第12話 心臓発作?
視界が、水に覆われる。膨大な量の水流が、俺の行く手を阻んだ。イオナを助け出さないと――気持ちだけが空回りする。
「イオナ! 今行くぞ!」
空手形のような声が、自分の耳にも空しく響いた。この吸血鬼は強過ぎる。相手を舐めていたのは、俺のほうだったのかもしれない。サーバに名を轟かせている魔法使いとくれば、もっと警戒してしかるべきだった。
「熱ッ!?」
俺はいつの間にか、マグマのそばまで押し戻されていた。必死にふんばろうとしても、足がどんどん後退する。バランスを崩して頭から溶岩に突っ込んだら、一巻の終わりだ。耐熱構造になっているのは靴だけで、他はそうじゃない。俺は左右に体をずらそうとしたが、それがまた悪手になった。
「しまったッ!?」
バランスを崩しかけた。万事休す――そう観念したところで、水流が弱まった。俺は反射的にマグマから飛び退いて、安全なパネルに飛び移った。
どうする? 足場をもとに戻すか?
そんなことをしたら、また氷に襲われる。
俺は、判断に迷いつつ、ヴラドの出方をうかがった。
なぜ攻撃の手をゆるめた?
あともうすこしで、俺はお陀仏だったはずだ。なぜだ?
ヴラドから発せられる水流は、まるで蛇口の栓を締めたかのように、急激に勢いを失っていく。そしてついに、ヴラドの全身が露になった。
なぜか胸を押さえて、苦しみもがいていた。
「く……苦しい……ッ!」
ヴラドは、その場に崩れ落ちた。イオナが殺ったのか? あの鋭い爪で、心臓をひと突きしたのかもしれない。そう考えた俺だが、当のイオナは、地面に倒れ込んで、ぴくりとも動いていなかった。気絶しているのだろうか?
俺は、水流が完全にやんだのを見計らって、イオナに駆け寄った。
「イオナ? イオナ?」
「うぅ……」
生きてる。ぎりぎりのところで、ログアウトせずに済んだらしい。
「しっかりしろ」
俺は、悶え苦しんでいるヴラドから、なるべくイオナを遠ざけた。
ヴラドの苦悶の表情は、演技には見えなかった。目が血走り、口から泡が吹き出す。
「これは……まさか……そん……な……」
ヴラドの肉体が、黒ずんでいく――灰化だ。吸血鬼一族は、命が尽きるとき、骨だけを残して灰になる。その現象を、俺は目の当たりにしていた。指先から白い粉が崩れ落ち、風に乗る。鼻先も、髪の毛も――すべてが灰になって、さらさらと夜空に舞った。煌々と燃えるマグマに照らされながら。
最後に、人体標本のような骨格だけが残り、それも地面に崩れ去った。モンティをつつんでいた氷も、音を立てて崩れ落ちた。
俺たちの勝ちだ。経緯は、よく分からないが。
ホッとしたのもつかの間、イオナが激しく水を吐いた。俺は背中をさすってやったり、楽な姿勢を探してやったりと、いろいろ介抱する。
その片手間に、モンティには【気つけ薬】を飲ませてやった。このゲームのプレイヤーは、【気絶】状態になってから30分以内に起こさないと、ゲームオーバーになってしまう。普段から単独行動が危ないと言われているのは、このためだ。
薬を飲ませても、モンティはすぐには目を覚まさなかった。体にダメージが残っているのだろうか。俺は、しばらく様子をみる。
「ん……」
くちびるが動いた。俺は安堵して、またイオナの介抱に取りかかった。
モンティはそのうち目を開けて、あたりをきょろきょろと見回した。
「ここは……?」
「電嵐城だ」
「そっか……あたし、やられちゃったんだ……」
俺はため息をついた。
「無茶し過ぎだ。おまえだって、戦闘用のキャラじゃないんだろ?」
ゴーグルに登山服。今からハイキングにでも行きますって格好だ。
「ンー、結構、レアな衣装なんだけどなあ……」
モンティは、地面に寝そべったまま、笑った。
俺も、思わず吊られて笑ってしまう。
「サンキュ、俺を助けようとしてくれたもんな」
