54話
お久しぶりです
○白猿の遺跡 神殿
ペガルは、こちらに聞こえなほどの声で何かを呟いてその口角を上げた。
「[マ……]」
距離が空きすぎて、聞き取れない。
何かのスキルを使用した模様。
何が起こるのかと、気を引き締めようと構え直していると、ペガルの心臓部から液状の薄いナニカが滲み出てくる。
その状況が理解できず、息を呑んでいる間に完全にペガルの体を紫色の薄い液状の膜が包み込む。
次の瞬間、異常な圧迫感が俺を襲う。
まるで吹き荒れる暴風の如く、ぶつかってきた"それ"は、その勢いだけで俺を押し倒そうとしてくる。
その暴風の中、それた意識をペガルへと戻す。
「……ッ!」
視界に入ったペガルの身体は、一回りも二回りも、大きくなっており、数十メートルは離れていたであろう距離はわずか数メートル程にしか感じられない。
「デカすぎんだろ……」
不意に某テニス漫画の様なことを呟いてしまう。
無論、ペガルの背格好は、出会った時から変化しておらず、二人の距離も同様に変化はない、強いて言えば、先ほどよりも筋肉がパンプアップされているくらいだろうか……。
そのいずれも、ペガルの発する膨大な気配と圧迫感によって生み出された幻覚である。
今までとは明らかに違うその行動。
何かを察し、視線をペガルのHPへと向けると、
緑色だったHPバーが黄色へと変わっている。
どうやら、先程の攻撃でHPを削ることができていたらしい。
そして、推測通りペガルはデムと同じ類のものらしい。
今からが本番と言っても過言ではないな……。
「フゥー……」
体内の空気とともに感情が抜けていくのを感じる。
据わった目をペガルへ向けつつ、体勢を低く、いつでも動ける様に整える。
俺の体勢が整うと、それに合わせるかの様にペガルは半身に構え、こちらからは聞こえない程の声で、スキルを発動させると、腰を少し落としーー
ダンッ!!
そんな踏み込みの音が聞こえたかと思うと、先ほどまでペガルの立っていた地面はバラバラに砕かれ、巨大な黒色の砲弾となったペガルが拳を振りかぶった状態で目の前まで距離を詰めていた。
それを理解すると、すぐに横に跳ねる。
足に力が入ったのか、思った以上の距離を跳躍する。
その間、視線をペガルから逸らすことはない。
ダイブするかの如く迫ってきたペガルは、空を切った拳をそのままに顔面から地面へと激突する勢いだ。
そんな状態の中、ペガルは視線を動かす。
首をグルリと回して周囲の確認し、一瞬目があったかと思うと、振り抜いた右の拳をパッと開くと、次の瞬間ペガルはーー
ーー何も無い空間を掴む。
ペガルは、そのまま右腕に力を込めると力強くひく。
空間を掴んだ右拳へと引き寄せる力を原動力に、ペガルの身体は、顔と足の向きが逆になっている状態から、頭が上、足が下の正常な体制へと跳ねるかの様に勢いよく戻る。
しかし、そこからペガルが地面へと足をつけることはない。
ペガルの身体は、空間を掴むことで地面から80cm程度の位置で動きを止めていた。
「お前は掴むのか……」
その言葉とともに抜けていた感情が戻ってくる。
蹴兎のデムは何も無い空間を蹴っていた。
それに対し、殴猿であるペガルは掴んだのだ。
そこには、デムと同種の技を使う存在とのあまりにも早すぎる接敵への確信と、「空間を殴るのではなく掴むのか…」と言う、小さな疑問が浮かぶ。
ペガルが、その呟きに反応する。
「ナンダト?」
ペガルは、空中にぶら下がったまま睨む様に額に皺を作る。
片腕を上げ宙に浮かんだ薄紫のオーラを纏うゴリラに、睨みつけられると言う謎構図が出来上がった。
構図は謎すぎるのだが、こうやって面と向かって睨むゴリラは、想像以上の凄みがある。
「『オマエハ』ト言ウコトハ、オレト同様ノ技ヲ使エルモノト会ッタコトガアルノトイウコトカ?」
「……あるな」
「ソウカ……」
その眼力で刺し殺さんとするかの様な視線に一瞬、ためらったがそう静かに答える。
すると、その一言により額に作っていた皺が無くなり、代わりに何か納得したかの様な表情へと変わる。
そして、すぐに言葉を続ける。
「オマエノ動キヲミタカギリ、アッタコトガアルノハ、[空蹴リ]ノ使イ手"デム・シュトーセン"カ?」
その言葉に、息を呑む。
「ソノ様子ヲ見ルニアタッテイルヨウダナ」
「……デムを知っているのか?」
「アァ、素早サニ重キヲ置イタ技ヲシヨウスル蹴兎。スコシ昔ニ、イキナリ蹴リ掛カラレタコトガアル。ソレガ少々頭ニキテシマッテナ、マンマト誘イニノッテシマッタ」
「………」
俺は、既視感のあるデムの行動と、身に覚えのあるペガルの行動に黙り込む。
しかし、次に続いたペガルの言葉に疑問を持ってしまう。
「一撃一撃ハソレホトデハ無イガ、ソレヲ手数ニヨッテオギナウヨウナ技ヲ使ッテ、ジワリジワリト削ッテクルヤツダッタ」
「……ん?」
「シカシ、ソレガサラニ頭ニキタノデナ、隙ガデキタトコロニキツイノヲ一撃キメテヤッテ、説教シテヤッタ」
ペガルの語るデムが、俺の知っているデムのイメージとかけ離れた行動をする事に疑問に思うのと共に、デムの少ないHPでペガルの拳に殴られたと言う事実にデムに対する哀れみの感情が生まれる。
なんて事を考える中で、
「アイツは、ジワジワと削ると言うより素早く一撃で刈り取る感じだったぞ」
そうデムの認識にズレがある事をペガルへと伝える。
実際、木を蹴り倒してたしな…。
その俺の言葉に「ホウ…」と何やら驚きつつも納得しているかの様な声をこぼす。
「アノ子ウサギニ、説教ヲ受ケ入レル程ノ甲斐性ガアッタトハ……。悪態ヲ吐キナガラ森ヘニゲタ後ロ姿ヲイマダニ思イ出セル」
そう話すペガルは、何やら少し懐かしげだ。
……ペガルって案外年寄りだったりするのか?
