花の街・恋の街4
ノルド君のあとを追って、わたしたちは宿を出た。
街の中はひとびとでごったがえしていて、けれど、昨日までの喧騒とはなにか違う。みなどこか不安げで、日常をこわすまいとぴりぴりしているようだった。
「ここだな」
警備隊の建物の前には、武装した警備隊士よりも多くの街人が集まっていた。
どういうことだ、とか、安全じゃなかったの?とか、そういった言葉が端々から聞こえてくる。
「押さないで、押さないで。いま、影に関する対策を協議中です。一般の方の立ち入りはご遠慮くださーい」
隊士たちは大きな声で、押し寄せるひとびとをさばいている。
うーん。入れないっぽい?
わたしがためらっていると、アキちゃんは人垣をひょいひょいっとくぐり抜けて、施設の入り口をふさぐように立っている隊士に何事か話しかけた。
アキちゃんに手招かれてそちらに行くと、手を引かれ、そのまま隊士の横を通り過ぎ、気がつけば施設の中に入っていた。
中はとても広いホールになっていて、左右には小さな扉がひとつずつ、正面にはふたつ。ホールの真ん中からまっすぐに伸びる階段の先にひとつ。
階段の両脇に立つ隊士のうち、右側に立つ背の高い隊士にアキちゃんは話しかけた。
「カナンさんに呼ばれたのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「君は?」
「魔術師のアキサリスです。昨夜の黒い影の出現の件で参りましたが、もし、カナンさんが忙しそうであれば、神殿騎士のノルドに取り次いでいただいてもけっこうです」
両脇にたつ隊士は互いに目配せをしたのち、背筋をぴんっと伸ばして言った。
「両名とも二階、この奥の大ホールにおられます」
「わかりました。ありがとう」
自然にアキちゃんが階段を登っていくので、わたしとエルゼさんも慌ててそのあとを追う。
けど、でも、いつの間に。
わたしはアキちゃんの背中に近づいて、こっそり尋ねた。
「ねぇ。いつの間にカナンさんと連絡とってたの?」
「連絡?んなもんとってねーよ」
階段を登りきって、アキちゃんは大きな扉のノブに手をかけた。
「ああでも言わなきゃ、通れねーだろ。ちっとは頭つかえよ、ばか」
目を半眼にして、心底あきれたように言われたけれど、本当にあきれたのはわたしのほうだ。
アキちゃんってば、変なところで要領がいいというか、なんというか。
そーっと扉を開くと、入り口よりも倍くらい大きなホールに繋がっていて、中には大勢のひとが整列して立っていた。
みな一様に同じような服を着ているので、なんだか圧巻だ。
おおよそみっつのグループがあるようで、ひとつは白い服を着たひとたち。ゆったりとしたローブのようなものを纏っている。ひとつは赤い服を着たひとたち。つばの広い帽子に、たて襟のジャケット、黒いズボンをはいている。最後は黒い服を着たひとたち。黒いサーコートの下の衣服は様々のようだが、おおむね白か紺のようだ。
彼らの視線は、壇上に向けられており、誰一人としてわたしたちに注意を払うひとはいなかった。
ちょっと怖い雰囲気だな。と思っていると、壇上に見知った顔のおとこのひとが立っていた。
カナンさんだ。
旅をしているときとは違って、黒いサーコートを羽織っている。並んでいるひとたちの服装とはちょっと違っていて、服のふちは金糸で縫いとめられており、飾り紐が伸びている。少し、豪華だ。
カナンさんは壇上からホール全体を見回して、すうっと息を吸い込んだ。
「昨夜、黒い影が出現した件について、原因はすでに判明している。おそらく、今夜も影は出現するだろう。やつらの伝達系統がどうなっているかは不明だが、昨夜よりも多くの影が現れる可能性は高い」
もっとたくさんの影が、この街に現れる。
カナンさんはそう言ったのだ。水面の波紋のように、動揺がその場に広がる。
「この街は影との戦いの最前線でありながら、ずっと守られてきた。神殿の協力により、影たちを退ける結界があったからだ。だが、昨夜、その一部に原因不明の穴が開いてしまった。放っておくと穴はだんだん広がり、やがて結界は解けてしまうだろう。その前に、結界を修復しなければならない。しかし、修復には相応の時間がかかる」
