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看護師やってます  作者: 久蔵 出雲


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7/8

被災したときの話

 今回、看護師の話とはあまり関係ないので興味ない方はスルーでお願いします。


 看護学校に入って初めての夏。私たちの住んでいる町は激しい豪雨に見舞われました。


 テレビを見ていなかったのでそんなにすごい梅雨前線が来るとは思わず、降り初めの頃はそこまで深刻にとらえていませんでした。


「すごい降るらしいよ」


 先輩がたがそう話していても、どこか他人事のように聞いてました。若いし、災害の恐さを知らなかったというのもあるかもしれません。


 その日は勤務だったので、普通に仕事を終えて寮にもどって来ると衝撃的な連絡が。


「雨がすごいから、今日はお風呂なしだって」


 それを聞いて、ショックにうちひしがれました。


 そうそう、説明していませんでしたが寮はトイレ風呂洗面所は共用です。お風呂は大浴場が一つだけ。


 ボイラー式で、雨がひどく降ったりボイラー担当職員がお休みの時はお風呂に入れません。


 私たちはエアコンのない部屋で過ごすので、お風呂入れないと気持ち的にも、体臭的にも大問題でした。


「お風呂、明日は入れるかなぁ」


 空を見上げてそんなことを話しながら、呑気に食堂で夕食を食べて部屋に戻りました。


 十九時過ぎると食堂が閉まってしまうので、こんな時でもテレビを見せてもらえない私たちはラジオから情報を得るしかありません。


 いつもは好きなCDをかけっぱなしにしていますが、この日に限ってはラジオをかけながら机に向かってました。


 とは言っても、まもなくして辺り全体が停電になってしまったので、テレビを見せてもらってもあまり意味はなかったかもしれません。


 突然、部屋が真っ暗になりました。


 寮は木造で、ちゃんとした常備灯もないので本当に真っ暗。


 懐中電灯を持っている子がいたので、その子の部屋に集まってラジオに耳をそばだてながら、この異常事態に興奮しておしゃべりしてました。


 町の中心地辺りは水没している家もあるらしい。


 そんな情報を聞きながら、それでも視覚からの情報がないのも手伝い危機感なし。


 そうしているうちに、唯一の情報源だったラジオも電池切れで最終的にはなんの情報も入らなくなりました。


 このときかなり雨足は強くなっていて、ふと思ったことを呟きました。


「この雨、シャワー代わりにならないかな?」


 するとそこはノリのよい学生たち。


「それ、いいね~!」


「やろう! やろう!」


 リンスインシャンプー片手に意気揚々と寮の外へ飛び出しました。


 服を脱ぐわけにはいかないので、着たまま全身洗いました。あの解放感はいまだに忘れられません。


 そんなふうに、まだ軽く考えていたんですよね。


 以前も書いたとおり、寮は山奥で自然に囲まれた場所にあります。


 当然土砂災害の恐れもあって、夜半には施設長の判断で避難することに。


 寮と施設の周囲には数件の民家と小さなお店しかないような場所でしたので、私たちは施設内の多目的ホールへ避難することになりました。


 施設は自家発電があるので、建物に入ると明るくてそれだけでもほっとしたのを覚えています。


 だだっ広い多目的ホールで布団を並べ各々が持ち込んだCDラジカセを聴きながら、興奮して眠れず夜通しずっと学生同士で話をして過ごしました。


 この災害の恐ろしさを知ったのは翌日。


 多目的ホールから外を眺めると、向こうに見える山の形が変わっていたのを目の当たりにしたときでした。


 そして、災害の本当の苦難はここから始まります。


 寮や施設から町へ出るには山を越えなければならないのですが、そこが崖崩れで通行不可能。


 寮に置いてある公衆電話は不通。


 停電も続いていますが、希少な燃料は併設されている施設や病院に回すので、私たちの方へ回す分は当然ありません。


 ですが、幸いなことに寮には被害はなく寝場所は確保できてます。


 普段からエアコンなしの、テレビ無しの生活になれているのでこれは苦になりませんでした。


 問題だったのは食事事情でした。


 施設や病院があるので、米と味噌、それと少しの野菜に卵などの蓄えはあり最低限度の食生活は保証されていましたが、こちらは縦にも横にも育ち盛り。


 早弁常習犯にとって、ご飯と味噌汁、それと卵焼きなんて食事はつらすぎました。


 それでも、家に帰れず連日通勤できない職員の変わりに病院や施設に寝泊まりし続けた職員の方々に比べれば、大したことはないのですが。


 自衛隊なども救護活動にあたっていたようですが、それらが来るのは人口が多く外部からアクセスできる場所に限られます。


 なので、私たちの施設は道がつながるまでの一ヶ月ほど自力でなんとか乗り越えなければなりませんでした。


 道が寸断されてから一週間。救援がすぐには来ないとわかった職員たちは、行方不明の事務長の妻を自分たちで捜索することに。


 そこで、病院が精神科だったのが役に立ちます。男性職員が多数いるからです。


 そうして捜索隊が編制され、瓦礫の除去をしながら捜索を続けてなんとか事務長さんの妻を発見することができました。


 そうやって助け合いながら一ヶ月を過ごし、寸断された道が通れるようになりマイクロバスで山を越えた時、家々が流され田畑がなにもない更地になっているのを見て、ようやく自分たちの置かれていた立場を理解したのでした。


 災害時は停電でテレビが見れなかったので情報がまったく入らず、自衛隊が救援に出てくれていたなんてことも知りませんでした。


 知ったのは、たまたまテレビでこの災害の話になり自衛隊が投入されたと当時の映像が流れたから。


 被災すると、その中心にいる人たちほど情報が入らないものなのだと、このときしみじみ思いました。


 後日、電話が通じるようになり親に電話をすると、とても安心してました。


 一ヶ月近く連絡も取れず、他の医療施設で施設ごと流されて死者もでていたので、連絡が取れるまで生きた心地がしなかったとのこと。


 親が一番つらい時間を過ごしたのかもしれません。


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