デムの事を子うさぎと呼んだり、達観した価値観を持ってそうだし……。
………。
「………、まってくれ」
「ナンダ?マタ時間稼ギカ?随分ト大胆ニデタナ……」
そう言って、ペガルは呆れたような表情を浮かばせる。
「違う。なんでデムが悪態を吐いたのをわかるんだ?」
「……?ナニヲイッテイル?」
「アンタ、猿だろデムは兎だぞ。『動物同士は、お話しできる〜』みたいなファンタジックな感じなのか?」
「チガウ。コレハ、スキルニヨルモノダ。ソレニ、オマエノ言ガ正シイノナラバ、オレガオマエト会話出来テイル時点デ、破綻シテイル」
それもそうだ。
まぁ、別に本当にそう思っていた訳ではなかったが、完全にそれがスキルによる効果であることを失念していた。
いや、人間も動物と考えるとファンタジック論も案外肯定できるんじゃないのか?
たまたま、デムが俺と一言も喋らなかっただけだったり……。
………。
………次々と入ってくる情報に気を取られすぎている。
「………思考が鈍ってるなぁ。集中力が切れてきたか?」
そう独り言のようにボソリと呟く。
そして、ポキポキと首や指の関節を鳴らし、再度集中し直すべく、深呼吸をする。
そんな、俺の姿を見て何かを感じ取ったのか、ペガルの表情が引き締まる。
「ソロソロ、サイカイカ?」
「あぁ、そうさせて貰う。……会話パートが長すぎたか?」
ペガルから視線をずらすことはない。
「イヤ、ソンナコトハナイ丁度イイクライダ」
「そうか、そう言って貰えると有難いなッ……!」
そう告げる途中に俺は地面を力強く蹴る。
それと共に、身体はペガルへと迫っていく。
短剣を振り抜く形で構え、間合いに入る瞬間を、最速の一撃を逃さないよう集中する。
「本当ニ、丁度イイ……」
近づいたことによって、ペガルの呟きが鮮明に聞こえてくる。
その呟きが、俺の思考に微量の疑問を生み出す。
何の事だ。
目の前には、静止したままのペガル。
その表情から窺えるのは、余裕。
目前まで迫っている敵を前にしてのこの態度。
……短剣によるダメージが微々たるものだと理解しているからか?
そんな、俺の疑問に対する答えは、直ぐに姿を表した。
俺を含め、その周囲を暗い影が呑み込む。
その異変と、ペガルのみに集中していたことにより反応が遅れる。
ガギイィィィィィンッ!!
そのけたたましい音と共に、右腕へと大きな衝撃が加わり、俺の視点が急速に左へとぶれる。
「……ッ?!」
そしてすぐにもう一度、次は左腕へと衝撃が加わり、ゴロゴロと地面へと転がり込む。
俺はすぐさま視線を衝撃の飛んできた方向に向け、そして自分がその存在のことを失念していた事を今更思い出した。
そこに居たのは体高3mを超えるほどの巨猿。
茶褐色の体毛に覆われた筋骨隆々なそのからだには余分な肉が全く無いのか血管が浮き出ておりドクドクと一定のリズムで波打っている。
猿というよりも人を思わせるその顔は知性を感じさせるが、その口元から覗かせる鋭く尖った犬歯から野生生物特有の獰猛さと言うものを思わせる。
もはや隻眼となったその瞳には俺に対する敵意のみが映る。
そんな俺の心中を知ってか、ペガルが畳み掛けるように、「タシカコウダッタナ……」と呟きこう続ける。
「形勢逆転ダ」




