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偽りのともだち2

 アキちゃんの言った言葉の意味を考えた。

 たったひとつ用意された椅子の上に腰掛けて、リスの姿になったエルゼさんを膝に乗せて。

 わたしとアキちゃんは、幼馴染だ。わたしが生まれてからずっと一緒にいた。わたしの一生はアキちゃんとの出会いからはじまったのだ。

 あたりまえのようにそう思うのに、その考えを裏付ける記憶がどうしても思い出せない。アキちゃんのことを考えると、親しみとか慈しみとか、幸福な感情がわきあがるのに、その感情のおおもとがどこにあるのかわからない。

 分かるのは、わたしにとって、アキちゃんはともだちで、とてもたいせつな存在であるという感情を、わたし自身がつよくもっているということだ。

 けれど、アキちゃんは疑っているにちがいない。まわりのひとたちの言葉に惑わされて、アキちゃんという存在が揺らいでしまっている。これはよくない兆候だ。アキちゃんが揺らいでしまうということは、リンという存在の根幹に関わるのだ。

「……?」

 どうしてそう思うんだろう。

 わたしとアキちゃんは、根本的に別の生き物であるはずだ。ふたりの友情が揺らいでしまったとしても、存在そのものに影響を与えるはずがない。

 そう思うのに、わたしの奥深いところがささやく。このままじゃ、消えてしまうって。

「……っ」

 ずくんっと、頭の奥に痛みが走る。目のうしろがわに鉛がたまってしまったみたいに、にぶい痛みが広がった。

 これ以上、考えることは無理そうだった。痛みに気がいって、集中できない。

「リンちゃん」

 エルゼさんの声が、じいんと身体にしみわたるように響いた。

「すこし、休みましょう。疲れたでしょう」

 そうだ。わたしはいま、とても疲れている。

 これ以上、考えたくなかった。わたしはエルゼさんの声に導かれるように、ゆっくりとまぶたを下ろす。

 まっくらになった視界、なんの物音もしない部屋。エルゼさんの傍は心地いい。長い間離れていた故郷に戻ってきたような、そんな懐かしさがあった。

 わたしはすっかりエルゼさんに甘えて、寝入ってしまった。

 目が覚めたのは、アキちゃんが部屋から出て行ってからずいぶん経ってからだった。

 窓がないので外の様子は分からないし、寝入ってしまったため、正確な時間の経過具合も分からない。

 わたしは扉に近づいて、そっと引いてみた。

 がちゃりと音がする。やっぱり、鍵はかけられたままらしい。

 どうしよう。わたしは考えた。少し眠って、思考はずいぶん冷静になったと思う。

 それに、思い出せないことを思い出そうとしても仕方がない。と、わたしは開き直ることにした。

 もともと、ぐだぐだ思い悩むなんて性分じゃない。とりあえず、アキちゃんと合流して、アキちゃんの魔法で、こんなところからは、ぱぱっとおさらばしたかった。

 そう思うものの、扉に鍵がかけられている上に、アキちゃんの居場所もわからない。正直、お手上げ状態だ。せめて、ノルド君かカナンさんに連絡が取れたらいいんだけれど。

「リンちゃん、悩んでる?」

 エルゼさんの声に、わたしはうなづいた。

「うん。とりあえず、はやくアキちゃんに会いたいよ。変な別れ方しちゃったし」

「そうね。それじゃ、会いに行きましょうか」

 わたしはぎょっとした。ちょっと散歩でもしてくるといった風に、あたりまえにエルゼさんは言った。

「えっと、でも、どうやって?」

「リンちゃんなら、できるわよ。アキ君の居場所だってわかるはずよ。私が仮宿にしているあの首飾りの場所を探れば、きっとそこにアキ君がいるはずだもの」

 エルゼさんはリスの姿のまま、わたしの膝から腕に、腕から肩に飛び移って、わたしの頬にすりよった。甘えるように、なぐさめるように、元気付けるように。

「思い出せないなら、教えてあげる。アキ君のところに連れて行ってあげる。でも、必ず私のところに帰ってきてね。私だって、リンちゃんのことが大好きだもの。それだけは忘れないでね」

 唇に、しっとりと濡れた感触。リスの姿のエルゼさんの鼻先だった。

 次の瞬間、わたしは風になっていた。肉体は霧散して、空気に溶け込む。ひどく懐かしい感覚だった。わたしは知っている。風になり、世界を旅することを知っている。知っていることをおかしいとは思わなかった。

 わたしは、わたしと同じように風になったエルゼさんに導かれ、扉を抜けて、神殿の廊下を駆けた。そう遠くない場所にアキちゃんはいる。確信があった。きっと、エルゼさんと同じように。

 神殿の中の、ひどく奥まった場所にアキちゃんはいるみたいだった。けれどその場所には頑丈な扉があって、扉の前には複数のにんげんが立っている。見張られているんだって分かった。

 入るにも、出るにも、一苦労しそうなところだ。けど、ただの風になったわたしとエルゼさんにはそんなこと関係なかった。見張りの横を悠々と抜けて、扉の隙間をくぐり、アキちゃんのいる部屋にたどり着く。

 アキちゃんは、ランプの明かりがひとつ灯るだけの、ほの暗い部屋にたったひとりでいた。

 窓はなく、椅子とテーブルとベッド、それに本棚があるだけのこじんまりとした小部屋だった。アキちゃんはベッドの上に腰をおろして、ぼんやりと中空をみつめていた。

 そんなアキちゃんの目の前に、わたしは肉体を再構成して降り立った。アキちゃんの薄氷のようにつめたい色をした瞳が、ほんの一瞬、おどろきでみはられる。けれど、持ち前の冷静さでアキちゃんはすぐに状況を把握したらしい。ひとこと。

