楽園の秘密
はじめは活気があると思った王都だったけれど、なんだか様子がおかしい。
いきかうひとびとの衣装がてんでばらばらなのは、今日がお祭りだから、とか、個性、だとかで説明がつくけれど。王都のひとたちはみんなどこかうつろな目をしている。
周りに気を払っていないというか、言い表しにくい違和感があった。かと思えば、ふと、その違和感の消える瞬間もあった。それはにんげんに限られた話ではなくて、どことなく、この王都という場所そのものに対して芽生えたもののような気がした。
「あれ……?」
不安定な違和感に戸惑うわたしの眼前を、ふと、見覚えのある人物が通り過ぎていった。半信半疑のまま、おもわず声をかける。
「あの!」
幸いにも、彼は立ち止まってくれた。
彼は見覚えのない初老の男性と手をつないで歩いていて、わたしが知っている彼はいつもつらそうな表情を浮かべていたけれど、振り向いた彼は、どこか満ち足りた表情をしていた。
『あなたは……リン。どうしてここに?』
名前、覚えていてくれたらしい。あの、沼地で出会った精霊族の少年は、おもいのほか豊かな表情でわたしの名前を呼んでくれた。
「えっと、いろいろあって。それより、よかった。生きてたんだね。あのとき、消えてしまったんだって思ってたよ」
そうだ。彼は、アキちゃんの投げたナイフによって、精霊族の核を砕かれた。核を失った精霊族は消えてしまうんだってエルゼさんは言っていた。
けれど、彼はふたたびわたしの前に現れた。みたところ、狂気にとらわれた様子もない。いったいどんな奇跡が起こったのか、わからないけれど、わたしは純粋に再会を喜んだ。
少年は初老の男性と顔を見合わせてから、おかしそうに笑った。
『ううん。消えたよ。だから、こうして、また、だいすきなひとと一緒にいられるようになったよ。ありがとう』
少年はアキちゃんをいちべつしてから、わたしにむかってこう言った。
『リンは、ここにいるべきひとじゃないよ。でも、きっと、リンはここにきたかったんだね。さみしい気持ち、よくわかるよ。だから、リンは、神殿にいくべきだよ。あなたを待ってるひとがいるはずだよ』
そんな風に一方的に言われても、戸惑うだけだ。
『じゃあ、さようなら』
少年は、初老の男性と手をつないで、歩いていった。
わたしを待っているひと? こころあたりがない。それに、神殿にはいい印象がない。また、わけのわからないことを言われて、アキちゃんと離れ離れにされてしまうかもしれない。それは、こまる。
そんなことを考えながら、アキちゃんの手をひいて、あてもなく歩いていると、いつの間にか大きな広間に迷い込んでいた。
いや、迷い込むとかそういうことじゃなくって、とつぜん、風景が切り替わったといったほうが正しいと思う。
さきほどまで王都の街路を歩いていたはずなのに、天井にはまばゆいシャンデリアが飾られ、大理石の床には赤いじゅうたんが前方にみえる大きくて立派な座椅子にむかってまっすぐにしかれていた。
座椅子にはひとりの女性が、優雅に足を組んで腰掛けていた。きわどいスリットの入った黒いドレスを着ていて、白い太ももが惜しげもなくさらされている。ドレスと同色の髪はゆるく後ろでまとめられていて、髪には七色をした生花がいくつも挿されていた。
誰だろう。みたことのないひとだ。
優雅に座る女性と目が合った。その瞬間、それまで誰もいなかったはずの広間に、たくさんのひとびとの姿が現れた。彼らはみんな統一感のない格好をしていたけれど、高級そうな衣服を身につけていることはわかった。
彼らはわたしとアキちゃんを取り囲んで、じっとこちらを見つめている。逃げ場はない。彼らはわたしたちをどうするつもりなんだろう。いいようのない恐怖を覚えて、わたしはただ彼らを見つめ返すしかなかった。
「……ふむ」
座椅子に座っていた女性が、立ち上がった。けだるげな所作で、一歩、二歩、わたしたちに歩み寄る。
