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花の街・恋の街5

 お昼すぎ、北の門からアキちゃんとノルド君を見送った。

 ぎゃあぎゃあ仲良くいい合いをするふたりの背中が見えなくなるまで手を振って、わたしはそっとため息をついた。

 アキちゃんが心配だ。いや、きっと、わたしが心配するほどアキちゃんは弱くはないけど、アキちゃんが思っているほど平気ではないはずだ。

 けど、落ち込むのはエルゼさんに申し訳ない。

 よくよく冷静になって考えてみれば、わたしが足手まといであるのは事実で。聞き分けがないのもわたしであって。そんなわたしをエルゼさんはうまくなだめてくれたのだ。

 きっと、わたしが街に残るのは正解だ。上手に選ばせてくれたエルゼさんには感謝しなくてはならない。

「ふたりなら、きっと大丈夫よ」

「うん」

「……ごめんね、リンちゃん」

「ううん」

 謝らなくてはならないのはわたしのほうだ。

「エルゼさん、ごめんね。ありがとう!」

 そう言って、にっこり笑って見せると、エルゼさんはやっと安心したように笑い返してくれた。

 わたしのせいで、エルゼさんまで暗い気持ちにさせてしまうのは本当に申し訳ない。だから、落ち込んじゃだめなのだ。

 わたしが足手まといなのは今にはじまったことではない。気楽に、待とう。

 気持ちを切り替えたわたしは、とりあえず街の中を見て歩くことにした。

 昨日に比べて、街の中はひっそりとしていた。大きな通り沿いには相変わらずたくさんのお店が並んでいたけれど、客引きの声は少なく、どことなく沈んでいる。

「エルゼさん、昨日ってどのあたりに出たんだろうね。影」

 なんてことを言いながら、てきとうに大通りをぶらついてみる。

 すると、道端に布を広げて宝石や水晶などを売る露天があったので、寄ってみた。案外こういうちょっとうさんくさげな店に、エルゼさんの住めるような石があるかもしれない。そんな考えから、ひとつ、ふたつ石を手にとってみる。

 黒いフードをまぶかにかぶった店主は、いかにもあやしげだけれど、売ってあるものはどれもきれいだった。首飾りや耳飾に加工されているものよりも、原石を売っている店らしい。

 飴玉のようにころころした色とりどりの石がそこには並んでいた。

「きれいね。リンちゃん、なにか気に入った?」

「わたしより、エルゼさんだよ」

 エルゼさんはちょっとあいまいに笑った。

 どうやら、この店にもエルゼさんの目にかなう、住処になりそうなものはないようだ。

「あれ、君たち」

 石をみていると、背後から声をかけられた。

「今日はアキ、一緒じゃないんだ」

 振り向くと、ちょっときわどい衣装に身を包んだリュネちゃんが立っていた。

 前の開いた薄い桃色の羽織と橙色のショートパンツ。羽織の下は豊かな胸元に布一枚だけ巻いていて、鎖骨や白いお腹におへそが見えている。太ももを惜しみもなくさらけ出していて、足首に向かって描かれる曲線美に思わず目がいってしまう。

