第10話 柊の紋章のゆくさき
暗闇のなかで、俺は風に吹かれていた。ジャケットのすそをはためかせ、ひたいに手をかざす。夜空の月で、かろうじて北館の壁がみえた。距離は、五〇メートル近くあるだろうか。飛んで移れる幅じゃなかった。
俺は、星々のしたで、あの封印されたとびら――俺とモンティとイオナが、南館へ引き返すきっかけになったとびらのことを考えていた。
あのとびらの向こうがわには、なにがあったんだろう?
あそこにトリックのヒントになるものがあったとしたら?
ありえなくはなかった。犯人が空中回廊を破壊したのは、あの部屋の存在を知られたくなかったからかもしれない。ただ、あの封印されたとびらは、犯人が即席でこしらえたものとは思えなかった。だとすれば、犯人にも開けることができなかったのではないだろうか。楽観すぎる考えかもしれない。ただ、北館から分離されてしまったにもかかわらず、運営サイドからなんの連絡も来ていない。つまり、北館は推理と関係ない可能性が高い。
いずれにせよ、今となっては確認のしようがなかった。回廊は落ちてしまったのだ。
「こんなことなら、モンティと一緒に、開けとけばよかったな……」
すべては後の祭りだ。後悔先に立たず――とはいえ、あのとき引き返さなかったら、俺たちは北館で孤立していたかもしれない。そのことを考えると、ぞっとする。不幸中の幸いと言ってもよかった。食料があるかどうかも分からないのだ。ゲームのなかでも、腹は減る。余計な機能だった。
俺は、足下に気をつけながら――この三六〇度の空に身投げしたら、どうなるんだろうか? 死亡判定か?――崩落した空中回廊の根元を観察した。
パラパラと、小石が落ちる。心臓に悪い。
「クレアが細工をしたとしたら、こちら側からのはずなんだが……ん?」
俺は、目を凝らした。崖のしたに、灯りが見える? 気のせいか?――いや、気のせいじゃない。ちょうど空中回廊が掛けられていた場所、その下で、壁がうっすらと光っていた。距離にして、目測一〇メートルほど。
……違う。壁が光ってるんじゃない。横穴だ。横穴がある。
RPGのダンジョンにありがちな、見えないところに抜け穴ってやつだ。空中回廊が掛かっていたときは、それが邪魔になって、見えなかったのだろう。
俺は、背後をチェックした――だれも、尾行していない。
断崖の壁に手を触れて、念入りに具合をさぐった。
「……これなら、大丈夫だな」
俺は人差し指で、断崖の端を小突いた。
大きなスクリーンが、明々と登場する。
パネルステータス
種類:通常壁(城)
特殊:なし
そう、俺は、こういうこともできるのだ。このVRMMOは、滑らかなシミュレーションになっていない。レトロRPGのように、パネルから構成されている。もちろん、むかしのゲームよりは、よっぽど精密にできているんだが、パネル単位で管理されていることに、変わりはない。
そして、そのパネルのひとつひとつには、【種類】のほかに、【特殊】という属性が割り当てられていた。これは例えば、【毒】【ダメージ床】【氷結】のような、特殊なマップを作るときに使われるもの。
というわけで、俺がこれからやることは、もう分かってもらえたと思う――属性の書き換えだ。人差し指で、選択肢をスクロールさせる。
パネルステータス
種類:通常壁(城)
特殊:重力床
これだよ、これ。垂直に壁を登ることができる機能。
3D空間を堪能するため、特殊なマップだけに設定される属性だ。これを付された場所は、キャラクターが乗ると、まるで足場のような役割を果たす。
俺は慎重に足を乗せて、そのまま断崖にダイブ――とみせかけて、九〇度回転。壁を足場に変えた。あとは、パネルから外れないようにすることだ――これが、意外と難しいうえに、足をすべらせたら即死する。
念のため、ハイハイの姿勢をとって、膝歩きで進む。眼前には、奈落の底。パネルはだいたい一メートル×一メートルだから、そのたびに属性を書き換えていく。
ちょうど十回目が終わったところで、横穴が視界に入った。罠がないかどうか、慎重にのぞいて確かめる――大丈夫なようだ。その横穴は、きちんとした石組みで、縦横二メートルほどの、正方形になっていた。左右の壁に、松明が見える。これの灯りが漏れていたようだ。
しかし、奥はよく分からない。松明は、三列ほどで途切れていた。
どうする? 入ってみるか?