女性はわたしを一瞥したあと、わたしの隣で座り込んでいたアキちゃんの顎に手をかけた。アキちゃんの顔をくいっと上をむかせて、まじまじと覗き込む。
「さいはての森に住む、魔術師の息子か。よう似ておるわ」
女性の言葉は、アキちゃんのこころを動かしたようだった。いままでずっと無言だったアキちゃんが、ゆっくりと口をひらいた。
「……おやじを……父を、知っているのか」
「わらわがそなたの父を呼んだのだ。にも関わらず、おぬしをわらわの元に遣わせたのはなにか訳があるのだろう。はよう教えい」
目の前の女性の言葉を信じるならば、彼女がアキちゃんのお父さんに手紙を送った本人らしい。
アキちゃんは少し考えてから、懐から手紙を二通とりだした。一通は既に封が破られているもので、もう一通はまだ厳重に封がされたままだ。
「あんたは、国王か?」
アキちゃんの問いかけに、女性は赤いくちびるを弓なりにして答えた。
「いかにも。わらわはこの国の王」
「俺が会った国王は男だった。そして、その男はあんたが送ったという手紙の蝋印は王室のものではないと言っていた。あんたは本当に国王か?」
真剣なアキちゃんとは対照的に、女性はからかうような口調で言った。
「いかにも。わらわはこの国の王。そして、おぬしが会ったという男もまたこの国の王なのであろう。男の王は多い。いったいどの王に会ったかは知らぬが、その蝋印を知らぬのは、単に、その男が無知であったにすぎない。わらわはたしかに王である」
「なら、あんたが父に送った手紙の概要をいってみろよ」
「世界の壁を壊す方法をおぬしの父が見つけたと聞いた。その方法を教えろと書いた手紙を送った」
「……なんの暗喩なんだ?」
「そのままの意味よ。ほれ、はようその手紙をよこさんか。それはおぬしの父が、わらわあてにしたためたものであろう?」
女性はアキちゃんの手からなかば強引に手紙を奪うと、その場で手紙の封を切った。周りのひとびとが息を呑んだのが分かった。みんな、その手紙の内容に思うところがあるらしい。
「アキちゃん、あのおんなのひとが言った、手紙の内容って合ってたの?」
「……。ああ。おやじが、旅に出る前に手紙の内容を教えてくれたんだ。どうせ、冗談かなにかの暗喩だろうと思ってたんだが」
世界の壁を壊すなんて、冗談にしか思えないし、そもそも世界に壁があるなんて聞いたことがない。アキちゃんがそう思うのももっともだ。
読み終えたのだろう、女性が手紙から目をあげて、その視線はそのままアキちゃんにそそがれた。いや、正確には。
「ふむ。なるほど。魔術師が息子をよこしたのには訳があったか。おぬし、まずはその首飾りをわらわに献上せよ」
アキちゃんの赤い首飾りを指差して、女性は言った。
「その首飾りこそが力の源。あとは、神の子を柱にすれば世界の反転が果たされる。我々の悪夢は終わりを告げるのだ。死の記憶に怯え、さまよい歩くことはなくなる。世界は我々の力で創りかえられるのだ」
なんだか、不穏な雰囲気になってきた。
周囲のひとびとは熱狂的な視線で女性を見つめている。女性もまた、狂信的な様子で手紙を握り締めていた。
「神の子はわれわれの手の中にある。我々は一度は神に見捨てられた。今度は、我々が神を見限る番だ」
女性はアキちゃんの首飾りに手をやって、奪い取ろうとする。アキちゃんは抵抗するけれど、周りのひとびとから伸びてくる手に押さえられてろくに身動きがとれないようだ。
わたしもまた取り押さえられて身動きがとれない。せめて、アキちゃんと離れ離れにならないようにと、アキちゃんに手を伸ばすけれど届かない。
このまま、また離れ離れになるんだろうか。
いや、今度こそ、もう二度とアキちゃんに会えなくなるような気がして、わたしはこころの奥底が冷えていくのを感じた。