 活動的な格好だ。スタイルがいいから本当にサマになっている。

 わたしは自分の寂しい胸元に手をあてながら、答えた。

「うん。アキちゃん、街の外に出かけてて、わたしは居残りだよ。リュネちゃんは?」

 リュネちゃんは本当に残念そうに肩をすくめた。

「あたしはこれから仕事」

「えらいねぇ。なにやってるの?」

 同世代のおんなのこが、どんな仕事についているのか、純粋に興味があった。

 わたしの住んでいたところは、わたしとアキちゃんの家族以外はいなくて、働くといっても家事をしたり、森の世話をしたりで、仕事という感じはぜんぜんしなかった。

 こんな大きな街だから、きっといろんな仕事があるんだろうな。

「知りたいなら、ついてきなよ。どうせ、昨日の今日だから客も少ないだろうからね。相手したげる」

 特別することもないので、わたしとエルゼさんはリュネちゃんについていくことにした。

 慣れた足取りでリュネちゃんは街路を進む。

 大きな通りから離れて、どんどん入り組んだ細い路地に入っていく。高い外壁に挟まれて、太陽の光が陰っていく。

 うっすらとした暗闇の中を、リュネちゃんの背中を見失わないようについていくと、けばけばしい色の看板が見えてきた。看板の近くには、薄汚れた木製の扉がひとつ。灰色の壁に埋め込まれるようにしてあった。窓もいくつかついているが、ぜんぶカーテンで締め切られていて中の様子は伺えない。

 リュネちゃんはその扉を開いて中に入った。

 まず、最初に目に飛び込んできたのは毒々しい色をした大きなソファ。その後ろには木製の手すりがあって、地下に伸びる階段が見えた。

 壁には等間隔でランプの火がともっているが、太陽光を取り入れないつくりになっているのでお昼間だというのに薄暗い。

 リュネちゃんのあとを追って階段を一歩いっぽ降りていくと、なんともいえないあまやかな香りが漂ってきた。

 階段を降りた先には真っ赤なじゅうたんが敷かれていて、豪華なつくりのテーブルや椅子がたくさん並んでいた。二十歩くらいで端から端までたどり着けそうなくらいの広さの部屋だった。

「あら。リュネ、今日は早いのね」

「うん。ちょっとね」

 リュネちゃんを迎えたのは緩いウェーブを描く金髪を背中に流した、背の高い美人なお姉さんだった。体の線が分かるデザインの、胸元をぐっと広げた赤いドレスを着ていて、ちょっと目のやり場に困ってしまう。

「そちらのかたがたは……?」

「ああ、うん。ちょっとした知り合い。暇そうだったから連れてきたの」

「まぁ。おんなのこね!いいわぁ、ふたりとも初々しくて」

 お姉さんは深いスリットの入ったドレスをさばいて近づいてくる。そしてわたしの頬に両手をあてて、まじまじと見つめこんでくる。

 思ったよりも近いところにお姉さんの長いまつげと藍色の瞳があって、なんだろう。どきどきしてしまう。あまやかな香りがいっそう濃くなって、このにおいはお姉さんのなんだとぼんやりと考えた。

「あの、ここはなんのお店なんですか?」

 ぐいっと体をうしろにひっぱられる感覚。と同時に、お姉さんの手はわたしの頬から離れた。

 気がつくと、エルゼさんに背中から抱きこまれていた。

「うふふ。おんなのこをより魅力的にして、おとこをとりこにするお店よ」

 お姉さんは赤い唇を弓なりにして、にっこりと妖艶に微笑んだ。

 なんだか、すごくあやしい。いろんな意味で。

「このひとはこの店のオーナー。店が開店するのは夕方から。ま、こんな感じの店で働いてるよ」

 リュネちゃんは店の奥から、いくつか服をとりだした。

 どれも向こうが透けて見える、寒そうな服だった。部屋の中はあったかいからいいけれど、とても外に着ていけそうもない。

「店が開いたらこういう感じの服着て、おとこのひととおしゃべりするの。けっこう楽しいよ。時給もいいからね」

「よかったら着てみない?」

 横から、店のオーナーだというお姉さんがとんでもないことを言い出した。

 たしかに、どの服もデザインは素敵だけど、着こなせる気がしない。

「うーん。わたし、お金もってないから」

「あら、お金なんていいのよ。私、気に入ったおんなのこを着飾るのが大好きなの。あなたも、そこのあなたも気に入ったわぁ」

 わたしとエルゼさんを交互に見て、お姉さんは強引に手をとった。

 そのまま、店の奥の小部屋に連れ込まれる。衣裳部屋のようで、リュネちゃんが持ってきていた服と同じような雰囲気のドレスであふれていた。

 壁際には大きな鏡台が4つあって、よく分からない小さな小物がたくさん台の上におかれている。

「影の騒ぎで、ひとこないからオーナーも暇してるんだよね。助かったよ。おとなしく、犠牲になってね」

 わたしの肩に手をおいて、リュネちゃんはとんでもないことを囁いた。犠牲!?

