第9話 招待状の文言
真っ暗な食堂のなかに、三つのランタンが灯る。簡素な食卓に、簡素な食器類。
銀の皿の一枚や二枚、見栄で用意しておけばいいのにと思う。それとも、運営の中心地に、そんなものはいらないということなのだろうか。このゲームは細部にこだわりを感じるから好きだったが、こうしてみると手抜いているところは手抜いているんだな、と実感させられる。
それは、リソースの問題だろう。合理的だ。非難はできない。運営が使うスペースがどんなに簡素でデザインが悪かろうと、プレイヤーの目にはとまらないからだ。その分を別のダンジョンやイベントに使ってくれたほうが、客の満足度はあがる。
「それにしてもな……」
俺のつぶやきに、うしろの暗闇でモンティが反応した。
「どうかした?」
「電嵐城って、オブデロード卿の本拠地って設定だろ。もうちょっと凝った作りにして欲しかったな、って」
「そのほうが捜査が楽でいいでしょ。隠し扉なんかあった日には、たいへんよ」
それもそうか。俺は納得した。
今、俺とモンティとイオナの三人は、ハッサムの殺害現場を調べていた。ハッサムの死体はすでに収容されている。ランタンの光では、血のあとも判別がつきにくかった。
闇の奥から、
「こんな夜中にしなくても、いいじゃない」
と、モンティの愚痴が聞こえた。
俺は食器棚を調べながら、
「まあ、そう言うなって。ここまで手詰まりなら、時間帯を変えてみるのはアリだ」
となだめた。
「暗闇のなかで、犯行に使われた凶器がキラリと光る、みたいな?」
モンティは皮肉のつもりで言ったのだろうが、俺は、ありうると思った。
視点を変えるのは大事なことだ。
大学でもそう教わったし、実体験としてもそうだった。
ただ、それはあくまでも、この調査の目的のひとつにすぎなかった。
俺は食器棚の食器を調べているふりをして、ふところから封筒をとりだした。
音でバレないよう、食器をわざとカチャカチャしながら開封する。
ルーズ・ネグレクトゥス殿
平素は弊社のVRMMO『オブデロード卿の復讐』をプレイしていただき、誠にありがとうございます。残念ながら今月の十三日をもちまして、当サーバは閉鎖されることとなりました。終了記念イベントとして、優秀な成績を収められた冒険者の方々をご招待し、推理ゲームを開催いたします。
一、参加者は総勢九名。
二、犯人役は一名。
三、見事推理に成功した方には、現実通貨で一億円を差し上げます。
会場は電嵐城、集合時刻はリアルタイムで明後日の一七時となっております。
奮ってご参加ください。
やっぱりそうだ。俺の見落としじゃない。
ヴラドが言っていた「不参加を表明した場合は、そのキャラクターが犯した過去の犯罪履歴を公開する」なんて文言は、どこにもなかった。俺は紙が重なっていないことも確認する。招待状は、これ一枚しかなかった。
なぜだ? ヴラドが嘘をついたのか? 俺にカマをかけるために?
だが、あのとき――モンティとサリカの表情も変わった。特に、サリカのほうの表情が変わった。いつもは能面の彼女がみせた戸惑いには、なにか真実が含まれていると思う。というのも、この招待状を受け取ったとき、俺自身、奇妙に思ったことがあったからだ。賞金額のわりに、招待状があまりにも簡素だった。もしその封筒に運営の正式なデジタル署名がなければ、俺はイタズラだと思ってスルーしていただろう。
俺の招待状だけ、抜けがあった? しかし、もしその抜けの部分が「不参加を表明した場合は、そのキャラクターが犯した過去の犯罪履歴を公開する」というものであったならば、今度は濡れ衣ということになる。俺には犯罪履歴などない。なるほど、ヴラドはあるかもしれないし、モンティだって軽犯罪に引っかかっているかもしれない。個人情報保護法に違反しているとか、そういうことだ。情報屋のなかには、リアルの法律にくわしくなくて、違法な情報売買をしてしまう連中があとを絶たなかった。
だとしても、イオナは? 彼女に犯罪履歴があるとは信じられなかった。
「ルーズ? 食器棚になにかあった?」
俺はあわてて招待状をしまった。
「いや、蜘蛛の巣が張ってるだけだ。長いこと、使われていないみたいだな」
「そりゃそうよ。この電嵐城は、運営の施設なんだもの」
そうだ、俺はそのことを思い出した。
この電嵐城は、一見するとワールドマップのひとつにみえる。だが、その実態は、運営がゲーム内で働くための事務所だった。だから、世界の片隅に位置していて、普段ここをおとずれるプレイヤーはいない。城のなかはいかにも中世RPG風だったが、冒険の会場には使われていないから、ほこりが大量に溜まっていた。