俺はポケットから小石を取り出して、奥に放り投げてみた。
……………………
……………………
…………………
………………
なにも起こらない。罠が発動した形跡はなかった。俺はグッと顔を引き締めて、大きく息を吸うと、足場になった断崖から、横穴に飛び込んだ。サッと着地して、すぐに壁沿いに飛び退く――モンスターの気配もない――当たり前か。サーバ閉鎖にともない、モンスターはマップから除去されていた。しかし、つい癖で警戒してしまう。
俺は、壁から背中をはなして、ゆっくりと奥へ向かった。途中、壁にかかった松明をひとつ頂戴し、その灯りを頼りに、奥へ奥へと進む――静寂。自分の呼吸の音が、生々しく聞こえた。そして、封印のかかった紫色のとびらに突き当たった。
「この紋章は……」
柊を、上端と下端で交差させた文様――北館で目撃したものと同じだ。
電嵐城において、この文様はなにか特別な意味があるようだ。
俺は意を決して、扉に触れた。
「解錠」
カチャリと、とびらがひらいた。鍵を開けたというよりは、最初から鍵が掛かっていない状態にしたのだ。とびらにも、パネルと同じようにステータスがあって、それをオン・オフすることができる。だから、どんなとびらも、俺のまえでは無力だ。
俺はとびらを押して、即座に左へ飛び退いた――ここにも罠はない。どうも拍子抜けしてしまう。俺はとびらの隙間から中をのぞき込み、松明をかざした。
「これは……?」
部屋の中央に、ベッドがひとつ――それ以外には、なにもなかった。俺は右足で敷居をまたいで、これまた罠が発動しないことを確認する。そして、なかに踏み込んだ。部屋の四隅を松明でかざすと、壁に電灯のスイッチ――こういうところが、中世RPG風の舞台設定を台無しにするんだよな。便利なのは認めるが。
さっそくオンにする。パッと灯りがつき、室内が照らし出された。四方は城内とおなじ石造りの個室になっていた。奥行きはまったくなく、バスルームより少し広いくらいだ。むしろ、富裕層のバスルームならこれくらいはあるかもしれないという大きさだった。
松明は必要なくなったが、一応は手に持っておき、ベッドを観察した。
それはベッド――ではなかった。よくみると、マッサージ機のようなものだった。
もちろん、こんな隠し部屋にマッサージ機などあるはずがない。
「そうか……転送機だな……」
リアル世界とヴァーチャル世界を結ぶ、ポータル――それは、このゲームの開始地点であり、同時に、終了地点でもあった。プレイヤーは、自分がサーバに入るときの出現ポイントを固定する。そして、そこにポータルを置く。ポータルの外見は、いろいろだ。主流はドアと魔法陣だが、こういう寝具もポータルになりえた。ゲームを開始したプレイヤーは、このベッドのうえで目を覚まし、冒険を始めるわけだ。
ということは――このベッドから、もとの世界に帰れることになる。わざわざ城を出る必要がない。実を言うと、直近の公式ポータルは、馬車を乗り継いで三時間ほどの、宿場町にある。だからこそ、俺たちは、うまく身動きが取れないでいるのだ。理由もなくゲームのなかで、まごまごしているわけじゃない。
「待てよ……ってことは、柊の紋章があるドアは、全部ポータルかもしれないな」
俺は、そうひとりごちた。これだけの大所帯だ。転送機は、多めにあるだろうし、封印がされているのも、納得がいった。おそらく、運営のスタッフ専用なのだろう。
「ここを拠点にすれば、かなり有利になるな」
俺はそう判断して、部屋を出た。きちんと、封印しなおす。松明は、すべて消しておいた。いくら見つかりにくい場所とは言え、ほかの連中が気付かないとも限らない。
そのまま、来たときと同じ要領で、断崖を這ってあがった。南館にもどったところで、一息ついて夜空を見上げる。
「綺麗だな……」
そのときだった。
「なにをなさっているのですか、チート屋のルーズくん?」
俺は、心臓が止まりかけた。
