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眠る神の子は

 わたくしが、わたくしとしての意識をもったのは、母が死の国へ旅立ってからだった。

 母を失った父のなげきは深く、世界中で天変地異が起こった。

 わたくしは母のなきがらから生まれ、彼女の愛した父がこよなく愛した世界を守るために、世界をふたつにわかち、消滅へむかう魂をとどめる場所を用意した。

 母の魂の記憶は、その場所でなら、永遠に父をなぐさめてくれるだろう。母が父から譲り受け、そしてわたくしへと受け継がれた首飾りの力を使えば、造作のないことだった。

 父と母を隔離し、わたくしはかれらの愛した世界を見守った。

 はじめは、すべてが滞りなくすすんでいるように思われた。

 けれど、時間がたつにつれ、生まれ出でる生物の数が減少し始めた。父と母だけを閉じ込めておくはずの場所が、ときおり、他の魂を吸引し、その内に留めていることに気がついたのは、どうしようもなくなってからだった。

 いまさら、世界をひとつには戻せない。なぜなら、もとに戻すということは、父と母の再びの別離を意味するからだ。

 わたくしには、その決断はできなかった。

 生者の国が、ゆるやかにほろびに向かうのをただ眺めるだけの日々が続いた。

 長い時の中で、わたくしの存在を感知し、あがめようとする生き物もいたけれど、彼らと親密になる気はなかった。

 彼らの姿は、きわめてわたくしの知る父と母の姿に酷似しており、彼らをみるにつけ、いいようのない苦しさがわたくしを襲うからだ。

 それに、彼ら、ヒト族はずる賢く、おしゃべりだ。勝手にわたくしの住居を用意して、わたくしの関心を得ようとする。

 そんなさかしい彼らよりも、わたくしには、無言で身を寄せてくる動物のほうが好ましく感じられた。

 そう思いながらも、彼らを遠ざけることもできず、怠惰な日々を享受するわたくしにも、ゆいいつの楽しみがあった。それは、彼らの目をかいくぐって世界中を旅することだ。

 わたくしが風になれば、彼らがわたくしをとらえることなど不可能だ。ヒト族の中には、わたくしの性質にかなり近いものたちもいたけれど、彼らはどちらかといえば動物に似ていて、わたくしのこころをざわめかしたりはしなかった。


 そうして、あの日も、わたくしは風になり、旅をしていた。


 うっそうと茂った森の中を、気の赴くままに散策する。木の葉を透かして照るあたたかな陽光と澄んだ空気がきもちいい。

 この森はわたくしのお気に入りの場所だった。内緒で神殿を抜け出しては、よくひとりでこの空間を楽しんでいた。ここはわたくしだけの場所。わたくしだけが許された場所なのだ。

 おだやかな気持ちで大地を踏みしめていると、突如、大きな泣き声が神聖な空間を切り裂いた。

 少し甲高く、あまったれたような、こどもの泣き声。

 愛してくれるひとを必死で探し、求める、小さなこどもの声だった。物悲しい泣き声は、うらやましいくらいで、率直にわたくしのこころに響いた。

 声の主を探して歩いてみると、すぐに見つけることができた。

 ああ、かわいそうに。すっかり怯えて、影になりかけている。きっと死者の国のこどもなのだろう。このまま放っておいては光に怯み蝕まれて死人になってしまう。そうなってしまえば、再び理性をもつことなどできない。

 わたくしはこどもを両腕で抱きしめて、あやしてみせた。すこしずつ泣き声がおさまっていく。かわいそうに。このこを元に戻す術などあるのだろうか。

 ……ああ、そうだ。わたくしのこの首飾り。これをこのこに与えよう。これは神に祝福された神具だ。きっとこのこを守ってくれるだろう。

 ちいさくかよわいいとしごよ。安心なさい。わたくしがかならずおまえを帰してみせるから……。

 わたくしは首飾りをこどもの首にそっとかけた。

 それから、ちょっとしたおまじないを唱える。すると、わたくしの足元にあった影がわたくしから切り離され、空中に浮かんだ。影はじょじょに輪郭をはっきりさせていき、やがて、不自由なわたくしにそっくりな、自由な女の子の姿になった。

 彼女は、きっと、このあわれでちいさなこどもを守ってくれるだろう。

 そして、その役目を終えたときには、再びわたくしの影へと戻るのだ。


 ……これは、わたしであって、わたしでない、神の子の記憶。

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