俺は食器棚をはなれて、凶器の短剣がかけられていた鉤を照らす。
たしかに、あの凶器がぴったりハマりそうなかたちをしていた。
そのうえには、立派な夫婦の肖像画。
王族かなにかのつもりだろうか。
どこかしら初期アバターに似ている。手抜きだ。
「運営に見捨てられた城か……なんだかかわいそうだよな」
「感傷にひたってるヒマはないわよ。殺人現場なんだし」
俺はひとりうなずいて、イオナに声をかけた。
「イオナ、なにか変わった匂いはしないか?」
「うーん、これだけ匂いが混ざってるとわかんないぞ」
だろうな。めちゃくちゃに歩き回った後だ。
「でも、種類は増えてないぞ」
それだけでも十分な成果だと思った。
「モンティ、ここにヒントは隠されていないみたいだな」
俺のひとことに、モンティは立ち上がってタメ息をついた。
「だから言ったでしょう。犯人が犯行現場にもどってくるとでも思ったの?」
「だって、よく言うじゃないか。犯罪心理学的にそうなんだろ?」
よくは知らないけどな。俺はてきとうな御託をならべた。
モンティはランタンを片手に、食堂を出ようとした。
「待て、最後にこの絵の裏だけチェックさせてくれ」
「ご自由にどうぞ。あたしは先にもどるから」
……マジか? ひとりでもどると言われて、俺はドキリとした。
「豪胆だな。危ないぞ」
「じつはあたし、どっちかって言うと『個別行動』派だったのよね。今夜はようすを見るけど、あしたもこんな感じなら、パーティーから離脱させてもらうつもり」
俺は、すこしばかりがっかりした。
「役に立たなくて悪かったな」
「そうは言ってないでしょ……じゃ、お先に」
モンティはとびらを閉めて、食堂から消えた。
俺は息を漏らす。
「みんな焦れてきてるな……」
「おい、ルーズ、あたいたちはどうするんだ?」
「そうだな、この絵の……」
俺はそこまで言って、はたと口をつぐんだ。
そして、イオナをじっと見る。
ふところにしまった招待状の感触が、チュニック越しにはっきりと伝わってきた。
「……なあ、イオナ、ひとつ質問してもいいか?」
「算数はダメだぞ」
「イオナがもらった招待状、俺にちょっと見せてくれないか?」
賭けだった。
かなり危ない頼みだ。理由を聞かれると困るし、イオナなら、「昨日の夜、ルーズが招待状を見せろって言ってきたぞ」と言いふらす恐れもあった。
だが、この状況で、俺はどうしても、他のプレイヤーの招待状を見ておきたかった。
ヴラドが言っていたのがはったりなのか、それとも俺の招待状だけちがうのか。
固唾を飲んで返事を待つ。
イオナの答えは、俺の予想の斜めうえを行っていた。
「招待状? ……なんのことだ?」
「ほら、オブデロード卿からもらった手紙があるだろ?」
「イオナは手紙なんかもらってない」
嘘だろ? ……いや、演技だ。俺は自分にそう言い聞かせた。
「イオナ、嘘つかなくていいんだぞ? 俺とイオナの仲だろ?」
嘘つき呼ばわりされたのが癪にさわったのか、イオナは怒った。
「イオナは嘘つきじゃないッ!」
いかん、声が大きい。俺はイオナを落ち着かせる。
「すまん、今のは悪かった……でも、招待状はもらってるだろ?」
「もらってない」
「じゃあどうやってここに来たんだ?」
イオナは腕組みをして、なんでもないかのようにこう答えた。
「湖の近くで遊んでたら、知らない魔法使いに呼ばれたんだ」
「知らない魔法使い……? だれだ?」
「知らないって言ってるだろ。真っ黒なローブを着てて、顔はわかんなかったぞ」
俺は激しく混乱した。
招待状をもらってすらいない、だと?
もしかして、イオナはたまたまこのゲームに紛れ込んだ一般プレイヤーか?
だとすると……待てよ、探偵役は九人いるんだろ?
イオナが一般プレイヤーだとすると、俺、モンティ、ハッサム、ウィルソン、ヴラド、竜人グウェイン、サリカ、マダム・ブランヴィリエ……八人しかいない。
……………………
……………………
…………………
………………
ってことはッ! クレアが参加者かッ!
俺は身震いした。クレアがあやしいと思いつつ、スタッフだろうという理由で犯人候補から外していた。だが、イオナが参加者でないとすれば……クレアが参加者としか考えられない。でないと、探偵役の数が足りない。
つまりは、こうだ。クレアはこのゲームに一番最初に参加したプレイヤーで、ハッサムを殺害したあと、あたかもスタッフであるかのような装いで俺たちのまえに現れた。その目的は、犯人候補から外してもらうため、安全圏に身をおくため……逆に言えば、クレアが犯人役ってことだッ! まちがいないッ!