「暇があるとすぐひとをいじくりまわすんだよね。あのひと」

 お姉さんはエルゼさんを引っ張って、あれでもない、これでもないといろんなドレスをエルゼさんのからだにあてている。

 よく分からないけど、なにか底知れないパワーがお姉さんからたぎっていた。

「ね。ところで、アキのこどものころって思い出せた?」

「う!」

 リュネちゃんはわたしを鏡台の前に座らせると、ひとつに縛っている髪を解いて、ブラシでやさしく梳いてくれた。気持ちがいい。

「記憶がもやもやってしてて……一緒にいたのは本当なんだよ」

「ふーん。ま、いいけど。君、ちゃんと肌のお手入れとかしてる?」

 鏡の中に映っているわたしは、なんとも冴えない顔をしていた。

 目じりが下がっているから、のろまっぽい。リュネちゃんみたいにくりっとした目だったらいいのになって思った。

「今から気をつけておかないと、あとで泣き、みるよ。若さは取り戻せないんだから」

「リュネちゃんはたくさん気をつけてるの?えらいねぇ」

「おんなのこなら当然でしょ。綺麗になると自信がつくし、周りのひとも喜ぶもの」

 鏡の中のわたしは、いつの間にかツインテールになっていた。

 髪の毛の先がくるくるっとカールしていて、もともとこどもっぽい顔がますますこどもっぽくみえる。

「君のいいところって、つけこみやすそうなところだよ。そのあたり強調する感じでいいでしょ」

「う、うん」

 褒められたのかな?

 わたしが頷くと、リュネちゃんも満足そうに笑ってくれたのでよしとしよう。

 そしてリュネちゃんはわたしの隣の鏡台の前に座ると、手際よくいろんな小道具を使って顔にらくがきをはじめた。

 じっと見ていると、鏡から目を離さずにリュネちゃんが言った。

「なに?」

「えっと、なに書いてるの?」

「お化粧だよ。お化粧。顔を綺麗に見せるための小道具」

 そんなものがあるんだ。でも、リュネちゃんそのままでもじゅうぶんかわいくて綺麗なのにな。

 リュネちゃんは時間をかけて化粧を終えると、着替えるからと言って衣裳部屋の奥に消えていった。

 やることもなく鏡台の前に座っていると、ひとり、またひとりとおんなのひとが衣裳部屋に入ってきた。みんな若いひとたちで、ものめずらしげにわたしを見ては奥に消えていく。

「はぁい。おまたせ、子猫ちゃん。次はあなたの番よ」

「え!」

 振り向くと、しなを作って手招きをするお姉さんがいた。そして、その隣には黒髪の美女が困ったように微笑んでいる。

「って、エルゼさん!?」

 質素な服装から一転、星の夜空を思わせる漆黒のドレスを纏ったエルゼさんは、間違いなく美しかった。

 顔の造形はもともと整っていたけれど、服装を変えたことで雰囲気が一変した。健康的なお姉さんから、陰のある美しさに。でも近寄りがたいことはなくて、おもわず見惚れてしまう。

「おんなはね、ちょっとしたことで変われるの。子猫ちゃんも体験してみたいでしょ」

 こどもっぽい体型の自分を見下ろす。

 変われるのかな。わたしも、エルゼさんやリュネちゃんみたいに綺麗になれるんだろうか。

「オーナー。お客さんきたみたいだよ」

 リュネちゃんだ。彼女は胸元と腰元に申し訳ない程度の布地をあてて、その上から透きの入った赤いドレスを纏っていた。街中で会ったときよりも更にきわどさがアップしている。

