9 それぞれの思い
御者の男は勇馬たちに警告するや自分は一目散に馬車から離脱した。
商隊馬車の周りではホフマンの部下たちが槍を手に持ち応戦している。
魔物に遭遇したときの事前の指示事項として、護衛の冒険者が対応できている場合には馬車の中で伏せておくようにと言われていた。
しかし、冒険者が対応しきれず危険が迫ったときには自分の判断で適宜対応することになっている。
馬車の中で伏せていたシェーラは隣のケローネに視線を向け相槌を交わした。
「ボクたちがちょっと出てきます。みなさんには手出しさせませんから」
「ちょっ……」
突然立ち上がったシェーラたちに勇馬が声を掛けようと手を伸ばしたときには2人は既に馬車から飛び出していた。
「ここは冒険者の方たちに任せよう。私たちがいても返って足手まといになりかねない」
トーマスの言葉に勇馬は何も返すことができなかった。
(このまま何もせずにこうして伏せておくことしかできないのだろうか?)
勇馬は自問自答した。
(シェーラたちの足を引っ張らないように自分の身は自分で守ることはできないかな?)
馬車の中で身体を伏せたまま考えた勇馬はおもむろにマジックペンを右手に顕現させた。トーマスもペドロも勇馬の方を見ている様子はない。
(俺にはこれしかないからな)
勇馬は馬車の幌に『完全物理耐性』と書き込んだ。
書かれた内容自体は究極の防御壁ともなるものだ。
しかし勇馬自身、自分にはその内容に見合った魔力はないと思っている。そのため勇馬は自分の魔力に見合った程度の防御効果が関の山だと思っていた。
一方、乗合馬車の外ではシェーラとケローネが2人で一体のハイゴブリンと対峙していた。
相手はDランクの魔物でありEランク冒険者であるシェーラとケローネよりも格上である。
もっともシェーラとケローネもEランク冒険者とはいえ単にこなした依頼の実績が乏しいだけで戦闘能力自体は決してDランクの魔物に劣るわけではない。
ケローネが水魔法で牽制するとハイゴブリンは体勢を大きく崩した。
「もらった!」
隙をついたシェーラの剣がハイゴブリンの胸を貫き、ハイゴブリンは絶命した。
シェーラたちがほっとしたのも束の間、シェーラたちが1体に気をとられていた隙に2体のハイゴブリンたちがシェーラたちの裏に回り込み、乗合馬車の幌に太い棍棒を振り下ろす。
――ガンッ
――ボキッ
後ろで鈍器を叩きつけるような音がしてシェーラとケローネが振り返るとハイゴブリンたちがちょうど馬車を攻撃したところだった。
「このーっ!」
シェーラがとっさに間合いを詰めて剣を繰り出したが、体勢が十分ではなくハイゴブリンたちには届かなかった。
ただ、十分な牽制にはなったようで2体のハイゴブリンたちは乗合馬車から離れたところまでひいていった。
「シェーラ、馬車は!?」
「大丈夫、馬車はどこも壊れてない。逆にほら」
遅れて戻って来たケローネにシェーラが地面を指差した。
その先には折れた棍棒が落ちていた。
ハイゴブリンが持っていたものだが馬車を叩きつけた際に強さに負けて折れてしまったのだ。
「運はこっちの味方みたいだ。このまま守りきろう!」
シェーラの言葉にケローネは大きく頷いた。
そのころ、馬車の中で勇馬たちとともに伏せていたアイリスは自分の無力さを感じていた。
アイリスは自分が奴隷に落とされた当初「自分が愛玩奴隷になるのは運が悪いからだ。自分がこういう生まれでさえなければ」と自分の運命を呪うばかりであった。
しかし現実はどうだろう。
アイリスは勇馬に夜の相手を命じられたこともなく愛玩奴隷としての役目すら果たせていない。
だからといって何か他に役に立つことができているかといえば胸を張って言えることはない。
(私って何なんだろう。私に生きてる価値ってあるのかな……)
自分よりも年下のシェーラとケローネは今馬車の外で自分たちを守るために必死に戦っている。
そのことがアイリスにはどうにも眩しく思えた。