「……エルゼさんの力か」

 あたらずとも遠からずといったところだ。

 わたしは否定も肯定もせずに、アキちゃんをせっついた。

「ねえ、アキちゃんのお父さんが手紙をあてたひと、王様じゃなかったんでしょ?だったら、ほんとうに、その手紙をわたすべきひとを探そうよ。ここに、もう用はないよ」

「……リン」

 わたしはただしいことをいっているはずだ。

 なのに、アキちゃんはおかしなものを見るような目でわたしを見た。

「おまえは、いつから俺と一緒だったか思い出せるか?」

「アキちゃん、考える必要がないんだよ。だって、幼馴染ってそういうものでしょう?いつから、とか、なにが、とか、きっとそういうんじゃないんだよ」

 ごまかすような言葉を口にしながら、わたしは分かっていた。きっとアキちゃんは納得しないし、ごまかそうとしているわたしだって、なにかおかしいって気づいている。

 けど、わたしのこころの深い部分が警告している。考えたら、壊れてしまう。

「リン、ごまかすなよ。おまえだって思い出せないんだろ?俺も、わからないんだ。小さなころからおまえと一緒だった気もするし、そうじゃなかった気もする。具体的に、おまえと過ごした思い出を探しても、なにも見つからない」

 アキちゃんは容赦がなかった。わたしと違って考えることが苦手なわけじゃないから、ひとりでいる間にたっぷり考えてのことなんだろう。

「おまえに対して、親しみの感情はある。けれど、根拠はなにもない。おまえは親しい幼馴染だっていう、単なる記号に思えて仕方がない。違和感がぬぐえない。どうして今まで見過ごしていられたのか不思議なくらいだ」

「……アキちゃん。わたしのこと、きらいになったの?」

「違う。べつに、嫌いじゃない。嫌悪の感情はない。ただ、そのことがおかしいと感じてる。自分の持っている感情が本当に自分のものなのか疑わしく思えて、気持ち悪い。そうだ、まるで、作られたみたいな感情で、関係なんだよ。俺とおまえは。ずっと一緒だった、親しい幼馴染、それらが全部、押し付けられた記号みたいなんだ」

 一気にそういいきって、アキちゃんは重いため息をついた。

 わたしたちの間に、嫌な沈黙が落ちる。結論はでない。アキちゃんの言葉はただしく思える。けれど、わたしは認めたくない。アキちゃんだって、認めたいわけじゃないだろう。お互いに、答えを保留して、相手に結論を求めている。

 すべては憶測で、結論をだすには決定的な材料が不足している。お互いに、互いの関係に違和感をもっているが、単に、ふたりとも忘れっぽいだけなのかもしれない。そうだったら、笑える話だし、とても幸せなことに思える。

「ふたりの故郷に、戻って、確かめてはどうかしら」

 沈黙をやぶったのは、エルゼさんだった。

「カナンさんの話では、リンちゃんの故郷には誰もいなかったみたいだけれど。アキ君のご両親が、ふたりのいうようにご健在なら、なにか話が聞けると思うわ」

 そうだ。そっちの問題もあったんだ。

 いま、結論のでない関係について悩むより、アキちゃんの両親の健在を確かめるほうがよほど建設的におもえる。

 アキちゃんもそう感じたんだろう。アキちゃんはうなずいて、わたしの手をとった。

「……いまは夜か。影が出るかもしれないな」

「朝まで待ってから、さいはての森にむかう?」

 善は急げというけれど、急がば回れともいう。

 アキちゃんは少し考えてから、わたしの手をそのままひっぱって、やわらかいベッドの上にわたしを押し付けた。かけぶとんを上からかけられて、すっかり眠ってしまう体勢だ。

「早朝、神の子がなんだのいうやつらが行動を起こす前に出るぞ」

 つまり、いまは寝ておけってことだろう。

 アキちゃんはベッドから離れると、本棚から何冊か本をみつくろって椅子に腰掛けた。

「アキちゃんは眠らないの?」

「寝る場所がない」

「一緒にねようよ。わたし、寝相わるくないよ」

「俺は寝相が悪いんだ。それに、ふたりとも寝て、明日寝過ごしたらまずい」

「じゃあ、わたしが起きてるよ。アキちゃんが寝なよ」

 ベッドから飛び起きて、わたしはアキちゃんの服をひっぱった。

 心底うっとうしそうな顔でふりはらわれる。ひどい。

「俺はおまえの寝汚さをしっている。ぜったい居眠りして寝過ごすだろ」

「そんなことないよ。がんばるよ」

 わたしたちの譲り合いが言い争いに発展しそうになったとき、手をぱんぱんっとたたいて止めてくれたのは、いつの間にかにんげんの姿をとったエルゼさんだった。

「ふたりとも、あまり騒いでは表の見張りに気づかれてしまうわ。私が起きて、ちゃんと早朝前に起こすから、ふたりとも寝てしまいなさい」

 言うが早いかエルゼさんはわたしとアキちゃんの腕をとって、ベッドの中に放り込んだ。

 アキちゃんもエルゼさんには逆らう気が起きなかったのか、疲れていたのか、その両方か。ふとんにくるまるとおとなしく寝息を立て始めた。

 エルゼさんに小さくお礼をいって、わたしも仰向けに寝転がる。

 こうやって、アキちゃんとおなじ布団で眠るのは懐かしいことなのか、それとも初めてのことなのか。それすらいまは思い出せないし、分からないけれど。

 たとえば、仮に、アキちゃんにとって、わたしが誰かに作られた偽りのともだちであったとしても。隣で眠るアキちゃんのぬくもりを、存在を、守りたいと思うこころは、偽りではないはずだ。


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