アキちゃんがこちらをみた。取り押さえられて苦しそうだ。咳き込むこともできなくて、目じりに涙が浮かんでいる。首飾りをとられないように、利き手を使って女性の手をけん制しているようだった。
もう片方の手が、わたしにむかって伸ばされた。
そうだ。アキちゃんがわたしを望んでくれる限り。わたしはなんだってできるのだ。
そう思った瞬間、からだを押さえ込んでいた無数の力がなくなった。
からだは軽くなり、さっきまであんなに苦しかったのが嘘のようだった。からだを起こすと、同じように倒れていたアキちゃんも起き上がったのが見えた。
また風景が切り替わっていて、あんなに大勢いたひとびとも、国王を名乗る女性の姿もなくなっていた。
豪華なシャンデリアも、赤いじゅうたんも消えて、いま、わたしたちがいるのは冷たい石畳の上で、自然の光だけが取り入れられたおごそかな空間だった。
石造りの窓からは風が直接ふきこんできていて、ここちいい。端のほうに長いすがいくつか並べられていて、壁にはランプが等間隔に並んでいた。まだ明るいからかランプに火はいれられていない。
なにか人物をかたどった石像が部屋の奥に立てられていて、その前には祭壇らしきものがあった。
本当に、さっきからでたらめなことばかりが起こる。
もしかして、わたし、夢を見ているんじゃないだろうか。夢だったら、この、場面を切り替えるようなへんてこな移動も、わけのわからないことをいうひとたちの存在も許容できる。
真剣にそう考えはじめていたとき、ふいに、意識がひきつけられた。
顔をあげる。石像の前に、男のひとが立っていた。森の深い緑を思わせる長い髪をうしろにきゅっとしばっていて、切れ長の目は静かな水面を思わせる。服装はきわめて簡素で、白を基調にした神官服を身に纏っていた。
嫌な感じはしない。優しげな雰囲気で、どこか懐かしい。わたしがばかみたいに見つめていると、男のひとはやわらかく微笑んで、わたしの手をとった。そのまま、ゆっくりと立ち上がらせてくれる。
「こっちにおいで。いずれ、この場所も彼らに見つかってしまうから。もっと、奥にいこう。……そこの彼も、一緒にくるといい。君には選ぶ権利があるのだから」
そういって、男のひとはアキちゃんを一瞥したのち、わたしの手をひいて、石づくりの窓から外に飛び降りた。
って、え! 思ったより高い! おちる!
地面は遥か遠くで、上から飛び降りれば当然、下に落ちるわけで。わたしは男のひとに手を引かれるまま、まっさかさまに落ちていく。
目を瞑って、ある意味、覚悟を決めた。あの地面にぶつかって、痛いですめばいいけれど、そう思う間もなく天国の扉をたたいているかもしれない。
しかし、いつまで経っても、覚悟をしていた衝撃はこなかった。まさか、本当に、苦痛を感じることなく一気に天国の扉をくぐってしまったんだろうか。
おそるおそる目を開ける。
一面にひろがるのは、青々とした緑。太陽の光がきらきらとさしこんでいて、清浄な空気が流れている。
後ろからかさりと音がして、あわてて振り向くと白いウサギの親子がこちらをじっと見ていた。興味深そうに鼻をひくひくさせている。おもわず緊張の糸がとけて、自然と口元がゆるんだ。かわいい。
「エルオーリン。会いたかったよ、私のかわいい娘」
「え?」
子ウサギを抱き上げて、あの男のひとがわたしに向かってそういった。
ウサギのお母さんは、子ウサギを抱き上げることを許しているみたいで、男のひとの足にすりすりと頬を寄せている。子ウサギも怯えることなく、男のひとの腕の中で気持ちよさそうに目を細めていた。
「……あの……あなたは、誰ですか?」
すると、男のひとは少し傷ついたような顔をした。
「ああ、君はあの子の影だから、すべてを覚えているわけではなかったね。……それでも、君に会えたことがうれしい。そして、あらためて痛感するよ。私はほんとうに、いい父親ではなかった」
父親?