そこで一度、カナンさんは言葉を切った。
「我々の使命は人命を守ることだ。そこにより多くの人員を割きたい。よって、修復には少数精鋭で向かおうと思う。どこにいても危険には変わりないが、修復は、より危険な任務になるだろう。誰か、立候補するものはいるだろうか?」
しんっと静寂が広がる。
誰もなにもいわない。周りを伺うように、そっと息を潜めている。
誰も責められない。誰だって、自分の命は惜しい。好き好んで危険に飛び込むひとなんていない。いたとしたら、よほどの正義漢か、怖いもの知らずのおおばかだろう。
「あ」
ぽつんと呟かれただけの言葉は、驚くくらい大きく響いた。
「神殿騎士のノルドが任務に志願したいそうです」
アキちゃんは、とてもうさんくさい笑顔を浮かべて壇上に立つカナンさんに向かっていった。
整然と並ぶ制服姿のひとたちが、いっせいに振り向いた。その中には、驚愕で目を見開く白い服を着たノルド君の姿もあった。
最初、カナンさんは信じられないものを見るような目でアキちゃんを見た。
「君は……」
「いやぁ、さすが、彼は騎士ですね。勇気があります。私は彼の勇気にいたく感激しましたので、およばずながら彼に協力をしたいのです。私は彼の友人なのですが、同行を希望します」
まるでお芝居でもするように、おおげさにアキちゃんは一礼した。
けして好意的ではないざわめきが広がる。アキちゃんだけではない。わたしやエルゼさんに対しても、容赦なく視線がつきささる。
まごつくわたしをかばうように、エルゼさんは一歩前に進みでる。情けないことにエルゼさんの背中にかばわれて、やっとわたしは落ち着いた。
「では、各員それぞれ隊長のもとで指示をうけるように。ノルド君とそこの君は僕と一緒においで」
ぱんぱんっと手をたたいて、カナンさんはその場を解散させた。
そのとたん、前方からノルド君がやってきて、アキちゃんにかみついた。
「おまえ、な、なに考えてんだよ!」
「うっせー。いいから行くぞ」
アキちゃんはノルド君のローブをぐいぐい引っ張って、壇上で待つカナンさんのもとに歩いていく。
他の制服姿のひとたちは、みんなカナンさんの指示に従って、それぞれ話し合いをしているようだけれど。
気にされているのが、気配でわかる。わたしたちの行動を、見てみないふりをしている。見知らぬ旅人が重要な話し合いの中心に飛び込んできたのだ。気になるのは道理だ。
わたしはなるべくぼろを出さないように、黙ってアキちゃんについていった。エルゼさんのうしろに隠れながら。
壇上に登ると、奥に扉があった。カナンさんに続いて扉をくぐると小さな小部屋についた。真ん中に大きな四角いテーブルがひとつ置いてあって、正面の壁には剣と杖と星が描かれたタペストリーが貼られていた。
部屋の中には、カナンさんのほかに、白いローブを纏ったおじいさんがひとりいた。白いおひげが床につくんじゃないかってくらい伸びている。
「こちらは、神殿長のオアサ様だ。結界の考案者で、とても権威のあるお方だよ」
「カナン殿、この者たちは……?」
にこやかにおじいさんの紹介をしてくれるカナンさんとは対照的に、おじいさんは糸のように細い目で、訝しげにわたしたちを見た。
「神殿騎士ノルドと僕の友人です。彼らは北の地より王都を目指して旅をしておりまして、今回、花の街の危機を救うべく協力を申し出てくれた勇気ある若者達です」
すらすらっとカナンさんはそう説明するけれど、だいぶ事実とニュアンスが違うのでわたしは面くらった。王都を目指しているのは本当だけど、今までの旅路は全部カナンさんにおんぶにだっこで、無事ここまで来れたのはカナンさんのおかげに他ならない。
だから、カナンさんが困っているならよろこんでお手伝いするけれど、協力といえるほど力を貸せるかと言われるとちょっと悩んでしまう。むしろ、足をひっぱってしまうような気さえする。