あのとき、ヴラド公を見逃して、分け前に預かる――そういう選択肢が、モンティにはあったはずだ。それにもかかわらず、彼女はヴラドを攻撃して、俺を救出する道を選んでくれた。そのことに、俺は感謝した。
モンティは鼻頭を掻きながら、
「へへへ、旦那、一千万上乗せですぜ」
と冗談を言った。
「もっとも、役に立ったかどうかは、べつだけどな」
「もう」
モンティは、急にふくれっつらになった。
「なによ、それ。二度と助けてあげないんだから」
俺が言い返そうとしたところで、イオナが目をひらいた。モンティは、彼女の容態がおかしいことに気付いて、すぐに起き上がった。
「い、イオナさん、いったいどうしたの?」
イオナは答えられる状態じゃないから、俺が代わりに答えた。水責めの拷問にあっていたことを伝えると、モンティはその怒りをあらわにした。
「ひどい! ヴラド公って、最低最悪のやつね!」
「最低最悪だが、最強だったな」
「最強ぉ? その最強の魔導士を倒したんだから、ルーズが最強でしょ?」
俺は、正直に答える。
「ヴラドを倒したのは、俺じゃない」
「え? じゃあ、イオナさん?」
「倒れる瞬間は、あまりよく見えなかったんだが……イオナは反撃できるような状態じゃなかった。なんだか、こう……心臓発作かなにかで、急に苦しみ出したようにみえた」
「ヴラド公が? 心臓発作?」
「ああ」
モンティは、いきなり吹き出した。
「ルーズったら、自分の手柄にしたくない理由が、なにかあるの? ほかの連中に目をつけられるから?」
「いや……ほんとうに、俺じゃないんだ。ヴラドが勝手に死んだようにしか……」
俺が説明に苦心していると、南館からサリカが出てきた。
「モンティ、ルーズ……これは、なんだ?」
サリカはその大剣を抜き、あたりに視線を走らせた。
そして、俺たちにむけて構えた。
「貴様ら……仲間割れか?」
俺は、あわてて事情を説明した。サリカは、地面に転がったヴラドの骨と、俺たちの顔とを、交互に見比べる。警戒は解いていない。どうやら、俺たちがヴラドを奇襲して殺したと、疑われているように思えた。
「サリカ、聞いてくれ。俺たちが殺したんじゃないんだ。ヴラドが襲って来て……」
「ヴラド公が、なぜおまえたちを襲った?」
「それは……」
俺は、言葉に詰まった。
どうする? ほんとうのことを言うか?
俺の招待状だけ、ほかのメンバーとは違う、と――
「ヴラドは、俺を疑っていた」
「今回の推理ゲームの犯人と、か?」
「ああ……理由はよく分からない。多分、俺がチート屋で、いろいろなトリックを使えると思ったからじゃないだろうか」
俺は嘘をついた。さすがに招待状のことは言えなかった。
ところが、サリカはこれに納得しなかった。
「推理ゲームである以上、犯人を殺しては意味がない。真相が分からなければ、推理したことにならないのだからな。ヴラドがおまえのことを怪しんでいたのなら、殺さずに生け捕りにするはずだが?」
「ヴラドは、俺にトリックを吐かせようとしたんだ。それがエスカレートして、最後は本気の殴り合いになった……でも、ヴラドは……」
どう説明したものか――俺は、モンティに対しておこなった説明を、もう一度繰り返してみた。当然のごとく、サリカも怪訝そうな顔を浮かべた。
「心臓発作だと……? 貴様、それを本気で言っているのか?」
「本気だ」
「モンティ殿は、その瞬間を目撃したのか?」
モンティは、ちょっと気まずそうに、首を左右にふった。
「でも、ヴラドが先に攻撃したところ、あたしは見たわ。ルーズをそこの崖に突き落として、魔法を打ち込んでたもの」
「私が訊いているのは、ヴラドは心臓発作で死んだのか、ということだ」
「それは……」
自分は氷漬けになっていたので、分からない。モンティは、そう答えた。
サリカは、剣を納める様子もなく、こちらとの間合いを測っていた。
どうすれば、この嫌疑を晴らせる? もう不可能なのか?
