花の街・恋の町3
夕方に、レストランの前で。
その約束は守られることはなかった。
アキちゃんとノルド君が姿を現したのは、夕方をとっくにすぎた時間で、しかも彼らはお互いに傷だらけだった。
誰かに襲われたの!?って尋ねても、ふたりとも頑と口を割らなかった。なにがあったんだろう。
ずたぼろのアキちゃんは、ひとこと「ひばり亭……」と言い残して力尽きた。そういえば、カナンさんが言ってたっけ。ひばり亭ってところに宿をとっておいてくれるって。
けど、わたしはもちろん、エルゼさんもこの街のことは詳しくない。頼りのノルド君もつかれきっている。
気は引けるけれど、彼女にお願いするしかないだろう。
「リュネちゃん……」
気を失ったアキちゃんを甲斐甲斐しく介抱する金髪の美少女に、わたしたちは案内を頼むことにした。
彼女には装身具のお店まで案内してもらった上に、宿屋まで。お世話になりっぱなしだ。恐縮と感謝の意を伝えたところ、リュネちゃんはにっこり笑って「気にしないで」と言ってくれた。
意識を失ったアキちゃんを背中に背負って運んだのはノルド君だった。
アキちゃんが小柄というのもあるけれど、ノルド君って意外と力持ちらしい。
そうやって無事ひばり亭につくと、宿の部屋に案内された。部屋は二部屋とってあり、二階の角部屋とその手前だった。わたしとエルゼさん、アキちゃんって感じらしい。
「あれ?ノルド君のベッドがないよ」
「ああ……ぼく、この街の騎士宿舎に住んでるから」
なるほど。合点はいったけれど、これは問題だ。
ノルド君の住む宿舎とやらに、ノルド君に帰ってもらってもいいけれど。けが人を夜遅くに、たったひとりで帰すのはしのびない。
かといって、けが人を床に寝かせるわけにはいかない。
結果、本来わたしとエルゼさんにと借りられていた二人部屋にアキちゃんとノルド君を。そして、アキちゃん用の個人部屋でわたしとエルゼさんが眠ることにした。
木造建築の宿屋は年季が入っていて、床を踏めばぎぎって音がなるけれど、そこがまた赴き深い。気がする。
「そろそろ仕事の時間だから。名残惜しいけど、帰るね」
アキちゃんとノルド君を無事ベッドに寝かせて、達成感に浸っていたところでリュネちゃんがそう言った。
彼女はさらりとアキちゃんのほっぺたに口付けをすると、にっこり笑ってわたしたちに手を振った。
「ふふ。ここは起きてるときに奪ってあげるねって伝えておいてね」
唇に人差し指をあてて、おとなっぽいしぐさでリュネちゃんは唇をちゅっと尖らせた。
なんだか、見ててすごくどきどきする。急にもてちゃって、うらやましいぞ、アキちゃんめ。しかもあんな美少女に!
けど、こんな夜から仕事だなんて大変だ。リュネちゃんってすごく苦労人なのかも。
わたしはアキちゃんとノルド君が眠る隣の部屋で、エルゼさんと同じベッドにもぐりこんだ。一人用のベッドだからちょっと狭いけど、くっついて眠ればぽかぽかあったかいし、なんの問題もなさそうだった。
「って、あれ?エルゼさん?」
ベッドのおふとんの眠り心地をたしかめていたところ、突如としてエルゼさんの姿が消えてしまっていた。
おかしい。さっきまで隣にいたはずなのに。
あわてて部屋の中を見回してみるけれど、エルゼさんの姿はない。小さな部屋だ。ベッドと、タンスと、鏡台。家具はそれだけで、ひとひとりを見落とすような場所ではなかった。
念のため窓の外を確かめてみるけれど、暗いしよく見えない。ただ、窓の下に誰かがいるような気配はないように思う。
「リンちゃん、誰を探しているの?」
「そんなのエルゼさんに決まってるよ!って、あれ??」
当の本人の声が、すごく近くから聞こえた。
あわててベッドの掛け布団をめくってみると、小さないたちがつぶらな瞳でわたしをみあげていた。って、あれ??