きょとんっとして男のひとを見返していると、男のひとは子ウサギごと、わたしをゆるく抱きしめた。
なつかしい匂いがする。まるで緑に包まれているような、青空に見守られているような、ふしぎな安心感。うっとりと胸に顔をうずめていると、子ウサギのふわふわした体毛が頬をくすぐった。
「私のわがままで、いままでずっとつらい思いをさせた。そして、これからはきっと、今以上につらい思いをさせるだろう。許してほしい、私のかわいい娘」
「……わたしの、おとうさん?」
「まだそう呼んでくれるのなら」
不思議と、男のひとの言葉を疑おうとは思わなかった。
このひとは、わたしのおとうさんだ。そして、わたしはずっとこのひとに会いたかった。おとうさんと、あと、おかあさん。ずっと会いたかった。けど、会っちゃいけないはずだった。
だって、わたし、おとうさんとおかあさんを閉じ込めたんだ。世界をふたつに割って、もう二度と、おとうさんとおかあさんが離れ離れにならないようにって。世界のことわりをはじめに破ったのはわたしだ。正気を失っていたおとうさんは、それを見咎めなかっただけで。こちら側をわたしが、あちら側をおとうさんとおかあさんが治めることで、世界の均衡はたもたれていた。
なのに。
「……おっさん。リンから離れろ」
アキちゃんがいた。
なにもしらないアキちゃんは、赤い首飾りを首にさげたまま、わたしとおとうさんに近寄った。
おとうさんはアキちゃんを尊重するように、わたしを抱きしめていた腕をほどいた。
「ひとの子。君には選ぶ権利がある」
「おとうさん!」
アキちゃんは眉をひそめた。おとうさんの言葉にかもしれないし、わたしの、突然のおとうさん発言のせいかもしれない。
とにかく、アキちゃんはいらだたしげにわたしたちを睨みつけている。
「君は賢そうだから、私も隠し立てはせずに率直に言おう。まず、君は死んでいる」
「は?」
アキちゃんが聞き返すのはもっともだ。だって、傍で聞いていて、突拍子もないことだってわたしにも分かる。
けど、おとうさんはしごくまじめに続けた。
「君に自覚はないようだけれど、それは、その首飾りのせいだろうね。リンがうかつに渡してしまったから。そして、この国はいわば死者の国。死者の記憶がひとつになって、形成している世界だ。本来、この世界はひとつだった。けれど、私のわがままのせいで、生者の国と死者の国にわかたれてしまった」
「……あんた正気か?」
アキちゃんが正気を疑うのも無理はない。
お父さんは困ったように微笑んで、首をかしげた。
「まあ、最後まで話を聞いてほしい。世界はふたつにわかたれたけれど、時間が経つにつれて、無理が生じてきた。生者の国にときおり現れる黒い影。あれは、死者の魂が生者の国になにかの拍子で紛れ込んでしまったものなんだ。死者の魂に触れれば、現世のひとは死者の国に引きずり込まれる。それでも、十年ほど前まではそんなに頻繁に起こる現象ではなかった」
「……わたしが、こっちにきちゃったから。だよね」
おもわずつぶやくと、おとうさんは静かにうなずいた。
「そうだ。君が、こちら側にきたことで、均衡が崩れた。わかたれていた世界は、再び、もとのひとつに戻ろうとしている。問題は、一度わかたれたものが、まったく同じ元の世界の形に戻るとは限らないこと。そして、死者の国の住人たちが、死者の国と生者の国の立場を逆転させようとしていることだ。彼らは、ずっと死の記憶にとらわれてきた。繰り返し訪れる死に嫌気がさすのも無理はない」
「わたしが、閉じ込めてしまったからだね……」
「いいんだ。私のかわいい娘。君のおかげで、私は、十分わかれを惜しむことができたのだから。ありがとう」
おとうさんはわたしの頭をやさしく撫でてくれた。
おかあさんと死に別れたおとうさんは、どうしてもそれが認められなくて、すごく苦しんでいた。わたしは、いけないことだって分かっていたけれど、ふたりを閉じ込めたんだ。生と死にわけた世界の一方に。その結果、ほかのひとの魂の記憶も閉じ込められて、出られなくなって、結果、死の記憶に苦しむひとたちを作ってしまった。
わたし、ひどいことをしてしまった。この国のひとたちには、謝っても謝りきれない気がする。
「で、話はそれで終わりかよ」
アキちゃんの声で、意識が現実にむけられる。
おとうさんはうなずくと、こう続けた。
「とりあえずは。あとは、君が決めるといい。君は死んでしまっているけれど、君にはその首飾りがある。その首飾りさえ身につけていれば、君はどちらの国でも正常な意識を保てるだろう。影になることもない。死の国のひとびとに賛同して、こちらよりの世界を作ってもいいし、生の国のひとびとのための世界を作ってもいい。あるいは、また、世界をふたつに分けてしまってもいいんだ。ただし、私の娘を柱にすることは許さない。こればかりは、譲れないよ」