「それに、これはなんだ? なぜ溶岩が噴き出している?」
サリカは、一面火の海になっている床を指差した。
「……俺は、マップの構成を変えられるんだ」
俺の自白に、サリカだけでなくモンティも目を見開いた。
「マップの構成を変えられるだと? ……やはり、ハッサムを殺したのも貴様か」
くそぉ、これじゃ疑われる一方だ。しかも今の推理はもっともらしい。マップの構成を変更できるなら、空間を移動して食堂へ現れることもできるかもしれないからだ。だが、それは誤解で、マップの構成をいくら変えても、ワープはできない。
「待て、よく聞いてくれ。たしかに、俺はチート屋のルーズで、いろんなことができる。だけど、それを悪用して、プレイヤーを殺害したことはない。俺は……」
そこで、すこしだけ口ごもった。
「俺は、ハッキングに興味があるんだ。純粋に技術的な興味なんだ」
「ハッカーの言うことを、信用しろと言うのか?」
俺たちは、おたがいに立ったまま、見つめ合った。
サリカは剣を引いた。
「分かった。この話は、なしにしよう」
助かった。
俺は腰に手を当てて、ため息をついた。
「それなら助かる……ところで、これからどうする?」
「どうすると言われてもな……犯人候補はどんどん減っている」
サリカの言う通りだった。そのうち、誰もいなくなりそうなペースだ。
「ただ、犯人は……確率的に、生存者の中にいる可能性のほうが高いぜ?」
「あたりまえだ。オブデロード卿からは、ゲームの中止の要請は出ていない」
それもそうだ。ゲーム続行ということは、犯人はまだ生きていることになる。
俺の予想では、それはクレアだった。
沈黙――俺は、ひとつの提案をした。
「自分たちの推理を、これから順番に披露しよう……どうだ? 乗るか?」
サリカとモンティは、おたがいに目配せし合った。
サリカが先に答える。
「どういう風の吹き回しだ?」
「サリカも俺を疑ってるんだろ? べつにそれでいい。俺もサリカを疑ってるし、俺たちは本来はライバル同士だ。だけど、ここまで推理がまったく進んでない。七日というタイムリミットがあるのに、仲間が減るばかりだ。ここはひとつ、情報交換をして、賞金を手に入れる確率と……それから、生存率も上げておいたほうがいいと思う。電子の海に飲み込まれるっていう最悪の事態だけは、避けたいからな」
夜空では、電子の海はみえにくい。暗転したディスプレイでは、液晶の欠損が認識できないのと一緒だ。俺は、この提案を半分は本気でしていた。
サリカもさすがに同意の気配をみせた。
「私は、構わないが……モンティ殿は?」
「あたしも、OKだよ。でも、イオナさんは?」
イオナの意識は、まだ回復していなかった。
「そうだな……先に応接室へもどるか」
俺はイオナを背負って、応接間へもどった。暖炉のそばに寝かせる。近くの寝室から毛布をひとつ借りてきた。クレアの姿はない。呼んでも現れなかった。俺のなかで、クレアに対する嫌疑がますます深まった。
イオナを安静に寝かせつけた俺は、さっきの推理の続きを持ちかけた。問題は、だれから話すかだ――最悪、他人の推理を聞いてから「自分は、やっぱり教えない」というインチキもできる。ということは、言い出しっぺの法則で、俺から話すしかないだろう。
俺は応接間のソファーに腰をおろして、ゆっくりとくちびるを動かそうとした。
「ちょっと待って」
モンティがいきなり割り込んだ。
「どうした?」
「あたしから先に推理を披露したいんだけど、いい?」
モンティから? ……渡りに船だ。かえってそれが不気味だった。
サリカもおなじ不信感をおぼえたらしく、
「情報屋が情報をタダで提供するのか?」
と、いぶかんだ。モンティは「えへへ」と笑う。
「あたしの推理はね、ここにいるふたりを牽制するために披露するの」
意味がわからない。
俺はサリカと目配せしあった。
サリカはうなずき返す。それでいい、というわけか。
俺も乗ることにした。
「わかった、モンティからだ」
「オッケー」
モンティは、コホンとわざとらしい咳払いをした。
「それじゃあ、あたしの推理なんだけど……ふたりとも、クレアを疑ってるでしょ?」
強烈なジャブ――こうして、俺たち三人の推理ゲームが始まった。




