着かせるため、床にすわり、カップラーメンの汁をすすった。それでも落ち着かないから、コーヒーを沸かす。
考えろ。須藤友成。いま、すごく大事なところに、推理がいきつきそうなんだ。
……………………
……………………
…………………
………………
オブデロード卿は、俺たち参加者のなかにいた?
「あり……うるだろッ!」
たちあがって、沸いたばかりのコーヒーを飲む。こんなに興奮したのは、高校生のときに、告白の返事を待っていたとき以来だぞ。あのときは自爆したが――いや、そんなことは、どうでもいいんだッ! なんでこの可能性に気づかなかったッ!
「待て待て待て……参加者のなかにオブデロード卿がいたから、どうなんだ?」
俺は、根本的な問いにたちかえった。オブデロード卿が、俺たち参加者のなかにいたと仮定しよう。モンティでもサリカでもグウェインでもイオナでもいい。あるいはもっとまえに死んだ――死んだフリをした?――ハッサムでもウィルソンでもマダムでもヴラドでもいい。
なんのメリットがある? 閉鎖寸前のサーバで推理ゲームに?
単なる愉快犯か?
俺は、髪をぐしゃぐしゃにする。プログラミングが詰んだときのくせだ。
「なにか……なにか見落としてるぞ……全部をつなげるリンク……ッ!」
そのミッシングリンクは、ついぞ俺の脳裏にひらめかなかった。
ひとりでの思考につかれた俺は、パソコンにむかう。
無料チャットを立ち上げ、後輩のひとりを呼び出す。
軽快な音楽のあとに、これまた快活な少女の返事があった。
《はいはい、先輩、アリサちゃんですよ》
結城アリサ。今年大学に入ったばかりの、俺の後輩だった。
俺たちは電脳ゲーム研究会という同好会に所属している。
「アリサ、今、時間あるか?」
《ま、多少は》
「『オブデロード卿の復讐』っていうVRMMOがあるだろ?」
《先輩がハマってるやつですよね。もうすぐ閉鎖になるんでしょ?》
俺は、ガーデン湖の奇跡が起きた日に、脳障害をわずらった患者がいるかどうか、確認を依頼した。アリサは俺と比肩する腕前のCEH(Certified Ethical Hacker)だ。ネットのどこかに転がっている情報など、朝飯前で探し出すことができた。
案の定、十分としないうちに、返答があった。
《いますね、ひとり……電脳性人格障害です》
「電脳性人格障害?」
チャットの向こうから、ため息が聞こえてきた。
《先輩、電脳医学の講義さぼっちゃダメですよ》
「ああいう脳の画像とかみせてくる授業はキライなんだよ」
《ほんと、グロ苦手なんですね……電脳空間上の人格とリアルの人格が融合しちゃって、分離が困難になる症状です》
「分離が困難になる? どんなふうに?」
《二通りありますね。ひとつは、サーバ上のデータが脳に逆流して、元の人格がキャラクターの人格で上書きされちゃうケースです。もうひとつは、サーバ上に一時保管した脳のデータを引き上げられなくなっちゃうケースです。前者の場合、目は覚めますが、じぶんがゲームのキャラクターだと勘違いすることになります。後者の場合は、そもそも目が覚めません。ゲームをやめることができなくなるんです》
俺は、さっきの刑事が言っていた症状とかさなっていることに気づいた。
「その患者の名前と入院先は分かるか?」
アリサは、患者の氏名と入院先、その病院の住所も教えてくれた。
「よし、こんどおごる」
《あ、ちょっと待ってください。これって、同日にそういう患者さんが出た、っていうだけの話ですよ。『オブデロード卿の復讐』との関連性はわかりません》
「関連性がわからない……? 新聞記事とかは見つからないのか?」
キーボードを打つ音が聞こえた。
確認のために検索しているのだろうと思い、返事を待つ。
《新聞は……あります……でも、VRMMOのカプセルが原因で、電脳性人格障害が発生した、という記事しかないですね。なんのゲームかは書いてないですし、どちらかというとカプセル業者のせいにされてるような……》
どういうことだ? さっきの刑事は『オブデロード卿の復讐』だって明言してたぞ?
しかも、ガーデン湖の奇跡におけるプレイヤー同士の抗争とまで言っていた。
警察のほうが詳しいっていうだけか?
普通に考えれば、そうだ。しかし、どこか妙な気配があった。
「……そのカプセル業者は、どうなってる?」
《えーと……立入検査後、行政指導を受け……てないですね》
「つまり、カプセルの欠陥じゃなかったってことか?」
《みたいですね。製品のリコールもしてないです》
俺はしばらくのあいだ、パソコンのまえで沈思黙考した。
何分経過したのだろうか。アリサが唐突に話しかけてきた。
《先輩? つながってます?》
「ああ、つながってるぞ……で、だいたいわかった」
《わかった、とは?》
俺は答えずに、アリサに感謝の言葉を伝えた。
そのままログアウトする。
アリサには悪かったが、今はそれどころじゃなかった。
すべてがつなったのだ。
「ようするに、最初はカプセルが原因の事故だと思われていたが、そうじゃなかった……だから警察は、ゲームの運営会社に目をつけた……会社はしらばっくれて、逃げ切りを図ろうとしてる……ってわけか」
今回のゲーム終了に、そんな裏があるとは思わなかった。
同時に、オブデロード卿の正体も、うっすらと見えてきた。
その事故の被害者、あるいは、被害者の周辺にいる人物だ。
俺は、アリサから教えてもらった病院の住所を確認する。
ここからすこし距離はあるが、旅行というほどではなかった。
「……会いに行くか、オブデロード卿に」
俺は席を立ち、こんどこそ外出のための着替えにとりかかった。