 お姉さんは頬に手をあてて、リュネちゃんに振り返った。

「あらあら。他の子は準備できてる?」

「うん。オーナーが遊んでいる内に、ねえさんたちみんな着替え終わってるよ」

「そう。残念だけど、またの機会にね、子猫ちゃん。よかったら、ちょっとだけおとなの世界、覗いてみる?」

 お姉さんはわたしの頭をなでると、リュネちゃんを手招いた。

 どうやらお店の中をリュネちゃんが案内してくれるらしい。

「離れないでね。変なひともいるから」

 部屋の外に出ると、すでに数人のお客さんが椅子に座っていた。

 みんなおとこのひとで、それぞれの隣にはおんなのひとがいて楽しそうにお酒を飲み交わしている。

 いわゆる酒場っていうところだろうか。濃厚な甘い香りと薄暗い証明があいまって、なんだかとてもいかがわしい雰囲気だ。

 カウンターの席に案内されて、エルゼさんとふたり並んで座ると、ちらちらとこちらを伺うような視線をいくつも感じる。けれどリュネちゃんは気にも留めずに喋りだす。

「花の街の別名はね、恋の街なんだよ。こういう店は探せばいろんなところにある。他のお堅い都市じゃこんな娯楽はないからね」

「……ごらく」

 目の前を、ほとんど半裸のような格好をしたおんなのひとが、銀のトレーにグラスを乗せて運んでいく。

「うん。娯楽。黒い影が出るようになって、みんな疲れてるんだ。嫌なこと、忘れさせてあげたい。疲れをいやしてあげたい。そう思って、ここで働いてる」

「うーん。裸をみていやされるの??」

「そ。おとこってそんなものだよ」

 リュネちゃんは片目をつむってウィンクした。

「ね。今度、アキをここに連れてきてよ。サービスしちゃうよ」

「わかった」

 よく分からないけど、アキちゃんが癒されるならここはきっといいところなんだろう。

 アキちゃんだけじゃなくって、ノルド君やカナンさんも呼ぼうかな。

 そう考えていると、リュネちゃんの意外そうな顔とかちあった。

「君ってさ……」

 けれど、リュネちゃんの言葉の続きを、聞くことはできなかった。

 とつぜん、ぱりん、と、グラスの割れる音がした。

 喧嘩だろうか。いやだな。

 怖いけど、店内を見回してみる。すると、大きな悲鳴があがった。

「影だ!」

 それなりに広いお店の隅の一角で、おとこのひとがしりもちをついていた。彼が指差す先には、のっぺりとした漆黒がゆらゆらと揺れている。

 室内なら安全だなんて、誰が言えるだろう。結界を潜り抜けた影はどこにでも現れる。きっとそういうことなのだ。

 店内は一気に騒然とした。我先にと階段にむかってひとが流れていく。

 銀のトレーが宙を舞う。ワインの入ったボトルが床に落ちて、ガラスの破片と暗い染みが広がった。

 幸いにも、影の動きは鈍かった。あのとき、アキちゃんが対峙した影のような俊敏さを見せる気配はない。ゆらゆらと、隅っこでたたずんでいる。

 けれど、いつ気を変えて襲ってくるかなんて分からない。わたしたちも店を脱出しようと立ち上がる。階段に向かおうとしたところで、リュネちゃんの小さな悲鳴が聞こえた。

 奥から外に逃げようとしたひとに押されて、こけてしまったのだ。

 慌ててリュネちゃんの手を引っ張ると、少し青ざめた顔でリュネちゃんはわたしを見つめた。

「あ、ありがと」

「ううん。わたしたちも早く出よう」

 一刻も早く、あの影から距離をとらなくては。襲われたら、対抗できる手段はない。

 わたしたちは階段を登って、外を目指す。そんなに距離があるわけではないのに、気持ちが急いて出口が遠く感じてしまう。

 開け放たれた扉に手をかけて、わたしたちは夕闇の街に飛び込んだ。

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