俺は呼吸をととのえる。一億円が現実味を帯びてきた。
「イオナ、今の話は、ほかのだれにもするなよ?」
俺はそう言い聞かせて、モンティたちが待つ応接間へともどった。
ドアを開けると、暖炉の灯りが漏れる。
それに照らされた二人、モンティとサリカは、おたがいに対峙するように壁ぎわに座っていた。赤い炎が、ふたりの顔を染める。先に口をひらいたのはモンティだった
「遅かったわね。絵になにか細工でもあった?」
「いや、べつに」
これは不審に思われたかもしれない。
かえって好都合だ。絵を疑われても、とくに問題は生じない。
イオナはぴょんとスキップして、暖炉のそばで丸くなった。
なぜ応接間から場所を変えなかったのか、と思うかもしれない。だが、これが一番安全なように思えた。まず、部屋の構造だ。入り口は二ヶ所で、ひとつは客間のある廊下へ、もうひとつは食堂へ続く廊下へ、それぞれ繋がっていた。客間のある廊下は最後、バルコニーに出て行き止まりになる。こちらから侵入するのは、かなり困難なように思えた。だから、食堂へのとびらを監視しておけば、それでいい。
もうひとつは、居住性だった。トイレがついている。飲み物も――半分くらいは酒だったが――保管されていた。クレアが持って来てくれた食事も含めると、しばらくは篭城できるだろう。
俺は入り口のそばに腰掛ける。おたがいに監視するようなかっこう。それもそうだ。信頼関係などない。そして、そのなかで一歩先んじたという確信があった。
ところが、この確信は、時間が経つにつれて微妙なものとなってきた。
まず、どうやってクレアを告発する?
イオナが一般プレイヤー=クレアが真の参加者、という推理は説得力がある。
だが、クレア=ハッサム殺しの犯人、という推理には飛躍があった。
さらに、どうやって告発すれば勝ちになるのかも判然としなかった。オブデロード卿の招待状には、勝利条件が明確には書かれていなかったからだ。みんなを集めて、「さて、これから事件の真相をお話しします」とでも言えばいいのだろうか。
最後に、クレアが自白してくれるかどうかの問題があった。今、物証はない。あるのは状況証拠だけだ。クレアがハッサムをどうやって殺害したのか、ウィルソンをどうやって爆殺したのか、マダムにどうやって毒を盛ったのかは、まったくわからなかった。
トリックを明かさなければ、クレアは自白しないだろう。俺はそう読んだ。
パチリと、暖炉の火が爆ぜた。
「……サリカ、ひとつ質問してもいいか?」
サリカは大剣に寄りかかるように目を閉じていた。
眠っているのだろうか。
そう思った矢先、サリカは口をひらく。
「なんだ?」
「タルタロスの最期って、どんなだった?」
俺は心から知りたかったことをたずねた。賞金首ランキング二位を走っていた暗黒騎士タルタロスは、このポッと出の聖騎士に倒された。俺はそのことを、一週間ほどは信じられなかった。サーバの賞金首ランキングからタルタロスの名前が消えたとき、俺はあいつがほんとうに死んだのだと、ようやく信じざるをえなかった。
尋ねるのが恐ろしい気もした。命乞いをしたとか、そういうことを聞きたくなかったからだ。サリカはしばらく沈黙し、それから静かに答えた。
「英雄にふさわしい死に方だった……とだけ言っておこう」
「強かったか?」
「ああ」
「戦闘中に、なにか言っていなかった?」
「ルーズ殿」
サリカの口調は、とがめるようなものに変わった。
「それほど興味があったなら、じぶんで会いに行けばよかったのではないか?」
「……そうだな」
胸が痛む。
俺は暗黒騎士タルタロスに、一度も会ったことがなかった。
一度も、だ。賞金首ランキングでは、常に首位の座を争っていたというのに。
どんなやつだったのだろう。装備品は? 戦術は? 打撃系だったのか、それとも魔法も得意な万能型だったのか? 必殺技はなんだ? プレイングのポリシーは? すべては彼のデータとともに消えた。永遠に。
俺は胸の痛みをやわらげるように、そのまま目を閉じた。
「ルーズ、眠れないの?」
しばらくして、薄闇のなかからモンティの声が聞こえた。
「ああ」
「あたしも眠れない」
モンティは立ち上がって、暖炉に薪をくべた。
彼女の顔が、うっすらと赤く染まった。
クゥンという、イオナの寝ぼけ声が聞こえた。
モンティは炎の具合を確かめると、俺のそばに座った。
隠しごとを見咎められたこどものように、俺はドキリとした。
「大変なことになっちゃったわね」
「……」
「そう思わない?」
「いや……なんというか……これって、ゲームなんだよな……」
俺のひとことに、モンティは、
「ま、それはそうだけどさ……」
と言って、絨毯のうえに寝転がった。
もしかして、モンティも気づいたか?
さすがにさっきの食堂での言動は、あやしかったかもしれない。
イオナとふたりきりでなにかしていたのは、モンティも勘づいただろう。
俺は逡巡したあげく、ひとつの結論に達した――崩落した空中回廊を調べなおす。クレアの完璧なアリバイは、食堂から正門までの移動に時間がかかりすぎて、ハッサムを殺害する時間がなかったことだ。もちろん、あの空中回廊は一度調べた。だけど、モンティたちと三人で調べたから、どうしても集中力に欠けているところがあった。
俺はスッと立ち上がり、応接間を出ようとした。
「どこへ行くの?」
「見回りだ」
「危ないわよ。あんた、戦闘タイプってキャラじゃないでしょ」
俺は、人差し指を振って、気取ってみせる。
「こうみえても、チート屋のルーズ……賞金首だ。安心しろ」
そう言い残して、応接間をあとにした。