振り返ると、ヴラド公がマントをはためかせて、背後に立っていた。いつの間に回り込まれたのか――俺は警戒した。
「ヴラド公、どうして、ここに?」
「ついに尻尾を出しましたね。犯人が犯行現場にもどるとは、よく言ったものです」
俺はこの邂逅が、ヴラドの待ち伏せであることを察した。
「待て、誤解だッ!」
ひんやりと、周囲の温度が下がり始めた。
俺はあたりを見回す。空調じゃない。明らかになにかの攻撃だ。
「ゔ、ヴラド公、なにを……ッ!?」
一歩まえに出ようとした俺の脚が、動かない。
俺は、足下を確認した――透明な塊が、靴にまとわりついている。
「こ、氷ッ!?」
そう叫んだ俺の眼前に、巨大な氷塊が飛び込んできた。俺は寸でのところで、上半身を折り曲げ、それを避けた。その勢いで、足もとのパネルを表示させる。
パネルステータス
種類:通常床(城)
特殊:なし→魔法無効
パリーンと、氷が弾けた。カケラは風に乗って空中へと消えていく。
それは物理現象ではなかった。魔法が破られたときに固有の現象だった。
「やっぱり魔法だったかッ!」
俺は、そのパネルの上にとどまった。床の属性を変えて、魔法が効かないようにした。一種の結界だ。ここから動かないほうが、むしろ安全になった。
ヴラド公は、ややあっけにとられたのか、今までに見せたことのない、ポカンとした表情を浮かべていた――が、すぐに冷酷な笑みを浮かべた。
「なるほど……さすがはチート屋ルーズ、そのような能力が……」
ヴラドは、さっきよりも大きく間合いを取って、空中に浮いた。
こいつ、空中浮遊の能力があるのか。知らなかった。
「そのチート能力があればトリックも自由自在……ルーズ、あなたが犯人ですね?」
ヴラドはすぐには攻めてこなかった。
俺のチート能力をみて、かなり警戒しているようだ。
無理もない。見ようによっては無敵にみえる。だが、じっさいには無敵でもなんでもないのが問題だった。俺のチート能力は、政府が定めたハッキング法に抵触しない範囲で、このキャラクタに組み込んだ特殊プログラムに由来している。人間で言えば、合法な範囲でDNA操作をしたようなものだ。その縛りのせいで、できることは限られていた。他人のステータスの覗き見、所持アイテムの強化や増殖、マップの変更操作など、チートではあるが警察に通報されない範囲でしか行動できない。他のキャラクタを一撃で殺す魔法とか、そういうものはまったく実装していなかった。
「ヴラド、誤解だッ! 俺の話を聞いてくれッ!」
俺はとりあえず時間稼ぎに出た。
「とぼけても、ムダです。気付かないとでも思ったのですか? 使用人室で、招待状の話をしたときの、あなたの反応……あれは明らかに、あなたの招待状だけ、わたくしたちのものとは違っている反応でした。あなたが犯人なのでしょう?」
ヴラドが俺にかけている嫌疑――それがなんであるかを、俺は理解した。
「ち、違うッ! 犯罪履歴うんぬんこそ、おまえの作り話だろうッ!」
「ほぉ……モンティさんと聖騎士様も、顔色を変えられていましたが?」
「くッ……それは……」
俺は釈明ができなかった。こればかりはごまかしようがない。
モンティの犯罪履歴ってなんだ? 個人情報の売買でもしたのか?
サリカの犯罪履歴ってなんだ? 暗黒騎士タルタロスを倒したのはインチキか?
どちらもありうるし、どちらも信じたくなかった。
クレアのことを今ここでヴラドにだけバラすか?
それは憚られた。こいつがこの情報をまともに扱うとは思えない。
「やはり、あなただけ、べつの招待状をもらったのですね……犯人は、探偵役とは異なる招待状をもらっているはず……つまり、あなたが犯人なのですよ、チート屋のルーズ」
俺が言いわけをする間もなく、ふたつの氷塊が、ヴラドの両手に現れた。
かなりの魔力だ。魔術師でない俺にも、その迫力はガンガン伝わってきた。
「すぐには殺しません……まずは、トリックを白状してもらいましょう」