「本来なら僕がオアサ様の命を受けるべきなのでしょうが、なにぶん、今現在ほとんどの騎士が北の地に在留している状況でして」
「手薄なのは承知しておる。それに、神殿騎士が向かうのであれば間違いはなかろう」
おじいさんは懐から薄汚れた巻物を取り出すと、机の上にそれを広げた。
それは地図だった。たくさんの走り書きがしてあって見難いけれど、花の街を中心にしたもののようだった。
「おぬし達に頼みたいのは他でもない。結界の材料の調達じゃ」
おじいさんは指で地図をなぞり、続ける。
「街を挟む左右の山のうち、左の山。ここは元々鉱山じゃった。今では誰もおらぬが、ここでは特別な鉱石が採れる。闇に溶けるような黒い鉱石じゃ。結界を直すにはどうしてもこの鉱石が必要なのじゃが、長いこと採れておらず、在庫がない状況じゃ」
「重要なものであれば、あらかじめ一定数を手元に保管しておこうとはお考えにならなかったのですか?」
アキちゃんの指摘に、おじいさんは鷹揚にうなずいた。
「もっともじゃ。しかし、近くにおいておけないわけがあっての。この石は影を呼ぶんじゃよ」
「呼ぶ?」
「そうじゃ。あるいは影を引き寄せる。石の周りには常に影の気配がある。だから手元にはおいておけぬ。必要に応じて、鉱山にもぐるしかないんじゃ。そして、その鉱山も当然ながら安全とはいえぬ。影を呼ぶ石を内に抱える山じゃからな」
口元に手をあてて、アキちゃんは難しい顔をした。
そんなアキちゃんを、おじいさんは興味深そうに眺めている。
アキちゃんって本当に物怖じしないなぁ。うんと年上の、それも権威あるひとを相手に、怖気づく気配はない。
地図から目線を外して、アキちゃんはおじいさんを正面から見つめた。
「なるほど。ところで、これは個人的な興味なのですが、結界はどうやって直すのですか?」
「うん?ああ、鉱石を砕いて、地に撒き、神に祈るんじゃよ。影たちが静まるように」
「……退けるのではなく、静めるように?」
「神はすべてを受容する偉大な存在じゃからのう。跳ね除けるのではなく、受け入れるんじゃよ。受け入れた上で、諭すのじゃ。静まるように、ひとを傷つけぬように、とな」
おじいさんの言葉に、アキちゃんは一瞬、はっとしたように目を見開き、ついで、外向きではない、口元を引き上げるだけの笑みを浮かべた。
「大変勉強になりました。ありがとうございます。必ず、あなたがたのご期待に沿えるようがんばります。な、ノルド」
「え!……あ、う……」
それまで静観していたノルド君だが、急にアキちゃんに肩をたたかれて、びくっと体をゆらした。
「な?」
「も、もちろんです。おまかせください!」
脅しにも似たアキちゃんの念押しに、ノルド君は口元をひきつらせながらそう答えた。
おじいさんは満足そうに、カナンさんもうれしそうに「助かるよ」といっていた。わたしが思っているよりも人手不足だそうで、どこに現れるか分からない黒い影の対策は難しいようだ。
だから、一刻も早く結界を修復することが肝要らしい。
そんな大事な役目をまだ年若いノルド君とわたしたちに任せていいのかな?って気もするけれど、どうも、この街に滞在している騎士はカナンさんとノルド君を含めて四人くらいしかいなくって、あとは全員出払っているそうだ。
だから、必然的に、若くても神殿騎士であるノルド君が役目を負うのは自然であって、わたしたちは単なるおまけ……くらいの扱いなのかもしれない。
そのあとは鉱山の内部の詳しい説明と、注意点、それから地図が渡された。
カナンさんは警備隊全体をまとめる役目を負っているらしく、挨拶もそこそこに別れることになった。
わたしとアキちゃん、ノルド君、エルゼさんの四人は、今朝方よりもだいぶんひとけの減った警備隊の表玄関から外に出た。
施設の中ではひとめがあって聞きにくかったけれど、外なら聞ける。
「アキちゃん、なに考えてるの?」
「あ?」
不機嫌そうな返事のアキちゃんに、畳み掛けるようにノルド君がつっかかった。