「私、きっと寝相が悪いから。小さくなってみたの」
小さくなるという範疇を越えて、すっかり別の生き物になったエルゼさん?をぼうぜんとわたしは抱き上げた。精霊族っていろいろ便利だ。
「いたち、好きなの?」
「昔、村でよく見かけたから……リンちゃんは嫌い、いたち?」
「ううん。かわいい」
「そう。よかった」
なんだかずれた会話をするわたしたち。
でも、これでいいような気がするから不思議だ。
わたしはいたちになったエルゼさんをつぶさないように抱っこして、ベッドに横たわる。
わたしとエルゼさんは、エルゼさんには不本意かもしれないけれど、似ている気がする。なにか、本質的なものが、すごく。
だから、こうしていると安心する。
アキちゃんが聞いたら、きっとばかにされるようなことでも、エルゼさんになら聞いてもらえる。そんな気がした。
声が聞こえた。
地の底から、世界の裏側から、恋しい、恋しいと声が聞こえた。
なにがそんなに恋しいの?って尋ねると、彼らはみな一様に、押し黙った。
恋しいものを忘れてしまったらしい。
彼らの嘆きは深まった。
恋しい、恋しいと彼らは言った。そして彼らは姿を消した。
彼らは、恋しいなにかを見つけられただろうか。
彼らは、恋しいなにかと出会えただろうか。
彼らは――。
翌朝。
昨日の様子がまるで嘘のようにぴんぴんしているアキちゃんと、ぐったりしたノルド君の姿が宿の食堂にあった。
どうも一階に食堂と受付があって、二階が客室らしい。朝早いこともあって、食堂の人影もまばらだった。
「おはよう。傷、大丈夫??」
「ああ。昨日は悪かったな。迷惑かけた」
「いや、ぜんぶリュネちゃんがしてくれたんだよ。わたしはぜんぜん……」
アキちゃんとノルド君とおなじ机の席について、わたしはとりあえず朝食セットを注文した。
「ほんっと大迷惑だった。気を失うなんてなっさけねーの」
注文している間に、尻尾も耳もぐったりさせているノルド君がアキちゃんに喧嘩を売っていた。案外、元気なのかもしれない。
「民間人相手に本気で殴りかかる騎士様のほうが数百倍情けないと思いますけど?」
アキちゃんもアキちゃんで、嫌味の応酬は忘れない。敬語なので慇懃無礼さが際立っている。
「てっめー。あれが民間人の力かよ。危ない魔法ぶっぱなしやがって。おかげでぼくまで警備隊に捕まるところだっただろ。ていうか、ぜったい帰ったら尋問される。顔見られた。最悪」
なにか、いろいろあったらしい。
直接は話してくれないけれど、彼らの会話から類推するに、派手な喧嘩をして街の警備隊のひとに捕まりそうになって、逃げてきた、と。
なんだかこれじゃあ、悪いひとみたいだ。
「えーっと、アキちゃん」
「あ?」
運ばれてきた朝食セット、焼きたてのパンと野菜のクリーム煮をもぐもぐしてから、わたしはリュネちゃんの伝言を伝えることにした。
「ここは起きてるときに奪ってあげるね」
そして、同じく朝食をぱくついているアキちゃんの口に、わたしは容赦なく人差し指をあてた。もごって変な声がして、そっちに目をやるとノルド君が変なものを見るような目でわたしを見ていた。
一方、アキちゃんは冷静に口の中の物を飲み込んでから、わたしの頭を思いっきり叩いていった。
「んな棒読みで言われても、ぜんっぜんときめかねー。ばかにしてんのか?」
「ちがうよ!伝言だよ!」
「誰の」
「リュネちゃんだよ!昨日、わたしとエルゼさんを案内してくれた美少女だよ!」
「……覚えてねー」
まぁ、アキちゃんがリュネちゃんの姿を見たのって、レストランの前でほんの少しだけだし、無理からぬことではあるけれど。
それにしてもがっかりだ。アキちゃんの記憶力には心底がっかりだ。
「おい。ついに街の中にまで影が出たらしいぜ」
不満を言い募ろうとした矢先、そんな声が耳を掠めた。
食堂に入ってきた獣人族のおとこのひとが、食堂のコックさんに話しかけている。
「それは確かな情報なの?」
いつの間に移動したのか、ノルド君がおとこのひとの肩を引いて言った。おとこのひとは大きく頷きを返した。
「ああ。けが人も出たらしい。こんなことは初めてだ。街の中は安全だと思っていたのに……」
「ふーん。ありがと」
そう言って、食堂から出て行こうとするノルド君をひきとめたのはアキちゃんだった。
「どこ行くんだよ」
「警備隊の詰め所。さっきの話が本当なら大変なことだ。なんとかしないと」
「俺も行く」
「民間人には関係ない」
ばっさりと切って捨てるノルド君に対して、朝食を食べるのもそこそこでやめたアキちゃんは、立ち上がって言った。
「関係なくねー。被害にあうのは民間人だろ」
「……。昨日、訪ねた施設の隣に詰め所はある。きたけりゃ勝手にこい。ぼくは先にいく」
背中に棍棒を背負いなおして、今度こそノルド君は食堂から出て行った。
アキちゃんは、朝食を食べるわたしとエルゼさんを交互に見て、嘆息した。
「じゃ。俺も行ってくるから適当にすごしてろよ」
すかさず、わたしはアキちゃんの服の裾をひっぱった。
アキちゃんは前につんのめって、倒れそうになるのをぎりぎりのところでなんとか耐えたみたいだった。
「なにすんだよ」
「わたしも行く」
あからさまにアキちゃんはめんどうくさそうな顔をしたけれど、完全においてけぼりにするつもりはないようだった。
いそいで朝食をかきこんで、出かける準備をする。
先ほど食堂に入ってきた獣人族のおとこのひとの様子を見るに、街の中に黒い影が現れるのは、どうも異例のことらしい。
事態はわたしが思っているより、深刻なのかもしれない。