アキちゃんはおおきなため息をついた。
「壮大な茶番を聞かされた気分なんだが。そもそも、あんたの言葉を信じる根拠がない。誇大妄想な作り話の可能性だってある」
「君がそう思うなら、そう思ってもいい。けれど、この国で起こったありえない出来事をうまく説明できるならね。この世界は多くのひとびとの死の記憶をつぎはぎして作られているから、不自然な点も多かっただろう」
「……そもそも。あんたは一体なにものなんだ。リンは、あんたのいったいなんなんだ」
おとうさんは、おやっと意外そうに片眉をあげた。
「気づいていなかったのかい。私は、神だよ。そして君がリンと呼ぶ私の娘は、生者の国では神の子と呼ばれているね」
おとうさんが神と名乗った瞬間の、あの、アキちゃんの顔をわたしは一生忘れないだろう。
「おい、リン。あのおっさん、正気か?やばいんじゃねーの?」
そして、矛先はわたしに向けられる。
正気を疑う気持ちはわかるけれど、おとうさんの言葉は事実だ。けど、どうやったらアキちゃんに信じてもらえるのかわたしには皆目見当がつかなかった。
だって、常識的に考えて、おとうさんの話は荒唐無稽なんだから。
わたしが口ごもっていると、おとうさんがアキちゃんに近づいた。アキちゃんは身構えるけれど、それよりすばやく、おとうさんの指先がアキちゃんの額に触れる。
その瞬間、アキちゃんのからだがびくりとはねた。焦点の合わない目で固まって、数秒、アキちゃんは叫び声をあげておとうさんをつきとばした。
「あ、アキちゃんになにしたの、おとうさん!」
わたしはあわててアキちゃんに駆け寄る。アキちゃんは、呆然とした表情でおとうさんを見上げていた。
「な、なんだ、いまの。あんた、なにを……」
「創世の記憶をちょっと君にみせただけだよ。この世界の成り立ちと真理を探究する魔術師のはしくれなら、嘘じゃないってわかってくれるよね?」
アキちゃんはいったいなにをみたというのか、青ざめながら押し黙った。
「君はこのまま死者の国に留まってもいいし、生者の国に帰ってもいい。なんどもいうけれど、これは君次第だ。ただ、あまり時間はないみたいだ。そろそろ、女王たちがこの場所にやってくる。ここはとても神聖な場所だから、もう少し時間が稼げると思ったのだけれど、彼女達もよほど切羽詰っているとみえる」
おとうさんは、わたしの背中をとんっと押した。
「かわいい娘。君はこの道をまっすぐ進むといい。大きな木の根元に、生者の国へと続く扉がある」
おとうさんが手の平をかかげると、木々の間に小さな道ができた。道はきらきらと光っていて、これなら絶対に見失わない。
わたしはおとうさんにいちど抱きついてから、アキちゃんの手をとった。おとうさんに手を振って、きらきら光る道をまっすぐに進む。すると、おとうさんの言ったとおり、大きな木が見えてきて、その根元には小さな扉がついていた。
わたしは迷うことなく、その扉に手を伸ばす。この扉をくぐれば、生者の国に戻れるんだ。エルゼさんや、ノルド君がいる世界に。
くんっと、腕がひっぱられる。
いや、正確には、ひっぱっていたものが急に立ち止まったから、つんのめってしまったのだ。
「……アキちゃん?」
振り向いて、アキちゃんの顔をみた。
アキちゃんは、相変わらずの仏頂面で、わたしを睨みつけている。
「リン。俺は、残る。おまえは、行け」
端的な言葉だった。
アキちゃんはつないでいたわたしの手を振り払って、首飾りを外した。そして、わたしに首飾りを差し出した。
「だ、だめだよ。アキちゃんも、一緒にいこう」
どうしてアキちゃんが、死者の国に残ろうと思ったのか、わたしにはわからなかった。
「俺が、もう死んでるっていうなら、こっちに残るのが正しいはずだ。そうだろ」
そんなの、しらない。
ただしいとか、ただしくないとか、そんなの関係ない。
わたしは差し出された首飾りを受け取らずに、そのまま押し返す。すると、首飾りはアキちゃんの胸のちょうど中心にずぶずぶと飲み込まれていって、消えてしまった。
さすがにびっくりしたのか、アキちゃんがあぜんとしている。
「な……!」
にわかに、後方が騒がしくなった。
おとうさんの言ったとおり、女王たちがこちらに向かってきているらしい。
このまま彼らにつかまったら、きっとめんどうなことになる。首飾りをもたないアキちゃんだけなら別になんともならないんだろうけど、いまのアキちゃんは違う。
「ほら、はやく!」
なにを選ぶにしろ、選ばないにしろ、いまはこの場を離れることが先決だ。
この期におよんで渋るアキちゃんを半ば強引にひっぱって、わたしは小さな扉に飛び込んだ。