「それはぼくも聞きたい。おまえさ、なに勝手に話すすめてるわけ?ちょーいいめーわくなんですけど?」
たしかに。
ノルド君からしたら、完全にアキちゃんに巻き込まれた形だ。文句のひとつもいいたくなるだろう。
けれど、アキちゃんは悪びれた風もなく、両手を頭のうしろで組んで心底めんどくさそうに言った。
「ちっとは自分で考えろよ、ばかどもが」
ノルド君は完璧に頭にきたようで、アキちゃんの隣に並んで怒鳴った。
「うっさい!面倒なのはぼくのほうだ!なんでぼくが鉱山なんかに行かなくちゃいけないんだよ!だいたいさぁ、いつからぼくとおまえはお友達なんかになったわけ?」
「嘘も方便っていうだろ。それに、あんたさ。悔しくねーの?」
「なにが」
「ばかにされて。親の七光りだとかなんとか。あんたは実際、騎士なんだろ。誰がどういおうと、成したあんたと成せなかったあいつら、両者には絶対的な差があるのは確かだ。だったら、見せつけてやろーぜ。その差をさ」
ノルド君は立ち止まって、理解しがたいものをみるような目でアキちゃんの背中を見た。
「はぁ?な、なにいってるの、おまえ。差なんて……」
「ま、ともかく。引き受けたんだから、逃げんなよ」
アキちゃんは振り返って、びしっとノルド君を指差した。
まるで宣戦布告を受けて立つように、ノルド君もアキちゃんに指差し返す。
「逃げるわけないだろ!ああ、なんならいまからでも行ってやるよ!」
「準備してからに決まってるだろ。て、言っても、さほど時間はとれねー。昼には出発したいからそのつもりで。北の門前で待ち合わせで構わねーよな」
「わかった。着替えててきとうに準備してくる。おまえこそ逃げるなよな!」
そういい捨てて、ノルド君は宿とは逆方向に走っていった。
たぶん、宿舎に荷物をとりに帰ったんだろう。なんというか、アキちゃんてば、うまくまるめこんじゃってる。傍からみたら、わたしとアキちゃんのやりとりもあんな感じなのだろうか。
「で。リン、おまえは分かったか?」
「うーん。わかんない」
アキちゃんがなにを分かったか?って確認しているのかすら、わからない。
「考えるそぶりくらい見せろよ」
呆れたように肩をすくめるアキちゃん。
「リンちゃん、たぶんだけど、アキ君は結界の張り方が知りたかったのだと思うわ」
「そうなの?」
エルゼさんの助け舟に乗っかって、尋ねてみるけれどアキちゃんは答えてくれなかった。
そしてあろうことか、こんなことを言ったのだ。
「まぁ、おまえはおとなしく街ん中にいとけ」
つまり、わたしをおいてけぼりにしていくつもりらしい。
「ええ!やだよ。わたしも一緒にいくよ」
とうぜん、わたしは猛抗議をした。アキちゃんだけを危険な場所に行かせるなんて、できない。
だってわたしは、アキちゃんのお父さんとお母さんにアキちゃんを任されたのだから。
「おまえは足手まとい。街も安全とはいえないんだろうけど、外に出るよりはマシだろ」
アキちゃんがまともにとりあってくれる気配はない。
ついていくと何度言っても、言葉を重ねるごとに邪険に扱われる。なんでこう、アキちゃんは聞き分けがないんだろう!
「り、リンちゃん!」
ふいに、エルゼさんがわたしを呼んだ。
「あのね。私、外に出るの怖いな。でも、ひとりで街に残るのもすごく不安だわ。ね。だから、私と一緒に残ってくれないかな。リンちゃんが一緒だったら、きっと大丈夫だと思うの」
わたしの両手をぎゅっと握って、小首をかしげるエルゼさん。年上なのに、なんとも頼りない風で、そんなエルゼさんの姿をみていたら放っておけないような気分になる。
ど、どうしよう。アキちゃんも心配だけれど、エルゼさんを街にひとりで残すのはとても忍びない。
「で、でも……」
「リン、エルゼさんについててやれよ。すぐ戻ってくるから」
アキちゃんの言葉に背中をおされて、わたしはしぶしぶ頷いた。すると、アキちゃんはあからさまにほっとしたような顔をした。
だから、ちょっと腹の立ったわたしが、アキちゃんのほっぺたをぎゅっとつねるのは自然のなりゆきだったと思う。




